上と下 8
「神楽、鈴音、起きんか、起床時間だ」
甲斐性なしのため、情けない事に無害扱いの俺は、彩華と鈴音の美人姉妹にとって、安全に安らぎをお届けする抱き枕となっているのは、いつも通りの事である。
「うん、朝か? お、おはよう彩華」
目を開けると、ほぼ身支度を整えた目覚まし声の主、彩華の姿が映り込む。
「相変わらず、締まらん顔だな」
「寝起きの顔なんてそんなもんだろう。お前だって、少々抜けた可愛らしい顔をしているぞ」
寝起きのテンションが俺の口を滑らかにする。
「なっ、ななな何を――」
と言う彩華は、ピーと鳴る警笛音と共に、耳どころか手の指先まで真っ赤になって、何かを呟き出した。
「――お、お前だけだぞ、それを知っているのは、おまえだけなんだからな、そんなすがたをみせたのは、おまえだけだぞ、このいみわかっているのか、そもそもおまえのそういうひとことが……」
うつむいて、口先を動かしているだけの声って、非常に聞き取りにくいのだが――えっと彩華さん、おまえ、おまえ、と、ちょくちょく聞こえるのですが、ま、まさか呪詛ですか? いつのまにか黒い何かを使えたりするようになったのですか?
ところで、先ほどから俺の右腕が異常な力で締め付けられている訳で、こっちも気になるのですが――微妙にクッションが良いというのか、心地よいというのか。
もっとも、このクッションがくせ者でして、抜け出せそうな隙間をきっちりと埋めている訳です――健全な男子としては、無理に抜け出そうとは思いませんです、はい。
という訳で、そろそろ彩華が復活しますよ、押さえ込み三十秒で鈴音さんの一本勝ちで良いですから、ぼちぼち解放してくれませんかねと、鈴音が寝て――いや、寝たふりをしている右側に顔を向けると、大きなお目目がパッチリと……って、既に寝たふりすらしていねぇ。
少々名残惜しいが、
「あの、鈴音さん、起きてるなら右腕を解放して頂きたいのですが」
と、言う俺に、
「あっ兄さん、おはようございます。私は『今』目が覚めましたので、すみません。ちょっと怖い夢を見てまして、きつく抱きついてしまいました。今ほどきます」
非常に白々しい言葉を残して、鈴音が俺の右腕を解放して寝床から出て行った。
「神楽――本当に締まらん顔だな」
と、残念そうに言う彩華の一言は、冷たく深く突き刺さった。
その後、立ち直った俺も、寝床から出て身なりを整えた。するとその様子を見ていた黒鬼闇姫が話しかけてくる。相変わらず、上品ながらも愛嬌のある顔に、満面の笑みを浮かべている。
『おっはよぉ、神楽君。全く朝から熱い事ですねぇ、このこのぉ、にくいよぉ』
『あの闇姫さん、いつの時代の人なんですか』
『今の時代に決まってるんだよぉ。神楽君変な事を言ってるよぉ。それに黒は「お人形」なんだよぉ』
普通の人との会話なら、頭を抱えるところだが、平然と話を進める俺。まあ、相手が闇姫ですから。
『ところで、どうだ』
言葉の少ない俺の問いに闇姫は答える。
『うん、大丈夫だよぉ。白姉ちゃんも金ちゃんもまだいるよぉ』
『そうか――』
こうして、闇姫に『離反組』の『お人形』、白輝明姫と金剛輝姫の存在がわかるという事は、『離反組』にも俺達の存在がわかっている訳である。それにもかかわらず、未だにこうして反応があるという事は、『離反組』の二人は、当面逃げる気はないようだ。
つまり、何らかの形で接触を図ってくるということも考えられる。いや、接触を考えているから、逃亡を図らないのだと思う。
できることなら、接触を避けたいと考えていた俺からすれば、困った事になってきた訳だ。
『――さっさと、逃亡してくれれば』
「兄さん、闇姫ちゃんと何ぶつぶつやっているのですか。馬鹿な事を言ってないで、支度をすんでいるのなら、朝食に行きますよ」
「あっ、こら、鈴音、引っ張るなって」
鈴音は、俺と闇姫の話しを聞いていたのだろうが、特に何も言わなかった。そして俺は、鈴音に引っ張られたまま食堂へ連れて行かれた。
神楽達『直轄追跡部隊』の面々が、いつも通りに朝のドタバタを繰り返している頃。
所かわって、『万年丘』のとある空き家では、目覚まし時計も『ごめんなさい』をする程の勢いで、騒ぎ立てる銀髪の小柄な少女を、頼りない物言いで赤毛の大柄な男がなだめていた。
「ですから、ダ・カ・ラ、アリエラは、神楽兄さんと鈴音お姉様に、会いにいきま・ス!」
「だ、だめだよアリエラ。神楽さん達が困るよ」
「いいんで・ス! 神楽兄さんは、困らすぐらいがちょうどいいんで・ス!」
「と、とにかく、もっと静かに話そうよ、アリエラ。朝早いし、周りに迷惑だよ」
「いいんで・ス! 目覚ましがいらないと、好評なんで・ス!」
「だから、僕達は、逃走中なんだから静かにしないと駄目だよ」
身を隠すように住み着いているのは、ヘリオ・ブレイズにアリエラ・エディアス、その二人とそれぞれ契約している『お人形』の金剛輝姫と白輝明姫である。
この四人は、『サーベ』で勅命に反発して、神国軍を離反する。その後、少ないつてをたどり、監視の目をくぐり抜け、ひと月程前『万年丘』に辿り着き、しばしの安穏な生活を送っていた。
が、数日前に神国の『直轄諜報』に潜伏を補足された事により、少々慌ただしくなってきた。
現在、『離反組』と呼称され、神楽達『直轄追跡部隊』が追跡任務の勅命を受けて追っている。
「ヘリオ先輩、変な事を言ってま・ス! アリエラ達は既に見つかってま・ス! だから、デ・ス・カ・ラ、神楽兄さん達が来たんで・ス!」
「あっ、そうだね、ごめん、アリエラ。
でもね、だからと言って騒ぐのは……」
「騒ぐのは、アリエラのストレス解消法なんで・ス!
ヘリオ先輩は、黙って聞いていればいいんで・ス!」
相変わらず、銀髪の小柄な少女は、赤毛の大柄な男に手厳しい。
「それに――」
「へっ? ど、どうしたんだい、アリエラ」
意味ありげな間を置き、急にしおらしくなったアリエラに、ヘリオが変に焦る。
「神楽兄さんは、アリエラ達のせいで牢屋に入れられちゃったんで・ス。だから、『ごめんなさい』をしないと、いけないんで・ス」
「アリエラの気持ちはわかるけど……きっと神楽さんは困ると思うよ」
「困りませ・ン。神楽兄さんも鈴音お姉様もアリエラに、会いたいと思っているはずで・ス」
『あららアリエラちゃん、凄い自信ね――』
長いスカート丈の黒いエプロンドレス姿の『お人形』白輝明姫が、おっとりさんを印象づけるやや下がった目尻を更に下げ、優しく穏やかな口調で、割って入ってきた。
『――それはお姉さんも、否定はしませんわ。でもね、神楽ちゃん達は、アリエラちゃん達を捕まえにきたのよ』
『それは、わかってるよ明姫姉。でも……』
『神楽ちゃん達だって、この任務はしたくて受けたと思えないわ。だから、アリエラちゃんが現れると、どうして良いのかわからなくて、困ると思うわよ』
『でも、でも……会いたいよ……』
そう言ったアリエラは、堪えていた言葉を音にして出してしまった為だろう、未だあどけなさの残る容貌に、少々不釣り合いとも言える妖艶な銀色の瞳に溜めていた悲しみが、一筋二筋と流れ出すと同時に嗚咽した。
『何ぞ、また小娘がわがままを言うて困らせておるのか。
全く騒がしいわ』
と、変に露出が多く、鞣した革のように妖しい艶を放つ素材で出来たドレス姿の『お人形』金剛輝姫が、感動のシーン台無しに、話をややこしくするかの如く、割って入ってきた。
『あらら輝姫ちゃん、相変わらず、お口が悪いわね。一体どのお口がそんな事を言うのかし・ら!』
明姫は素早く輝姫の前に立つと、目にも留まらぬ早さで、指先で輝姫の唇をつまみ上げた。
『このお口かし・ら! 悪い事を言うのは、このお口かし・ら! 答えなさい! 黙っていてはわかりません!』
そこには、おっとりさんはいったい何処に行った? 鬼の形相の明姫がいた。
(明姫姉……それ、怖いよ)
と、アリエラはやや引いていた。
輝姫も口をふさがれ、答えたくても答えれない。
苦し紛れに、わずかに開く口から、空気が漏れるような言葉にならない返事を返した。
『ひょひぇんひゃひゃひひぇひゅ』
『何を言ってるのかわかりません。ちゃんと喋りなさい』
明姫は、つまんだ輝姫の唇を引っ張りあげ、指先の力を抜いた。その時、ペチンという音が聞こえたのは空耳だったのかもしれない。そして口を解放された輝姫が、
『ごめんなさいです』
と、謝った。それを見て、
『あらら輝姫ちゃんは本当にしょうがないわね。アリエラちゃんもそう思うでしょう』
と、言う明姫は、いつものおっとりさんに戻っていた。
今『万年丘』には、二組の魔法使いが集まり、それぞれ朝から騒々しくやっている訳だが――ちなみに神楽組の彩華は、『一般兵?』ではという疑問はさておく。
とりあえず、魔法使いだから騒がしいと言うのは、歴史上に現れた彼ら以前の、六人の魔法使いに失礼かもしれない。
と、いうわけで、騒がしいのは決して魔法使いだからとか、『お人形』のせいという訳ではなく、たまたま、偶然、そういう性格の人物が魔法使いになっただけである――と、付け加えておこう。
そんな何かと賑やかな若者達の声もさすがに届かない神国天ノ原の首都『本都』、そこでもとりわけの要所であり、静かな『本殿』――決して神楽達魔法使いが、いないから静かという訳ではない。
そこに諜報部からもたらされた、一つの情報により、極一部の部署が密かに騒がしくなっていた。
所謂密談というものである。
集まるは、情報をもたらした諜報部忍大将、音無道進、諜報活動を主な任務とし、忍衆をまとめ上げる彼は、この場に置いても素顔を晒していない。覆面から覗く双眸は、異常に冷たく鋭いものがある。
「――以上で、ございます」
と、言う声色は、彼本来のものかは定かでない。
「それは、間違いありませんね」
と、もたらされた情報の精度に念を押すは、少々派手な色合いと絵柄の着物を上品に着崩し、覗くうなじも艶かしく、大人の女性の色香を漂わす社守静軍師であった。
「しかし、それですと、少々厄介な事になりますな」
と、坊主頭を掻きながら、丸顔の人当たりの良い表情を崩して言うは、神国天ノ原の軍部をまとめる大石原厳総長であった。
「この一件、全てが片付くまで、神楽達には内密に行うよ。
ちょうど『万年丘』に行ってもらっててよかったよ」
と、凛々しい顔の口元を緩やかに上げて言ういい男は、この神国天ノ原の王、天命ノ帝であった。
「それでは音無忍大将、情報操作の方は、よろしくお願いします」
と、帝の言葉に付け加えるように、社守軍師が言う。
「承知」
と、短い返事で音無は返す。
この時代には、旧文明にあったような便利な通信手段が無い。
民衆が遠いところで起きた事を知るには、先々の情報収集機関や特派員が集めた情報を、国が管理する光信号網で送り、地元の報道機関が発表するというのが一般的な手順である。
つまり集まった情報の検閲が可能なのである。
平時である現在は、ほとんどの情報が検閲を通り、民衆に届けられる。だが例えば、『天鳥神楽、女性と密会』という情報が流れたりすると、事の真偽はさておき、神楽を追い回す鈴音と彩華の怒りによって、最悪街が壊滅などという事態になる。そんな民衆の生活に著しく影響が出るような情報や、軍事上の機密にかかわる事などは、検閲で排除される。
つまり、体制側にとっては、都合の悪い情報はさえぎる事が出来る訳である。
今回もたらされた情報に対する対応は、どうも一般に知れると都合が悪いようである。しかも軍上層にいる神楽達にも、知られたくないものであるようだ。
「大石原総長、今回は全てを隠密で行うよ」
「御意に」
と、大石原総長は短く返事を返す。
「じゃあ、音無、後は静と詰めてくれ」
「承知」
と、音無忍大将は短く返事を返す。
この神国天ノ原は立憲君主制である。現在の憲法上、帝はお飾りであり、軍は、国の最高決定機関の議会の承認無しには動けない――はずである。
「我が不肖な弟分神楽の尻拭いをさせるようで悪いね。
とりあえず『殲滅』するから、ひとつ頼んだよ」
と、最高決定機関の議会を完全に掌握し、事後承認制度を認めさせ、軍事、警察権を手中に収めたいい男の帝は、緩やかに口元を上げて、とてつもなく物騒で重い言葉を、普段の言葉を交わすように非常に軽く言った。
そして、ここにいる誰もが、それを拒絶する事無く、肯定の返事を残して部屋を後にした。
読み進めていただき、ありがとうございます。