上と下 11
『明姫姉、こっそり街に行こうよ』
『あららアリエラちゃん、あまりわがまま言ってちゃ駄目ですよ』
相も変わらず騒がしいのは、神国天ノ原から『離反組』と言われ、ここ『万年丘』のとある空き家に隠れ住む、小柄な美少女アリエラ・エディアスと、あくまでも優しくたしなめる『お人形』白輝明姫である。
『でもさ、でもね、今ならうるさいヘリオ先輩も輝姫ちゃんもいないし――』
同じく隠れ住む『離反組』のヘリオ・ブレイズと『お人形』金剛輝姫は、現在食料調達のために逃走協力者の下に出かけている。
『――ね、ね、明姫姉。神楽兄さん達だって、怒らないよ』
『それはそうでしょう、でも……お姉さん困っちゃうな』
『だから、街に行こうよ、明姫姉』
もう一息で説得できると、語る言葉に力が入り、その度に透けるような銀髪のツインテールが揺れる。
ただ、ここは神国天ノ原である。アリエラを妖艶な美少女と印象付ける(あくまでアリエラの見た目だけの印象なのだが)、腰まで伸ばした銀髪、色素の薄い白い肌、そして銀色の瞳は、どうしても浮いた存在になってしまう。もっとも、ところかまわず騒ぎ立てる彼女は、もとより目立つ存在なのだが。
では、と言って、神国領バルドアに隠れ住もうにも、バルドア帝国に使えていたアリエラが、当時引き起こした事件後に付いた、『銀髪の悪魔』という通り名が、そこに溶け込みにくい事情を一言で説明している。
『あらら、困ったな……』
明姫は言葉通り本当に困っている。明姫に限らず『お人形』は、基本的に契約主に追従する。例えそれが『虐殺』と言われる行為だったとしても、契約主が必要とするならば実行する。
とは言うものの、契約主の不利になる事を、『はい、了解しました』と一言で認める訳にもいかない。
まあ、こんな時、ヘリオの契約する金剛輝姫なら、『なに愚かな事を言っておるのじゃ、この下僕が。妾にいらぬ手間をかけさせるな』などと、彼女なりの優しい(?)言葉一つで終わらすのだろう。
『だから、だからね、行こうよ。アリエラだって神楽兄さん達に会いたいから、明姫姉もだよね、ね、ね』
と、ついには、全く意味不明の事を言い出す、困ったわがまま美少女契約主に、
『ですから、お姉さんはね、それは会いたいかもしれないけどね――』
ほとんど折れているが、表皮一枚でなんとか堪えている状態である。
『ほら、やっぱり。じゃあ行こうよ、明姫姉』
と、銀髪のしっぽを揺らして畳み掛ける小柄な美少女に、
『わ、わかりました――』
と、ついに折れた、スカート丈の長いエプロンドレス姿の明姫だった。
『――主をたしなめるのも、メイドたるお姉さんの仕事の一つなのに……輝姫ちゃんが羨ましいわ』
と、続けて嘆息まじりの一言を呟いた時には、小柄な美少女は、既に話を聞いていなかった。
時間は午後三時を少々回ったところ。
街では直轄追跡部隊の一行が追跡任務をほったらかして買い物に出かけて、微妙に浮いた存在になっていた。
一息つく為に、極々、至極自然に、入った喫茶店で、筆頭の男性が自分のお財布の窮状を、部下(?)の女性二人に涙目で訴えていた。
周りの誰も気が付かないうちに、涙目の訴えは、さらりと却下された。
それはさておき、明姫はアリエラの服を考える。
今、わがまま美少女が着ているのは、やや薄手の淡いピンクの高襟セーター。そして、黒タイツ装備の脚を、膝上五センチ程から覆う同系色のフレアスカートは、この時期のちょっと強い風に対して、頼りなくフワフワとしている――まあ、それも一つの何と言うのか色気(?)としては、有りなのだが。
もっとも、フワリと一気に浮き上がってしまっても、中身は黒タイツである。所謂『パンツじゃないから、はず――いや失礼――いいんで・ス!』と、いかにもアリエラらしい言葉が聞こえてきそうである。
と、誰がぬか喜びするかはさておき、とりあえずは問題は無い。しかし、これではアリエラの銀髪が隠れないと、明姫はオフベージュのフード付きのハーフコートをごそごそと持ってきた。
『アリエラちゃん、これを着て、髪を中にしまいなさい。それとフードもしっかりと被りなさい』
『え~、いくら何でも熱いよ、明姫姉』
『駄目です。これがお姉さんの最大譲歩ですよ』
と、わがまま美少女をたしなめるメイドに、
『は~い、わかりまし・タ――』
と、納得しないまでも、渋々了承するわがまま美少女であった。
『――でも、でもね、明姫姉はどうするの? そのままじゃ、魔法使いってバレバレだよ』
明姫の身長は八〇センチ程ある。一四〇センチ程のアリエラの半分以上もあり、さすがに抱かせて歩き回る訳にはいかない。しかも、その髪はアリエラと一緒の銀髪である。メイドの姿や『お人形』という事はさておき、やはり神国天ノ原では溶け込みにくい容姿である。
『大丈夫ですよ』
と、明姫はアリエラとお揃いのフード付きハーフコートを用意していた。
確かに、これを着てアリエラと手をつないで歩けば、傍目には多分姉妹に見えるだろう――当然アリエラが姉役です。二人の会話は周りに聞こえない訳ですし。
『じゃあ、行こう、行こう』
と、張り切るアリエラの勢いに押される形で、フードを被ったコート姿の姉妹は街に向かった。
時間は午後四時を回っていた。
とある店の前で、周りから微妙に浮いた一行の男性が、半ば涙目で駄々(だだ)をこねていた。
だが、女性二人に全てを却下されて、極々、至極必然的に、何かの触手に絡めとられるかの如く、店に引きずり込まれた。
周りの誰も気が付かない心の内で、男性は更なる悲しみと、不謹慎な妄想の板挟みになっていく。
それはさておき、どことなく怪しい風体の姉妹は、特に当てもなく街中をウロウロとする。
確かに明姫達『お人形』は、他の『お人形』の気配を察知する事が出来るのだが――それだけである。
相手が魔法を使ったのならいざ知らず、普通にいるだけだと、場所、それこそ方向すら特定が難しい。ただ漠然と、同じ集落にいるのがわかる程度である。
だから、ヘリオと一緒に隠れ家から出て行ってる輝姫には、アリエラ達が街に出た事はわからない訳である。
だから――
『アリエラちゃん、日も落ちてもう暗いし、寒くなってきたから、帰りましょうか?』
『うん……』
と、うつむくアリエラに、
『また、明日も街に出ましょう』
と、元気付ける明姫。
時間は午後五時を回っていた。
初冬の今は日も暮れ、夜と言われる時間が始まっていた。
そんな事も忘れそうな、街の灯が照らす中心地にいるアリエラ達は、人が行き交う大きな通り差し掛かった。
「あっ!」
『どうしたの? アリエラちゃん』
『あれ』
行き交う人の隙間から、通りを挟んで見えるのは――
人の波が切れた刹那、轟と唸りをあげて悪戯好きな木枯らしが、アリエラ達の正面から吹き付けた。
フワリと頭を覆うフードがめくれて、縛めをとかれた銀髪が宙を舞い遊ぶ。
「あっ!」
『あっ!』
コート姿の姉妹は、感嘆符の付いた言葉を口にした。
「へ?」
「え?」
「……?」
微妙に浮いた一行の人間三人は、疑問符の付いた言葉を口にした。
――突然の面会もあり得る訳だ。
「――残念、タイツか……」
「――に、兄さん、残念って……」
「――それはお前だ、神楽」
そ、そりゃ俺だって、正面の姉妹が誰かだって、当然、気が付きましたよ。はい、アリエラと明姫ですよね。
でもですね、先ほどまでですね、何とも言えないものを、いろいろと見せられてですね、その何と言いますか、素敵姿を想像したりしちゃったりしている訳で、多少なりとも悶々としてですね……つ、つまりですね、俺だって男な訳でして、よほど訓練されていない限り、本能的にそっちに目が行っちゃう訳ですよ、格闘戦でも有効な手段ですよ、多分ですがね、えっと、それほどまでに、風の悪戯フワチラって威力がある訳でして、その辺り、お優しい二人には察して頂きたい訳でして――はい、突風発生時における視線の男女差についての考察を終了いたします。
と、いう心の叫び、ではなく言い訳を知ってか知らないでか――いままでの流れでいくと、きっとわかっているんだろう――、何か言いたげに、ジト目視線を投げかけてくる二人の女性、天鳥鈴音と山神彩華はさておきます。
予想外の事態だったのだろう、固まって動かなくなっているアリエラと明姫に、俺はゆっくりと近づいて行く。
二歩三歩四歩、そして五歩と歩みを進めた時、はっ、と、我に返ったアリエラは、慌てて踵を返し明姫の手を取った。
「ま、待てアリエラ!」
「ひっ! ま、待たないんで・ス!」
と、微妙に不明な言葉を置いて、走り出そうとするアリエラに、
「じゃあ、何でここにいる!」
と、俺は問いかける。が、
「い、いいえ、たまたまで・ス! 通りかかっただけなんで・ス!」
と、更に不明な言葉を返すアリエラ。
俺は後ろに控える鈴音と彩華を一目すると、既に有り得る最悪の事態に向けて、鈴音は錫杖を手に持つ銀界鬼姫と『命の糸』でつながり、彩華は腰に得物を呼び出して、手をかけている。
俺は、
『鈴音、頼む』
と、かねてより打ち合わせしている事を、鈴音に実行してもらう。
『はい、兄さん』
と、言う鈴音は、鬼姫に『印の舞い』を踊らせ呪文の詠唱を始めた。
「此の地と
彼の地を
分け隔てよ」
『絶界の音壁』
詠唱が終わると同時に、鬼姫が錫杖の石突で地面を力強く一度打突する。簡素な飾りの錫頭にある、円、三角、四角など様々な形の遊環が、シャリン、と一度、複雑な音色で鳴り響く。と、刹那の音のウネリと共にグニャリと神楽達五人とアリエラ達二人の姿が歪む。わずか半秒後、彼らの姿が正常に戻ると、『離反組』の二人に『直轄追跡部隊』の五人は、街の風景から消え去っていた。
否、消えた全員、同じ場所から動いていないし、今も街にいる。ただただ単純に、周りの人々が彼らのいた空間を認識できず、しかし踏み込めなくなっていただけである。一切不自然さも無く、極々、至極当たり前のように、その何も無いはずの空間を避けてゆく。
そしてこれは、事に対して張った結界ではなく、目隠しをする為だけの簡素な結界である。
つまり神楽は、このやり取りを監視をしている者に、『見せたくない事』をしようとしている訳である。
まあ、はっきり言うと、これから行う説得に応じて、アリエラ達が大人しく捕まってくれれば、それは問題ないのだ。だが、その選択肢は多分有り得ないので、神楽としては、この胸くそ悪い、悪印象の塊のような、『万年丘』からさっさとご退場頂きたいと、お願いしたいのだ。
「アリエラ、話がしたいんだ」
と、言う俺に、振り返ったアリエラは、
「こ、こんな結界張って、アリエラを攻撃するつもりです・カ」
と、不信感一杯です。でも、アリエラの説得を――って、無理だな。まあ、話すだけでも良いか。
「まあ、落ち着けってアリエラ。
この結界は、そのためのものじゃないぞ。疑うんなら鈴音に聞いてみろ」
「ひっ! す、鈴音お姉様は、と、とりあえず、です」
と、相変わらず、鈴音が怖いらしい。まあ、慕っては、いるんだろうが。
「この結界は、俺達の存在を隠匿するだけのものだから、暴れると、外にも害が及ぶぞ」
「ひっ! か、神楽兄さんは、人の見えないところにアリエラを押し込んで、な、何をするきなんです・カ!
こんな、魔法の使い方は間違っていま・ス!」
頭を抱えそうになる俺――うっ、何でそうなるかな。まあとにかく、いつも通り始まった訳だ。と、逆に変な安心感に包まれた。
「あのですね、アリエラさん。人をですね敷き布団にしていた人にですね、あまり言われたくない言葉のような気がするんですがね」
「で、でも、だって――」
と、自爆しかけているアリエラの言葉をさえぎる。
「それにですね、鈴音や彩華が見てる前で、俺がそんな大それた不謹慎な行為におよべる甲斐性を持っていない事を、知ってますよね」
「うん、知ってる」
――即答ですね。
えっと、そう素直に返事をされてもですね、なんだかな――まあ、事実ですから仕方ないのですが凹む……なぜ、だろう、視界がぼやけるぜ。
「そもそも、敷き布団代わりにされても、アリエラの貞操関係には、手を出してませんからわかりますよね」
チラリと、鈴音と彩華に目をやると、既にジト目を通り越して、久遠の果てまで見渡す様な非常に優しい目になっている――って、お、俺を見てるんじゃないよな、アリエラを見てるんだよな、な、な。
「そ、それじゃ、アリエラがまるで、さそっ……もういいんで・ス!」
とりあえず、この話しはアリエラの自爆で区切りですね。さてと、
「で、本題だ。
どうだ、戻ってくる気は――」
と、言ったところで、アリエラがさえぎり、
「も、戻りたいよ。戻りたいんで・ス! で、でも、やっぱり、今は無理なんで・ス」
まあ、こうなると、やっぱり銀色の瞳を潤ませて……また、泣かしちゃったな。
「なあ、アリエラ。今日俺達は……いや、俺は鈴音と彩華の買い物に、お財布が空になるまで付き合っていた訳だ」
「は、はい? それが?」
改まって面と向かって言うと変に照れて、言ってる俺が、何を言ってるのか、わからない訳で、意味の伝わらないアリエラは小首をかしげる――当たり前の反応だが、仮にも美少女である。非常に似合うというのか、まあその話はさておきです。
「つまりだな、部下……かな……、まあとにかくだ、付き合いのある女性にだな、いろいろとねだられてだな、えっと――」
言葉が出てこないで困っていたところに、
「兄さんはアリエラちゃんにもってね」
と割って入った鈴音に、
「何やら選んでいたぞ。何をしている、渡してやれ神楽」
彩華であった。
ここまで言われてしまうと、躊躇している場合ではない訳で、俺は、アリエラの前まで数歩進んで、
「あ、ああ、これを……」
と、俺の接近に、一歩退いたアリエラへと、可愛らしい絵柄の紙袋を差し出した。
「こ、これって、ア、アリエラにですか?」
「ああ、あと明姫と輝姫にもだよ。ちなみにヘリオは無し。あくまでも部下の女性達へ、俺からの気まぐれな送りものだ」
少々照れて、俺が言った。
「ぶ、部下って……ア、アリエラは……」
不意に部下と言われたアリエラは困惑する。
「ああ、部下だよ」
「で、でも、だって……」
『あららアリエラちゃん、ちゃんとお礼をしないと駄目よ』
と、タイミング良くアリエラを落ち着かせる明姫――さすが、自称メイドは伊達じゃない。
『う、うん……でも、明姫姉もだよ』
『わかっています。神楽ちゃん、ありがとうね』
「か、神楽兄さん、あ、ありがとうございます」
「ああ――」
お礼はありがたいが、事情が事情だけにどのように、反応していいのかわからず、情けない返事を返してしまった。その照れ隠しも含めて微妙な含みを持たせた話しを続ける。
「――だが、他は好みやサイズがわからなかったから、いつか戻ってきたら埋め合わせをするよ」
「へ? い、いつかって、アリエラ達を捕まえないんですか?」
さすがアリエラ、しっかりと食い付いてくれた。
「なんだ、素直に捕まってくれるのか? なら、捕まえるけどね」
「い、いいえ、やっぱり逃げます」
教科書通り……とは言わないが、予想通りの返答が返ってきた。
「そうしてくれると助かるよ」
「へ? 何でです?」
俺の意図が読めないのは、当たり前だよな。捕まえにきた人が、逃げてくれって言ってるようなもんだからな。
仕方が無いと、説明に入る。
「何て言うのか、この街が、いや役人どもか、性に合わないというのか。
だからさ、居座られたら困るなと思っていたんだ。しかもそれだと、間違いなく戦闘も起きるしな」
「そ、そうですね」
取って付けたような説明に、訝しげな表情で同意するアリエラであった。まあ、いつまでも美少女に似合わない表情をさせておく訳にいかないので、
「さて、そろそろかな。
まあ、上手く逃げてくれ。俺達も追いかけるふりはするからね。
ちなみに、俺達は監視付きだから、結界を張るなんて、めんどくさい事をしたんだ」
「それって、やっぱりアリエラ達の――」
と、またもやふさぎそうになりそうなアリエラの言葉をさえぎり俺が、
「違うよ――」
と、言った直後、視界がグニャリと歪んだ。外の世界から徐々に侵入してきたのは、直径二メートル程ある巨大なシャボン玉、というのか結界空間。当然、ヘリオ・ブレイズと金剛輝姫であった。
読み進めていただき、ありがとうございます。