上と下 3
「――か、体が動かん……」
晩秋、いや初冬の弱い日差しが、遮光カーテンのわずかな間隙を縫って、優しく朝の訪れを告げる。
三ヶ月ぶりのまともな寝床に、体が馴染まないためなのだろうか。それとも、運動不足の体に、昨日の旅の疲れが残っているためだろうか。
はたまた昨晩、『出所祝い』といわれて飲んだ酒が、まだ残っているのだろうか。とにかく何かで拘束されているように体が動かない。特に両腕は、体についているという感覚が全くない。
少々はっきりとしてきたが、まだまだうつろな意識に伝わってくるのは、柔らかく温かな拘束具の感触――って…………あれ? 前後不覚になった覚えはないのだが。
俺は昨晩の事を、うつろな意識の中で思い出してみる。
ほろ酔い気分の中、宴が終わったのだが、帝の一言で酔いが醒めた。
その後、俺は鈴音と彩華の三人で宿舎に戻って、そのまま俺の部屋になだれ込こんで……その勢いで風呂に入ったわけだ――何だか思い出したくなくなってきたぞ。
そしたら旅の疲れと、醒めたはずの酒の酔いが一気に出て、ざっと体を拭いてそのまま寝床に入った――三人揃って素っ裸のまま……
はい、現状の把握を終了しました。
てか、この場合、俺が一番に目を覚ましちゃ駄目だろう。理想は二人の女子が先に起きて、身支度を済ませた頃に俺が起きるだろう。
いずれにしても嬉しくも悲しくも抱き枕状態の俺である。彩華と鈴音の枕になって、感覚を失っている俺の両腕。上半身には左右から伸びて俺を取り押さえる彩華と鈴音の腕。下半身には複雑に絡み合う三人の六本の足――結果、マッパな美女達に嬉しく挟まれてる俺は、全く動けませ~ん。
冷静に考えても、それはそれで非常に嬉しい事なのだが、何だか微妙に背中の感触も無くなってきてるし——ある意味ヤバいんじゃないのか?
とりあえず何とかならんかと、モゾモゾと足を動かそうとする。
そもそも、三ヶ月の間そういう事とは無縁の生活を送り、帰ってきた矢先の事である。しかもマッパな美人二人に挟まれている訳である。そう一人ではなく、二人の美女に挟まれている『だけ』――平たく言っちゃえば彩華か鈴音のどちらかだけならそういう事になったかもしれないのですが二人だとそういう事に進展させにくい訳でして、甲斐性無しです、はい。
で、さらに起きがけということで、それでなくてもこのじょうきょう、健康的ないっぱんだんしなら体もいろいろと反応するわけでして、はい。
ですから拘束をゆるめようとモゾモゾと、
「うぅぅん……神楽か……くすぐったいぞ……モゾモゾするな……」
彩華の怪しい吐息まじりの言葉に、慌てて寝たふりをする。
「何だ、寝てるのか――ん、もう朝か……」
と続けて呟きながら、彩華は複雑に絡み合う手足をスルリと抜いて起き上がり、俺の左半身の拘束を解く。もうしばらく拘束していて欲しいという気持ちがあったが、それは贅沢と言うものである。解放された左腕に、一気に流れこむ血液が、『ジーン』とした感覚とともに、夢現つの世界から現実へと扉を開ける。
だが、まだ寝たふりを続ける。鈴音にも早く起きて身支度をしてもらわないと困る訳だ。
「鈴音、起きて身支度を済ませろ」
と、起きたついでに彩華が小声で鈴音を起こす。
本来なら、鈴音を起こすという行為は、禁忌である。だが、彩華だけは、その禁忌に触れても大丈夫らしい。
「うぅぅん――あ、彩華姉さん……おはようございます」
寝起きのポワンとした声音で返事をした鈴音が、俺に絡めていた手足を解いて起き上がる。
同時に血流を解放された右腕が『ジーン』と、感覚を取り戻す。
二人の美女が寝床から出て約五分の後、戻ってきた鈴音が俺を起こそうとする。
「兄さん、いつまでも寝てないで早く起きて下さい」
いや、とっくに起きてるから、と、心の奥で呟きながら、わざとらしい目覚めと同時に俺は、ようやく起きる事ができた。
こうして久しぶりの美人に囲まれた、誰もが羨むような甘い朝のひと時は、名残惜しくも終了を迎えた。
人肌が恋しくなるこの時期に、アリエラがいないのが悔やまれる。
身支度を整えた俺達は、『お人形』もつれて宿舎の食堂に向かう。
午前七時という事もあって、食堂の席は半分ほど空いている。
入り口に立って見渡す俺を、食堂内の者達が逆に見てくる。
俺と目が合っても、五割は以前と変わらないそぶりを見せる。三割がバツが悪そうに視線を背ける。一割五分が視線を合わせようしないで、さっさとそっぽを向く。残りの五分は、視線をそらさず睨み返してくる。だからといって、俺も相手もおかしな揉め事はごめんこうむるので、それ以上は発展しない。
もっともこの場に、宮内尊文侍従長や、天守命近衛長がいないのが幸いだ。万が一ここで顔を合わせたら、いかにもな小役人面で嫌味の一つ二つ言ってくるだろう。そうなると俺自身も生理的に無理なあいつらと、もめる事は一向に構わないので、多分以前もめた議場の再来となるだろう。
まあ、とりあえずは予想通りの反応といったところだろう。
「兄さん、やっぱり気になりますか?」
俺だけでなく、鈴音にもそういう視線は向けられているのだろうが、それよりも俺を心配して気にかけてくれる辺り、本当に良くできた妹である。
「まあ、予想通りといったところだな」
と、何事もないように答える俺に、
「だから、強がるな神楽」
と、彩華がすかさずツッコミを入れる。
「そりゃ強がれるぞ。俺の背中には、彩華や鈴音がついてくれてるからな。頼りにしているぞ」
と少々冗談めいて俺が返すと、ふっ、と鼻で笑いながら、頬を薄赤く染める彩華と鈴音。
「馬鹿……当たり前です……」
「何を……当たり前だ……」
「「……好きな人を助けるのは……」」
何を言ったか見当はつくが、最後まではっきり言おうよ二人とも。まあ、そんなところも二人の可愛いところであって、俺の恋心を悩ますのだが――なんちゃってね。
「兄さん……」
「神楽……」
「「そういう事は、最後まで真面目に考えなさい!」」
はい? 何故わかった? 帝なみの読心術か? それとも女の勘か?
「ま、まあ、何だ、席が空いているうちに、さっさと食べよう」
ごまかしに入る俺に、ジト目の鈴音と彩華、
「そ、その……混んでくると、何かと火種が増えるからね……はは」
愛想笑いをしながら、朝食を受け取る俺。
「おお、この焼き魚が美味そうだ……へへ」
そんなこんなで、相変わらず微妙に荒れる俺達は朝食を終え、『後で迎えにいきます』と鈴音が言葉を残し、一度それぞれの自室に戻った。
自室に戻って、本日必要になりそうな書類などを準備していると、五分もしないうちに扉を叩く音がする。多分鈴音だろう。
どうぞ、と俺が言うと、扉を開けた向こうには、やはり鈴音の姿があった。
「お待たせしました」
「いや、待っている時間も無かったぞ」
「だって、早く兄さんと二人になりたかったもん」
頬を薄らと桜色に染めた鈴音が大きな目で俺を見つめながら言う。
「あ、ああ、そうか」
面と向かって鈴音に言われて、何とも言えない照れが先行する俺であった。
『神楽様にも、先ほどまでの鈴音様の落ち着きの無さを、見て頂きたかったですわ。
お部屋で、何をする訳でもなく、あっちこっちとウロウロとする姿は、まさに恋に焦がれる乙女そのものでしたデズバ……イダイデス、ゴメンナザイデス』
鈴音の隣で、白と桃色の入り交じったフワフワフリルの塊――いや、銀界鬼姫が相変わらず、一言余分に言葉して、鈴音の鉄拳を脳天に食らう。
『全く鬼姫ちゃんは、どうしていつも一言多いのかしら』
嘆息まじりに鈴音が言う。
『わぉ、神楽君、鈴音ちゃん、朝から仲の良い事でぇ、熱いよぉこのぉ』
控えめな藤柄を銀糸で刺繍された黒地の振袖を着た黒鬼闇姫が言う。
『あの闇姫さん、いつの時代の冷やかし言葉ですかそれ』
とツッコミを返す俺に、
『神楽君、それぇ照れ隠しなのぉ』
と訳のわからん事をいう闇姫。
鈴音のように、鉄拳一撃で『お人形』を黙らせる事が出来ない俺は、こうして鈴音にしか聞こえない漫才を毎度の事ながら繰り返す。
「ところで兄さん、今日これからはどうします」
本当の意味で二人きりになれない鈴音が諦め半分の口調で言う。
「そうだな、本来なら大石原総長に挨拶しておきたかったんだが……昨日は到着が遅れた上に、社守軍師に引っ張っていかれて――」
と言ったところで、鈴音が『必殺のポーズ』を決める。
「うぅぅぅ、ごめんなさい兄さん……」
「だから、そうじゃなくてだな――」
ここに彩華がいない事が幸いだった。
「――とにかくだ、昨日の帝の話では俺達は、帝直轄の部隊になった訳だから、帝に御伺いをたてないとマズいかな。
という訳で、とりあえずは帝のところに行く事にしよう」
「はい、わかりました」
「ところで――やっぱり、いいや……」
俺は、姿を現さない彩華について尋ねようとしたが、『どうして今そんな事を訊くのですか』と、鈴音が不機嫌になると思って、言葉を止めた。多分、提出する書類を慌ててまとめているのだろう。
「何ですか? 彩華姉さんの事ですか? とにかく、途中で言葉を止めると、必要以上に気になります」
読まれたのか? それとも女の勘か? 鈴音は既に不機嫌であった。
「いや、そうじゃないぞ。
いつ見ても鈴音は、可愛いなと――」
と言いつつ、鈴音の頭に手をのせたその瞬間、バンという音がしたかのように、鈴音の顔が真っ赤に染まる――と、同時に『ドスッ』と鈍い音が俺を貫いた。更に全身を駆け巡る衝撃が襲いかかる。それは鈴音の正拳が俺の鳩尾を見事に貫いていた証であった。
「ぐげぇ」
と、うめき声を出してうずくまる俺に、
「ろくでもない言い訳をする兄さんに、制裁を加えました」
と、変に嬉しそうな鈴音の一言が、冷たく響いた——その表情、今のは照れ隠しの一撃でしたか。
ところで闇姫さん、こういうときこそ、対物理攻撃結界を発動してくれないとですね、身が持ちません。って、闇姫さん、話を聞いてますか?
と、心で叫ぶ俺には構わず、闇姫は目を輝かせて鈴音を見つめながら、
『わぉ、鈴音ちゃん、かっくいいよぉ。
今度、黒にも教えてよぉ』
などと、訳のわからん事をほざいている。
で……約五分、ようやく立ち直った俺が言う。
「さて……げぷ……失礼、帝のところに行きますか」
俺達は部屋を出て、『本殿』の帝の執務室に向かう。
いろいろと開かれている、神国天ノ原であるが、さすがに自由気ままに帝の執務室には入室する事は出来ない。執務室に続く少々長い廊下で、一度近衛兵のチェックを受ける。もっとも今後は帝直轄の部隊になるので、これが最後のチェックかもしれない。
少々早い事もあって、近衛兵に帝が在室しているかを尋ねると、『先ほど見えた』ということだった。
と、ここで何かと忙しい帝にアポ無しで会う事が出来るのだろうか。という基本的な問題を後回しにしてしまった俺達だった。が、ここまで来た以上、後には退けないと、変な決意のもと、他の部屋の扉より重厚な造りの扉を叩いた。
コンコン
「はい、どうぞ」
と、聞き覚えのある声の返事が返ってきた。
声に従い、重厚な扉を開ける。思った以上に軽く、音も無く開いた扉の先に、社守軍師が立っていた。
って、社守軍師は軍師であって秘書官では無いでしょう。というツッコミは、公然の秘密である帝と社守軍師の関係が打ち消す。
「あら、神楽ちゃん……うふふ……昨晩はさっさと帰っちゃって……ふふ……お持ち帰りできなかったじゃない……ふふふ……」
って、いきなり裏人格だし、あれって冗談だったんでしょう。
「まあ、何かとありましたので……
ところで、帝は奥ですか?」
と、俺が言うと同時に奥の扉が開いて、帝が出てきた。
「おっ、神楽かちょうど良かった。鈴音も一緒にこっちに入れよ」
「「は、はい」」
何故か焦りながら俺と鈴音は揃って返事をして、帝の手招きのまま奥の部屋に入った。
俺達に続いて最後に社守軍師が部屋に入ると、扉を閉めた。
「えっと、昨晩は、ありがとうございました」
先ずは礼を述べた。
「久しぶりに良い酒が飲めたよ。
まあ、俺の直轄になった訳だから、今後も何かと機会があるな」
改めて、酒の席での冗談ではない事を認識する。
「それで、大石原総長達に挨拶をしたいと思いまして、お時間を頂きたいのですが——なにぶん、昨日からばたばたとして、まだ顔を合わせておりませんので」
「それは構わないよ。この後時間はあるからな」
「ありがとうございます。
で、この後は何を——」
と言ったところで、社守軍師が言葉を挟む。
「取り急ぎというものはありません。
この三ヶ月の間に溜まった仕事を片付けて下さい。
ただし、あの『ナイグラ機関』を解体しましたが、未だに不穏な動きがあります。また軍を離脱した二人の行方も依然として不明です。
直ぐにという訳ではないですが、当面はこの二点の解決に向けて、動いて頂く事になります。
沙汰は、まとまりしだい連絡いたします。
というわけで……うふふ……当分はお・ひ・ま・よ……ふふふ」
えっと、最後に変わりましたか。
まあ、当面はお言葉通り書類などを片付けます。鈴音さん、期待していますよ。
「神楽、鈴音、はっきり言っておく。
俺はお前達をかばった訳だ。今回の直轄という措置はその結果である。断るという選択もあるが、もし断るなら二人ともが無期禁固となる。
もっとも、お前達がその気になれば、抜け出す事は、簡単な事なんだがね——」
まるで俺達に覚悟を決めさせるように、一度話を切って短く一息つくと、表情を一段と厳しくして帝は続ける。
「——直轄となったお前達は、軍から切り離された存在である。
更に今後の命は、全てが『勅命』である。
前回のような甘えは許されんぞ。
全てが俺、すなわち神国天ノ原の正義である事をしっかり刻んでおけ」
はい、と答える俺達に、帝の言葉は非常に重く、そして辛くのしかかった。
読み進めていただき、ありがとうございます。