狗と呼ばれて 18
「兄さん……そろそろ起きて下さい」
「……ん? ……もう朝か、おはよう鈴音。
――今日も暑いな……」
朝は放っておいても訪れる。そう、日の出と共に気温上昇という現象を伴って、やってくる。夏場は特にである。
旧文明が栄えていた頃は、快適な温度に調節してくれる、非常に羨ましい設備があったと聞いた事がある。
何でも、液化したガスは、気化熱というものを周りから奪って気化する。その原理を使って冷却するらしいのだが、原理や構造は高名な学者さんや技術者さん達に任せて、その設備を復活させてほしいものである。
単純に冷却するだけなら、闇姫でも出来るのだが――永久に目覚めの時が訪れなくなる可能性があるので却下です。
もっともそんな設備が整っていると、別の意味で羨ましいこの環境から、抜け出せなくなってしまいそうである――はい、なにぶん健全な男子ですから。
とりあえず、熱源姉妹ズが一人減ったとはいえ、やはり熱い事には変わりない訳である――確かに冬山で遭難した時は、肌を寄せて暖めあえば助かりそうである。
――と、目覚め際の意識がハッキリしていない時は、おかしな事を考えてしまう。
目を開き声の聞こえた方に視線を向けると、鈴音が俺の右隣で上半身を起こしている。その指先で、俺に覆い被さるアリエラのほっぺたを突っついていたのだが、反応がない事に『イラっ』としたのか、突然つまんで――やっぱりねじった――
「アリエラちゃんも起きなさい!」
やっぱり鬼だ……
「ニュぎ……ひょえ? ふぁ、ひゅじゅねお姉ひゃま……おひゃようぎょじゃいひゃひゅ……」
やはり不思議な発声と、解析が微妙に困難な言葉を発して、アリエラが目を覚ます。鈴音がほっぺたの拘束を解くとアリエラは起き上がり、寝床から出ていった。
身軽になった俺も起き上がり、誰の汗かわからない汗を流しに浴場に向かう。途中ヘリオの部屋を覗くと彼は起きていた――てか、寝ているのだろうか?
一応声をかけると「後ほど行きます」と返事はあった。
事が起きて、かれこれ三日ほど経つが、まともに喋らず、ろくに食事も摂らずで大丈夫なのかだろうか。
いっそ、倒れて寝込んでくれた方が良いかもしれない――と、不謹慎にも考えてしまう。
汗を流し終えた俺が部屋に戻ると、鈴音とアリエラはいなかった。多分シャワーを浴びに行ったのだろう。
二人が戻るまで待っていても良かったのだが、空腹感が勝った俺は、「腹減った、先に行く」と書き置きを残し、一足先に食堂へ朝食を食べに行く。
時間は午前七時、普段なら食堂もそれなりに人がいる時間のはずだが、ガラス越しの室内には人影が見当たらない。
俺達以外にも泊まっている軍関係者はいるはずなのだが、既に現場に出払っているのだろう。と、不思議な雰囲気を自身に納得させる。
それにしても静か過ぎに思えるのは、気のせいだろうか。
ガチャ、カランカラン。
扉を開けると、取り付けられている鈴が鳴り、来客を知らせる――が……返事が無い。
と、次の瞬間、鼻をつく異臭が防御本能を刺激し、緊張感が張りつめ、俺は反射的に鼻と口を手持ちのハンカチで覆った。
「誰!」
こもった声で尋ねる俺に返答は無い。
カウンターに従業員らしい男がうつ伏せでいる。彼はそうさせられているのか、寝ているのか、あるいは既に……なのかはわからない。
見渡す限りここには彼以外いない。しかし不思議な気配を感じる――凍てつくようなこの気配を……俺は知っている。
「――二守……瑠理……筆頭ですよね」
忍である彼女は、本来気配など感じさせないはずである。今はわざと気配を漂わせ、俺を試したのだろうか。
突然、気配が消える。
(あれ? 賊だったのか)
と、その刹那、急激に体感温度が下がり、氷刃が放ったような凍てつく斬撃が、俺の体を切り裂いた。
(あっ、マズい)
時既に遅し感はあったが、俺は両腕を交差し防御体勢を取った。それと同時に冷静に状況判断を行う。
(いや待てよ、どこも切られていないぞ。そもそも結界が発動していない)
あれは気配、いや、もはや殺気と言ってもよいものだった。
(気後れした俺が勝手に見た幻だったんだ)
冷静になった俺は防御体勢を解く。
その時俺の視界の片隅、顔の脇でひらひらとする何かの影に気が付き、そこに視線を向ける。
俺が開けた扉を支えている柱に、一本のクナイがいつの間にか刺さっている。
(いつのまに……ってか、えっとこれって……)
俺の視界のひらひらと映っていたのは、クナイに結ばれた一枚のであった。
(読めってか)
俺は結ばれて紙をほどき開いた。
『天晴!』と一行。
って――ち、力が……抜けた……
がくりと、膝から力が抜けて崩れ落ちそうになるのを気力で立て直すと、それを見計らったように奥の調理場から仮面の女性が現れた。
やはり終戦直後に顔を合わせた――と言って良いのか――二守瑠理である。もっとも仮面の下は本物か偽物かは定かではないが、いずれにしても優れた忍女という事に間違いはない。
「えっと、これは一体……」
と尋ねる俺の言葉をさえぎるように、瑠理は手に持っていた一枚の紙を、パラリと開き見せつけた。
『このような無作法で失礼する。
この者は、邪魔なので寝かせた』
と書かれていた。
「では、この匂いは睡眠薬?」
と尋ねる俺は、自身が全く眠気に襲われない事に気が付く――あれ? 何で?
その間に瑠理は紙に何かをさらさら書いて俺に見せた。
『失礼、正確に書こう。彼は一当てして気絶させた。
それと、この部屋の匂いが嫌だったので香を焚いた』
またもやがくりと膝から力が抜ける――てか、そんな物を持ち歩いているのですか?
と、気を取り直して俺は尋ねた。
「何か特別なお話があるのでは?」
すると瑠理はさらりと紙に書いて俺に見せる。
『私が声を出さないのを、神楽ちゃんも知ってるだろう。
したがって話ではない』
がくん……
「はい、俺の尋ね方が悪かったです。ごめんなさい」
俺は三度目の膝かくんから立ち直ると、改めて尋ねた。
「えっと、どういったご用件でしたか」
既に用意していたのか、瑠理は着物の袂から取り出した紙をバサリと開き、俺に見せた。
『神楽ちゃん、大人のデートしましょう。ウフ(ハートマーク)』
「…………あの、二守筆頭……」
そう来ましたか……でも四度目は無いですよ。俺は冷静ですよ。もしかして中身は社守軍師ですか?
――そりゃ確かに、俺も健全な男子だし、大人のデートはしたいですよ。でもですよ、てか、二守筆頭は仮面ですよ。外してくれないのですよ。
基本無表情なんですが、見ようによっては緩やかに口角の上がった、不気味な笑顔を浮かべる仮面をつけた女性と無言のデートって、想像できない――というか、想像したくないのですが。
と、瑠理は俺が手に持っている先ほどの紙を指さす。見ろと言っているようだ。
とりあえず開く。
『ちっ!』と一行。
「えっ? …………えっと、これは……」
何と言うか、ツッコミどころはいろいろあるのだが……どこからツッコむか考えて返答が遅れる。すると瑠理は紙を裏返せと言わんばかりに手で指示をする。
で、裏返す。
『冗談だ』と一行。
ガーンという音が頭の中で鳴り響き、頭にタライが直撃した……気分。それと共に肩がガックリと落ちる――って、いつの間に入れ替えた。
無言のままの瑠理によって、完全に手玉に取られる俺だった――さすが大人の女性である。
「えっと、とにかく本題をぼちぼちお願いします。そろそろ鈴音やアリエラが来ると思いますよ」
瑠理の用件が俺以外に誰かいても構わない事なら、こんな回りくどい事をしなくても、俺の部屋に直接来ているはずである。その程度の推測はこの俺でも出来る。
瑠理は一つうなずいて、着物の袂から二通の書状を取り出し俺に差し出した。
それを受け取った俺は表紙を見る。一通は社守軍師からである。多分今後の対応策が……って、もう一通の表紙の文字に目が止まった。
――はい? 詔って……何だっけ? ――
「って、勅命じゃないですか!」
俺は急いで封緘を切り、書状の内容に目を通す。
――勅
独立魔戦部隊は一万の軍勢を殲滅せよ。
時が来るまで天鳥筆頭は本件を内密にする事。
時は、二守瑠理がおって指示をする――
「ちょ、こ、これって……」
「兄さん、お待たせ」
呆気に取られていた俺の耳に鈴音の声が聞こえ、我に返る。そして慌てて書状を懐にしまう。
当然瑠理の姿は既に消えている。
「どなたかいらしたのですか?」
「い、いや、誰もいないが……」
「あれ、何だろうこの匂い」
「あ、ああ、俺もちょっと不思議に思ってたんだ」
「に、兄さん、あれ……」
「神楽兄さん、カウンターで誰か倒れています」
「あ、本当だ、どうしたのだろう。俺ちょっとフロントに言ってくる」
鈴音とアリエラは当然の如く異変に気付き騒がしくなる。
そして、思いっきり棒読み台詞の俺がここにいる――役者志望じゃなくて良かった。
俺を見る鈴音の怪訝そうな表情は気になったが、気にも止めないふりをして、そそくさとフロントに向かう。
この時点で覚悟した――どうやら朝食は抜きになりそうだ。
朝の騒動も収まった午前八時少々前、朝食にあぶれた俺達は腹を空かしながらも、ブラドリー係官と待ち合わせている一階のロビーに向かう。ちなみにヘリオは食堂にこなかったので、腹が空いているかは、わからない。
階段から見下ろすと既にブラドリー係官は到着していた。
「おはようございます。何かあったようですね」
俺達を見つけると、すぐさま立ち上がり挨拶をしてきた。
折り目がピシリとした制服にすらりとしたシルエット。かっちりとまとめた金髪のショートヘアに眼鏡、そして事務的な表情に不釣り合いな優しい口元、それらが優しくも仕事が出来る女性と印象づける――仕事ぶりはまだ見ていないが、間違いなく俺達の何倍も出来る人だろう。
「おはようございます。
えっと、食堂の従業員が倒れまして……と、当然、理由は知らないのですがね……はは」
「で、兄さんが第一発見者という事で、ばたばたとしまして……」
「ア、アリエラ達は、朝ご飯にありつけませんでした」
「「「というわけで、先ずは朝食」」」
一名を除きその他一同、ひな鳥状態で声を揃えた。
「わかりました。ご案内いたします」
その様子に尻込みする事無くブラドリー係官は言った――出来る親鳥は違うぜ。
「あっ、ブラドリー係官、標準的なところでお願いしますね」
「――さすがに私も朝から……い、いえ、ではこちらに」
前半何かを言ったように思えたのだが、よく聞き取れなかった――まあ重要な事なら、しっかり言うだろう。
とりあえず俺達は彼女について宿舎から外に出た。
そのままブラドリー係官の案内で、十分程歩いたところにある喫茶店に入る。
ご飯物を注文したかったのだが、昼食時からという事で断られ、仕方なくコーヒーとパンを注文した。
余談だが、もともとコーヒーの栽培は、ここの気候には合わなかったらしい。だが旧文明時代、食料自給率上昇政策を実施した時にコーヒー好きの高級官僚が、『コーヒーノキ』を無理矢理ねじ込んだそうだ。その結果、この気候で栽培できるように品種改良されたらしい。
その後『破壊神の囁き』で管理が行き届かなくなり、当時品種改良された物が次々と自生しだして野生化し、残念ながら数多くの在来種を淘汰してしまった。
などとある資料を読んだが、現在はその恩恵を受けて人類は助かっている。
「さて天鳥筆頭、本日の予定はいかようにいたしましょう」
「特にこれと決めている訳では無いが、一度現場を見ておきたい。
どうだろう?」
「そうですね兄さん。私も確認はしておきたいです」
「ぼ、僕も見ておきたいです」
「アリエラもです」
「とりあえず、意見はまとまった。と、いうことで案内をお願いするよ」
「はい、承知いたしました。ここからですと、歩いて三、四十分程です」
「結構あるね。まあ、これだけの都市だから仕方ないか。
ところでブラドリー係官は『3S』ってご存知かですか?」
そう、俺はどうしても引っかかっていた事を確かめたかった。
「詳しくは知りませんが、『トゥルーグァ』にある、大規模な地下迷宮と伺っております」
「では、この『サーベ』にも出入り口があるという事は?」
「すみません、初耳です」
「バルドア帝国でも、機密扱いのようでしたので仕方ないですね」
「お力になれずにすみません。私の方でも一度確認しておきます」
図面を見せればすぐに案内してもらえるのだが、資料が残っているという情報は隠しておきたい。ブラドリー係官が『ナイグラ機関』に内通しているとは思えないが、一応用心をしておく事にした。
「さて、そろそろ行きますか」
全員が朝食を終えたのを確認した俺が号令をかける。
「そうですね」
「……は、はい」
「ふぁい……」
どうにもヘリオとアリエラの気の抜け方が心配である。
「では、ご案内いたします」
と全員が席を立ち――で、チェックはまた俺か?
えっと――と先を言わせない口撃がくる。
「「「「ごちそうさま!」」」」
一同礼、おや? 珍しくヘリオも加わっている。
――元気なお礼をありがとうございます。まったく、困ったものである。
実際、お前達と給料は大差ないぞ。
朝一番から、軽くなった財布を見つめ、涙目で店を出る俺だった。
しかし朝受け取った『勅令』ためなのか、軽くなった財布に対して足取りは重く、引き摺るように『トゥインクルモール』に向かうのであった。
読み進めていただき、ありがとうございます。