狗と呼ばれて 17
「……やっぱり暑い……また熱い……」
夏をすごすのは、生まれてから十八回目か? もっとも、物心をつくまでの何年かは、『夏は暑い』などという記憶がない訳ですが――いや、それどころか、『去年ってこんなに暑かったか?』って、毎年思う訳で。
何度迎えても慣れないこの蒸し暑さであるが、今年はそれだけじゃないから困ったもんだ。
「――さん」
徐々にはっきりしてきた意識に問いかける声が聞こえる――そうそう、一見すると羨ましいこの状況も寝苦しさの原因なわけで。
「兄さん……そろそろ起きましょう」
聞こえてきた鈴音の声に誘われるように、俺は目を開けた。
――てか、鈴音さん、なんで隣で寝ているのですか?
と反対を見ると、彩華が寝ている。そして当然の如く、覆い被さるしがみつき娘アリエラもいる。
確か昨晩は、熱源三人娘達が先に寝たから、俺は空いていたところに寝ていたはず。
で……どうしてこうなった。
それはさておき、時間は午前四時半、『サーベ』に向けて午前六時出発だから、そろそろ起きよう。と、幸せそうな寝顔でしがみつくアリエラを――って、鈴音さん何を……
鈴音はプニプニで柔らかいアリエラのほっぺたをつまむと――ねじった――
「アリエラちゃん、起きなさい」
鬼だ……
「んギュ――」
不思議な発声をするアリエラを見てふと思う。
無意識下の人間は、意識のある時には絶対に出せない発音が出来るのでは? うん、いつか論文を発表しよう――はい、嘘です。ごめんなさい。
「ひゅじゅねお姉ひゃま……いひゃいでひゅ……」
再び怪しい発声をしたアリエラだった。鈴音がほっぺたの戒めを解くと、アリエラはむくりと起き上がる。
のしかかる戒めが無くなり『さて、俺も起きるか』と、体を起こそうとすると、左腕が引っ張られる。
俺が左に顔を向けると、彩華は俺と一瞬視線があった後、しらじらしく視線を外し目を閉じた。
「――彩華さん、放して頂けるとありがたいのですが」
「……うぅぅん……神楽か……すまん、少々寝ぼけていたようだ」
――そうきましたか彩華さん、先ほど俺が見たのは、『完全に目覚めていた視線』だったと思うのですが、これ如何に?
とりあえず、控えている事態に対して全く緊張感のない、いつも通りの朝は始まった。
俺は寝汗を流しにシャワー室に向かう途中、ヘリオの部屋を覗く。彼は起きていたが、未だに凹み全開のようで、シャワーに誘ったが「はあ……」と生返事が一つ返ってきただけであった。
とにかく支度を整えるようにヘリオに伝えて、俺はシャワー室に向かった。
二十分程でシャワーを終えて部屋に戻り支度をすます。
「兄さん、お待たせしました」
「じゃあ、朝飯に行くか」
ちょうど女性陣も支度をすませて合流したので、『二十四時間いつでもどうぞ』の食堂で早い朝食をとる。当然ヘリオも引っ張って連れいく。
しかし本当に大丈夫なのだろうか? ヘリオは未だに話す事も出来ないほど凹んでいる。それに対して、アリエラは明るい――いつも通りと言えばそうなんだが……
変に無理をしている様にも見える。朝食も「お腹いっぱい」と言いつつも残している。
とは言っても、予定変更も出来ないので、仕方なく予定通り午前六時に出発する。
「では彩華、いってくるよ」
「ああ、気をつけてな」
「彩華姉さん、しばらく兄さんと私は『共に』すごすので――あとアリエラちゃん達ともですが、兄さんと私が『留守』している間は――あとヘリオさん達もですが、よろしく頼みますね……ニヤリ」
こら鈴音、場を荒らすような事を――そもそも言葉の組み方がおかしいだろう。それに妙なところを強調しているし、最後の『ニヤリ』は言葉に出さんぞ普通は……
「――ふっ」
鼻で笑った彩華の方眉がピクリと動く。それと同時に自然と腰の得物に手が行く。
「仮にも姉という尊敬すべき年上に対する、ものの言い方を知らぬようだな。
情けない妹を持つと苦労が絶えん、このお馬鹿を一つ躾けておくか」
「何ですって! 嫉妬は醜いですわよ、お・ね・え・さ・ま」
「なんと申した!」
「鬼姫ちゃん!」
二人が言葉にした刹那、彩華の太刀と鬼姫の大剣が交差し鈍い金属音と共に一閃、早朝の静けさを切り裂き、こう着する。
「こら! 二人とも。朝から重い事をしない!」
止めに入った俺に、彩華、鈴音の視線が向けられる。
「全て神楽が悪い」
「全て兄さんが悪い」
はい、息ぴったりなご意見ありがとうございます。ごめんなさい、俺が悪かったです。もう何も言いません。とりあえず双方、刀を退いてくれてありがとうございます――ってか、毎度の事ながら俺か? 俺が悪いのか?
「――さて、儀式も終わったようなので、出発しますよ」
「では、彩華姉さん」
「ああ、気をつけてな」
笑顔で話をする彩華と鈴音を見ながら俺は思う。いや、男ならみんな覚えがある事だろう――女って、わからん。
俺達が『トゥルーグァ』を出たのが午前六時。途中足取りの重いヘリオの尻を「そんなんじゃ、日がまた昇るぞ」と叩きながら、そして無意味にスキップをするアリエラを「ばててもオンブしてやらんぞ」制しながら、午後六時に『サーベ』に到着した。
俺達はそのまま情報収集のため支所に行く。玄関を入ると、俺達の到着を待ちかねていたかのように、支所長のマイケル・ハイドマンが迎えてくれた――まあ、終業時間を過ぎているから、待ちかねてたようですが。
「皆さんの到着をお待ちしておりました。ささ、こちらへどうぞ」
「そんなに気を使わないで下さい」
にこやかな笑顔であるのは間違いないのだが、決して本心からの笑顔ではなく、表面だけの冷めた高級文官独特のものであった。
そんな彼もアリエラを見たとたん、その笑顔が引きつる。しかし彼もその道では百戦錬磨の強者である。アリエラが「ほえ……おじゃまします」と挨拶する頃には、しっかりと笑顔を立て直していた。
「こちらに資料をご用意いたしました。ご自由に使って下さい。
当面の宿舎は後ほど係の者を使わせ案内いたします」
「ところでハイドマン支所長、現在の現場の様子はどのようになっていますか?」
「現在、特に動きもなく非常に静かです。私共も、少々戸惑っております」
「そうですか――あっ、付き合わせて失礼しました。後は勝手にやりますのでおかまいなく」
気を使った俺の言葉を聞くと、ハイドマン支所長は「では後は任せた」とばかりに、さっさと部屋を後にした――彼、残業手当付かないから……管理職は辛いね。
「さて、資料に目を通そう。
で――ヘリオ、どうだ?」
「はあ、何とか……」
「アリエラは?」
「ふぁい? ア、アリエラは大丈夫なんで・ス」
「二人とも駄目と……仕方ない、基本は俺と鈴音になりそうだな」
「兄さん、とにかく資料に目を通しましょう」
「そうだな――まあ、それなり事しか載っていないだろうがね」
俺達はしばらく資料に目を通した。
「…………」
えっと……俺達は目を通し終わってからも、しばらく無言であった。
要約すると、首謀者『ナイグラ機関』――わかってます。
人数『約一万人』――はい、既にそう聞いてますし、かなり大雑把ですね。
武器を持ち込んでいるもよう――えっと、「もよう」って……「いる」と断言して下さい。
で……以上って――このやる気の無い報告書を書いたの誰?
そりゃまあ、昨日の今日ですから、調べがついていない事も沢山あると思いますよ。だからと言って、これは無いと――もしかして情報部と喧嘩でもしているのですか?
俺の言っていた通り、非常に残念な資料であった。
過大な期待はしていなかったが、あまりにも予想通りの結果に落胆した俺は、急激に空腹感に支配された。
「とりあえず、晩飯を食いに行こうか。『腹が減っては頭働かず』って言うからね」
って、誰が言ったんだ? ――まあ、深くは追求しないでおこう。
俺達は部屋を出て食堂に向かうが――『本日は終了しました』――の文字に愕然とする。更に輪をかけての落胆に、重い気持ちで部屋に戻る。
部屋に戻ってしばらく無言の時が流れる――確かに腹が減ると頭が回らん……っていうか、ただ単に機嫌が悪いだけなのだが。
コンコン
重い空気が漂う部屋の扉を叩く音が聞こえた。俺が「ムスッ」として返事をしないでいると、代わりに鈴音が優しく「どうぞ」と応える。「失礼します」と女性の声が聞こえると同時に「カチャ」と軽い音で扉が開く。
「私はローズ・ブラドリーと申します。皆さんの滞在中、お世話するよう仰せつかりました。先ずは宿舎にご案内いたします」
と、そこに立つ女性は軽く頭を下げた。
俺達は言われるままに、ブラドリー係官の後ろをついて部屋から出る。彼女はそのまま庁舎の外へと足を進める。
「えっとブラドリー係官、宿舎は外ですか?」
「はい。何かご要望がございますか?」
俺はこの言葉を聞いた瞬間、彼女が天使に見えた。
「夕食を食べたいのですが、どこかありませんか? 庁舎の食堂が終わってましたので」
「庁舎の食堂は四時に終了します。昼食も安いというだけであまりお勧めできませんが……あっ、内緒です。
えっとそうですね、では先にレストランにご案内いたします」
そう言うとブラドリー係官は俺達に好き嫌いを尋ねた――ところでアリエラ「ア、アリエラは子供じゃないんで・ス! 好き嫌いは無いんで・ス!」って、何故怒っているだ?
それはさておき、ブラドリー係官に案内されて入ったレストランは、伝統的なバルドア風の作りで、神国の俺から見ると凄くお洒落な、格調高い雰囲気に包まれている――えっと、お値段も格調高い設定とかじゃないですよね。
しかし、ブラドリー係官を外で待たしておく訳にもいかないので、どことなく社交辞令的に遠慮する彼女を、半ば強引に同席させた――えっ? 今、ニヤリとしなかったか? 悪魔か?
ゆっくりと二時間程かけてコース料理を堪能する。ヘリオやアリエラもしっかりと食べれたのは、なによりだった。
で……俺のところにチェックが回ってくるのは、必然のようだ――とりあえず、こっそり帝にツケ……えっ!ツケは駄目? じゃあ支所で落ちませんか? ……それも駄目ですか。 じゃあ鈴音さん、領収書を回しますので処理を――ちょっ、まっ、破らないで下さい。だ、だから鈴音さん、その処理じゃなくて、事務的に処理して経費で、という意味でお願いします。
誰の財布が軽くなったかはさておき、店を出てた俺達はブラドリー係官に案内されるまま宿舎に到着する。
「では、私は明日午前八時にお迎えに参ります。もし先に出られるようでしたら、フロントに伝えておいて下さい。
今晩はお気遣い頂き、ありがとうございました」
「礼はいいよ。では明日からもよろしく」
ブラドリー係官は小さくお辞儀をすると、多分自宅に向かったのだと思う。あの足取りから見ると、明日の夕食のメニューを既に決めているようである。
「明日はヘリオの番だよ」
「は、はあ……」
「…………」
俺達は宿舎に入ると、フロントで手続きをすます。
俺達は一応上級士官待遇で個室ということらしい。鍵をもらい部屋に向かう。
で……あのですね、鈴音さん、アリエラさん、何故、どうして、どういう訳で俺の後ろに立っているんですか?
「ここが兄さんの部屋ですね。荷物を置いたらすぐに戻りますね」
「アリエラもです。あっ、隣ですからすぐに戻ってきますね」
有無を言わせぬこの言葉である。そもそも一人部屋である。寝床も……
ガチャ……
――って、何故にダブルサイズなんですか? 上級士官は、皆さんそういう事をするのが前提なのでしょうか?
と、部屋に入って五分もしないうちに、鈴音とアリエラがやってくる。しかも当然のように部屋に入ってきた――せめて、入室の了承くらいは取ろうよ。
「あれ? 兄さんの部屋は寝床が大きいですね」
「本当だ、アリエラの部屋の倍くらいある」
「やっぱり、兄さんは男性だから……『いたす』だろうと、気を利かしてくれたのですね」
「あの鈴音さん、言ってる意味が……」
って、俺自身もさっきまでそれに近い事をかんがえていたのでは? と自問自答――はい、すみません。
このところ妹達は、自室はクローゼット、俺の部屋は寝室という図式が出来上がっているようだ。
いずれにしても、引き続き『熱い夜』は確定のようである。
とりあえず、旅の疲れと汗を流すために風呂へ行くぞと、妹達に言う。
「「はぁーい」」
と、揃って返事が返ってくる。
では、と部屋を出て浴場に移動する――って、あれ? 大浴場はどこ?
俺の目の前には、四、五人が入れる浴室が六室程並んでいる――てか大浴場は、無いのですね。
で、お二方は何故俺の後ろに並んでいるのですか?
鈴音は非常に嬉しそうに満天で煌めく星の如く目が輝いている。一方アリエラはやはり恥ずかしいようで、耳を桜色に染めて下を向いている。
カラカラ
引き戸を開けて俺が脱衣所に一歩入ると、当然のように鈴音が一歩足を進める。
「えっと鈴音さん、とりあえず今日はゆっくりとしたいので、一人で入ろうかと思うのですが」
「――わかりました……」
おっ、妙に聞き分けが良いではないか。
「では、『今日は』向こうに入りますね」
って、おい……と言う俺の話に耳も貸さず、アリエラの手を引いて、隣の浴室に入っていった。
と、今一番熱い現場である『サーベ』に来てまで、相変わらずの俺達である。
当然、現場が動けば俺達もそれなりに動くのだが、現在は『本都』からの指示待ちである。
もっとも先ほど到着したばかりで、まともな情報も無く、現場も動いていない訳で、何の対応策も無く突入する訳にもいきません――とにかく全滅させるならそれも有りですが。
いずれにしても今後の作戦次第では、非常に辛い戦闘になる可能性もある訳で、こうして安らげる時はしっかりと休みましょう。
読み進めていただき、ありがとうございます。