上と下 12
少々おかしな言い回しに気が付き、変更しました。1・23
「うぅぅ、腹減った……」
明け方、とは言っても初冬の遅い日の出を迎えた午前七時少々前、空腹で目が覚めた俺だった。
この時間なら、多分食堂はやっているだろう。
が、右の鈴音に左の彩華は、俺の両手と両足の自由を完璧に奪っている訳でして――はい、甲斐性なしの抱き枕です。
これでは起き上がって、食べ物にありつく旅には出て行けない――もっとも、お財布は空っぽですから、口には入らないのですけどね。
昨夜、晩ご飯を食いそびれたのは、俺達が街中で起こした一件が原因である。『離反組』の逃走芝居が閉幕した頃には、『魔法使いが街中で闘っている』と騒ぎを聞きつけた街中のお店が、泡を食って早々に閉店していた訳です。
が、それ以前に全員揃ってオケラってどういう事ですか? 確か晩ご飯は、鈴音と彩華が出してくれるはずだったのでは? あれって一体。などとこぼす俺に、
「兄さん、それはですね気が付いたら」
「空だった、そういう訳だ神楽」
と、一体どういう訳かわからないですが、美人姉妹を疑う勇気も度胸も無い俺は、
「そうですか、非常に残念です」
と一言、皮肉まじりの言葉を口にするのが、精一杯だった――まだ、命も欲しいですから、間違ってもお財布を見せろ、という言葉は出ませんでした。
でも、ちょっと待てよ、その後、美人姉妹の行動が明らかに変だぞ。
宿舎まで帰る途中、運良く開いていた街外れの商店で、俺はなけなしの小銭で、少しでも腹の足しになるものをと、おまんじゅうを買った。が、彩華はお酒を、鈴音はおつまみを買っていたぞ、値段も見ないで、結構お高い高級な、お酒とおつまみを……
だが過ぎた事、俺も細かい事は言わないぞ。
その後、宿舎に併設されている食堂に試しに入ってみたが、
「うちは現金主義なんだよね」
と、あっさりツケを断られた――あ、あれ、視界が滲むのは何故だろう。
グウと泣き出す腹の虫に忌々(いまいま)しさを覚えながら、お財布を空にした元凶を交互に見やる。二人とも俺のお財布にとどめを刺したものを、身につけている。
右の鈴音は、けしからんカップサイズながらも、可愛らしい刺繍が施されたブラジャーを付けている――俺の右腕を抱き締めているためだろうか、妙な形に圧迫されていて、ちょっと突っつけばプルリと溢れ出しそうな……『押すな!』と書かれたボタンを目の前にした気分である。
そんな危ない欲求を持つ俺とは裏腹に、オフホワイトという色がそう見せるのか、嬉しそうな寝顔は清純な天使のようだ。
左の彩華は…………ラズベリーのあれですね。隠すべき場所までも透けていると思われる、レースたっぷりと言いますか、ほぼ十割のあれですね。ってか、どう考えても下着として、その透過率はおかしいだろう――俺的にはそれはそれで、非常に価値あるお姿なんですが。
とにかく、直接その柔肌が見えない分、何と言いますか、艶かしいというのか、やる気を起こさせるというのか、そんな罠に誘い込むような寝顔も小悪魔という訳だ。
――全くもって、けしからん二人だ!
そもそも、昨晩部屋に戻ってから、打ち上げとか何だか訳がわからんうちに、酒盛りが始まって、ほろ酔い気分になったところで、
「|ほんりつ(本日)、兄さんから奪っら戦利品の確認れ~す」
「しっかり|みろろ(見届)けろよ|きゃぐら(神楽)」
と、少々(?)呂律が回らなくなっている鈴音と彩華が言い出して、取っ替え引っ替えが始まった訳だ――俺の目の前で……はい、大変、良いものを見せて頂きましたよ。ありがとうございます。
そういえば食欲と性欲は、どちらかを満たせば、残りは抑えられるって、昔何かで読んだ気がする――――でも、この場では煽られるばかりで、両方満たされてないって……こうなると、三大欲で残る睡眠欲に走るしかってないと、酔ったふりをして寝床に入った訳でした。が、食欲に負けて起きちゃってる訳ですし、妖しい欲望まで……
――何もかも満たされない俺に残された手段は暴走か? とか言っても、しっかりと拘束されてる抱き枕状態でして、しかしながら二人とも、なんとも婀娜っぽい姿な訳で…………あっ! 貧相なものが暴走し出した! って、健全な男子たるもの、この状況なら当たり前と言えば、そうなんですが。
「ん? 神楽起きていたのか?」
って、何故このタイミングで?
「兄さん、おはようございます」
ここまで息ぴたりじゃなくても良いんですよ。
「あ、ああ、おはよう。少々腹が減ってだな、目が覚めた」
と、決死の言い訳である。
「仕方ない、朝食は私が出してやろう」
「私も出しますね」
って、その優しさは、昨晩に見せて欲しかったで・ス! あっ、アリエラになってる。
てか、空のお財布はどうなった――あれか? 一晩明けると、使った分が戻る魔法のお財布なのか? 間違いなく、有り得んな……
「あ、ああ、ありがとう」
俺が言うと、彩華と鈴音は、体を起こして、
「さっさと支度をしろよ――ふっ」
「何で、起きたら直ぐに支度をしないんですか、ただでさえ、時間がかかるのに――ふっ」
と、いわれの無い言葉を残して美人姉妹は、暴走状態の貧相なものを一瞥すると、揃って含み笑い――って、鼻で笑ったか? 今、鼻で笑わなかったか? ――、そのまま素敵姿でさっさと寝床から出て行った。てか、その笑いの意味って、『そうなって当然、してやったり』なのか『その程度のもの?』なのか、明確にして頂きたいのですが、万が一後者場合、大変デリケートなお話です。可能な限り遠回しに、そしてソフトなお話をお願いします。
さて、それはさておき、俺は起き上がると、寝床脇の机に畳んで置いてある服に着替えながら、同じ机の上に大人しく座っている黒鬼闇姫に尋ねる。
『闇姫、おはよう』
俺が朝の挨拶をすると、闇姫は濡羽色の垂れ髪をフワリと浮かせて、机からピョンと飛び降り、
『おっはよぉ~、神楽君。
鈴音ちゃんも彩華ちゃんもすっごいカッコウしてたねぇ。黒、呆気に取られちゃったよぉ』
と、大人しかった理由が判明した。
『ああ、でもよく似合っていたな。ついつい手を出――って、じゃなくてだ、明姫や輝姫の反応はどうだ?』
『お人形』達は漠然とだが、相互で気配を感じ取れる。俺は闇姫に昨晩逃走した――というのか、させたというのか――、『離反組』の『お人形』白輝明姫や金剛輝姫の気配を調べてもらっている。
『もういないよぉ、神楽君』
『そうか……ありがとう闇姫』
『どういたしましてぇ』
「もうどこかに行ってしまったんですね」
着替えを終えた鈴音が、言いながら戻ってきた。
「ああ、既に探知できないところみたいだ」
「そのつもりだっから、問題ないだろう神楽」
と、一足遅れて彩華が入ってきた。
「まあ、何と言うのか不思議な気分だよ。
さて、空腹で目覚めた俺としては、お二人の施しを受けたいのですが、宜しいでしょうか?」
俺が言うと、
「そうですね、約束ですから」
「仕方ないな――」
と、鈴音に彩華――出来れば、昨晩お願いしたかったのですが、って、彩華さん、何かまだ言いたげですね。
「――神楽、私の足を舐めてみるか?」
ぼそりと一言、
「はい? いいい今、何とおっしゃいましたでしょうか?
も、もしかして彩華さんは、そういう人になりたいのですか?
そりゃ、彩華さんのご命令なら喜んでご奉仕いたしますよ」
と、言いながら俺は彩華の正面に向き合って立つと、片膝を付いて頭を垂れ、恭順の意を表す。
「なっ、ななな何だもなななないぞ。きゃきゃぐらのきききき聞き間違えだ」
と、まともな言葉すら出ない『氷結人形』山神彩華は、ボンだのピーだのバンだの、様々な効果音をたてて、頭の天辺から手の指まで、多分足の指先までだろう、咲き始めた寒椿の鮮やかな紅色ですら見劣りする程、鮮やかな赤に染まっていた。
すかさず同胞の危機と鈴音が、
「兄さん、あまり彩華姉さんをいじめないで下さいよ――」
って、俺か? 俺がいじめたのか?
「――ごめんなさいは? ――」
へ? 俺か? 俺が謝るのか?
「――朝ご飯、抜きにしますよ」
へ? ご飯抜きって、そ、そんなに怒らくてもいいじゃないか。
「彩華さん、ごめんなさい。
足でも何でも舐めさせて頂きます」
と、素直に謝る俺だった。
ところが変わっても、相変わらず騒がしい俺達の朝は過ぎていった。
その者達は、夜を徹して山中を駆けていた。足跡一つ残さず、足音一つたてず、旧国境は既に越えて、その先『トゥルーグァ』手前に差し掛かっていた。
凛と冷えきった空気の中、白むまずめの時も過ぎて、日の出を迎えていた。が、山中は、この時期にも緑を残す針葉樹林に覆われて薄暗く、時折、針葉の隙間から照らす光が日の出の時を告げている。
日の出より小一時、薄暗い山中の空が徐々に開けて差し込む光が強くなる。ついには最後の林を抜けて平地へと出ると、その者達は再び街道に戻る。
その数五〇と余名。
一見すると不自然な数の集団である。が、その者達は、極々、至極自然に街道を行き交う人々に溶け込み、不自然な空気の一切を打ち消していた。
行き交う人々の誰よりも早い足取りの、集団であった。しかし、追い越された人ですら、その集団を不自然に思う事がなかった。
時間は午前九時少々前。街道を進む事、小一時間、『トゥルーグァ』の端の民家が視界に入る。
「――散開」
と、集団の隊長らしき者が言う。街中の集団はさすがに目立つのだろう。その集団は五〇と余名の個人に形を変えて、街の中に溶け込んでいった。
ここ『トゥルーグァ』は賑やかであった。
十万を超える人口の超大規模集落であり、神国天ノ原より、少々進んだ建築技術で作られた豪奢に見える建物や街並は、未だ異国の風情を醸しだしている。
バルドア帝国時代は首都として機能し、戦争が終結した後もその名残を受け継ぎ、神国領バルドアの政治、軍事、そして経済の中心となっている。
そんな街中のとある通りを、その者は歩いている。
時期的にまだ早い厚手の毛糸帽を深く被り、襟巻きで顔の下半分を覆っている。まるで『素顔は晒さない』と言っている様な風体である。
が、少々浮いたそんな存在を周りが気にする様子はない。それほどまでに、その者は市井に溶け込んでいる。
その者は音無道進。諜報と暗殺を主な任とする忍衆をまとめる忍大将である。その容貌はわずかな者を除き、一切知れずである。
例え今、襟巻きを解かれ顔を曝け出しても、それが彼の素顔かどうかはわからない。時折出す声も、本来のものかどうかは、わからない。
一応四〇半ばの男性となっているが――性別はともかくとして、年齢は確証がない。
何とも謎だらけの人物である。
ちなみに忍衆は個人の名を持たない。例外として大将格の者は、神楽達とおなじく、役柄により引き継がれてきた姓を名乗る。そして名を持たない忍は、この時に帝より名を頂く。
現在名乗っている忍は、忍大将である音無道進と『直轄諜報』の二守瑠理の二名だけである。
音無道進は、『反乱活動を殲滅せよ』という『勅命』を承っている。
この『トゥルーグァ』はまだ目的地ではない。そのまま素通りしても良いのだが、忍と言えども人間である。散開して一個人になった者共は、しばしの休息を取っている。
音無道進は一人、旧バルドア宮殿、現在のバルドア庁舎に向かう。そこにある、一般機関から隔離された諜報部が、当面の目的地である。
時間は午前九時半、『万年丘』の『西方国境警備軍』の司令部は、大騒ぎとなっていた。
騒ぎの中には、身内であるはずの警察軍の偉い方々に加え、首長一派も首を揃えていた。
そこに神楽達『直轄追跡部隊』が姿を見せた。
「おはようございます。
何だか、賑やかですね」
と、俺は、何食わぬ顔で挨拶をする。
「き、き、君たちは何をやらかしたんだね!」
と、血相を変えた山並賢吾司令が、開口一番、ひっくり返った叫びに似た声を上げた。
「はい? あっ、昨夜の事ですかね?」
俺が半ばおとぼけ気味に返すと、
「何をのんきに言ってるんだ!」
大垣政幸警察軍司令がドスの利いた声音で言う。
「のんきと言われても――これでも『離反組』を取り逃がして、焦っているんですよ」
心にもない事を言う俺だが、
「なーにを言っておるのかね君は、全くもってけしからん事だよ――」
あの、思い出すのも嫌な宮内侍従長や天守近衛長を彷彿させる物言いは、『万年丘』首長の俵山源治だった。
「――そもそもだね、民衆からの苦情が絶えんのだよ」
「はあ」
と、溜め息まじりの抜けたような返事を返すと、
「『はあ』ではない、あれほど街中の戦闘は避けてくれと言っておいたではないか」
山並司令は、かなり荒れている。
「しかしですね、街中でばったりと――」
と、言う俺の言葉をさえぎり、
「その可能性があるのに、何故街に出た」
大垣警察軍司令の言葉にイラっとする。
「はい?」
「ですからね、こういう事がある訳だから、君たちが街に出ちゃマズかったのでは?」
俵山首長の言葉に更にイラっとする。
「はい?」
「これは君たちの失策だよ。大人しく宿舎にいてくれれば、こんな事にならなかった訳だ」
って、山並司令? それに他のお二方、何だか言ってる事がおかしくないですか?
「えっと、俺達は『離反組を確保せよ』という帝から『勅命』を受けてここに来たのですが、お三方は、それを放棄しろと、つまり、天命ノ帝の言葉は無視しろと言う訳ですね」
俺は、冷静を装って言った。
「そうではなくてですね――」
「そういう取られ方は心外だ――」
「そもそも、君には前例があるではないですか――」
「えっと、山並、大垣の両司令、それに俵山首長、意味がよくわかりませんよ」
俺は、限界値を迎えていた。
「君たちは軽卒過ぎる。我々は街の安全を第一にとお願いしたはずですが――」
と言う山並司令の言葉をさえぎって、
「「「いい加減にしなさい!」」」
鈴音、彩華、そして俺は息ぴったりに揃って言った――二人とも我慢してたんだ。
「「「街の何処に傷を付けた? 誰か怪我をしましたか? いい加減、うんざりです!」」」
見事な程、息ぴったりの台詞を俺達が言うと、お偉方の三名は黙りこくってしまった。
「もうこの街には『離反組』はいません。よって、俺達『直轄追跡部隊』が滞在する理由もありません」
俺が言うと、
「「「それでは失礼します!」」」
完璧なハーモニーを奏でた俺達は、さっさと踵を返し、呆気にとられ静まり返った司令部を出た。
そのまま宿舎に立ち寄り、荷物をまとめると『万年丘』を後にした。
「彩華、鈴音、すまんな」
「神楽が先に謝るとは」
「どうしたんです兄さん」
訝しげな視線を送る二人に、
「いや、後味の悪い思いをさせたなと思ってな」
「別に、何ともだ」
「そうですよ、結構楽しかったですしね」
と、少々嬉しそうな表情に変化した二人に、
「それとだな、頭にきて、さっさと街を出たから――」
「どうした、神楽」
「忘れ物でもしたんですか? 兄さん」
真顔で尋ねる二人に、
「――お財布が未だに空なんです。
美しいお二人に、お昼ご飯をお願いしたくてですね」
と、へつらう俺に、
「あら、彩華姉さんは、兄さんに舐めまわしてもらえば満足するみたいですので、そちらにお願いしたら如何ですか?」
って、挑発するのはやめなさいって、
「ふん、少々聞き捨てならん事を、だが、寛大な私だ。一度は聞き流そう。そもそもケチ女に言われる筋は無いしな」
ですから、二人とも落ち着きなさいって、
「何ですって! むっつり姉さん」
「なんと申した!」
「ちょ! まっ、待った、そこまで!!」
二人は戦闘態勢のまま、俺に視線を向ける。
「また、恥ずかしい記事になっちゃいますよ!」
と、言った俺の一言で、嫌な事を思い出したのか、二人とも一気に冷却したようだ。
「――落ち着いたところで、お昼ご飯は――」
「「残念だ、お財布は空だ」」
と、息ぴったりな二人。
様々なものを美人姉妹に握られて、微妙に涙目になる俺は、またもや空腹感との死闘を繰り広げるのであった。
読み進めていただき、ありがとうございます。