誰がために 03
「おっはよ~ございま~す、兄さん」
「ん? おはよう、闇姫――」
妙にテンションの高い声に起こされた俺は、テンション高いイコール俺の契約する『お人形』黒鬼闇姫という、脳内の図式の結果から返事をする。が、言葉の端々に違和感を覚え、
「――ございま~す? 兄さん? って――」
声の主を目を開けて確認する。
そこに立っていたのは、嬉しそうとも怒っているとも取れる、非常に複雑な表情をした鈴音であった。更にそのままの表情で遠くを見つめニヤリと笑みを浮かべると、
「……兄さん、闇姫ちゃんと間違えられるという事は、何と言いますか、微妙に腹が立つ? というと、闇姫ちゃんに失礼ですが、やっぱりなんだかそのですね、どことなく馬鹿にされた? というのか、あっ、これも闇姫ちゃんに失礼ですね、でもですね、納得できない? というのか……そもそも間違えられるという事は、やはり、兄さんは私の事を好きとか嫌いとか言うレベルで見ていないのでしょうか……」
起伏が無く、ブツブツと呪詛を唱えるような呟きが聞こえた――時折語尾の上がる意味不明な疑問形が、これまた良いアクセントになって、不気味さが際立っている。
「お、おはようございます、鈴音さん。
えっと、何だか……」
「おはようございます兄さん、ああ既に起きていたのですね、闇姫ちゃんに起こされたのでしょうか、それとも私が起こしたのでしょうか、いいえ、今更どちらでも良い事なのですが、何となく確認だけはとっておきたのです、でも、無理にとはいいません……」
鈴音は視線を一応俺へとあわせたが、相変わらず複雑な表情のままニヤリと笑みを浮かべ、起伏もなくブツブツと呪詛を唱えるかの如く呟く鈴音を正気に戻すために俺は、
「おっ、その服は昨日買ったやつだな。すごく似合っているよ。
うん、すごく可愛いよ。
鈴音は何を着ても可愛く似合うけど、その服はまた、格別だな」
と、鈴音が妙なハイテンションになっていたと思われる原因を褒めてみた。
鈴音の着ているそれは、言葉通り昨日購入したものである――購入と言っても支払は当然俺です。
今はまだ早いが、暖かくなってくるこれからの時期には良さそうな、淡いピンクのブラウスに、同じ色合いのフワリといたフレアスカート。丈は膝上十センチ程のやや短い程度と残念である。しかし、フワリとした見た目から、春先の悪戯好きな風に対しては防御力が低そうという、おかしな期待を抱かせる――上下とも、それなりにフリフリしているのは、鈴音のこだわりで譲れないところらしい。おかげでけしからん胸の膨らみが目立たないのは、良い事のような、残念なような、複雑な気分である。
俺のその場しのぎ的――いや――心から出た率直な感想が聞こえたのであろう、鈴音の複雑な表情が一変して、
「へへへ……」
今度は大きな目を細めて、目尻の下がった締まりの全くない、ニヘラとした表情になった――へっ? もしかして裏目に出ましたか?
「――そうですか、やっぱり私は可愛いですよね、うんうん、当然ですよね……へへへ……自信はあったのですよ……うへへ……でもですねなかなか言ってくれないから……ふへへ……不安もあったのですが……でへへ……今晩も可愛い私にしっかり甘えん坊さんしてくださいね……へへへ……楽しみにしていて下さいね……へへへ……」
クルリと向き変えた鈴音は、ブツブツ呟きながら、フレアスカートをひらりと翻し部屋から出て行った。そんな鈴音に微妙な恐怖を感じた俺は、声がかけれなかった――当然視線は翻るスカート方向を見ていた訳だが……残念でした。
昨日、究極の恐怖による脅迫に屈した(?)俺は、鈴音、彩華、そして何故か社守軍師に買い物へと連れ出された。
で、当然俺のお財布は空になった訳です。
てか、その理由が、二ヶ月ぶりに『本殿』に戻ってきた『鈴音ちゃん、復帰祝い』って……
それに『復帰祝い、彩華ちゃんバージョン』とか……まあ、とりあえず、そこまでは納得できるのだが……
解せんのが『静ちゃん、瑠理ちゃん、帝に取り繕ってくれてありがとう。神楽感激です!』とか意味不明ですし、さっさと呉服屋に入って、一桁、二桁違うような、やたら手の込んだ反物を見ていましたし、そういうものは、帝にお願いして下さい。
――で、俺の復帰祝いは? と、とりあえずツッコミを入れてみますが、えっ、こんな美人を侍らしているんだから、それじゃ不満なの? って、返ってきました……ぐすん。
「神楽、起きているんだろう」
鈴音が出て行くと、入れ替わるように彩華が入ってきた。
彼女が着ている服も鈴音と同じく、今はまだ寒そうだが、暖かくなるこれからを見越してのものである。当然、昨日『復帰祝い』のお題目で購入……させられた黒のミニワンピース――彩華のこだわりである総レースだが、アウターなので隠すべきところは透けていませんよ。
その上から、こちらも昨日お買い上げの白いシフォンカーディガンを羽織っている――もしかして彩華のこだわりは、レースというより透けるものなのか?
モノトーンとシンプルな色使いだが、着こなす彩華の美しさが引き立っている。
「ああ、おはよう彩華」
答える俺を、彩華は訝しげに見ながら、
「なあ、鈴音が壊れていたのだが、原因はお前だな」
「……まあ、そう言われればそうかもしれない」
「何をしたのだ?」
「何をしたという程でもないが……とりあえず褒めた」
「ん? 何をどう褒めるとあんな風に壊れるのだ、信じれんな神楽。本当はおかしな事をしでかしたのでは?
まさか一昨夜の仕返しとかか?」
一昨夜から、散々おかしな事をしていた彩華には言われたくないのだが……
「めめめ滅相も無い。そんな事をしたら『無くなる』……不安で、マジで寝れなくなるぞ」
「ふっ、そうだな」
ニヤリと笑う彩華――ほ、本当に怖かったんだぞ。
「とにかく信用無いな……じゃあ――」
俺は、『復帰祝い』を着ている彩華を見つめて、
「おっ、その服は昨日買ったやつだな。すごく似合っているよ。
うん、黒髪も美しく映えて、すごく綺麗だよ。
彩華は何を着ても綺麗だし似合うけど、その服はまた、格別だな――と、こんな事を言ったんだ、って、うぉい……」
言い終わると(正確には途中であったが)、彩華の表情がニヘラと崩れて、
「へへへ……うん、そうか……」
呟き出した。
「あのですね、彩華さん?」
この症状は……鈴音と一緒ですね。
「――なんだ神楽、わかってるじゃないか。私の良さがわかっているとは、うんうん、良い事だぞ……へへ……そうか、お前は綺麗と言ってくれるのか……へへへ……こう言っては何だが……ふへへ……容姿には多少の自信はあったが……にゃは……手前味噌になると思って明言しなかったが……にゃはは……面と向かって言われると少々照れるな……へへへ……うんうん、今晩もしっかり可愛がってやるか……へへへ……」
彩華も壊れましたね――不思議と勝った気分になる俺だった。
呟きながら部屋から出て行く彩華を見送ると、良くも悪くも目が覚めた俺は、寝床から抜け出して身支度を始めた。
と、今度はドタドタと、居間の方から怪しげな音が聞こえる。
同時に、
「……私からです……」
「……次は私が先だ……」
「……順番です。彩華姉さんはあとにして下さい……」
「……いや、今度は鈴音があとだ……」
聞こえてきたわめき声に、そのまま放っておくと、とんでもない事になるのが嫌でも予測できる俺は、支度をすませて嘆息しながら居間へと向かう。
「――えっと、鈴音さん、彩華さん、何をなさっているんですか?」
俺の眼前には妙に高揚した美女が二人、今にもキャットファイトを繰り広げるか如く向き合っている――下着姿で……
居間に入った俺に気が付いたのか、二人はこっちを向くと、険の立った表情を一転、ニヘラ顔に変えて、
「に、兄さん……でへ……これを付けた私も可愛いですよね……へにゃ……」
「神楽……にゃは……これを着た私も綺麗か……へへへ……」
詰め寄ってきた。
鈴音は、パステル系のミントグリーンの上下お揃いのシリーズで、相変わらずフリルは有りだが、鈴音にしては珍しく控えめ。しかし今回は攻撃力がアップして、微妙に透けてはいけないところが透けそうな、ちょっと冒険したようなデザインである。
彩華はローズピンクの上下と、珍しくパステル系の色合いを選んでいた。当然、レースがふんだんに使われており、相も変わらず透けてはいけないところが……透けているであろう、防御をかなぐり捨てた攻撃力特化型である。
――あのですね、非常に嬉しい事なんですが、朝から重いです。
「えっとですね、でへとか、ニャはとか、鈴音さん、彩華さん、お二人は、素が良い訳ですから、そんな格好しなくても、可愛いですし綺麗ですよ。ですからですね、早く服を着て下さいね」
と、言った俺の言葉は途中までしか聞いていないようだった。
「にゃはは……そうですよね可愛いですよね……へへ……素が良いってことは……ひゃはは……」
「へへ……素が綺麗でもある訳だ……にゃへへ……」
「「じゃあ、何も付けてなくても……でへへ」」
ゴン、ゴン……
「グゲ! 痛いです……へっ?」
「ギッ! 痛い……あっ?」
収拾のつかない美人姉妹の頭に、俺は拳骨を落とした。
正気に戻った二人は自分の格好に驚き、
「兄さん! 私達を剥きましたね」
「神楽! いつの間に剥いた」
当然、言い掛かりをつけてきた。
褒めたあげくの言い掛かりとは、全く理不尽である。
更に、お買い物だ、ポイントを溜めるだ……『チョキン』だ、などと騒ぐ、甘え下手な美人姉妹を、何とかなだめて朝の騒動は収まった。
その後、朝食をすませた俺達は、昨日のお買い物帰りに社守軍師から『明日は御前会議を行う』と指示されていたため帝の執務室へと向かう――あの社守軍師に二守筆頭がいるはずですよ、ある意味、何だか作為的な怪しい不安もあるのですが。
直轄部隊の腕章を見せて、衛兵達のチェックをパスした俺達は、帝の執務室の前に立って、扉を軽く叩く。
コンコン
「どうぞ……ふふふ……」
素早い反応で、社守軍師の声が聞こえた。妖しい含み笑いを聞きながら俺が扉を開き、
「おはようございます――」
いきなり社守軍師がニコリと笑みを浮かべ、俺の言葉をさえぎると、
「神楽ちゃ~ん、おはよう……ふふ……昨日はありがとうね……うふふ……す・て・き・な・紐を……ふふふ……瑠理ちゃんも喜んでたわよ……うふふ」
うっ、いきなり裏人格ですか――気だるそうにとろんとした目つきの表情に、大きく開いた襟元から覗く白い肌、朝とは思えない艶っぽいお姿ですね。あっ、首にかかっているのは、昨日買った紐が、なんで胸元に向かって、いやいや、どうしてそこにあるんですか?
とりあえずそれはさておき、
「い、いいえ、どういたしまして」
返す俺の背後からおかしな気配が伝わってくるのだが……
「か、神楽、ひ、紐って、ままままさか……社守軍師の首の……」
「に、兄さん、ひ、紐は、紐は駄目です! は、破廉恥です! あ、あまりに特殊です!」
「あの、彩華さん、鈴音さん、一緒にお買い物しましたよね。
そんなビックリする程、妖しい物を買ってましたか? 社守軍師のそれは……ほら……えっと――」
と、俺は言うが、彩華に鈴音は聞いちゃいない。瞳孔を開いた焦点の定まらない目をした二人は、
「……ふむ、紐に美を見出したのか神楽は……そこまでの度胸は私には……残念ながら負けた……グスン」
「……せ、せっかく、度胸を出して、いつもより大胆な物を選んだのに、紐と比べられると私の付けているのなんて、普段着程度ですね……グスン」
黒い気を放ちながら、何やら呟いている。
「お~い、扉を開けたまま、いつまで妖しい話をしてるのだ。早く入ってこい、皆揃っているぞ」
いつまでもゴチャゴチャとやっている俺達に痺れを切らしたのだろう、奥の部屋から帝が自ら出てきて呼ぶ。
「「「「も、申し訳ございません!!! 直ちに」」」」
帝の言葉は、俺の拳骨以上の効果があるのだろう。我に返った俺達と社守軍師は、揃って応えると慌てて奥の部屋に入った。
テーブルには帝の言った通り、と言っても二人だが、右奥には、社守軍師とお揃いで婀娜っぽい格好の『直轄諜報』二守瑠理筆頭、右手前に全身黒ずくめの忍大将音無道進が席についていた――しかし、二守筆頭は仮面をつけてるし、音無忍大将は目出し帽状態だし、異様な光景ですよ。
帝はそのまま一番奥の席に座る。その後ろを付いていた社守静軍師は左奥の席についた。
俺達は左側の手前に空いていた席へと、奥から俺、彩華、そして鈴音の順で座った。
この面子を見る限り、軍部とは切り離されている。だが、俺達『直轄追跡部隊』だけで軍以上の力を持っている訳だ。更に神国天ノ原の闇で暗躍する二守筆頭や、音無忍大将が揃っている上、全軍の頭脳である社守軍師がここにいる。
情報を収集し、精査し、立案し、人知れず行動し、それで駄目なら力づくでと、全てが揃っている。
つまり、何らかの行動を起こそうとする輩にとっては、最悪の部隊が結集しているのである。
「さて、久しぶりに『直轄』関係が集まったところで、静、始めてくれ」
「はい」
帝の言葉を合図に始まった御前会議は、社守軍師が議長を務めて、淡々と議事を進行する。
とは言っても、今は戦時中ではないので、ややこしい話は特にない。現状の報告と、今後の役割の確認程度であった。
「――それでは、『直轄諜報』は、行方不明の『離反組』そして、アディーラ・バルドライン、いやルシェディオ・バルドアの情報収集を続けて下さい」
二守筆頭は『承知』と書かれたメモを見せる。
「続いて、『直轄追跡部隊』は、『離反組』の捜索に当たって下さい。なお任務に際して、行動の制限を解除し、自由行動を認めます。また『本殿』に入った情報は逐次伝えますので、有効に活用して下さい。必要なら『直轄諜報』と連携するのも良いでしょう」
「ひょ、しょ、承知いたしました」
先の二守筆頭に倣って答えようとした俺は、緊張感漂う空気に気圧されてかんだ。
一瞬場の空気が緩むが……表の社守軍師はスルーして議事を進行する。
「最後に、『直轄実行部隊』は、反抗活動全般の情報収集、それと『対策』を引き続きお願いします」
「承知」
音無忍大将の短い返事には、『対策』という非情の命に対して、揺らぐ事の無い確固たる意志が込められているようであった。
しかし、『対策』ですか……
この空白の二ヶ月、俺は『対策』を終えたと思われる現場を、何カ所か見てきた。その最たるものが、紅蓮の炎に包まれた『オウノ』である。さすがにあそこまで大規模なものは無かったが、それでもあれは『対策』と、言うより『殲滅』と言った方がすっきりとする――確かに、これから起きる事を未然に防ぐとか、対処するという意味では『対策』なのだが……
音無忍大将に任せてばかりで悪いが、俺達にその役目が回ってこない事を祈ろう。
未だに『オウノ』で、音無忍大将に突きつけられた問いに、俺は答えを出せていない。いや、出来れば、はっきりと否定したい。
「さて、本日はこれで終了しよう。
それぞれ任に付くのは、明日からで良いよ。
まっ、焦るような案件も無い訳だし、緩くやって行こう。
そうだ、全員揃った事だし今晩皇宮で宴でもどうだ」
と、帝自らのお誘いに全員が、伺いますと、答えると、音無忍大将と二守筆頭は消えていた。社守軍師が部屋から出ると帝が、
「静も瑠理も喜んでいたよ。
しかし、紐とは……大胆だな神楽。あれが好きなのか? 二人とも今晩はあれを付けた姿を見せると言って聞かないんだ。全く困ったもんだよ……ふっ」
ニヤリと口角を上げて言う。
――悪戯好きだ、うん悪戯っ子だな。
「ちょ、み、帝も人が悪い――」
と返す俺の言葉を切ったのは、当然美人姉妹のお二人さんである。
なんとも形容し難い表情に、どす黒い気を惜しげも無くまき散らし、
「兄さんは、兄さんは、やっぱり紐が良いのですね……ああ、そうですよね、何と言っても、とってもスケベですから……それくらいでないと、私も張り合いがありませんが、やっぱり紐はいけないと、駄目だと思います……でもどうしてもというなら……」
「神楽、本当に残念な奴だな、お前は……私がどれだけ努力をしてもだな……決して入り込めぬ領域に既に踏み込んでいる訳だ……だが、お前がどうしてもと言うのなら……うん、私は……私は全てを捨てても良いぞ……」
呟き状態に突入してしまった。
「――で、では、私は先に戻ります。それでは、今晩伺いますので……」
俺は、静かに挨拶をすませ物音を立てないように、部屋から出ようとする。
が、
「兄さん、待って下さい!」
「神楽、待て!」
「お、お先に~」
当然見つかって――ダッシュで逃げた。
「逃げても無駄ですよ!」
「問い詰める時間はたっぷりあるからな!」
お買い物ポイントが加算される中、そんな俺達を、全く騒々しい奴らだと、帝が大きく嘆息して見ていた事を後で聞いた。
読み進めていただき、ありがとうございます。