上と下 2
「予定より二時間遅れか――途中いろいろとあったけど、思ったより早く着いたな。
しかし日が落ちると、冷え込みが一気に加速するな――おぉ寒!」
今は霜月も下旬秋の暮れ、晩秋というより初冬というべきだろうか。
首をすくめ身震いするそぶりをしながら、皮肉まじりに俺が言う。
時間は午後六時を過ぎたところ、日はとっくに暮れた黒の空には月の明かりもなく、首都の賑わいが無ければ、すっぽりと夜の闇に包まれている時間である。
「うぅぅ、ごめんなさい兄さん……」
俺のそんな皮肉をまともに受けて、鈴音は、そのけしからんふくらみの前で両の手の指を組み、上目遣いのうるうるとした大きな目で俺を見ながら、許しを願い出るそぶりをする――幾度となく俺の口を封じてきた『必殺のポーズ』と、本能でわかってやっているのだろう。
「い、いや、気にするな。そう言う意味じゃないから」
毎度の事ながらだが、この反応に少々焦り、逆に言い訳じみた事を言う俺であった。
「本当、鈴音に甘いな神楽。それともそのポーズか? それに騙されているのか?」
と、挑発的に言う彩華が、思いもよらない攻勢に出た。
「――しかし、私にも非はあるな。どれ――」
彩華は鈴音を真似て、適度な大きさの形が良いふくらみの前で両の手の指を組み、切れ長の目を上目遣いにうるうるさせ、トーンを高くした甘え声で、
「ごめんなさい神楽……」
時が止まったかのように、視線を合わせたまま押し黙る彩華と呆気に取られる俺。
と、その時、『ピィー』とけたたましく鳴り響く警笛と共に、耳から蒸気が噴き出した彩華を俺は見た――かなり無理をしていたようだ。
火が噴き出したように真っ赤に染まった顔をうつむけた彩華。そんな彼女の美しく艶やかな黒髪を優しく撫でて、
「うん、許す」
と、告げた。ちなみに俺は、彩華から髪に触れる事を許可されているので、お咎めは無い。
「兄さん、ずるい! 彩華姉さんだけ撫でて、ずるい! ずるいで・ス!」
アリエラがいる――いや、それを見た鈴音がすかさず口を挟んできた。
とりあえず、この場を納めるには、平等に同じことをするしかないようだ――なにはともあれ、人類皆平等の精神である。
「ああ、わかった、わかった」
と鈴音を手招きした俺は、近寄ってきて頭を差し出す彼女の栗色の髪を優しく撫でた――美しく艶やかなという、形容も平等に入れておきます。
とりあえず、刑期を終えると同時に、将官の階級も返還された俺は、戻るべき場所に戻ってきた。
ここは神国天ノ原の首都『本都』、そこでもとりわけの要所『本殿』である。政治、軍務にかかわる様々な施設が集まっている。帝の住まう皇宮や俺達の宿舎も敷地内にある。
正面の御門は既に閉じられている。俺達は、衛兵の簡単なチェックを受けた後、脇の通用門から敷地内に入った。
先ず俺達は帝に謁見する前に、身なりを整えるため、自室のある宿舎に向かう。
と、宿舎の玄関前で一人の女性が、何かを待ち受けるように腕を組み、ピンと背筋を伸ばして立っている。
周りのランプに照らされて浮かび上がる艶姿は、社守静軍師だ。
少々派手な色合いの着物を微妙に着崩している。そのため、大きく開かれた襟元と、ひと束ねのシニヨンにまとめた琥珀色の髪とが相まって、自己主張するうなじが妙になまめかしい。
俺達に気付いた社守軍師は、こっちを見つめている。その気だるそうな目つきと表情は、まさに妖艶である。
そんな全てが混じり合う全身からは、大人の女性の色香が滲み出ている。
「神楽ちゃん……うふふ……おつとめご苦労様でした……ふふふ……帝がお待ちよ」
って、いきなり裏人格ですか?
社守軍師には、非常に真面目な表の人格と、非常に崩れた裏人格が同居しているようだ。その二つの人格が時や所を構わず、クルクルと裏表をひっくり返すように入れ替わるのが、困りもんである。
一応表の彼女に尋ねた事があるのだが、右脳の人格、左脳の人格と、なんだか訳のわからん答えが返ってきた。
「いや、荷物や身なりとか、とりあえず自室に戻ってから直ちに伺いますよ」
「そんなのいらないわよ……ふふ……荷物もこの辺において……うふ……」
「で、でも――」
「鈴音ちゃんや彩華ちゃんの下着じゃあるまいし……ふふ……誰も男の下着なんて、誰も盗りゃしませんわ……うふふ……でも鈴音ちゃんや彩華ちゃんなら……ふふ……くんかくんか……はあ……ってね――」
「「そんな事はしません!!」」
照れ? 恥? それとも素直に怒り? と、はっきりしない微妙な表情で、鈴音と彩華が同時に叫ぶ――ってか、その表情、もしかして心当たりがあるのか?
「あらら、それはごめんなさいね……ふふふ……こういうのは神楽ちゃんに任せないと……くんかくんかとか、被っちゃうとか……うふふ……」
「えっと、社守軍師――俺もしません。例え思っても、実行はしません」
と、冷静に言った俺は、鈴音と彩華のジト目視線に『はっ』とする――って、俺、なんかマズい事を言ったか?
「神楽、非常に残念だ……」
「常日頃そんな事を考えてたなんて、兄さん……」
「「……言ってくれればいくらでも……」」
何だかな――って、最後二人揃って何て言った? よく聞こえなかったのだが。
とにかく社守軍師、これ以上混乱を招かないで下さい。と言わんばかりの視線を送る。
「あっ、取り乱してすみません――」
って、表の人格になってるし。
「――私はここで待っています。荷物を置いたらすぐに降りてきなさい」
と、続けて命令口調で行動を促された俺達は、『承知しました』と直ぐさま実行に移した。さすが、天才軍師の一言である。
一分後、軽く息を切らした俺と鈴音、何事も無かったような涼しい顔の彩華が、玄関口で社守軍師と再び合流した。ちなみに黒鬼闇姫と銀界鬼姫は、社守軍師と一緒に玄関口で待っていたため、涼しい顔をしているのだが、空腹のためか、闇姫は幾分不機嫌な表情を浮かべていた。
そして俺達は、社守軍師の案内で、帝の待つ皇宮に向かった。
皇宮と言っても、帝は公務のほとんどを『本殿』庁舎で行うため、仰々しいものではなく、少々大きな木造平屋の屋敷といったものである。
正門から入って、手入れの行き届いた庭を通り抜けると、純白の白壁が美しい屋敷がある。つながる道先の玄関を入ると、十名ほどの侍女が出迎えてくれた。その侍女達の案内で通されたのは、『会席の間』であった。
ここは帝が私的に主催する会席の場である。部屋も二十畳ほどで思ったより広くない。中央の十人ほどがかけれる長方形の机も、周りの装飾も質素である。
帝はまだ見えてなかったが、俺達は侍女の案内のまま席につく。一番奥の上座は当然帝の席である。俺はその右側、俺の正面に彩華。俺の右には闇姫と鬼姫を挟んで鈴音。そして鈴音の正面に社守軍師が座る。
俺達が落ち着くのを見計らったように、奥から聞こえる声と共に、帝が現れる。
「待たせたようだね。
でも、予定より待ったのは俺だけとね」
帝の入室に合わせて俺達は、一度起立する。
現在二六歳と国を預かる身としては、非常に若いと思われるのだが、はっきりとした物言いは、やはり一国の王である――もしかして皮肉だったのですか?
そんな帝を俺達は兄のように慕っている。戦災孤児の俺達は、『本殿』敷地内にある施設に引き取られそこで育てられた。そこで即位前の帝は毎日のように顔を出して、頼れる兄貴として、俺達の遊び相手をしてくれていたからだろう。
「うぅぅぅ、ごめんなさい帝兄様」
って、鈴音さん、いつ間に『必殺のポーズ』を決めているのですか?
「ごめんなさい帝兄殿」
てか、彩華さんはやめておきなさい! ボロが出るぞ。既に顔が赤いし……
「ごめんなさい……うふ……みかどさま……ふふふ」
わぉ! 社守軍師まで何故? でもそれは犯罪です! 詐欺罪です!!
「はは、楽しい余興だ」
(じゃあ、俺も――)
「神楽――お前はやるなよ。
もっとも三ヶ月、いや今度は六ヶ月かな、休暇が欲しければ構わんがね」
(うっ、読まれた――)
帝の家系が持つ能力、俗に言う『読心術』が発動していたようだ。
「か、勘弁して下さい」
「さて、今日は神楽の『出所祝い』だ。
とりあえず神楽、挨拶」
と指名された俺が口を開く。
「今日はありがとう――」
「まあ良いか。固い挨拶も無しだ、みんな座って楽にしてくれ」
と、話途中で帝にさえぎられる。
うぅぅ、俺の立場は――まあ、そんな大したものではないですが。
帝のその言葉で全員が着席すると、パンパンと帝が手を叩き合図を送る。それに合わせて侍女達が奥から食事を運んで来た。
魚介の天ぷら、お造り、焼き物に煮付け、青菜の和え物、根菜の煮物等々、次々と並ぶ料理に少々驚くが、それらは行き過ぎの豪華さとか、この上なく贅沢なというものではない――実りの時期を終えてしまったという事もあるが――おかげで気兼ねなく手をつける事ができる。
もっとも俺の口に入る普段の食事からすれば、かなり豪華で贅沢なのだが――たまにはこういうのも有りですね。
「さあ、遠慮せず、やってくれ――」
料理があらかた並んだところで、帝が開会の言葉代わりに言うと、続けて、
「――神楽の出所祝いだからな、先ずは一口いっとけ」
と、ぐい呑みを差し出してきた。
はい、と俺が受け取ると、帝自ら酒をついでくれた。
ちなみに、旧文明の時代には飲酒に年齢などの制限があったと知っているが、現在ではそういう制限は無い。自己管理のもとで、好きに飲むのは構わないと言う事である。が、『酔っていた為――』という事に関しては、非常に厳しい罰則が待ち受けている。
「ありがとうございます。
俺のためにわざわざこのような席を設けて頂き」
ぐい呑みの酒を一口で飲み干すと、俺は礼を言う。するとさらに酒をつぎながら帝が茶化すように言う。
「何ってる。昔から言うじゃないか、『出来の悪い奴ほど可愛い』ってな」
「はあ――『出来が悪い』というのは認めますが……何だか身もふたもないですね」
ぐい呑みを一旦おいて、帝にご返杯しながら、ぼそりと呟くと、すかさず鈴音のツッコミが入る。
「何を言ってるのですか兄さん。
私だって『出来の悪い』兄さんだから……好きなんです」
――どうした顔を赤くして、もう酒が回ったのか? ロレツが回ってないぞ、何を言ったのかわからん。
って、俺より酒が強い鈴音が、一口じゃ酔わんだろう。
「確かにそうですね、帝。
神楽の『出来の悪さ』は保証できます――」
と彩華はそこまで言うと、俺の方に視線を向けて、
「――まあ、それが良いというのか……手のかかる所が……好きなんだが」
――って、彩華、お前も顔が赤いぞ。酒を水の如く飲むお前が一口で酔ったのか?
それと、途中でうつむくな。何を言ってるのかわからんぞ。
「神楽ちゃん……うふふ……お姉さん『出来が悪い子』は好きよ……ふふ……頂いちゃおうかしら……ふふふ……今晩、お持ち帰りよ」
俺は目尻を下げながらも、頭を抱える。
――えっと、社守軍師、これ以上場を混乱させるような事を……でも、ちょっとだけ本気にしちゃいますよ……へへへ。
「兄さん――」
「神楽――」
「「おかしな事を考えない!!」」
毎度息ぴったりなツッコミありがとうございます。
とりあえず、『ごめんなさい』と謝っておく俺。
って、何故わかる――あっ、あれか、自分でもわかるくらい緩んだ顔をしていたからですね、はい。
「相変わらず、神楽はもてるな。羨ましい限りだ」
「あ、いや、帝、そんなんでは無いですよ」
「しかし何だ、お前達のような愉快な部下を直下に持つと、勝手に場を盛り上げてくれるから助かるよ」
「えっと――その言葉は、良い意味としてとって構いませんよね」
「当然だぞ。『手間のかかる出来の悪い部下』なんて、ちっとも思っていないからな」
「……御意に」
宴もこんな感じに、帝が俺にツッコミを入れる。俺が答える。
鈴音に彩華が俺にツッコミを入れる。俺が答える。
社守軍師が俺にツッコミを入れる。俺が答える。
って、俺はいじられてばっかなのか? と思っても、こういう集まりでは、人それぞれ役どころが決まっている――と、これは仕方ない事と、俺自身に言い聞かせ納得する。
そんなで宴が始まって約三時間。俺がいじられ役に徹した事もあって、少人数ながらも盛り上がった。とは言っても、ぼちぼちとネタも尽きてきた。
「さて、この辺りでお開きにするか」
それを見計らったような帝の言葉であった。
気の合う仲間と良い酒を飲み、ほろ酔い気分は名残惜しいが、明日より溜まった軍務が待ち受けている。復帰そうそう遅刻とかはマズい。
「いろいろとご迷惑をかけてすみませんでした。
それと、今日は本当にありがとうございました」
今一度、謝罪とお礼を述べた。
「「ごちそうさまでした」」
と鈴音と彩華が口を揃える。
「あら、気になさらなくて宜しいですわよ、これからは同じ立場ですから」
と、何故か社守軍師が返事をする。
ん? 何だか怪しい事を言ったような気がしたが。
「どうした神楽、怪訝そうな顔をして」
「あっ、いや、別に……」
「ん? もしかして静から何も聞いていないのか?」
「はい?」
「あら、私、今申しましたわよ、『同じ立場』と」
「はい?」
「そう言えば俺もさっき、『直下の部下』って言ったよな。
と、いうわけで、明日よりお前達の部隊名が変わるよ」
「へっ?」
「俺の直下、つまり帝直轄魔戦部隊と。
しっかり俺の命をこなしてくれよ、天鳥神楽筆頭魔術師殿、それから天鳥鈴音魔術師殿」
「「はい? …………何ですと!!」」
珍しく息ぴったりに叫ぶ俺と鈴音。
切れ長の目をパチクリと、口と共に大きく開いて呆気に取られる彩華。
最後に出された果物をラストスパートと言わんばかりに、食べまくる闇姫。
俺達が言われた言葉ではなく、闇姫の食欲に唖然とする鬼姫。
そんな俺達をにこやかに見つめる、天命ノ帝と社守静軍師。
晩秋、いや初冬の冷え込みが厳しくなってきたとある夜は、鏡の水面に一石を投じたように、静けさの中に波紋を広げ更けていった。
読み進めていただき、ありがとうございます。