上と下 16
時間は午前六時半を既に回っていた。
時期は初冬、ようやくの日の出を迎えた『オウノ』では、ガラス状の物質でできた小高い丘から、わずかに身を出す、忍大将音無道進の姿があった。極普通の領民と見まごう風体だが、顔の下半分を覆う襟巻きのため、その容貌は未だ知れずである。
五〇と余名の忍衆は既に散っているのか、音無の隣に一人残っているだけであった。
音無は無言のまま、朝日影を正面から受け、その冷たく鋭い双眸を細めて、ギラギラと輝くガラス状の物質が広がる大地を、忌々しげに見つめていた。
ここは七年程前までは、生存限界線東端の中堅集落『オウノ』があったところである。
だが、今あるのは、草木も生えないガラス状の物質が広がる大地だけがある。これはバルドア帝国時代にアリエラの魔力暴走によって、六〇〇〇の命ともに、全てを飲み込み、全てが消失した証であった。
そして今、同じ轍を踏むかもしれない勅命を承った、音無を始めとする忍衆五〇と余名であった。
標的は、反抗軍リーダーのアディーラ・バルドラインと、この地に集結する反抗軍約千名。
目的はその全てを殲滅することである。
が、さすがに忍の精鋭を集めたこの部隊であっても、たったの五〇と余名で千人の相手は無謀、いや無理である。
そもそも反抗軍というのは、結束の強い組織あり、それこそ『千人皆顔見知り』とも言える。
いくら市井にまぎれるのが得意な忍衆も、さすがにこの集団へとまぎれ込む事は、長い月日をかけて準備をしないと出来ない。それは、忍衆のもっとも得意とする、何かにまぎれての暗殺を、最初から否定されている訳である。
実質的には、『集落ごと壊滅せよ』と言われているようなものである。
だが、こうも考えられる。
周りを隔離された、誰も知らない集落を、誰にも知られないうちに、住まう人全てを含めて壊滅させる。
言えば大規模な暗殺であると……。
正面から受ける朝日影の眩惑を打ち消すために、細めた冷たく鋭い双眸。その視界の奥に、標的の住まう集落を捉えて、
「ちっ……」
音無は、顔の下半分を覆った襟巻きの奥で、舌打ちを一つする。
だが、何に対してなのかは、わからない。
が、
「さて、舞台が整いしだい実行にうつる」
ともすると聞き逃してしまう低音で、喉を震わして言うと、隣にたたずんでいた忍が消えた。
時間は午前七時を少々回ったところ。
ここ『本都』のほぼ中央に位置する『本殿』、その敷地内にある将官や議員、それに官僚など、所謂『お偉い面々』が使う宿舎のとある一室では、そんな雰囲気には似合わない男女三人が目を覚ましたところだった。
騒がしいのが朝の日課なのだろうか、二人の女性が未だ艶姿で、左右から男性を挟み、そして何かを言っている。
「兄さん、もうこんな時間ではないですか!
早くに起きているんなら、なんでもっと早く起こしてくれないのですか?」
と、その抑えている物から、今にも溢れそうなけしからん胸の膨らみを、ユサリユサと揺らしながら抗議をするのは、天鳥鈴音である。
寝起きのためか、肩で切り揃えられた栗色の髪が、自由奔放跳ねているのは、大きなお目目と合わせて、彼女のチャームポイントと言っておこう。
ちなみに彼女を起こす事は、基本禁忌である。
「あ、いや、起こしてくれと言ってもだな――何と言いますかですね、鈴音さん――」
と、これでも『直轄追跡部隊』の筆頭である天鳥神楽は、微妙に尻込みしながら言う。
「もう、兄さんは、本当に甲斐性無しなんですから、もっと欲を出しても良いんですよ――二人まとめてこますぐらいの――いえ、何でも。
彩華姉さんも何か言ってやって下さい」
と、神楽の言葉をさえぎり鈴音が、途中口籠りながらも言う。
鈴音の口から『兄さん』や『姉さん』と出ているが、三人は兄妹ではない。当然、血縁は無く、養子縁組などによる義兄妹という訳でもない、つまりは他人である。が、戦災孤児の三人は、『本殿』内の施設で同時期に育てられたため、立場的にそう呼ばれていた名残である。
ちなみに三人が名乗っている姓は、職種や立場を表しているものであり、また名は、施設で付けられたものであり、本名ではない。
物心を付く前に施設に入った三人は、自分の本当の名前も知らない。
「まあ鈴音落ち着け。神楽も悪気があって起こさなかった訳ではないぞ――」
と、均整のとれた美麗な体を、目のやり場に困るほど扇情的な物で包む艶姿で、珍しく神楽の弁護をするのは山神彩華侍大将である。少々表情に乏しい容貌は端麗、所謂美人である。
「――とにかく起きた訳だから、支度をすますぞ」
彩華は言うと、膝裏程の長く美しい漆黒の髪をなびかせ、クルリと向き変えて部屋から出て行った。
「あっ、彩華姉さん、待って下さい」
後を追う様に鈴音も続いて出て行った。
部屋にポツリと残された神楽は、一つ息を吐いて、
「俺も準備するか」
さっさと制服へと着替える。
着替えを終えると、寝床に腰掛けて、静けさの戻った朝の一時を、しばし堪能するかのようであった――が、そんな間もなく、
「兄さん、朝食を食べに行きますよ。
ただでさえ遅れているんですからね。さあ、早く」
と、早々に準備をすませて戻ってきた鈴音に、腕をグイとつかまれて、連れ出されてしまう神楽であった。
時間は午前八時少々前。
ここは『チョーゲン』の閑静な住宅街、そこのとある一軒家の一室に『離反組』のヘリオ・ブレイズ、アリエラ・エディアス、そして『お人形』金剛輝姫と白輝明姫はいた。正確には未だ眠っていたのだが。
その恩恵から見放された人類は決して渡らぬ、入る事すらない海。その洋上を深夜『鳥?』に乗って渡った『離反組』は、未明から明け方になる頃、神国領バルドア側の生存限界線南端でありながら、約五万の人口を抱える大規模集落『チョーゲン』に到着していた。
そして、日が明けるのを待ち、数少ない逃亡幇助者の下に赴き、匿われている。
「うぅぅ、ヘリオ先輩、今、何時ですか? ――クション」
目が覚めたアリエラが言う。昨夜、冷たい洋上の空気に晒されて風邪気味なのか、小柄な体によく似合う、可愛らしいくしゃみのおまけが付いた。
「あれ、もういないや――クシュン」
もう一つの寝床に目をやると、そこは空だった。と、同時にもう一つ、可愛らしいおまけが付いた。
寝床から上半身を起こすと、二度三度、体を左右にひねり、最後にペタリと前屈させた。そして、
「一、二…………八、九、十、よし」
と、数え終えると、跳ねるように伏せた上半身を起こした。そのまま寝床脇の机に手を伸ばして、ブラシをとると、腰程まで伸ばした透けるような銀髪をとかす。
「へへへ……」
突然ニヘラと、見ている者がいたら一歩、いや二歩は引くぞ、という何とも言えない怪しい笑いを浮かべた。
見ると、ブラシを元の机に置いた後、それのかわりに手に持っているのは、ラズベリーカラーのシュシュ。先日『万年丘』で神楽が渡した物であった。
鏡を見ながら、トレードマークのツインテールにまとめる、右を、左をと、何度も方向を変えて見比べ、
「えヘヘヘ……」
更にニヘラと不気味な笑いは続いた。
と、そんな幸せな表情のまま立ち上がり、手持ちの鞄から、持ち出した服を取り出して着替える。純白の高襟セーターと、膝上十センチ程の薄いグレーのプリーツスカート。当然強風でも安心、黒タイツは標準装備であった。
着替えを終えると同時に、十センチほど扉が静かに開いた。
その隙間から、室内を確認するかのように顔が覗き、ニヘラと怪しい笑顔を浮かべる美少女を確認すると、
「あ、起きていたんだ、おはようアリエラ」
更に扉を開き、短髪赤毛の大柄な男性ヘリオ・ブレイズが言う。
そして、一歩部屋に入ろうとすると、
「ヘリオ先輩! やらしいで・ス! エッチで・ス!」
「えっ? いきなり何怒ってるんだよ、アリエラ」
と、ヘリオは、意味不明の言葉に少々萎縮しながら尋ねる。
「アリエラの着替えを覗いていませんデ・ス・カ? 入ってくるタイミングがあまりに良過ぎま・ス!」
「そ、そんな事しないよ。するわけないよ。見るつもりもないし、そんなの見たいとも思わないよ」
と、精一杯の言い訳(実際に見ていないのだから、言い訳の必要もないのだが)をするヘリオの言葉を聞いて、
「へ、ヘリオ先輩! 『そんなの』って失礼で・ス! それは、デ・ス・カ・ラ、侮辱で・ス!
アリエラは、鈴音お姉様や彩華お姉様みたいに、素晴らしくはありませ・ン。そんな事は、アリエラだって、わかってイ・マ・ス!
でも、デ・ス・ケ・ド、今はまだ貧そうで、イ・イ・エ、谷間に咲く可憐な、でも目立たない花ですが、そのうち、立派になるんで・ス!
だから、デ・ス・カ・ラ、そんな事は言っては駄目なんで・ス!」
アリエラが爆発した。
せっかくまとめた透ける銀髪を少々乱しながら、あどけなさが残る目元をつり上げ、ついでに眉も急激な角度で跳ね上げ、咆哮した。
相変わらず、微妙に的をはずした争点と、一語言うたびに揺れる銀髪のしっぽ以外、他には何も揺れるものがない、と、いろいろな意味で、少々残念な美少女である。
これはマズいとヘリオは、
「ご、ごめん、アリエラ。
そういうつもりで言ったんじゃないんだ」
慌てて、大柄な体躯を小柄なアリエラより小さくして、ひたすら謝る。
と、スカート丈の長いメイド服姿の『お人形』白輝明姫が、
『あららヘリオちゃんは、またアリエラちゃんを怒らせてる。本当に上手ね。お姉さん、妬けちゃうわ』
おっとりした口調で皮肉まじりに言うと、契約主アリエラと同じ銀髪をフワリと宙に泳がせ、飾り棚から飛び降りる。
同時に、鞣した革のように妖しい艶を放つドレス姿の『お人形』金剛輝姫が、飾り棚の上から契約主のヘリオを見下して、
『いい加減、残念な小娘の扱いを覚えよ。
下僕の躾がなっておらんと、妾が恥をかくじゃろ』
と、言った後、ウェーブのかかった長い金髪をまとめた、ボリューム感たっぷりのポニーテールをなびかせて、飛び降りた。
直後明姫は、そのおっとりとした雰囲気からは、想像できない速さで手を伸ばし、隣に降りてきた輝姫の唇を素早くつまんで、
『輝姫ちゃん、またこのお口が悪い事を言いましたね。
ごめんなさいは、どうしましたか?』
と、これまたおっとりと言うと、輝姫は、
『ひょへんひゃひゃい……ひひゃひひぇひゅ』
先ほどまでの物言いは何処へやら、毎度の事ながら、口をふさがれて、不思議な発音の言葉を発する。
『全く輝姫ちゃんは、何言ってるのかわかりませんわ。ちゃんとお話しないと駄目ですよ』
ペチンと音をたてて、輝姫の口が開放された。
そんなやり取りを見ているうちに、クスリと微笑むアリエラの、熱くなっていた頭は冷めていった。
『ありがとう、明姫姉、輝姫ちゃん』
『あららアリエラちゃん、いいのよ』
『いつも下僕がすまぬな、アリエラ』
『それがヘリオ先輩なんだから、しかたないで・ス』
アリエラと『お人形』達の会話に交ざる事ができず、脇に置かれていたヘリオが口を開き、
「あの――」
言いかけたところに、
「何です・カ! ヘリオ先輩は、まだ文句があるのです・カ!」
と、アリエラのカウンターが入る。鼻白むヘリオだが、
「怒らないで聞いて、アリエラ――」
と、なんとか言う、
「だから、デ・ス・カ・ラ、何です・カ!」
が、またアリエラにさえぎられて、凹む。
だがヘリオは、めげずに続ける。
「つ、次の目的地が決まったんだ――」
アリエラも『お人形』達も、いい加減焦れているのか、黙っている。ここで何かを言うと、自分たちが更に苛つくだけとわかっているようだ。
「――『キノモ』だよ」
「ほえ!? 『キノモ』って……あの『キノモ』なんですか?」
あどけなさの残るアリエラの銀色の瞳が大きく開く。
「そうだよ」
「でも、『キノモ』って……焼失したはずでは……」
珍しくアリエラの口調が、ヘリオに対しても優しくなっている。いや優しくというより、普通である。が、普段が普段なだけに、妙に優しく聞こえる。
アリエラが口調が変わる程、疑問に思うのも無理はない。
公式には『キノモ』は終戦間近の今より約一年半前、バルドア帝国の方針に反対する『反逆者の村』となり、討伐部隊の包囲によって、諦めた『反逆者』が自決を選び、焼失した事になっている――軍が体裁を保つために。
が、アリエラ達が知る事実では、それは全くの捏造であり、『討伐部隊』隊長の乱心によって焼失したと、当時バルドア帝国の参謀アリス・ガードナーに教えられていた――とある策略の一環として。
だが『キノモ』は、疫病の拡大を防ぐためにガードナー参謀が命を出し、焼失させた。今となっては極々限られた者しか知り得ない。そしてこれが本当の事実である。
「僕も聞いて、驚いたよ。
でも、ちょっと考えてみると、今の時代は、人類の生存できる場所は限られているから、いつまでも空けておく訳には、行かないかもしれない」
当然の話でもある。人が生きて行くためには、最低限、飲める水の確保は必要である。今まで人が集落を築いていた場所は、そういう場所である事が多い。
「それは、そうかもしれないけど……ここにいては駄目なんです・か、ヘリオ先輩」
「まあ、それでも良いと思うけど、こうして僕達の逃走を、手助けしてくれている組織の幹部が、今後の方針を話したいと、言っているみたいなんだ」
「――わかりまし・た。それは断れないです・ね」
ヘリオから移動の理由を聞かされても、不満げな様子のアリエラであったが、とりあえず承諾した。
「良かった。
もしアリエラがわがままを言ったらどうしようかと――」
と、言ったところでヘリオは言葉を止めたが、時既に遅し、
「ヘリオ先輩! し、失礼で・ス!
ア、アリエラは、わがままじゃありませ・ン! そんな、子供じゃナ・イ・ン・デ・ス!」
と再び、銀髪のしっぽ以外揺れるものがない、小さな体を震わせて怒りをあらわにするアリエラに、
「ご、ごめん、アリエラ」
と、大きな体躯をアリエラより小さく丸めて、ひたすら謝るヘリオ。
そんな二人を見ている『お人形』達は、大きな溜め息をその場に残して、
『あらら――』
『何をしておるのじゃ――』
と、二人の間に仲裁(?)として割って入って行く。
『離反組』と言われる魔法使い達の朝は、どこかの魔法使い達一行のように騒がしく過ぎていく。
やはり魔法使いの朝は騒がしいのだろうか。
こちら『離反組』の美少女の容貌は、どこかの魔法使い達一行の美人姉妹に充分張り合えるほどである。
が、首より下は乞うご期待、更には穢れを知らない夢見る純真無垢な美少女である。
同じ騒ぐでも、『離反組』の騒ぎには、色気がないのが少々残念であった。
読み進めていただき、ありがとうございます。