狗と呼ばれて 20
『兄さん、それで、どういう事ですか?』
『神楽兄さん、続けて下さ・イ』
『神楽さん、お願いします』
『神楽君、黒も聞きたいんだよぉ』
『神楽様、遠慮しないでほしいですわ』
『神楽ちゃん、お姉さんも気になるわね』
『神楽、早く話すのじゃ』
俺こと神楽先生は、涙目です。
うん、改めて聞いてみると、いろんな呼ばれかたで、慕ってくれてるんだと感激の涙――んな訳はない!
てか、いつの間にか『お人形』達も、話に加わっているぞ――噂話し好きの女子ですから、仕方のない事です。
『えっと……ですからね……』
今、噴き出しているいる嫌な汗は、夏の暑さだけが招いたものでない事は、確かである。
俗にいう『手に汗を握る』や、『脂汗をかく』とか、『冷や汗』などの精神性発汗が、発汗中の八割を占める。
おかしな圧力に負けて後退する俺に、にじり寄る七つの影と、何を期待しているのか、いや、既に事の本質を見失っている十四の視線が、嫌な汗の発汗を更に加速させる。
『あのですね皆さん……とりあえず落ち着いて下さいよ。
そ、そんなに迫られたら……』
誰とも視線を合わせられない俺の視線は、右へ左へと泳ぐ。
それにつられて体も泳ぐ。
あげく、怪しく汗をかいて、しどろもどろな言葉である――はい、『いつでも職質どうぞ』の、完璧な挙動不審人物が出来上がりました。
と、ここで左右に泳ぐ視線のために、焦点の定まらない視界だったのだが、奇跡的に映り込んだものに視線が止まる。そして、そこに焦点があうと、鮮明な映像に切り替わる。
『その時が来た~!』と大きく書かれた紙。
それが、俺の視線の先にある建物の窓ガラスに、いつの間にか貼られている。
俺が怪しい紙に気が付くと、タイミング良く、その隣の開いた窓に仮面の女性が現れて(多分嬉しそうに)、大きく手を振りだす。
微妙に濁った鐘の音が『カーン』と一つ、頭の中に響く…………そんな気分を味わう。
彼女が窓を閉めた。
『説明どうぞ!』の、文字が現れる。
脱力感が全身を襲う……ガクンと崩れ落ちる体を、鍛え抜かれた精神力が支える。
「――ふたつもり……」
思わず口に出しそうになるのを、慌てておさえた。
『兄さん、「ふたつもり」って何ですか? 誰かのお名前ですか?』
鈴音は、しっかりと聞いていた。そして目ざとかった。
彼女はくるりと向きをかえて、俺の視線が何を見ていたのかを、探している――困った程、出来る妹である。
しかし、窓ガラスの紙は、二守筆頭と共に消えている。俺の見た目には、ぎりぎりのタイミングであった――あれか、スリルを楽しむとかか? 朝もそうだったし。
『……?? ……?』
結局なんの変哲も無い街並が、違和感無く目に映ったのだろう、鈴音は首を傾げる。まるで頭の上に疑問符三つがくるくる回っているようだ。
そして鈴音の行動を見た、他のみんなもつられるように、向きをかえる。
けれども……鈴音が何を見ているのかわからないため、全員揃って首を傾げて、取り立てて特徴も無い街の風景を、何となく見ているようだ――白昼、堂々と狐につままれる編、完結。
いずれにしても、合図が出た訳である。俺は腹を決めて、未だに背を向ける鈴音の肩に手を起き、全員に言葉をかけた。
『みんな、黙って聞いてくれ』
予定通り、全員一斉に振り返り俺を注目すると同時に、次々と口を開いた。
『何でしょう兄さん』
『何です・カ、神楽兄さん』
『はい、何でしょうか、神楽さん』
『なぁにぃ、神楽君』
『何でございますでしょうか、神楽様』
『あら、何かしら、神楽ちゃん』
『何事じゃ、神楽』
この人達は……俺今、皆さんに、黙って聞いてって言ったよね。間違いなく言ったよね。
『とにかく、気を持たせるようで悪かった。
えっと、つまり、それは……そう、「ふたつもりゆう」があったんだ』
『にいさん、苦しい言い訳に聞こえますよ』
『こら鈴音、今から言い訳じゃない事を説明するから、黙って聞く事。
一つ目は、許可が出るまで内密にと言われてた。
二つ目は、この策を知った俺が気後れした。
と、この二つの理由だよ』
『『『…………』』』
一同静まり返っている――あれ? そりゃ黙って聞けって言ったけどさ、区切りがついたところで、反応があっても良いと思うけど。
ただ、俺を見る全ての目は一斉に『だから、なに? 話しを進めろ』と、言っている――昔から『目は口程にものを言う』って、やつですね。
『あれ? 皆さん、何か言う事は……』
するとヘリオが申し訳なさそうに口を開く。
『あの神楽さん、まだ核心に触れていないのですよね』
『ああ、これからだが、何か不都合でも?』
『いえ、僕達は黙っていろと言われたのですが……それは、核心部分を聞くまで、口を挟むなという事ではなかったのでは?』
『あっ……ごめんなさい、話を続けます』
まあ、こういうときは、己の非を素直に認めて謝る事が、丸く収まる秘訣であろう。
さてとばかりに仕切り直そうとした俺だったが、重く辛い話をする前に、大きな溜め息を一つ、無意識のうちに吐いてしまった。
『……あっ!』
これに俺自身が驚き、慌てて口をおさえた。
『兄さん、先ほどから一体どうしたのですか?』
俺の態度が気になったのであろう、鈴音が怪訝な表情で尋ねてきた。
『いや、何でもない。話を中断してばかりで、すまない』
『いいえ、それは構わないのですが……良い話ではないのですね』
鈴音は、俺が話を切り出せない事を察して、気を回してくれたようだ。
それに応えるように、大きく息を吸い話を切り出した。
『俺は、今朝方「勅命」を賜った』
『何ですって! どうしてそれをもっと早く――』
『だからさっき言っただろう。内密にするように言われたと』
『あっ、あれって、言い訳じゃなかったのですか……てっきり言い訳と……』
『だから、前置きしたはずだぞ』
『……そ、そうでしたわ……すみません』
後半小さな声になった鈴音の顔は、今にも火を噴きそうな程赤く染まる。そしてうつむいた。
しかし、このやり取りを見ていたヘリオとアリエラは、状況がさっぱりわかっていないようだ。そもそも『勅命』という言葉の意味がわからない様子である。
で、当然、
『神楽兄さん、「チョクメイ」って何ですか?』
となる――『なにそれ、おいしいの?』と言われないだけマシかもしれない。
『えっと、「勅命」か――簡単に言えば帝から直接出される公な命令の事かな。
基本的に拒否権は無いぞ』
『じゃあ、帝が「お前死んじゃえ」って言ったら、死ぬの?』
『へ……?』
――そう来ましたかと、俺は心の中で付け加える。
とんびがクルリと輪を描いて、しばし穏やかな時間が流れる。俺と鈴音、そしてヘリオまで、天使のような優しい目で、少々痛いアリエラを見つめる。
『ひっ! な、何です・カ!』
アリエラが、俺達からの優しい視線に耐えかねて、短い悲鳴を上げた。
俺はそんなアリエラの肩にそっと手を置いて優しく語った。
『良いかアリエラ、もう子供じゃ無いんだから、これから話す事を大人しく聞いてくれ。
帝という立場は、この国を表している存在なんだ。思いっきり簡単に言うと、この国で一番偉いと言う訳だ。そりゃ、何らかの理由があれば、「死になさい」と命令も出す――かもしれないし、家臣である以上、それを拒否を出来ない。
だけどな、そういう命令を理由なく出す人には、誰も付いていかないだろう。
それ以前にそういう人が、「勅命」を出せる立場に立てるとは思えないぞ』
『でも、でも・ヨ。皇帝は、そんな事をしていまし・タ』
『だから、その権力を欲する輩によって反乱が起きて、今に至っているのでは?』
『ふぇ? あっ、そうか、そうです・ネ』
棒読み気味のアリエラの言葉は、納得しているのか、していないのか、よくわからない。
『で、こんなところで「勅命」の事は、わかったかな。アリエラ、それからヘリオ』
『僕は、大丈夫です』
『ア、アリエラだって軍関係者で・ス! それくらい知ってま・ス!』
さらりとヘリオが先に返答をする。当然、先を越されたアリエラが、やっぱり不機嫌になった。しかも微妙に意味不明の返答であった。
一段落したところで、俺は今一度、腹に力を入れて言葉に出した。
『一万の軍勢を「殲滅」せよ。以上
これが「勅命」の内容である』
俺の言葉が終わると、嫌な沈黙が続く。
時間の流れが止まったような、そんな感覚におちいる。
普段あれだけ騒がしい「お人形」達ですら、極普通の人形のように、全く動きもしない。
そして誰一人として、口を開こうとしない。
否。
鈴音もアリエラもヘリオも、頬が微妙に動いている。つまり、口を動かそうとしている。だが言葉が出ないのであろう。
特にアリエラとヘリオの目からは、生気が失せている。
深く考えるまでもない、一万の軍勢とは、『トゥインクルモール』に立てこもる、民衆達の事である。
『に、に、兄さん……それは……本当の話……じゃ無いですよね……いつもの……冗談……ですよね……でもそんな……最悪の……冗談は……私が……許しません』
俺の耳に何とか届いたのは、出てこない声を必死に絞り出した、弱々しく、そして震える鈴音の声であった。
鈴音は俺に駆け寄り、胸に顔を押し付けた。
そのままの体勢で何度も、何度も、何度も俺の胸を弱々しく叩く。
それは決して痛いものでは無い……肉体的には。だが、一つ叩かれるごとに、心を殴打される。いや、えぐられるようだ。それが酷くこたえる。
『――鈴音……やめなさい……』
『……やめません……兄さんが……いつも通り……謝るまで……悪い……冗談をいう……兄さんが……悪いのです……だから……』
俺は、弱々しく暴れる鈴音を制するように、両肩にそれぞれ手を置いた。そして少々酷かと思ったが、ゆっくりと引き離した。
鈴音が顔を上げる。
吸い込まれそうな大きな目から、大粒の宝石のような涙が、一粒、二粒と次々に落ちていく。
『ごめんな、鈴音』
『――なんで……兄さんが……謝るのですか』
『俺がそうしたいから、俺がお前を泣かしたから』
『だから、兄さんは……ばかなんです……どうして……私を叱ってくれないのですか』
『お前が俺に、叱られるような事を、していないから』
こんな時は、得てして、全く関係のない話題に、すり替わっていく事が多い。
だが、元に戻す者もいる。それだけ、話していた事が重要というわけだ。
『神楽兄さん、これって、バルドア皇帝と同じ事を、してません・カ。
しかもよ、そんな人には誰も付いていかないとか、そんな人は帝になれないって、さっき神楽兄さんが言っていたですよ・ネ』
今回その役目はアリエラが担当したようだ。普段よりかなり弱い口調だったが、しっかりと役目を果たし、話題を元に戻す。
『う~ん、少々意味合いが違うが……見ようによっては、そうかも知れないな』
『じゃあ、アリエラは、その命令は実行できませ・ン』
実際、俺だって、この命令は拒絶したいくらいだ。だが、決して口には出せない。
『アリエラ、気持ちはわかる。だが、アリエラも今は、もう神国天ノ原の軍人なんだぞ。
さっき言った通り、「勅命」に拒否権は無い』
俺は鬼の心で、そう告げる。
アリエラは、人なつこそうな目に、溢れ出そうなほど一杯に涙をためる。
髪と同じ銀色の瞳のためか、涙が鏡のようにきらきらと光を反射する。
『で、でも、でも・ヨ……そんな事は……駄目なんで・ス。やってはいけない事なんで・ス。
…………だって、そうじゃないと……ごめんなさい……アリエラは……言われた通りにやったのに……ごめんなさい……ごめんなさい……許して下さい……アリエラを許して下さい……』
反論途中で、アリエラの心の傷が開いたようだ。やはり心の傷は、簡単には直らない。それはわかっていた。
こうなったアリエラは、しばらく使う事は出来ないだろう。
しかし、こうなる事は、充分わかっていたはず。なのにこの『勅命』の意図がどこにあるのか、俺には理解できない。
もっといえば、この『勅命』を実行したならば、『オウノの再来』とばかりに、間違いなく批判は起きる。
いや、状況はもっと悪くなるだろう。
あの『オウノ事件』は、当時九歳のアリエラが、魔力を暴走させてしまった結果であって、言わば不可抗力的な事件であったわけだ。
だが今は――俺達は魔力を充分制御できる上、はっきりと『勅命』という形で命を賜っている。
当然その批判は、帝にまで及ぶだろう。
もっとも、そんな批判や中傷だけなら、大した問題ではない。
それよりも、今は安定している神国の、根幹を揺るがしかねない反抗活動に、つながっていく可能性もある。
だからといって、大した案も浮かばないまま、この状況になってしまった訳だ。
とにかく、全ての責任を俺達……いや俺だけが負えばよい事だ。
切羽詰まった俺は、闇姫に声をかけた。
『闇姫、行こうか』
『りょおかいだよぉ、神楽君』
重苦しい感情に押しつぶされそうになりながら、俺は闇姫と共に、不気味な静けさに包まれている『トゥインクルモール』を、正面に捉えた。
読み進めていただき、ありがとうございました。
今回、第三部の最終回になる予定でしたが……どこかの国の内閣と同じく、行き当たりばったり展開のために、先送りとなってしまいました。
申し訳ございませんが、今しばらく、だらだらとした展開にお付き合い下さい。
前回投稿した時に、初めて評価を頂きました。ありがとうございます。