上と下 18
「重大発表しますよ。皆さん注目して下さい」
「いきなり何ですか? ちゃんと聞いてますから、さっさと言って下さい、兄さん」
「うむ、騒がしいぞ、神楽」
俺が言ったとたん、変に警戒態勢をとる鈴音と彩華によって、場の空気が荒れ出した――これはヤバいですよ。この先の内容は、かなりヤバいお話ですよ。
と、思うも、話さなければ仕方ないと、半ば開き直り、
「非常に残念ですが、諸般の事情により、お買い物は中止いたします」
俺が言うと、一瞬、だが、感覚的には一時間にも、二時間にも感じる静寂なる世界が訪れた。
刹那、
「何ですって! もう一度言って下さい!」
大きな目を、更に大きく開き言う鈴音。
「何だと! もう一度言ってみろ!」
切れ長の目を、やや細めて言う彩華。
もう一度って、そりゃ大切な事ですから――でもですね、もう一度言ったとたん、間違いなく俺は斬られます。
「それはさておき――」
言って、しまったと思う俺に、
「何ですか? 今の一言は……フフフ」
「ほう……もう一度言ってみるか」
美人姉妹の全てを凍てつかせるような言葉に、恐怖を覚えながらも俺は、
「いや、そ、それから、本題です――――」
晴れていれば白みだす頃だろう。が、厚い雲に覆われて、まだ夜の暗さを残す午前六時に俺達は、『第一砦』から『トゥルーグァ』に向けて出発した。
そこには当然、美人姉妹の『早く到着してお買い物』という思惑が働いていた訳です。
その思惑を成功に導くために、強引に突き進む美人姉妹。巻き込まれた俺と『お人形』達はたまったもんじゃない訳です。
俺は、一生懸命歩いても歩みが遅い『お人形』黒鬼闇姫と銀界鬼姫を抱きかかえ、更には自分の荷物も持って、涙目状態でついて行く。
『ねえねえぇ神楽君、何で涙目なのぉ?』
と、俺を心配してなのか闇姫が問いかけてきた。
『そりゃ、あれだ、俺のお財布――』
と、言ったところで、鈴音が振り向きジロリ、と、大きなお目目で睨みをきかす。
『――い、いや、埃が目に入ったかな、ははは』
わざとらしい笑い付きの返事に、
『ふ~ん、そうなんだぁ。
埃が入ると、目が痛いよねぇ。でもねぇ、擦っちゃ駄目だよぉ』
『黒鬼闇姫さん、私達がここにいる限り、神楽様は手が使えませんから、大丈夫でございますですわ』
『おぉ、そうだねぇ銀ちゃん。黒は飛び降りるとこだったよぉ。
じゃあぁ、黒がふいてあげるよぉ』
と、闇姫は何処からかハンカチを取り出し、俺の目頭にそっとあてた。
『ありがとう闇姫、輝姫』
どこかの小悪魔達と違って、真剣に心配してくれる闇姫と鬼姫に、俺は本当の涙を流しそうになった。
そうした、俺の涙ぐましい努力もあって、美人姉妹の目論み通り、正午を回ったところで、『トゥルーグァ』に到着した。
予定通り街中に入ったためだろう、美人姉妹は落ち着いたのか歩く速度を落とした。俺はそれに合わせて、抱きかかえていた闇姫と鬼姫を下ろす。その足で俺達は、本庁舎に向かう。
そこはバルドア帝国時代、専制君主制度の象徴『トゥルーグァ宮殿』と呼ばれていたものであり、神国天ノ原の『本殿』と同じ、いや、それ以上の規模を誇る。
終戦後、主を失った建物を改装し、神国領バルドアの政治や軍務などの要衝となっている。
時間は午後一時。
俺達は宮殿だった当時の名残を残す、閉じる事のない正門――正確には、終戦間際に彩華と鈴音に斬られて、閉じる扉がないのですが。
その前にある食堂で昼食をとっていた。
が、その食堂に入る直前、またもや俺を窮地に陥れる現象にあっていた。
それは、正面左から俺の方へと向かってきた女性が、俺とすれ違って右側に抜けて行った。極々、至極自然なすれ違いだったのだが、妙な違和感と共に、俺の懐に一通の封書が残されていた。慌てて振り向くと、女性は、琥珀色の髪をチラリと見せていた。
間違いなく直轄諜報の二守瑠理筆頭だ。
と、わかりきった結論に達した時には、女性は建物の陰に消えていた。
「全く、あの人は……」
と、食事を終えて外を見ながら、ボソリと呟いた俺に、
「どうしたのですか? 兄さん」
「何か気になる事でもあったのか、神楽」
と、素早く反応する鈴音に彩華。
「あ、いや、ほら、この門、鈴音と彩華が斬って、それっきりだなって――」
と、言う俺の言葉をさえぎり、
「兄さん、それはそれで、微妙に気に触りますが、埋め合わせはまた今度という事で、我慢しておきます。
ですが、今、『あの人』と言いました」
鈴音が言うと、
「誰の事だ、神楽」
と、彩華の冷ややかな一言が続いた。
「ちょっとすまん、トイレに行ってくる」
「ちょっと、兄さん」
「逃げるな神楽」
二人の制止を振り切り、トイレへの逃亡は、成功した。言い訳よりその場を一時退散するのは当然の理由だが、もう一つ、二守筆頭に渡された封書の内容を確認するためでもあった。
今回の封書は薄い。封を切り開くと、そこには一つの指示が書いてあるだけであった。
いつもと違うパターンに、俺の張りつめていた緊張の糸がゆるみ、安堵感に包まれた。
トイレを出た俺は、テーブルに戻り、
「重大発表をしますよ。皆さん注目して下さい」
と、切り出した。
――――――――中略――――――――
「いや、そ、それから、本題です――」
と、言ったところで、怖〜い目をしたままの鈴音が何かをヒラヒラさせながら、
「ところで兄さん、こんなものが闇姫ちゃんの背中にささっていました」
「へ?」
見ると『彩華ちゃん、鈴音ちゃんへ』と、宛名された一通の封書であった。
まだ封は開いていないのだが、鈴音は怖〜い目のまま、ニコリと笑みを浮かべると、ピリピリピリとゆっくり開封しだした。
重い空気は、時間の経過を遅くさせるのか、一秒が、一分に、いや、一時間にも感じる。
その時がきた。封を開け終えた鈴音が、フッと息を送り込み、便せんを取り出し机の上に広げた。
こちらも一枚だけであったが、内容が濃い。
『お姉さんからのお願い。
彩華ちゃん、鈴音ちゃん、あまり神楽ちゃんをいじめないでね。
そ・れ・と、お財布には、私の分も入っているからね、ウフ、二人で使い切らないでね』
先ずは鈴音から、
「兄さん、先ほどの『あの人』って、この人ですよね。
いったい、何処の誰なんですか!」
その大きな目で俺の目を直視していう。
だが俺は、ここで目をそらす訳にはいかない、
「い、いや、ほら、ちょっと茶目っ気が強い、連絡員さんだよ」
はっきり言って、苦しい、だが苦しくてもこう言うしかない。そう、男は浮気の現場を押さえられたとしても、『浮気はしていない』と、嘘をつき通す覚悟が必要なのだ——って俺、浮気してませんし。
続いて彩華が、
「ほう、に、しては、重い内容だな神楽」
切れ長の目を細めて、全てが凍てつきそうなほど、冷たい言葉を投げかけてきた。
が、俺はここで怯む訳にはいかない、
「ほら、あれだ、『万年丘』の芝居がな、彼女にばれてたんだけど、『本殿』に上手く言っておいてくれたんだ。
だから、そのお礼もしないとだな――」
と、言う俺の言葉を切るように、
「「つまりは――」」
「――お前に――」
「――兄さんに――」
「「――そういう気がある――」」
「――わけだな」
「――わけですね」
と、相変わらず息ピッタリのハーモニーを繰り出す美人姉妹に、
「ま、ままま待て待て、どどどうしてそうなる」
と、相変わらず狼狽する俺であった。
「全く、仕方ない奴だ」
「手を広げ過ぎなんです。どう落とし前を付けるのですか」
てか、手を広げるも何も、とりあえず手を付けたのは、彩華と鈴音だけですし、お二人さん以外は、事実無根の言い掛かりみたいなもんですよ。
「しかし、次から次へと、正直、お前には驚かされるぞ」
「ですが、前にも申しました通り、私達は、夫婦ではありませんし、正式なお付き合いをしている訳ではありません」
って、この流れって、
「だが、私達以外も囲えるほどの、お前の甲斐性というやつをしっかりと見ておきたい」
「ですね彩華姉さん――」
と、鈴音はポンと手を叩きながら、
「――やはりこうするしか、ないですね」
頷きながら彩華が、
「一段落ついたら、皆で出かけよう」
「はい? 皆って」
「それは兄さん、決まってるじゃないですか――」
と、一、二、三、四と先ずここにいる『お人形』を含めた数を指折り、
「鈴音、『離反組』に三人だ」
と、彩華が言うと、七と言って、一旦折った指を立て、更に机の上の文面を指さし、八と、もう一本指を立てて、
「――皆で八人、兄さんを含めて九人ですね」
大きな目の端を下げ、ニコリと可愛らしい笑みを浮かべて言う――確かに女性は八人だけど、実質九人ですよ、とは決して言えない俺です。
「神楽、何か言いたそうだな」
「い、いや、その、何でもないぞ」
「兄さん、もしかして、私達が喧嘩するとでも? 大丈夫ですよ。私達は多少わだかまりがあっても、それなりに話が合えば、上手く回っちゃいますよ」
「そうなのか?」
「そうなんだ」
よくわからんが、鈴音の言葉や、最後の彩華の一押しで変に納得してしまう俺であった。
って、根本的なところは、むしろ酷くなったような気がするんですが。
「で、兄さん、本題は?」
「神楽、また焦らすつもりか?」
「そういうつもりはないぞ————」
時間は少々遡り午後一時。
ここ『キノモ』のとある質素な一軒家に、『離反組』のヘリオ・ブレイズ、アリエラ・エディアス、そして『お人形』の金剛輝姫と白輝明姫はいた。
「うぅぅぅ、おはようございま・ス、ヘリオ先輩——クシュン」
夜通し歩いたためだろう、アリエラは遅い朝の挨拶をした。が、他は誰もいなかった。
寝る子は育つというから、寝れるときは、しっかりと寝なさい。発展途上美少女よ、もしかすると、鈴音級も夢ではない——んなわけ無い無い。
昨日、日付の変わる直前の深夜、人目を忍んで『チョーゲン』を出た『離反組』は、晴れていれば空が白みだす頃、もう一つ言えば『直轄追跡部隊』が『第一砦』を出発した頃、『キノモ』に到着していた。
約一年半前、バルドア帝国軍に焼かれて焼失した傷跡は既になく、現在は当時の何倍もの人が集まって、生活を送っている。
とは言っても、住人皆顔見知りかもしれない千人程の小さな集落であるため、手配されている『離反組』としては、軽はずみな行動はとれない。
人目を気にしながら、街が動き出す間際の時間に、『離反組』の逃走を幇助してくれる組織の幹部ヴェリアナ・ロレンツェと面会するため、『チョーゲン』のリサ・クラムより教えられていた場所に向かう。
そこは質素な一軒家があり、中から出てきたのは、金髪をアップにまとめた三十路半程であろう、少々疲れた雰囲気の漂う女性であった。どことなくリサ・クラムに似通った雰囲気もある。
早々屋内に通された『離反組』に女性は、
「ご足労をおかけしまして恐縮です——」
と、丁寧な挨拶の後、
「——私が皆様をお呼び立ていたしました、ヴェリアナ・ロレンツェでございます」
その後、『離反組』が自己紹介を終えると、
「夜を徹しての道中、何かとお疲れと思います。
こちらでゆっくりとお休みをしていただき、詳しいお話はその後にいたします——」
と、案内された一室には寝床の準備が既にしてあった。
「——先ずは冷えた体を、こちらのお風呂で暖めて下さい。
私はその間に、お食事のご用意をいたします」
「お心遣い、ありがとうございます」
ヘリオがお礼をすると、
「ア、アリエラは、お風呂に入ったら、先に寝ます。
ヘリオ先輩、先に入ってきます」
と、言うアリエラは限界が近いのか、着替えを持つとフラフラしながら、お風呂場に向かった。
「では、僕も風呂を頂いたら、先に睡眠をとらさせて頂きます」
と、アリエラに合わせた。
二〇分程で戻ってきたアリエラは、そのまま寝床に潜り込むと、既に寝息を立てていた。
起きた直後の寝ぼけホエ顔でアリエラが見回すと、他の寝床は既に空であった。
「うぅぅぅ、また置いてけぼりをくった。
お腹も減った……クシュン」
力なくうなだれたアリエラであった。
直後、扉が静かに開いて、ヴェリアナが顔を出した。
「エディアスさん、起きていらしたんですね。
食事の用意ができてます。こちらにどうぞ」
「ほぇ、お、おはようございます。
い、今行きます」
寝床から抜け出したアリエラが、着替えをすますと、ヴェリアナに案内されるまま居間に入る。そこには既に食事を終えた、ヘリオと『お人形』達がいた。
「おはよう、アリエラ」
「お、おはようございま・ス! ヘリオ先輩——」
と、先に言われた事が気に入らないのか、表情をムッとさせた、アリエラは怒り口調だった。が、『お人形』達に顔を向けると、笑顔を取り戻し、
「——おはよう明姫姉、輝姫ちゃん」
と、続けた。
『あらら、お早いお目覚めね、アリエラちゃん』
『アリエラよ、沢山寝たからと言ってもじゃ、育たんものは、育たんぞ——ひょへんひゃひゃい』
おっとりとした明姫が、最高速度を発揮するのは、いつもこの瞬間であった。
明姫はつまんだ輝姫の唇を引っぱり上げ、ペチンとはなす。
そんな様子を、アリエラの食事を用意しながら、遠目で見ていたヴェリアナが、
「お待たせしました」
と、アリエラの食事を運んできた。
アリエラの空腹もかなりのようで、前にだされると同時に、
「頂きます」
と、言うと、次から次へと黙々と平らげて行った。
所要時間十五分程で全てを平らげ、
「お腹一杯です。ごちそうさまでした」
と、合掌していた。
全員が食事を終えた後、しばらく談笑していたが、話題が途切れたその時、ヴェリアナが、
「今回、皆さんをお呼び立てしたのは、他でもありません。お会いして頂きたい方がいるのです」
と、本題に入った。それを受けてヘリオが、
「それは構いませんが、その方はどちらに」
ヘリオの質問を受けたヴェリアナは、少々表情を曇らせた。
時間は午後二時丁度。
「「行き先は『オウノ』」」
奇しくも全く離れた場所で、天鳥神楽が追う者に向けて、ヴェリアナ・ロレンツェが追われる者に向けて、同じ場所を口にした。
追う者、追われる者の時空が交差する時、それは、待つ者が動く時でもあった。
昼間とはいえ厚い雲に覆われて、あまりに頼りない日の光が照らす、ガラス状の物質で覆われた大地は、キラキラと更に頼りない光を反射する。
遠くを見据えた冷たく鋭い双眸に、集落を映した待つ者共をまとめる忍大将音無道進は、
「ちっ……」
顔の下半分を覆う襟巻きの内で、舌打ちを一つした。
読み進めていただき、ありがとうございます。