上と下 21
「「アディーラ・バルドラインさん……ですか?」」
口を揃えたヘリオ・ブレイズとアリエラ・エディアスが、次の言葉を言う前に、
「皆さんお疲れでしょう。
いろいろとお話したい事もあります。ここでは何ですので、私の家へ行きしょう」
と、アディーラ・バルドラインは二人の口をさえぎり、さあこちらへと、自宅方向へと向き変えて歩き出した。
呆気に取られているのか、アディーラを見送るように動かないヘリオとアリエラに、
「さあ、私達も行きましょう」
案内人のルーカスが声をかけると、ヘリオとアリエラは我に返ったのか歩き始め、同時に『お人形』を通して周りに聞こえない会話を交わす。
『へ、ヘリオ先輩、あの人って……』
『アリエラもそう思うのなら、間違いないかな』
『で、でも名前を偽って……』
『あの方にも、何かの事情があるんだよ。
機会をみて訊いてみよう』
「さあ、どうぞお入り下さい」
と、アディーラの言葉が、二人の聞こえない会話に割って入ってきた。
「「ひゃ、ひゃい!」」
不意をつかれたように体をビクリとさせて、返事をする声が、仲良く裏返ったヘリオとアリエラであった。
「一介の民間人相手に、そんなに緊張しないで下さい。
とにかくどうぞ、こちらです」
とアディーラに案内されるまま通されたのは、十畳程の客間らしい部屋であった。あくまで、らしい部屋である。
その白い壁には窓が一つもない。よくよく見ると、入り口の扉も厚く、しかも間隔をあけて二重になっている。多分壁もかなりの厚さがあり、盗聴や盗視を防止して、更には万が一の時のシェルターにもなっているのであろう。
その部屋は、広さに対してランプが多く、明るく中を照らし、白い壁に飾られている何枚かの風景画を、しっかりと浮き上がらせている。更に床には薄いブルーの敷物が敷いてあり、閉鎖された空間でも落ち着ける様な彩りをしていて、多少なりとも開放感を出そうとする意図が見える。
だがそれは、まるであの部屋と同じであった。
ヘリオとアリエラは、バルドア皇帝暗殺の嫌疑をかけられた、あの密室での出来事、忌まわしい事件を思い出した。
「あれがきっかけでバルドアは……」
ポツリとヘリオが漏らした言葉が、妙に重かった。
「このような場所で、本当に申し訳ございません。
ですが、様々な面からの安全性を考えての事と、ご理解頂きたい」
最後に入ったアディーラは、二枚目の厚い扉を静かに締めて、言いながら頭を下げた。
「い、いいえ、ご配慮をありがとうございます」
と、慌ててヘリオが返した。
「そういって頂けるとありがたいです。
さあ、こんな場所ですが、かけて下さい」
と、アディーラが中央の応接イスへと手をやる。
その案内に従い、はいと、応じたヘリオとアリエラ、そして『お人形』の金剛輝姫と白輝明姫は着席した。
それを見たアディーラは、扉近くの席についた。既に人払いをすませているのか、それとも申し合わせている事項なのか、案内人達はこの部屋にいない。
「さて一段落したところで、そのお顔からすると、私に聞きたい事がそれこそ百はありそうですね――」
と、穏やかな笑みを浮かべたアディーラが切り出し、そして続けて、
「――しかしお二人には、既にばれていますね。
ですが、今の私は一介の民間人であり、その身分は捨てています――と、言うのはおかしな表現ですね。捨てるも何も、受け継ぐものがない訳ですからね」
と、少々皮肉とも取れる事を言った。
「お気持ちをお察しいたします――と言うのも、おかしいですね。
組織の方々は、この事を――あなたがバルドア皇帝の第三帝位継承権を持つ、いや、実質次期皇帝であるルシェディオ・バルドア様と、ご存知なのですか?」
ヘリオは、先ず尋ねた。
「ははは……、あ、すみません。でも、ヘリオさんらしくないですね――」
と、目の前の金髪の男性は、その容姿に似合う優しく高貴な笑顔で返すと、
「――先に言った通り、その身分は捨てています。それに、外に話が漏れる危険性が低い『特別な部屋』で、話をしているのです」
付け足した。
「あっ、そうですよね……」
気付いたヘリオは、頭を掻く。
「私の正体を知っているのは、この組織でも中心の数名だけでしょう。先ほどの案内の者達はもちろん、『キノモ』のヴェリアナ・ロレンツェや、『チョーゲン』のリサ・クラムも知らない事です」
「しかし、あなた程の立場の方でしたら、元バルドア帝国民達にお顔が――」
と、言うヘリオの言葉をアディーラは、首を横に振りながら切って、
「私はバルドア時代、帝国民達の前に立った事は、数える程しかありません。帝位継承者ということで、取り巻き連中が『安全のため』と称して、人前に立つ事を反対していました。
ですから私の顔を知る者は、一般の帝国民にはいないと思います。その一般の帝国民達が、中心となっているこの組織での私は、アディーラ・バルドラインなのです」
ヘリオは、アディーラの秘められた決意を感じ取っていた。そして、では、と前に置いて、
「何を目指しているのですか? まさかバルドア帝国の再興ではないですよね」
今回、自分達をこの地に呼んでまで持った会談の核心を問うた。
返答に少々困ったのか、表情を微妙に曇らせたアディーラは、
「どうにも、『バルドア』にこだわっているようですが、帝位継承者という身分は、疾うに捨てています――と、あまりに大切な事ですから、三度も繰り返しました――」
「………………」
冗談(?)を交えて場を和まそうとしたのか、それともそれがアディーラの地だったのか。対して、その冷めきった冗談(?)を真に受けて、返答に困ったのか、無言の返事を返すヘリオとの間に、凍りつく様な空気が漂い、二人は非常にばつが悪そうに頭を掻きながら、お見合いをした。
そんな静寂を、
「な、何をしているのですか? アリエラには意味がわかりませ・ン」
と、ほんわかとしたホエ顔の美少女アリエラにツッコまれて、アディーラとヘリオは我に返る。
「――あっ、えっと、大変失礼いたしました。
と、言う訳で、私達の目的は『バルドア』の再興ではありません」
「先ほどからのご説明では、そのようですね。四度目は言わせません。
僕達は『キノモ』のヴェリアナ・ロレンツェから、現体制の転覆を目指すものではないと、聞いております。更に、この神国天ノ原にバルドアの轍を踏ませたくないとも、聞いております。
ですが少々抽象的な話に、この鈍い頭は、理解しかねております」
照れくさそうに言うヘリオに、アディーラは、
「言葉通りの事です。
そんなに難しく考えないで下さい――」
と、答えるが、当然合点がいかないヘリオに、元より何を言ってるのか、わかっていないアリエラの表情を見て、更に言葉を付け足す。
「――と、言っても、私の考えまでは、わかりませんよね。
非常に簡単に申しますと、私達は何もしません」
「はい? 何もしないって……?」
「ほえ? で、でもそれが良いですよね。平和な世の中なら、何かをして荒らしては駄目だと、アリエラは思います」
何かと尾ひれをつけて考えていたヘリオには、今ひとつ理解できないようであった。
それに対して余分な事を考えていなかったアリエラは、率直な感想を述べた。
「そうなんです、エディアスさんの言う通りなんです――」
アディーラの言葉が、アリエラの感想をそのまま肯定した。いろいろな意味で残念と言われつつも、時折鋭い(?)一面を見せる美少女であった。
「――つまりですねブレイズさん、今は事を起こす時ではありません」
「と、言いますと?」
どうにも納得できないのかヘリオは、更に説明を求める。
「では、順を追ってお話します。
バルドア帝国時代、宮殿からほとんど出た事の無い世間知らずの私は、敗戦の色が見えてきた終戦直前、ナイグラ元帥の思惑により、皇帝の血筋として、一足先に宮殿から出ました。
その後、これまでの約一年間、私はナイグラ元帥の思惑はさておき、市井にまぎれて民衆達と接点を持つ事により、いろいろな事を知りました。
それらの情報を総合すると、今の民衆達の暮らしは、帝国時代より質が上がって安定しています。帝国の中央にいた者としては、非常に恥ずべき事です。
そんな今の時代、やれ革命だ、体制転覆だ、帝国再興だ、などと旗を揚げても、誰も喜ばないでしょう。
ですから私達は今、何もしないと言ったのです――」
一度、言葉を切ったアディーラは、ヘリオの様子を見る。納得しているかどうかは、何も返さないヘリオからは、伝わってこない。が、理解はできたようだ。
それを感じたアディーラは、ですが、と前置きをして、
「――この一年、唯一の国となった神国天ノ原の王、天命ノ帝が変わった感じを受けます」
と、ヘリオが口を挟む。
「と、言いますと、やはり権力の構図でしょうか」
その言葉を聞いてアディーラは、今話そうとしていた事を、先に言われました、とばかりに少々不機嫌そうな表情へと、わずかに変化したが口調は今までと同じく穏やかに、
「そうです。
これまで適度に分散させていた権力を、徐々に、いや、ここ数ヶ月の間は急激に、天命ノ帝本人に集中させている模様です」
と言いながら、今度は落胆の色を浮かべていた。
「確かにそうかも知れませんね。
あの『サーベ』の作戦でも、一般民衆相手に魔法使いという、強大な軍事力にものをいわせた、少々強引な手法でした。
多分議会では、承認されない様な内容でしょう。それを『勅命』という形をとって、直接命を出してきました。
もっとも、僕達が離反した事により、『全ての殲滅』という大事にはならなかったのですが……それでも『ナイグラ機関』の解体と、作戦的には成功と言っても良い結果となりました。
しかし、命が遂行されていないという事、そして僕達の離反という事態に、神楽さんが一人で、その責任の全てを負いました」
ヘリオも一つ溜め息を吐くと、落胆の色を浮かべていた。
「神国天ノ原は、立憲君主制であったはずですね。
帝の権限はかなり制限されていて、議会での承認が無い限り、軍関係は直接動かせなかったと思いました。
ですが、『勅命』として命を出し、魔法使いを好きに動かしているようですし、更に侍大将まで加わっていると、いう事から推測すると、軍関係、更には議会のほぼ全てを掌握しているようですね――」
アディーラは天井を見上げて、
「――でも、今更何故なんでしょうか」
ポツリと呟くように言うと、ヘリオは首を傾げて、
「何故と言いますと」
と、呟きに返す。が、ここにアリエラが割って入って、
「へ、ヘリオ先輩は鈍いで・ス! そんなの、ちょっと考えればわかるんで・ス!」
久しぶりのアリエラ節が、密室に響いた。
「はい?」
と、ヘリオは、そこまで鈍かったか? と、自問自答しているのだろう。
「まあまあエディアスさん、落ち着いて下さい。
ブレイズさんは、ちょっと考え過ぎですね――」
穏やかな笑顔を浮かべたアディーラが割って入り、
「――つまりですね神国天ノ原は、唯一の国家であり脅威となる勢力が無いのですよ。
そもそも神国天ノ原には、派閥争いすら無い訳ですよ。
なのに何故、今、軍を掌握する必要があるのかと、いう事ですよ」
「確かに言われてみるとですね――」
と、ヘリオはようやく納得できたのか、間の手を入れると、
「――と、なると『ナイグラ機関』のような、所謂『反抗勢力』と言うものに対する備えでしょうか」
と、続けるが、アディーラは、
「それは、完全にとまでは言いませんが、無いと思います。
その程度の事ならば、軍を掌握しなくても、充分対応できるでしょう。
それよりもっと根本的な事、これまでの流れで、気付きませんか?」
先ずは否定し、更にヘリオやアリエラに問いかける。
そんな問いかけに対して、ヘリオは首を傾げて、
「と、言われましても……」
と、頭を掻きながら小さくなる。一方アリエラは、難しい話しはヘリオ先輩に任せます、とは言わず、
「帝の兄貴は、バルドアの皇帝みたいになろうとしていると、アリエラは思いま・ス」
もっともらしい事を言う。
アディーラは、予想外のところからの聞こえた正答に、少々驚きの表情を浮かべ、
「まさか、そっちから答えが聞こえるとは……」
つい呟いてしまう。が、しっかりと聞いたアリエラは、
「バ、バルドラインさんは、失礼で・ス!
ア、アリエラだって、ちゃんと考えているんで・ス! しかモゴモゴ……」
と、騒ぎ出すが、途中でヘリオの大きな手で、口をふさがれた。
「アリエラが失礼を――」
と謝るヘリオの言葉をさえぎり、アディーラが、
「いいえ、私こそごめんなさい、エディアスさん。大変失礼しました。
しかし、お二人は相変わらずですね。
厳粛な、ともすると重苦しい宮殿を賑わしていた、お二人を思い出します。
皇帝陛下も苦笑いしながら和んでましたよ。
でも、お尻と言いますか、下着丸出しのエディアスさんを、抱えるブレイズさんが、そのまま走り去っていったのは、さすがにどうかと思いましたけど」
と、非常に優しい目でヘリオとアリエラを見て、笑いを堪えるように語るアディーラに、
「はあ、お恥ずかしいものを見せて――」
ヘリオが言ったところで、
「へ、ヘリオ先輩、恥ずかしいものを見せてとは、なんです・カ! 失礼で・ス!
お尻を見られて恥ずかしかったのは、アリエラなんで・ス! 見れた人は、得をしたんで・ス!
そ、それに、今はタイツだから、恥ずかしくないんで・ス! ……へへへ」
と、素早く反応をするアリエラは、言う言葉の意味と併せて、一言わめき散らすごとに、銀髪ツインテールのしっぽ以外揺れるものが無いという、やっぱり何かと残念な部分を持ち合わせた美少女であった。
「脱線させた私が言うのもなんですが、話を戻しましょう。
神国天ノ原の王である天命ノ帝は、専制君主への道を歩んでいるとしか思えません」
アディーラが憂いを帯びた表情で言うと、
「それが、帝国の轍を踏むという事でしょうか?」
と、今度はヘリオが質問を返す。
「今すぐという事は無いでしょう。ですが、将来的には、多分……旧文明から連なる人類の歴史が証明しています」
「では、この組織が何か事を起こす時のために、僕達に加わってくれと――」
ヘリオの言葉を、アディーラは切って、
「いいえ、私達は先にも言ったように、何もしません。
例え行動を起こすにしても、明日なのか、一年後なのか、それとも百年先の事なのか、わかりません。
それは、完全に専制君主制になったとしても、今の民衆の生活水準が下がらない限り、私達が行動する意味が無いからです。
それになによりも、私達はお二人に対して、参加を強制する事はできません」
と、遠回しに参加をお願いする形をとった。
それに対してヘリオは、
「お話はよくわかりました。
しかし、神国を離反したとはいえ、僕達が『ナイグラ機関』を解体に追い込んだのは、まぎれもない事実です。
そんな僕達が加わるには、何かと問題があるのではないですか?」
と、懸念するが、それに答えるように、
「その懸念に関しては、この組織にいる『ナイグラ機関』の皆さんは、納得しております。
いずれにしても、時間はあります。ゆっくりとお考え下さい――」
アディーラは、穏やかな笑みを浮かべて、更に説得するように話した。
「――もう、こんな時間ですね――」
時計を見ると、午後六時を回っていた。
「――移動に加えて、ややこしいお話に疲れましたでしょう。
今日はこの辺りで終了いたしましょう。
すぐに夕食の準備をいたします」
アディーラは、ヘリオやアリエラの返事を待たずに、席を立ち、部屋から出て行った。
時間は午後九時を過ぎたところ。
薄い雲に覆われている夜空には星も、月も見当たらない。しかし深黒というには白っぽい黒の夜空であった。
千人程が住む、新たな『オウノ』の集落からわずかに漏れ出す光は、ガラス状の物質が広がる大地を、キラキラと瞬かせる。
その光源の集落を中心に、直径五キロ程の円周上をぐるりと囲むように配置された、五〇と余名の忍衆は、舞台の開演を前に、程よい緊張に包まれていた。
そして、彼らを束ねる忍大将音無道進は、その鋭く冷たい双眸に、光源の集落を見据えていた。
いつの間にか現れた一人の忍が、
「間もなく、舞台の準備が整います」
と、声にならないような声で告げると、
「――ふっ」
音無は、返事とも、笑いとも、はたまた息を吐いたともわからない微かな音を出した。
読み進めていただき、ありがとうございます。
この章も一応大詰めなんですが、最終と思いつつも、相変わらずだらだらと間延びしております。