誰がために 08
「来てしまったな」
「到着してしまいましたね」
「ああ、そうだな」
俺達が『北浜』に到着しての第一声がこれである。
到着した事を何だか後悔している様にも思えるが、そもそも観光とかじゃ無い訳だし、複雑な事情がある。もしかすると、本当に後悔する事情が明らかになるかもしれない。そんな根拠のある不安が、根拠のない期待より先立ってしまうため、仕方ない事なのかもしれない。
「神楽、これからどうするんだ?」
「そうだな、時間も時間だから、先ずは駐屯地に行って宿舎に入ろう」
と言った俺の言葉に、
「兄さん、お腹空きました」
鈴音のストレートな意思表示――ありがとうございます。
先を越されたとばかりに、俺の右肩に乗っている黒鬼闇姫が、
『神楽君、黒は疲れたんだよぉ。それにぃ、もうぺこぺこだよぉ。お腹が空くと怒っちゃうんだよぉ。怒った黒は怖いんだよぉ。真っ黒に染まるんだよぉ』
変な脅し文句と共に反応すると、続いて左肩に乗っている銀界鬼姫まで、珍しく騒ぎ出す。
『神楽様、私も少々疲れましたでございますです。そろそろ休憩を兼ねての食事をいたしたい事でございますですわ。
全く、女性が四人もいるのに、神楽様は気がきかないでございますですわね。
そもそも愛し合う間柄とはいえ、鈴音様に「腹減った」などと言わせるということはですわね、その愛を一身に受ける男性として、全くもって情けない事でございますですわ。
実際、黒鬼闇姫さんのおっしゃります通り、空腹も度が過ぎますですと、いくら愛があっても、今の鈴音様のように醜態を晒す事になる訳でございますですわ』
――皆さんお腹がすいているんですね。わかってますよ、俺もですから。
って鬼姫さん、鈴音が、鈴音さんの大きなお目目が睨んでいるんですが。非常に怖いお顔をこっちに向けてますが。で、今日はゴチンをしないのですか、鈴音さん。
それよりですね、闇姫さんに鬼姫さんは俺に乗っかっている訳で、疲れる要素が無いように思うんですがね――ああ、あれですか、闇姫は変な歌を歌い疲れて、鬼姫はペラペラと喋り過ぎで疲れたんですか? 俺はその二人に挟まれて、肉体的にも精神的にも三倍は疲れましたよ。
「はい、皆さんの意見はよくわかりました。出来るだけ善処いたします。もうしばらくの辛抱ですよ」
とりあえず、騒ぐ『お人形』をなだめるが、
『あぁぁ神楽君、「善処」なんて言葉は使っちゃ駄目なんだよぉ。偉い人しか言っちゃだめなんだよぉ』
どこで間違えて覚えたのか闇姫が騒ぎ出すと、鬼姫も黙っちゃいない。
『そうでございますですわよ神楽様。その言葉は古来より偉い方限定で、「何もしません」と言う時に使って良い言葉でございますですわ。
そもそも神楽様は、まだまだ下っ端でござりまするので、その言葉を使う事自体、間違っていると思われる事でござりまするですわ――』
おい、語尾が変だぞ。だが止まらない。
『――それよりもでございまするですが、その言葉通りに捉えると、鈴音様にまだ飢えていろと言っているようなものでありまするですが、愛する方を飢えさせておくのは――はっ』
再び鈴音の大きなお目目がつり上がっている事に気付いた鬼姫の喋りが、ようやく止まった。鈴音は右手にグーを握っているが、やっぱりゴチンしない――鬼姫の語尾がおかしいのは、やっぱりゴチンの当たりどころが悪かったのか? それで遠慮しているのか、鈴音。
「鬼姫ちゃん、次は遠慮なく落としますからね! 例え、間違って兄さんに当たるとしても!」
『ご、ごめんなさいです。一応気をつける事でございますです』
ちょ、待て待て、鬼姫頼むぞ。俺は犠牲になりたくないぞ。
そんな、いつも通り騒がしい俺達のやり取りを、一部会話の通じていない彩華が、その切れ長の目を細くした、訝しげとも、優しいとも取れる視線をくれるなか、駐屯地に到着した。
少し前、彩華や鈴音の言葉で浮き彫りになった疑問を解決するため、しばらく『北浜』に滞在して、帝直下の部隊である『直轄』と、大将と同列である『筆頭』の立場を利用し、表裏限らず動く予定である。
そんな俺達は、司令へ遠回しに伝える(よく言う根回しというやつである)ために、一応の儀礼としての挨拶も含めて、到着すると最初に事務棟に行ったが、本日は不在との事であった。
仕方なく挨拶は翌日以降折りをみてということで、滞在手続きを行う。その対応に当たっていた二十歳程に見える少々軽薄そうな茶髪の男性、大川と名乗った係官が、俺達の滞在中の案内を自ら買って出た。
その流れの都合で宿舎へ案内してもらう。
その途中。案内をしてくれた係官と言えば――こう言っちゃ何だが、あまりまともな方に当たった事が無いな。大川係官はどうだろう。見た目は少々軽薄そうな男性だが、見た目で判断するのもなんだしな。
などと考えていると、
「天鳥筆頭、お尋ねしたい事があるのですが、宜しいですか?」
大川係官が耳打ちする様に、こっそり訊いてきた。
「何でしょうか?」
「第一夫人はどちらですか?」
「ブッ」
大川係官の軽薄な笑顔から投げかけられた、あまりに直球な疑問に噴き出した俺。そりゃ今は一夫一妻は当然だが、一夫多妻だろうが一婦多夫だろうが、まあ一通りは認められていますがね――などと思う間に、
「あっ、違いました? じゃあ、本妻さんと本妻も公認のお妾さん? それとも愛人さんとか? あっ、年齢的に結婚はまだ早いか」
やっぱり見た目のまんま、軽い問いかけであった。てかタメ口ってさ――そりゃ俺、そう見えないかもしれないけど、大将ということで階級は上だし、もっともそれを笠に着て、ああだこうだと言うつもりは無いけどね、一応あんたも軍所属なんだから、その辺りはわきまえましょうよ。
とは思うが、
「お、おおお大幅な勘違いを――」
と、慌てる俺が言葉を言い終える前に、
「いや何ね、大将さんならそれくらいの甲斐性はあると思うじゃん。それに『三部屋はいらない、一部屋で良い』なんて、トンでも美人さんに言われたし、おっぱい大きなかわい子ちゃんもそれを否定してないし、どんな関係なのかなって思っちゃうじゃん」
駄目だこりゃ――やっぱりまともな係官では無かったか……
と、ここで話をややこしくする鈴音の声が聞こえた。
「兄さん、何をコソコソやっているんですか?」
ちょっと待て、それを言うなと、言おうとした俺より素早く反応した大川係官は、
「へ? な、ななな何と! それって――」
星を散らしたようにキラキラと、両目を大きく開いて、
「――うおぉぉぉぉ! 兄さんキタ~~~!! 禁断キタ~~~!! こいつは予想外だぜ!!」
大爆発。声を上げてはしゃぎ出した。
――もう俺は、何にも言いません。説明も面倒ですから、勝手に解釈して下さい。
「へ? え? 私、何か?」
あまりの反応に鈴音もあたふたする。
「って事はあれか? 可愛いらしい妹さんは、実は義妹で、こっちの美人さんは、幼なじみの同級生てか」
「あ、ああ」
異常な高揚を見せる問いかけてくる大川係官に気圧された俺は、ついつい頷いてしまった――し、しかし、す、鋭いな。
「ななななんと!! トンでも美人の同級生にトンでも可愛い義妹どぁぁぁって~~~!! お、王道キタ~~~! 生でキタ~~~! 目の前にキタ~~~!」
――お、おい! 『春が来た』じゃないんですから、それともヤバいキノコでも食っちまったか?
何故だが涙目になっている鈴音が、
「あ、彩華姉さん、この人――もうやだ」
と、輪をかけてやっちまった。
「さささ更に、姉さんとキタ~~~! てかてかですね、もしかして義理のとか言いませんよね」
詰め寄る大川係官に俺はまたもや負けて、
「あ、ああ、そ、そうだが」
言うが早いか、
「おぉぉぉぉ! ななな何と義妹は、お兄ちゃんと幼なじみで同級生のお姉ちゃんがいて、しかもお姉ちゃんは義姉であって、皆がみんなが寝床を一つにする恋人で、って、設定重過ぎじゃねえか、詰め込み過ぎだろう。あんた達、い、一体どんな関係なの? もうさっぱわかりましぇ~~~んよ」
絶好調の大川係官は、周りの目も気に留めないで、はしゃいでいる。そんな彼から数歩引いた俺と彩華は、こめかみを指で押さえ、鈴音は彩華の後ろに隠れた。
「――なあ神楽、斬って良いか?」
大川係官に優しい目を向け、ポツリと呟く彩華と、
『鬼姫ちゃん、準備』
『はい、鈴音様』
ひくつきながらも気丈に振る舞う鈴音に、
「――気持ちはわかるが、素手にしておけよ」
俺も珍しく優しく見守りながら、最大限の譲歩を提案していた――俺は忘れないよ、大川係官。君の人生最後の日、あの美人姉妹を一瞬とはいえやり込めたその勇姿を…………
「――ん?」
『天誅でございますですわ』
グニョ!
「はう!」
「「天罰二重奏!!」」
ゴキ! バキ!
「ぎぇ!」
合掌…………………………
それは他人事ではない目の前で起きた惨状、恐怖が支配する惨憺たる光景に戦慄が走った俺は、解説する事を完全に拒否していた。
だがあえて解説を入れる。
近寄った鬼姫を大川係官は怪訝な表情で見返す。
と、身長七〇センチ程の鬼姫が大川係官に聞こえない言葉を不意にかまして、ちょうど良い高さのものを拳で打ち上げた。まあ、その格好は格闘技なんかでいうアッパーカットなのですが、身長が身長ですからね、当たりどころが――そう言えば、急所の一つである顎先の事を『chin』と言うみたいですね。
当然、下腹部を襲う激鈍痛により大川係官の体はくの字に曲がる。
そこに鬼の笑みを浮かべて近づいた美人姉妹。
息ピッタリに一言叫ぶと、丁度良い位置に下がった大川係官のお顔めがけて、きつく握りしめ、更にしっかりと腰も入った拳を打ち込んじゃった訳です――って彩華さん、拳に気を纏って光ってなかったか? それに鈴音さん、対物理結界を拳に張っていなかったか?
コマの足りない出来の悪いパラパラ漫画のように吹っ飛んだ後、反対にコマの多すぎるパラパラ漫画のようにゆっくりと崩れていく大川係官へ、俺は同情の目を向けていた。
「本当に、遠慮がありませんね」
「ふん、命があるだけでもマシだ」
「兄さんも気をつけて下さいね」
何だか恐ろしい事をさらりと言いましたよ――今までよく命がありましたね、俺。
その後、非常に大人しくなった大川係官に案内されて、宿舎に到着したのは午後八時少々前であった。
「天鳥筆頭、明日は何時にいたしますか」
すっかり口調も大人しくなった大川係官に、
「九時に事務棟に行から迎えはいらないよ。明日、司令は見えるかな」
「何事も無ければ」
「では、一応面会の段取りをお願いしたいのですが」
「承知しました」
では明日と、大川係官は青タンの出来た顔で一礼すると、踵を返して宿舎から出て行った――まあ、グー二発ですんでラッキーだったな。でもね、彩華さん、鈴音さん、顔はヤバいですよ。
俺達は一旦部屋に入り荷物を置くと、すぐさま食堂に行って遅くなった夕食をすませた。空腹が満たされて、多少機嫌が良くなった鈴音や彩華、そして『お人形』達が一息つくのを待って食堂を出た。
当面の拠点となるこの宿舎は、上級士官用という事もあり、俺が住んでいる『本殿』の宿舎と同じく、部屋が三つに風呂やトイレは完備されている。ちなみに玄関を入ると奥に続く短い廊下を挟んで、左手は主室と寝室。右手は客間であるが、当然美人姉妹の荷物置き場になるだろう。
部屋に戻った俺達は風呂に入ると、主室で雑談を交えて適当にくつろいでいた。
ふとした瞬間、雑談が途切れて室内が静まり返る。
僅かの間を置き、しばらく前から天井を見上げていた彩華が、
「――なあ神楽――」
そのままの体勢で、重く、というより確認する様に口を開いた。
「――何処に住んでいたんだ?」
「――悪いな彩華。言った事があるかもしれないが、記憶にあまり残っていないんだ」
「それはすまなかった」
と彩華は言って、俺に顔を向けた。
「いや、良いんだ。もっとも五歳の頃の話だしな。
――だが覚えている範囲で言うなら、多分郊外の、それも住宅地ではなく、ポツリとあった一軒家だったと思う。周りは確か……田畑だったと思うぞ。
まあ、そのおかげでか近所に被害は無かったみたいだよ。
――彩華は?」
彩華に話を戻すと、彼女は天井を見上げて一度目を閉じ、思い出していたのか、考え込んでいたのか、やがて目を開き俺に視線を向けると、
「私も神楽と同じく五歳の頃だからな――ポツンとあった一軒家だった覚えがある。海が見えていたから北の方だと思う」
一旦話を切った彩華と俺の視線は、自然と鈴音に向けられた。
「わ、私ですか? だって、兄さん達が五歳ですよ。私は三歳の頃ですから、記憶は……周りがどんなだった何て……」
「あっ、良いんだ鈴音。この先調べて行けばいろいろとわかってくると思うよ」
話題の性質上、自虐的に落ち込んで行きそうな鈴音に、俺は慌てて声をかけた。彩華もこの話題から逸らそうと、
「神楽、何から調べるんだ」
今後の予定をわざわざ訊いてきた。
「そうだな、こっちに保管されている戦闘記録は、確認しておきたいな」
「それはわかるが、『本殿』に記録は無かったのだから、こっちもあまり当てにはならんぞ」
「まあ、それはわかってるよ。でもあるかもしれないだろう。とりあえず探してみても損は無いよ」
「わかった。で、その後は?」
「俺達の出自だな」
「やっぱりそうなるんですね、兄さん」
俺の言葉に鈴音が先ず反応した。
「辛いか? 鈴音」
「いいえ、そう言う訳では無いのですが、なんと言いますか――」
「明らかになる事に対しての不安……だな」
鈴音の言葉を切った彩華が、詰まりかけた言葉をつないだ。更に、
「その事でだ神楽。自分の本名は覚えているのか?」
「い、いや、恥ずかしながらと言うのか、覚えていない」
「ふん、五歳になっても自分の名前が言えぬとはな」
「あ、彩華はどうなんだ? 俺はお前の本名を聞いた事が無いぞ」
「お、お前に教えるまでもない。こ、この話は終わりだ」
――あれですね、とりあえず俺をいじめたかったと言う事ですね。
「まあ、あれだ、俺の親も軍人だったようだし、神楽という名は本名のようだから、手掛かりくらいは残っていると思う。
彩華や鈴音はどうなんだ?」
「ああ、神楽と同じだ」
きっぱり言い切る彩華に対して鈴音は、
「私は……本当に……」
今にも涙がこぼれそうな程、大きな目を潤ませいた。
「あっ、ほら、大丈夫だよ。調べればすぐわかるよ」
「いいえ、違うんです。そうじゃないんです。
私は、今でも充分過ぎるくらい幸せなんです。ですから、本当の事がわかってしまうのは……わかってしまう事が……怖いのです」
鈴音は言うと、顔を伏せた。
「そうか……でも、知りたかったんじゃないのか?」
「はい、最初はそうでした。けど……」
「わかった、じゃあこうしよう。鈴音がその気になるまで鈴音に関しての調査はしない。もし俺や彩華の事を調べるうちに鈴音の事がわかっても、何も言わないよ。それでどうだい?」
「はい……お手間をかけてすみません兄さん」
鈴音はゆっくりと顔を上げた。
「調べたくなったらいつでも言ってくれれば良いよ。
ところで、彩華はそれで良いか」
彩華は、うむと頷いてから、
「構わないぞ。結果はどうあれ私としては望んでいた事だ――」
妙に目を輝かせている。まあ、やる気満万は構いませんがね。
「――と言う訳だから、先に寝るぞ。後は任せた」
何がだ、と俺が言う間もなく、彩華は踵を返すと、漆黒の髪をフワリと舞いあげて主室から出て行った――すまんな彩華。
「さて、俺達も寝るか」
「はい」
立ち上がった俺に、両の手を差し出す鈴音。
「兄さん、抱っこ」
「承知しました、お姫様」
甘える鈴音を抱き上げると、そのまま奥の寝室に入った。
読み進めていただき、ありがとうございます。