上と下 1
「独立魔戦部隊、筆頭魔術師天鳥神楽に禁固三ヶ月、並びに階級の一時剥奪とする」
静まり返った議場に裁判官の声が冷たく響き渡った。
その様子の一部始終を傍聴席で見ていた鈴音は、その大きな目に一杯の涙を溜めながらも嗚咽をこらえる。
その日の神楽は、軍法会議において被告席に立ち、判決を聞いていた。
当然『サーベ』における、『勅命』の不履行についての裁判であった。
だが『勅命』の不履行といっても、敗戦した訳でなく、味方の損害は皆無である。その上、反抗組織『ナイグラ機関』を解体したのだ。
言えば、手段はどうあれ目的は達成した訳だ。
が、『一万の軍勢を殲滅せよ』という命令を実行出来なかったため、厳しい判決となった。
それほどまでに『勅命』は重いという事である。
ただ、神楽も知らない作戦の結果『十年の歳月をかけ、バルドア帝国から引き込んだ魔法使い』、その二人が神国軍から離脱したという事も、この刑には含まれているのだろう。
「不服があれば、直ちに申し立てよ」
裁判官が、機械的に神楽に伝える。
神楽は十を十全て納得した訳ではないが、口を閉ざし沈黙したままである。
これは心情的に仕方なく起こした殺人事件の裁判ではない。
関係者全ての目の前でおきた事実のみを取り上げた裁判である。そこにどんな心理が働いたのかは関係ない。つまり駆け引きは一切受け付けない。
今回は、『勅命』の不履行という事実を認めるか認めないかだけである。神楽の沈黙はその事実を認める、いや、それ以外の事実は存在していないため、不服を申し立てる事すら出来ない訳である。
したがって裁判官の言葉は、形式上言っているだけであり、唯一の不服申し立ての機会も同時に終わる。
「沈黙は全てを認め、刑の確定を承諾したものとする。以降、この案件に関しての申し立てを一切無効とする」
ここは軍である。一個人の心情で『命令の不履行』は許されない行為である。
俺の目の前にあるのは、獄中と娑婆を隔てる重厚な門であった。それは予想に反して物音一つたてずに開いた。眼前には、まばゆい光に包まれた娑婆と獄中をつなげる唯一の通路が現れる。
俺は一歩一歩ゆっくりと、光の満ちあふれた通路を踏みしめ、足を進める。
「兄さん、おつとめご苦労様でした」
一歩外に出たところで、鈴音が大きな声と共に、胸のけしからんふくらみを揺らして駆け寄って来る――しばらくそういうものと縁がなかったので、目のやり場に困る俺。
が、以前しでかした失敗を学習しているためか、俺の前で一度止まってから抱きついてきた――うん、良く出来ました。
と、思いつつ、久しぶりで少々刺激が強いのだが、その押し付けられた柔らかな感触を、ついつい堪能する。
その後から艶やかな黒髪をなびかせながら彩華、更にその後ろをちょこまかと『魔界コンビ』の黒鬼闇姫そして銀界鬼姫が追いついて来た。
「男前になったな、神楽」
――元々ですよ、彩華さん。と心の中で返す。
『わぉ、神楽君、ひっさしぶりぃ~』
『神楽様、お元気でなによりでございましたですわ。これで私も、不機嫌な鈴音様から解放……はっ!』
『鬼姫ちゃん――まあ、今日は気分が良いから救われたわね』
「みんな、心配かけてごめんな」
俺は出迎えてくれたみんなに深く頭を下げた。
あの軍法会議から三ヶ月が経ち、俺は軍事刑務所からようやく解放された。
この件に関しては、俺なりにいろいろと思う事があったのだが、どうあれ『勅命』の不履行という事実に間違いなく、大人しく罰を受けた。
もっとも罰を受けたのが、俺だけだったというのもある。万が一、鈴音にまで及んでいたら――荒れたかもしれない。
「兄さん、『出所したら祝ってやるから顔を出すように』と、帝から言葉を預かりました」
「ああ、わかった。『本都』に戻ったら早速顔を出そう。
今からなら、夕方には戻れそうだな」
この軍事刑務所は、首都『本都』から徒歩で半日少々、約三十キロの人里離れた山間にある。
旧文明の技術が失われて久しいが、未だに標準の移動手段は徒歩である。
俺は足の遅い闇姫と鬼姫を肩にのせ、そして山間の地道を『本都』に向けて歩き出した。
「ところで、あの二人の行方で何かわかった事は?」
俺は収監されている間、いやそれ以前『サーベ』で別れて以来、気になっているヘリオ・ブレイズとアリエラ・エディアスの行方について、わかった事がないかと尋ねた。
彼ら自身、自らの正義に従って行動した結果、軍からの離脱となり、現在は脱走兵扱いで指名手配となっている。とは言っても、彼らを追いつめたとしても、逮捕できるのは、ここにいる俺達だけであろう。
「残念ながら、何も情報はありません。
兄さんの代理で出席していた軍務会議においても、何の報告もないです。
諜報部にも尋ねましたが――」
眉尻を下げ、申し訳なさそうな表情を浮かべた鈴音であった。
「仕方ない事だよ。それに、あそこが情報を流す事は、絶対に無いからね。
で、彩華の方はどうなんだ」
「残念ながらだ。
警察軍でも色々な情報をもとに動いているが、実際のところ、さっぱりだ」
彩華は普段と変わらぬ表情で淡々と語った。
「仕方ない事だな。
もっとも、白輝明姫の得意とする召還魔法や、金剛輝姫の得意とする空間に作用する魔法を使われたら、一般の兵では例え目の前にいても、探し出せないだろうな」
俺の言葉尻……いや見解について、彩華は一言二言もの言いたげであったが、実際に二人の足取りどころか、存在の形跡すらつかめていない以上、反論は出来ないようだった。
と、偉そうにものを言う俺であったが、二人を探し出す自信はなかった――それなりに近づけば、闇姫が感知してくれるのだが……当然向こうも気が付く訳です。で、突然結界を破って現れた、あの『サーベ』での時のように、今度は逆に消え去るという事になる。
ちなみに『サーベ』での時、自身に魔法を使うという禁忌をおかしてまで、空間転移をしてきたと俺は思っていた。しかし収監中、冷静に考えた結果、明姫の呼び出した『生物?』に、ヘリオと輝姫が一度取り込まれ、その『生物?』に空間転移の魔法をかけたようである――まあ、灰色というのか、反則すれすれの行為であろう。
あの二人が揃っているれば、ある程度自由に空間転移が行える訳であり、それを使われると、俺や鈴音でも追いかけようがない。
と、こんなように収監中は、本当に色々と見つめ直す事が出来た――と、思う。
日がな一日、反省房で一人正座をして、沈黙という名の友達と一緒に、畳の目を数えて過ごしていた訳である。何かを考えていないと、精神的にかなり危ない状態になりそうであった。
例えば『お人形』達の事。
例えば軍事刑務所を出た後の事。
例えば今までこなしてきた作戦の事。
例えばあのわがままだった二人の部下の事。
例えば彩華の美しい体に鈴音の迫力ある体の事――はい、こんなところに閉じ込められた男なら、間違いなく色めいた事を考えちゃいます……はずです。
って、何故このタイミングでこっちを向くのかな、彩華さん、鈴音さん。
「兄さん……残念です」
「神楽……残念だ」
――へっ? なぜわかる?
ってか、お前達の素敵な体の事だぞ。男として当然の事であって、決して残念じゃないぞ。
「「おかしな事を考えない!」」
――ご、ごめんなさい。
さすが、姉妹級。二人揃っての息ぴったりなご意見ありがとうございました。
「神楽、勘違いしてるようだな」
「そうです。私達は、あの二人を探し出せない事について言ったのですよ」
「はあ、そうですか」
と怪しくとぼける俺。
「決して、神楽の心を読んだ訳では無いぞ――それは今晩楽しみにしておけ」
「とにかく帰ったら、お祝いですね、兄さん――今晩楽しみにしていて下さいね」
――えっと、二人とも、最後何て言った?
よく聞こえない言葉はさておき、とりあえず『心を読まれた訳でなく、帰ったらお祝いしましょう』と言う訳ですね。ありがたく受け取っておきます。
足を進め最初の集落に到着した俺達は、昼時という事もあり、昼食と休憩をとる事にした。
だが俺は、良い意味でも悪い意味でも有名人という事を、改めて実感する。
昼時という事もあり、何件か食堂が並ぶここは人が多く、それが災いした。
魔法使いなどという、ただでさえ目立つ存在である俺が、帝の命を無視して捕まったと、微妙に形を変えて伝聞されている事に原因があると思うのだが――やはり民衆の視線が気になる。
それは結果はどうあれ、一万の民衆をいとも簡単に苦しめる程の強大な力を持つ者が、例え建前でも、国の最高権限者である天命ノ帝の命を無視して、独断で動いたという事実。つまり制御できる者がいない俺達のその力が、自分たちに向けられるかもしれないという、恐怖がそうさせるのであろう。
もっとも『勅命』を実行していたとしても、今と大差のない結果となっていたと思う。
何とも言えない視線の中、そんな事を思いめぐらす。
――重いな……
「兄さん――やっぱり気になりますか?」
そんな鈴音の一言は、全てを見透かしているようだった。
「まあ、気にならないなんて言うと嘘になる程度だな」
「神楽――強がるな」
彩華の一言は、重く響いた。
「そうですよ兄さん、私が付いています」
大きな目で俺をしっかりと見つめる鈴音が言う。
「何かあっても、私が守ってやる……からな」
負けじと、反対側から彩華が照れくさそうに言う。
二人の女性に守られる、何とも嬉しいような、情けないような、複雑な心境な俺だが、ここは一言『ありがとう』と言った。
同じ立場の魔法使いである鈴音も、俺と同じ視線を感じていると思う。でも、俺よりずっと強い。
そういえばヘリオやアリエラもこんな視線に晒されていたんだろう。ヘタレなヘリオに比べて、やっぱりアリエラは強かったよな。
ふと、鈴音の言葉を思い出す。
――私は女で、兄さんなんか足下にも及ばないぐらい、図太い神経を持っているので・ス!――
鈴音が『サーベ』で言った言葉通りだ。
もし俺一人だったら、この視線の中を歩く事ができただろうか。
――私がいつでもそばにいて、兄さんを守ってあげないと、兄さんが駄目になってしまいま・ス!――
こうなる事を予想していたかの言葉に、脱帽すると共に、強く優しい女性に囲まれた俺は、幸せ者だと実感する。
と、感慨にひたる俺の耳に、鈴音と彩華の声が入ってきた。
「――何でもかんでもバッサリやり過ぎです! 彩華姉さん」
「――その力こそ使うに大きすぎるぞ、鈴音!」
何だか悪い予感しかしない俺。
「ですから昼夜問わず、兄さんを守るのは、同じ部隊の私の役目です!」
「ふん、主に夜であろう、なに色ぼけした事を申す。
あれか、その大きなモノは、頭の養分をまわして育ったのか?」
――こら彩華、挑発するな!
「何ですって!
彩華姉さんこそ、そのささやかな部分に栄養をまわした方が良いのでは?」
――こら鈴音、挑発に乗るな!
て言うか、鈴音から見ればほとんどがささやかになっちゃいますよ。ちなみに彩華は、標準以上ですよ。むしろ、非常に洗練された美しいものですよ。まあ迫力的には鈴音に負けてますがね。
――で、何故二人して俺を見る。
って、強い女性の間に挟まれて焦る俺。
突然、吹きすさぶ冬の冷たい北風が、ぴたりと吹き止む。
「なんと申した!」
彩華は呼び出した刀の柄に手をかける。鞘からハバキを外したわずかな隙間から、ちらりと見える薄墨の輝きが、触れるものは許さぬと警告を発し、出番遅しと待ち構える。
「鬼姫ちゃん!」
鈴音に呼ばれた鬼姫が、俺の肩から飛び降り、鈴音の前に立つ。その手には、細身で薄い造りの大太刀が握られている。やや赤み帯びた白銀の輝きは血に飢えた竜牙、今まさに主の命を待つ。
俺達を取り囲む空気が怪しく揺らめき、鋭利な刃物が所構わず飛び交うような危ない気を放つ。
だが、間違ってはいけない。ここは俺達が昼食をとるために、たまたま立ち寄った集落の本通である。
決して戦場ではない。
「二人ともいい加減にしなさい!」
刹那、彩華の柄が、鬼姫の視線が俺の方を向く。
「神楽が――」
「兄さんが――」
「「全て悪い!!」」
「ご、ごめんなさい」
どうしてこうなった! という事はさておき、息ぴったりの毎度のオチに何故か『ほっ』と胸を撫で下ろす。
「そうじゃなくて、皆さんが怖がっているぞ」
「そ、それは兄さんが……」
「そ、そうだ、神楽が……」
と、少々情けなく語る強い女性二人に、俺は嘆息し、
「……とにかく二人とも謝罪しなさい!」
と、一言叱るように言う。
ただでさえ、俺を見る目が怪しくなっている上に、この騒ぎである。
俺に言われた彩華と鈴音が謝罪しようと、周りの民衆へ目を向ける。しかし何を勘違いしたのか、蜘蛛の子を散らすように人々は消え去った。
それを引き止めようと情けなく差し出す手は民衆に届かず、『私達、本当は優しいのですよ』と言いたげな口はパクパクするだけで声は聞こえず、先ほどまでの闘気はどこへやら、あたふたとする鈴音に彩華。それを見ていた俺は更なる不幸に気が付く。
いつの間にか辺りの食堂全部が『本日閉店』の看板に切り替わってるし、昼飯どうするんだ。
この集落で昼食を取り損ねた、本当は優しいが、たまたま残念だった俺達は、非常に遠巻きに、『お願いですからこれ以上騒ぎは勘弁して下さい』と、言っている民衆達の冷たい視線を追い風代わりに背に受けて、順風満帆、仕方なく次の集落に向かって足を進める事になった。
読み進めていただき、ありがとうございます。
とりあえず、第四部のスタートとなります。
結局本筋の見直しが……
登場人物の雰囲気が今までと? と思うかもしれませんが、手直しを加えた第一部を基にしております。