上と下 19
「『オウノ』ですって!」
「『オウノ』だと!」
俺の話を聞いた鈴音と彩華が、驚いたのか場所をわきまえずに声を上げた。
その声は、午後二時を回り昼時の混雑も終え、静かになった食堂に響き渡ってしまった。
ここは『トゥルーグァ』である。ほんの一年程前、その歴史に終止符を打った、バルドア帝国時代の首都であり、ここに住んでいるバルドア人、いや、バルドア人のほとんどが『オウノ』で何が起きたかを知っている。
昼の混雑を避けて、そして静かに会話を楽しんでいた客の視線が、禁句とも言える言葉を聞いて俺達へと集まる。と同時に、
「ま、魔法使いの……」
誰かが言った一言を皮切りに、店内はざわめきだす。
魔法使いの少女が暴走した事によって、六〇〇〇の命を消し去り、ガラス状の物質の広がる大地になってしまった『オウノ』という言葉を、『巷を騒がしている噂の魔法使いの一行』の俺達が、この場所で使ってしまった。
ここにいるまばらな客達は、『もしかして次はここが』と、あらぬ事を思い浮かべてしまうのも、無理はない。
「「あっ……」」
鈴音と彩華は、つい出してしまった大声で、注目を浴びてしまった事を悔ているようで、
「兄さん、すみません……」
「つい声を上げてしまった。すまん神楽」
と、言葉を続けた。
俺は店内をぐるりと一目して、
「それは構わないのだが――これでは落ち着いて話ができないな。店を出よう」
ざわめきが収まらない食堂を出ようとして、席を立ったところで、
「あっ、俺のお財布は?」
俺が尋ねると、バツが悪そうに彩華が手を小さく挙げた。
「じゃあ彩華、払っておいてくれ」
と、ちっぽけな甲斐性を見せる俺であった。
食堂を出た俺達は、正面の門扉の無い本庁舎正門をくぐり、軍務庁舎内の談話室に入った。
中央の机を囲んで席に着くと、
「さっきは俺も場所を考えずに、えっと、すまんかった」
とりあえず、鈴音や彩華が話しやすくなるように言った。
「いいえ、私達こそ大声を上げて、すみませんでした」
と、普段の元気は何処へやら、鈴音と彩華は、反省しているのか、うつむいたままであった。
「さてと、じゃあさっきの続きを始めるよ――」
と、俺は懐から封書を取り出して、中の指示書を机に広げた。
「――今回は、これ一枚だけだからな。おかしなツッコミは無しだぞ」
と、先日の件もあり、微妙な冗談を交えたのだが、美人姉妹の反応は冷ややか、いや無反応だった。
広げた指示書には、
『行く先は「オウノ」よ。
明日夜、音無忍大将と合流してね』
と、非常に大雑把な指示が書かれていた――これで大丈夫なのか? 一日ずれたらどうするんだ? それに夜って、何時だ?
などと、落ち着いて読んでみると、次から次へと疑問が出てくるが、これしか無いので仕方ない。
無言のまま目を通している美人姉妹に、
「と、言う訳だから、今から『サーベ』に向かおうと思う。到着は深夜になりそう――」
ここで鈴音が俺の言葉を切って、
「兄さん、出発は明日じゃ駄目なんですか?」
と、訊いてきた。
「ここからだと『オウノ』まで一〇〇キロ近くあるからな。一日だと辛い距離だから、今日中に『サーベ』まで足を進めておきたい」
「だが神楽、夜中に出発すれば良いのでは?」
鈴音も彩華も、執拗に出発時間にこだわっているのですが、
「もしかして、疲れているのか?」
確かに、美人姉妹の怪しい欲望を満たすために、今朝は早かったし、歩く速度も速かったし、
「そんな事は無いのですが――ねえ、彩華姉さん」
って、もしかして、
「うむ、まだな――」
「「――お買い物が――」」
「――終わっていません」
「――残ってるぞ」
はい? それが出発をごねていた理由ですか?
てか、今まで落ち込んでいたのって、大声を上げておかしな注目を浴びた事に対して、ではなくて、もしかして、まさかですが、お買い物ができなくなった事に対してだったのですか?
つまり、落ち込んでいたのではなくて、項垂れていた訳でしょうか?
「鈴音さん、彩華さん、えっとですね、お買い物を楽しみにしていたのは、わかりますよ。
でもですね、一応ですね、命を受けた訳ですから、そちらを優先しませんか?」
と、言う俺に鈴音と彩華は、
「だって~、せっかく兄さんがその気になってくれてるのに~」
って、あれあれ? 俺が何時その気になったって?
「せっかくの神楽の好意を、無にする訳にもいかぬしな」
うぉい! 俺が率先したってか? そりゃ、お二人さんに好意は持っていますけどね、だからと言ってですね、連続でお財布を空にされるのは、正直厳しいですよ。
俺は、心の中で叫んでいたのだが、口から出たのは、
「ちゃんと約束は守るから、今は指示を優先しましょう。男に二言はありません」
心の隅にもない言葉であった。
そして俺の言葉を聞いた美人姉妹は、
「わかりました」
「仕方あるまい」
と言いつつ、ゆっくりと顔を上げたその表情は、可愛らしい笑顔――いや、『してやったり』とニタリ顔だった。
「……………………」
時間の止まった俺。
「さて、話がまとまったところで、行きましょう」
「うむ、少々遅くなりそうだな」
「何をしているんですか、兄さん。行きますよ」
「ほら、何時まで惚けている、遅くなるばかりだぞ神楽」
「あ、ああ……」
いつもの元気を取り戻した美人姉妹が、俺の視界にぼやけて映る。
『あれぇ、神楽君。また埃が入ったのぉ?
黒がふいてあげるよぉ』
黒鬼闇姫はやっぱり優しかった。
時間は午後二時を十分程回っていた。
ここ『キノモ』でヴェリアナ・ロレンツェから、今後の行き先を『オウノ』と告げられた『離反組』は、それっきり黙りこくっていた。
否、口がきけない状態にあった。
ヘリオ・ブレイズは、口を開いたまま、半ば焦点の定まらない目で、ヴェリアナの顔をただ、呆然と見つめていた。
片やアリエラ・エディアスにおいては、銀色の瞳の瞳孔は開ききって生気を失い、そのあどけない双眸には、何を映しているのか全く知れず、ただ、開いているだけのようであった。
何かを言おうとしているのか、口は動いている。しかし、そこから聞こえる言葉は一切なく、ただただ、陸に上がった魚が酸素を求めるように、パクパクと動いているのみであった。
「辛い事を思い出したでしょうか、無理もございませんね――」
十分程の沈黙をヴェリアナの言葉が終了させた。
「――あなた達が六年程前に『オウノ』を消滅させた事は、当然知っています。
ですが、今なおガラスの大地が広がる『オウノ』は、少しずつ復活に向かって動いています。この『キノモ』と同じように――」
ヴェリアナは、言葉を選びながら話を進めていく。
「――今『オウノ』には、アディーラ・バルドラインをリーダーとした、私の属する組織のメンバーが約千人集まって、生活をしております。
不毛の大地というのが、体制側からの丁度良い隠れ蓑になって、ここまできました――」
ヴェリアナのゆっくりと落ち着いた口調のためだろう、ヘリオは多少落ち着きを取り戻し、アリエラのパクパク口も止まっていた。二人とも耳は一応働いていたようだ。
「――ただ、これだけの規模になってきますと、体制側も感づき出す頃と思われます。
元よりあの『サーベ』での立てこもりを引き起こした、『ナイグラ機関』の残党が主要メンバーとなっておりますので、体制側からすれば『反抗勢力』と映りましょう」
一息つくような素振りをして、言葉を切ったヴェリアナは、目の前に置いてあるお茶を、一口飲んで喉を湿らせた。デリケートな話を言葉を選んで進めていた彼女は、緊張していたのだろう。
「つまり、僕達にその組織に加わってくれと、いう事ですか? そのために『オウノ』にいるリーダーと、面会させようとしている訳ですか?」
正気を取り戻し、ようやく思考が働くようになってきたヘリオが、事の真意を探るべく、中核をつくような駆け引き無しの質問を、ヴェリアナに投げかけた。
「そうして頂けるのであれば、非常にありがたい事ですし、当然、断る理由もございません」
と、ヴェリアナは端的に答える。
それに対してヘリオは、
「でしょうが、僕達は、加わらないかもしれない。なにより、神国軍には世話になった方もいます。
もしかすると、この情報を手土産に神国軍への復帰を、目論むかもしれませんよ」
心にない事であったが、言ってみた。
ヴェリアナは、少々間を空けたが、ヘリオと視線をしっかり合わせ、ゆっくりと答えを返す。
「そうですね。私達はそれを強制できません。なにより、あなた達に対して、強制できるだけの力を持ち合わせていません。
例え、今までの逃亡を幇助したという材料があっても、それを持ち出して、上辺だけの説得をするつもりも、ございません――」
「だから、『オウノ』に行って、リーダーと話をして、決めてくれという訳なんですね」
と、ヘリオがヴェリアナの言葉を切って言った。
「そのように考えて頂ければ、これ以上のご説明も不要かと思います」
ヴェリアナは、ヘリオの言葉を肯定するのみだった。
それに対してヘリオは、当然不満がある訳ではない。それでも、ですが、と頭に付けて、
「問題は、このアリエラです――」
と、ヘリオとヴェリアナは、銀色の瞳に生気を取り戻しつつあるアリエラへ、視線を向ける。
そのままヘリオは、
「――ご存知と思いますが、彼女はあれ以来、『オウノ』の記憶を封印していたのです。
しかし『ナイグラ機関』が表立って行動を始めた頃に、その封印が解けて全てを思い出してしまいました。
それ以来、恥ずかしながら『オウノ』という言葉は、禁句になっていたのです――」
と、続けたところで、
「ア、アリエラは、だ、大丈夫なんで……ス。
そ、それに、『この』って、へ、ヘリオ先輩は、やっぱり失礼で……ス」
さすがに普段の迫力はないが、アリエラが口を挟んできた。
「エディアスさん、ごめんなさい。
あまりに唐突過ぎましたね。
あなた達の気持ちを考えると、もっと順を追ってお話をしないといけませんでした」
と、ヴェリアナは申し訳なさそうにアリエラに言った。
「ア、アリエラは、ちょっとビックリしただけなんで……す」
「そう言って頂けると、助かります」
ヴェリアナは小さく頭を下げた。
「で、でも、アリエラは、闘うのは……神楽兄さん達と、闘うのは……したくないんです」
「それは神楽さん達だって、そう思っているはずだよ、アリエラ。
だってそうじゃなければ『万年丘』で、あんな逃走芝居なんてしないよ」
「それはそうだけど、帝とかは? それに、えっと、ちょ? ちょくめい? とかで命令されると、やっぱり……闘いに――」
と、不安が広がるばかりのアリエラの言葉をヘリオがさえぎり、
「でもね、アリエラ。神楽さん達が『万年丘』に来たのも、多分『勅命』を受けていたと思うよ。
僕達だって、同じ『独立魔戦部隊』にいた訳だから、誰が神楽さん達に命を出したのかは、想像できるよね。
でも、実際に闘いは起きなかったんだ」
言うと、アリエラは少しだけ表情が明るくなった。
「ところでヴェリアナさん、その組織の目的って何ですか?」
と、ヘリオは組織の核心について尋ねる。
「そうですね、これからあなた達が向かう『オウノ』でアディーラ・バルドラインと直接お話して頂きたい事なのですが――」
ヴェリアナは一度二人を見て、それでは納得してもらえないと、
「――私達の組織は、何も体制側と敵対して転覆させるなどという、大それた事を目論んでいる訳ではございません――」
つながれた言葉に、ヘリオとアリエラは、疑問符を浮かべた。
「――私の理解している内容で、あまり具体的に申し上げてしまうと、アディーラ・バルドラインと話をした時に、ニュアンスが変わるといけません。ですから私の言う事は、とりあえずという事にしておいて下さい――」
と、前置きをするとヴェリアナは、目の前に残っていた冷めたお茶を飲み干し、
「――唯一の国となった、この神国天ノ原にバルドア帝国の轍を踏ませたくない、とだけ申し上げておきましょう。
これは決して、あなた達が体制側に戻る可能性があるからと、いう訳ではありません。
先ほども申した通りの理由からです」
ヴェリアナの話しを聞き終えて、ヘリオは少々首を傾げてはいるが、持ち前の鋭さでどことなく理解している表情だった。一方アリエラは残念ぶりを発揮、口を半開きにしたホエ顔に、『何それおいしいの?』的な表情である。
「少々抽象的過ぎて、的が絞りきれませんが、言いたい事は伝わりました。
思い当たるふしが多過ぎて、やはり直接リーダーと話をしてみない事にはですね」
と、言うヘリオに対して、
「ご理解頂き、ありがとうございます」
返すヴェリアナ。
「で、アリエラ、本当に大丈夫なのかい?」
二人の会話について行けず、ホエ顔のままのアリエラは、ヘリオに突然話しを振られて、
「ほえ――? ア、アリエラは大丈夫なんで・ス! 心配はいらないで……クシュン・ス!」
一気に不機嫌な表情へと変化させて、おまけ付きの返事を返した。
「エディアスさん、大丈夫ですか?」
心配するヴェリアナに、
「だ、大丈夫なんで・ス! アリエラは元気なんで・ス!」
と、噛み付く始末の残念美少女であった。
ヴェリアナは、一つ息を吐いて、
「それだけ元気がございましたら、大丈夫ですね。
この『キノモ』から『オウノ』まで直線なら北東約六〇キロでしょう。
私達ですと、約二〇キロ北上し『トゥルーグァ』から『サーベ』へ迂回しないと、『オウノ』へはいけません。
ですが、南の海を渡ってきたあなた達なら、少々標高があって寒いですが、北東の山地を越えて、直接『オウノ』に行けますね」
「まあ、アリエラ次第ですがね」
ヴェリアナの問いかけにヘリオが答え、
「それでは、明日には到着できると、伝えておきますので、本日はこのままゆっくりとお過ごし下さい」
「よろしくお願いします」
と、会話を締めたヘリオとヴェリアナが、優しい目をアリエラに向ける。
「だから、デ・ス・カ・ラ、アリエラは大丈夫なんで・ス! ヴェ、ヴェリアナさんもヘリオ先輩も失礼で……クション・ス!」
見た目だけは完全復調の残念美少女であった。
読み進めていただき、ありがとうございます。