狗と呼ばれて 21
「兄さん、待って下さい」
正面に『トゥインクルモール』を見据え、足を進めていた俺の耳に、鈴音の声が届く。
その声に俺が足を止めて振り向くと、視界に鈴音が駆け寄ってくる姿が映る。
一人で現場に戻る俺を心配して、追ってきたのだろうか。それとも、惚け状態のヘリオやアリエラと一緒に、置いてきぼりを食って焦ったのか。
いずれにしても理由は、鈴音本人に聞かないとわからない。とにかく、慌てていたようで、足の遅い鬼姫を抱きかかえて走ってきた鈴音は、肩を大きく上下に揺らしている。
『ハアハア……に、兄さん……ハアハア……どうして一人で……フウ……ひ、ひどい……』
『そうですわ神楽様、鈴音様は泣きそうになっていましたですわ。
愛されたい人からの、置いてきぼりは……ゴタエマズ……ゴメンナサイデス』
鬼姫がいつも通りに一言多い解説を付け加えようとする。
が、鈴音はそれをさえぎるように、抱きかかえている鬼姫の頭上へ、容赦のない鉄拳を鈍い音と共に落していた。
『おぉぉ、久しぶりの鉄拳だよぉ。「ゴキ」って、黒にも聞こえたよぉ、いったそぉ~』
と、自分の頭を両の手で抑える闇姫だった――痛みが伝染したようだ。
『ハアハア……あ、相変わらず……フウ……鬼姫ちゃんは……』
『鈴音、とにかく深呼吸でもして、息が整うまで待つから、焦るなよ』
『ハアハア……はあはい……』
どれが返事で、どれが息切れなのかわからない鈴音であった。
俺に言われたように深呼吸をすること、約三十秒、荒れていた息が落ち着いた鈴音は、話を始める。
『どうして、私を置いていくのですか?』
『こんな命は、聞くだけも辛いだろう』
『辛いです。でも兄さんに置いていかれる事の方が、もっと辛いです』
鈴音の事を知っている俺は、予想通りの返答に、「やっぱりそうなるか」と溜め息まじりに話を続ける。
『……だがな鈴音、この一件は俺一人で充分出来る事だ。だから、俺一人が全てを負えばいい。
そもそもこの「勅命」には誰がとは、うたわれていない』
俺は嘘をついた。
だが鈴音は、この程度の嘘は見透かしている。
『だから兄さんは馬鹿なんです。
じゃあ、そんな「勅命」はその辺りの人にでもお願いして、私達は帰りましょう』
『う……』
『出来ないですよね。
そこには「独立魔戦部隊は」と書かれているはずです』
ドヤ顔の鈴音に完敗である。が、食い下がる。
『しかしな――』
『た・し・か・に・兄さん一人でも、間違いなくこの命は実行できます――が、その後に待ち受ける事態は、間違いなく兄さん一人では、乗り越えれません』
『へ……?』
俺の反撃をさえぎり、ばっさり斬られる。はっきりと言われて「何故?」と思うよりも、「そうなのか」と、妙に感心してしまう。
しかしこのときの俺は、首を少し傾げ片眉を上げた、納得しかねるという表情をしていた。「感心する」と「納得する」は違うのである。
更に、鈴音が話を続ける。
『だって、兄さんは男ですから』
『はい……? まあ確かに……その証拠は、鈴音も見た事あるだろう』
更に、訳がわからなくなってきた。
そんな俺の、さらりと言った一言に、何を思い出したのか、鈴音の頬が少し赤く色付く。
『それは……えっと、何と比較して良いのか……でも……他と比較のするための情報を、私は持っていませんし……しっかりと拝見させて頂いたのは、そちらの一本だけですし……何と言いますか、多分、あれでも、それなりに、ご立派なものと、思う? かな、一応……とりあえず、私も実感がありましたし……決して粗末なものでは……
って、もう、そんな話じゃありません!』
あの鈴音さん、落ち着いて下さいね――てか、『そちらの一本』とか、指をささないで下さいよ。それに『多分』とか、『それなり』とか、とにかく解説はいりませんし、微妙に傷つく『あれでも』とか、疑問形とか、一応とか……まあ、確かに自慢するようなものでもないですけど、改めて言われると、少々こたえます。
そこは一言『見た』でいいかと……
とりあえず、おかしな話になった事は、謝っておきます――粗末なもので……
『し、失礼しました……』
『ですから私が言いたいのは、私は女で、兄さんなんか足下にも及ばないぐらい、図太い神経を持っているので・ス!
だから、そんな私がいつでもそばにいて、兄さんを守ってあげないと、兄さんが駄目になってしまいま・ス!』
――アリエラがいる。
開き直ったようにも聞こえる、鈴音の抽象的な言葉だったが、その大きな目は、真剣そのものの眼差しで俺を見ていた。
『あ、ありがとう。そ、それじゃ頼むよ』
思わず、その迫力に圧倒されて、納得してしまった――はい、完全に制圧されました。
『当然です。それが私の「契約の主旨」ですから。
鬼姫ちゃん、兄さんと共に行くわよ』
『わかっていますですわ、鈴音様。
愛の力はイダイデス……』
話途中で鬼姫が、怪しい言葉遣いと共に、体をびくつかせ黙る。
鉄拳制裁は当然として、更に鈴音は、ギロリとその大きな目を吊り上げ、饒舌な鬼姫を睨みつけていた。もともと強力な目力を持っているためか、見ていた俺もつい恐怖を覚えた。
『全く鬼姫ちゃんは……』
ぶつぶつと鬼姫をたしなめるている鈴音の行動は、魔法使いとして鬼姫と契約した時の、『俺とともに歩み、そして守る』という主旨に、従っているようだ――多少意味合いが違うところはありそうだが。
はっきりと意思表示をした鈴音の同行を、これ以上拒む事は出来ないし、そうする理由も無い。
『じゃあ鈴音、行こうか』
『はい』
俺と鈴音は、並んで正面に見据えた『トゥインクルモール』へ、足を進めた。
「神楽筆頭、お話はまとまりましたか?」
俺達が司令部に近づくと、ブラドリー係官がいち早く近寄ってきた。
「まあ、とりあえずは……」
と、俺達が司令部に入ると、待っていたとばかりに、仁科司令が話に交わる。
「えっとヘリオさんとアリエラさんは、どうされました?」
姿が見えない二人を気になったのか、仁科司令が尋ねるのは、当然の流れである。
「あ、まあ、いわゆる作戦上の秘密というのか……」
非常に歯切れの悪い話方をしていると、俺自身でも気が付く。それを隠すように俺は話を続ける。
「まあ、とにかくです、俺達は先ほど『本都』より指示を賜りましたので、それを実行いたします」
「神楽筆頭、それはどのような事ですか? 私達で協力できる事はございますでしょうか」
と仁科司令のこの質問も、道理である。
「内容は……今は語るべき事ではありません。それと、皆さんは『本都』からの指示を遵守して下さい。各部徹底をお願いします」
「はい――ですが、それで本当によろしいのですね」
「仁科司令、ご心配をかけます。でもそれには及びません。俺達は大丈夫です」
「承知いたしました」
「そうそう、言い忘れていました。仁科司令、申し訳ないが、包囲線を百メートル程下げてもらいたいのです」
「それは構いませんが」
「万が一の時、兵士の方々が魔法の巻き沿いに、ならないようにするためです」
「では、そう言う事態もあるという事でしょうか」
「当然、否定は出来ません」
「はあ……辛い戦闘になりますね」
仁科司令は一つ溜め息を吐き、ごつい顔を歪めた。
俺は冷静を装い、淡々と話を進めた。
「それと、最初に彼らを外に出さないための結界を張ります。
そのための場所の確保も含んでの事です」
「わかりました。それで後退の開始はいかがしましょう」
「俺達は、当面俺と鈴音の二人ですから何とでもなります。ですから警察軍の都合で決めて下さい」
「では、今より約三十分後の、正午に開始いたします」
「承知しました。それまで俺達はここで待機しています。よろしくお願いします」
仁科司令は、すぐさま信号士に命を伝えた。
『兄さん……ヘリオさんやアリエラちゃんは、戻ってくるかしら』
『多分、駄目だろう。
でも、その方が良いと思うよ。その後の苦しみを知る二人に、これ以上は背負わせたくないしね』
静かなひと時が終わり、『トゥインクルモール』に、時間が来た。
一斉に警察軍の後退が始まり、徐々に包囲線を下げていく。
静まり返った現場に軍靴の足音だけが響く。
その響きは、徐々に小さくなり、そして、あるところで完全に消える。
後退が終了し、辺りは静けさを取りもどす。
俺と鈴音は司令部があった場所『トゥインクルモール』正面入り口前に、ポツリと残された。
『兄さん、始まりますね』
『ああ、そうだな』
『鬼姫ちゃん、行けるかしら』
『はい鈴音様、お任せいたします』
『闇姫、始めるよ』
『りょおかいだよぉ、神楽君、まっかせたよぉ』
俺と鈴音はそれぞれの『お人形』に『命の糸』をつないだ。
『さて、奴らも俺達も地獄への第一歩の始まりだな。
いつも通りに、いくよ』
『そうですね。
では、私は結界を張ります』
『今回は、結界内の音が外にもれず、内にいる者全てに、俺の声が届くようにしたい。
できれば、少々混乱を招くような、精神的な圧迫効果も欲しいが、どうだ?』
『鬼姫ちゃん、出来ますか?』
『はい、鈴音様。こちらならば神楽様も、納得して頂けますわ』
鬼姫は、身の丈の倍以上ある大太刀を、その手に取り出していた。
刀身はその丈に似合わず、細身で薄い。しかし決して弱さは感じない。むしろ曇り一つない、やや赤みを帯びた白銀の輝きが、触れるもの全てを、切り裂く鋭さを感じさせる。
「赤き月に染められし
赤き夜
彼の地より訪れし者は
夜魔の王」
『赤翼の絶界』
鈴音が「印の舞」と詠唱を終えると、大上段に大太刀を構えていた鬼姫が一閃、『トゥインクルモール』上空に向けて振り抜く。
一筋の斬撃が緋色の帯を引いて、飛んでいく。
それは、とある何も無い空間――俗に言う空――に吸い込まれるように斬撃が消えた。
ほんのわずかの間を置き、とある何も無い空間から猩々緋の光が、一筋、二筋ともれ出す。
やがて光は一つになって、とある何も無い空間は、鬼姫の放った斬撃によって、綺麗な切創のように開く。
その隙間から見えるは、異世界と呼ぶにふさわしい空間に、浮かぶ真っ赤な禍々しい満月。
その赤光に満たされた、猩々緋の異世界から、赤光が現世にあふれ出す。
それは『トゥインクルモール』一帯を照らし出して、猩々緋の世界へと塗り替えた。
そして赤光に覆われた空間は、外界とのつながりを断った。
こうして猩々緋の深い赤に染まる、『トゥインクルモール』一帯は、地獄絵にあるような異世界の様相を呈していた。
ただ、静まり返っている。
不気味な程、静まり返っている。
立てこもる民衆は、この程度の事は予想していたのか。それとも、あまりに現世とかけ離れてしまったこの一帯に、言葉を失ってしまったのかは、わからない。
よくも悪くも、神楽の期待は裏切られた訳である。
『兄さん、準備が出来ました』
鈴音は、作業の終了を淡々と告げた。
『うん、ありがとう。少々期待を裏切られたようだけど、まあ、こればっかりは仕方ないか。
とりあえず、俺の番だな』
そう言う俺も淡々とこたえ、いつものように口上を述べる。
「我は、神国天ノ原、独立魔戦部隊筆頭魔術師、天鳥神楽である。
貴様達は、民衆という立場にありながら、武器を手に取り、決起をしたわけだ。
これに対して我らは、『命を賭けでも神国と対峙する者共』と判断した。
そんな逆賊に対して異例ではあるが、その一万という規模から、そして他の民衆に与える影響から、神国天ノ原に対しての『宣戦布告』と、受け取った。
よって我ら独立魔戦部隊は、貴様達に対して、帝より預かり、持っている権限を施行する。
今後の我らの行動全てにおいて、我、天鳥神楽が、筆頭魔術師の名におき、その全責任を負う。よいか、行動の全てにおいてである。
一つ、ここに集う者共を『殲滅』する――以上」
俺は全ての責任を負うために、ここで一度言葉を終わらせ、鈴音に替わった。
「私は、神国天ノ原、独立魔戦部隊魔術師、天鳥鈴音です。
今、集まっている方の中には、戦意の無い方も大勢、いると思います。
私達は、鬼でも悪魔でもありません。
あなた達と同じ人です。
決して、あなた達を『殲滅』したいと、思っている訳ではありません。
できれば戦闘は避けたいのです。
今より十分だけ待ちます。
願わくは、全員が武器を捨てて出てきて下さい」
鈴音の話が終わると、立てこもった人々の、ざわめきが聞こえた。
しかしそれは、ざわめいたというだけであって、武器を捨てて『トゥインクルモール』から、人々が出てくるという事ではなかった。
やがて、俺達がわずかに希望を残していた、投降の相談をしていたのであろう、ざわめきも消えて、辺りは再び静寂に包まれた。
読み進めていただき、ありがとうございます。
はい、今回もやってしまいました。
いらない事を、だらだらと書いて……第三部の最終話の予定だったのですが……
何とか、次回にはまとめたいと……思うしだいでございます。