狗と呼ばれて 16
神楽達が、『サーベ』で起きた民衆決起の報告を受けて驚いていた頃、その知らせは神国天ノ原の首都である『本都』にも伝わっていた。
慌てふためく宮内侍従長が大声でふれ回ったためか、瞬く間にその話は本殿中に広まった。
当然民衆決起の知らせは、執務室の奥部屋に控えていた天命ノ帝にもすぐさま伝えられた――というより、いやでも耳に入った。
しかし帝は、知らせを聞いても慌てる事はなかった。それは予想通りの結果であり、それを証明するかのように、「やはり始まったか……」と、彼は侍従にも聞こえない程度の声で呟いた。
「――以上でございます」
「ご苦労、下がってよいぞ」
報告を終えた侍従が下がると、入れ替わるように軍師、社守静が部屋に入ってきた。
パタン――カチャリ――
静が扉を閉めて内鍵を掛けると同時に、どこからともなく――いや、もともと部屋にいたのかもしれない――仮面の女性、二守瑠理が姿を現した。
彼女は帝直属の忍女であり、その負う任務の特殊性から、決して表に姿を現さず、素性も明かされていない。
瑠理は仮面を外すと静と視線を合わせた。二人とも、やや上がった目尻の鋭くも艶っぽい目元が印象深く、似通った冷ややかに見える表情と顔立ちは、彼女達が姉妹である事を物語っている。
二人は同時に視線を帝に向ける。それを合図に帝に歩み寄り、彼を挟むように左右に分かれる。そして彼の座る大きめのイスに、同席の了承も得ないまま、至極当たり前に座り、中央の帝にしなだれかかる。
帝は愛おしそうに両脇の女性の肩に手を回し、近い頭をそのままに、話を始める。
女性達は肩に回された手に、自らの手を重ねてその温もりを感じながら、吐息まじりの言葉で返事を返す。
「始まったな」
「はい……ナイグラさんも、思い切って決断しちゃいましたね……ふふ」
「うふふ……神楽ちゃん達も、がんばっていたみたい。でもちょっと間に合わなかったわね……うふ……ちょっとだけ意地悪なお手紙を送っちゃたからかな?……ふふふ」
「しかし、こっちの思惑より向こうの行動が、少々早かった訳だ。なかなか思った通り動いてはくれないね」
「あら、だから世の中、面白いのですわ……うふ」
「ふふ……そうですわよ、何でも思い通り動いたら……ふふふ……つまらないですわ」
「「帝もそう思いませんか?」」
上品に着崩した着物姿の女性二人が、最後に艶っぽい声で揃って問いかけた。
その二人から沸き立つ艶かしい色香と、それとは反対に、鍛え抜かれた刃物のような、冷徹で鋭い視線の迫力に少々押されながら、天命ノ帝は答えた。
「……確かにな――」
コンコン――
ちょうど話が一段落した時、二回扉を叩く音が聞こえ、わずかの間があいた後、扉を開ける事もなく、侍従の声が聞こえる。ちなみにこれは、『許可がない限り、決して扉に触れてはならない』という、帝と侍従の間の取り決めである。
「天命ノ帝陛下、間もなく軍議が始まります」
「ああ、わかった」
帝が返事をすると、侍従は立ち去ったのか、扉の外から人の気配が消える。
「仕方ない、静、行くか……あまり遅れると、大石原や宮内に小言を言われるしね」
「はい」
「では瑠理、留守を頼むよ」
「はい」
帝が立ち上がろうとした気配を察して、両脇の女性は少々残念そうな表情を浮かべ、渋々と立ち上がる。
二人の女性に続いて帝が立ち上がり、そのまま扉の方に向かって歩き出す。続いて静が着崩れた着物を直すと、彼を追うようについて行く。
カチャ――パタン。
帝と静が部屋を後にするのを、瑠理は少々羨ましげな視線で見送った。
そして静かに扉が閉まると、着崩れた着物を直し、仮面を付けて部屋から姿を消した。
帝と静が会議室に到着すると、軍議は既に始まっており、ちょうど情報部員が今回の経緯と概況の説明を終えたところだった。
ガチャ。
衛兵が扉を開くと、軍議参加者の視線が扉に集中する。帝と静が議場に入ると、その姿を確認した全員が起立する。
「あっ、かたい挨拶は抜きでいいよ。
大石原総長、どうだい?」
「ただ今、経緯と概況の説明を終えたところです」
「いや、そうじゃなくて、良い案件は出そうなのか?」
「相手が民衆とあっては、私共も対処しにくいというのが、本音です。社守軍師、何らかの方策は――」
大石原の言葉を途中でさえぎるように、帝が口を開いた。
「民衆と言っても、彼らの持っているのは、石ころや棒切れじゃなくて『武器』なんだよ。
はっきり言うと、『一万人の軍隊』だよ。
となれば――とる対策は自ずと見えてくると思うけどね」
「それしかありませんか……」
「俺だって、彼らが旗を持って練り歩く程度の事なら、一万だろうが二万だろうが黙って見ているよ。
でも、残念ながら――だね」
帝の言葉使いは少々軽いが、その表情は曇っていた。
「それでは、その他の地区に飛び火するのを防ぐ事にします」
「さすが大石原総長、わかっていらっしゃる。
とりあえず、先ほど社守軍師から天鳥筆頭魔術師達に指示を出しておいたよ」
「なるほど、そちらも既に対応済みですか」
「というわけで、その他地区の人選は任すからね。
さて社守軍師、行くぞ」
「はい」
帝は必要最小限の事を伝えると、イスに座る事もなく議場を後にした。
議場にいる者達は、その手際よさに呆気にとられ、軍議はしばらく時間のみ経過する、静かなものとなっていた。
帝と静が執務室の奥部屋に戻ると、瑠理が現れた。
二人の女性の前で帝は、「はあ……」と溜め息を一つ吐いて呟いた。
「……この命令だけは……」
「さて、どうしたものか」
「まあ待て神楽。今は『本都』からの指示を待とう」
「そうよ兄さん、これだけの事が起きたのですから、今度は社守軍師からも対応策の指示があると思いますよ」
「しかしだな……」
先日社守軍師の指示を仰いだときは、あの『――ウフ(ハートマーク)』だし……はっきり言って心配なんです。まともな指示があるかどうか――あっ、信頼はしていますよ。
衝撃! 秘書官の縞パン――いや、失礼しました。報告を受けてから小一時間が経過した頃、ようやくであるが俺達は落ち着きを取り戻し、まともな会話が出来るようになっていた。
コンコン……
扉を叩く音に「どうぞ」彩華が応える。「失礼します」と返事の後、「カチャリ」と軽い音と共に扉が開いて秘書官が入って来た。先ほどの事で照れているのだろうか、その顔は少々赤らんでいる。
「ただ今『本都』の社守軍師より、光信号による指示が入りました」
「して、社守軍師は何と」
「はい、『独立魔戦部隊の四人は「サーベ」に向かうこと、詳細はおって伝える』とのことです」
「他は?」
「あっはい、『警察軍は山神侍大将の下、後方支援と民衆決起の拡大防止に専念する事』の以上です」
「ほう、つまり『サーベ』の一万人規模の民衆決起は、神楽達四人で抑えろという訳だな。
良かったな神楽、がんばれよ」
「うっ……熱い声援ありがとうございます、彩華さん」
怪しい不安的中ですか? ってか四人って……どうしろと……手段を選ばない『どかん』ならいけるのだが――でも、民衆を巻き込んでの『どかん』は、何かとマズいですよ。
(それよりも、問題はヘリオとアリエラだな)
この民衆決起の報告を受けてから、二人は黙り込んでいる。
ヘリオの『契約の主旨』や、アリエラの『封印されていた記憶』を知る俺達は、何の疑問もなくその結果を受け入れ、問う事もしなかった。
だがしかし、任務として命が下った訳だ。
この任務の意図はどこにあるのか、そもそも今回立案したのは帝なのか社守軍師なのか、現状では全くわからない。
とにかく、現状ではヘリオとアリエラは使えないだろう。四人のうち、半数が――ん? 四人って……人間が四人なのか? それとも 「お人形」合わせての四人か?
――こうなるのを見越して後者が正解か、なら俺と鈴音、闇姫に鬼姫だな。それなら大丈夫だが……やっぱり普通に考えると前者だよな……どうしよう――
俺が勝手に判断してよい問題では、なさそうである。
――出発は明日の朝として、今から『本都』に確認をとるしかないな――
とりあえず、俺は秘書官にお使いをお願いした。「はい、わかりました」と秘書官はきびすを返し部屋を出ていった。
パタリ――コンコン――
扉の軽やかに閉まる音の残響が消えた直後、扉を叩く音が聞こえた。彩華が「どうぞ」と応えると、「失礼します」と秘書官が入室する。
「天鳥神楽筆頭――その……返事が、来ました」
……………
「あんですとぉ?」
微妙な間を置いて、俺は素っ頓狂な声を思わずあげてしまった。
当たり前の事である。この時代には、遠いところの相手と瞬時に会話が出来る、そんな便利な通信システムは存在していない。旧文明にはそういうものがあったという事を知っているが、失われた技術は、残念ながら簡単に復活できないらしい。
現在、一番早い情報のやり取りは光信号である。簡単に言えば暗号化した信号を、「チカチカ」と、光の反射を利用して櫓などをつないでやり取りする。
大昔からある通信方式である。
つまり、よっぽどの緊急事態でない限り、文面を暗号化し、信号士に伝えて送ってもらう。受け取った側は、暗号を平文に直して受け手に伝える。で、返事はその逆……いくら早いと言っても、非常に手間と時間がかかる訳です、はい。
で、「あんですとぉ? ――いくら何でも早いだろう――」となる訳である。
「あっ、すみません天鳥筆頭。言い方が悪かったです。
えっと、最初の報告の追伸として届いてました」
――ですよね……それなら納得です。
「それでは、原文のまま読み上げます。『ちなみに神楽ちゃん、人間で四人よ。ふふ、勘違いしちゃ駄目よ。ウフ(ハートマーク)』です」
――てか、社守軍師、何故、どうして、何をしたら、そこまで他人の行動が読めるのですか?
「あの……天鳥筆頭は社守軍師とそういう関係なのですか?」
秘書官が不思議なツッコミを仕掛けてきた。
それに呼応するように二人がツッコむ。
「そうなんですか? 兄さん」
「ほう、そうなのか、神楽」
――って、鈴音さん、彩華さん、どこを間違ってそうなった。
「あの皆さん、何がそうさせたのか知りませんが、どうしたらそういう結果に結び付くのですか。
てか、ありえないでしょう」
「ちっ……残念」
――って、秘書官さん、舌打ちはどうかと思いますよ。
「それはわかっているのだが、ついな」
――『つい』で訳のわからないツッコミはやめて下さいませ。
「兄さんの日頃の行いが招いた不徳ですよ」
――はい、もういいです。全て俺が悪い事にしておいて下さい。
さて、皆さん落ち着いて会議を再開いたしましょう。
仕切り直したところで、秘書官が退室した。
現在のところ一番の問題は、先ほどから黙り込んでいるヘリオとアリエラである。
「ヘリオ、どうなんだ?」
「は、はい……」
「アリエラは、行けそうなのか?」
「ほえっ……ふぁい……」
――全く、困ったものである。
しかし、このままにしておく訳にもいかない。とにかく何をするか不明だが、首に縄を付けてでも引っ張って行くしかないか。
――ん? 『不明』……現場での指示はまだ出てないぞ。
それは後の楽しみとして、とりあえず、凹みきっている二人に最小限事を伝えておく。
「なあ、ヘリオにアリエラ、心情的に辛いのはわかっている。でも、このままでは駄目だぞ。
とにかく、出発は明日午前六時でいいな」
「は、はい……」
「ふぁい……」
やはり二人からは無気力な返事しか返ってこない。
「さて、今日はこんなところか。彩華、明日早いので、先に失礼する」
「ああ、了解した」
「兄さん、私も行きます」
俺と鈴音は、ヘリオとアリエラの手をそれぞれ引っ張り、軍務室から出た。
――現場でどんな指示が出るのか……この二人も心配だし……上手くいくかな……
俺は一抹の不安を覚えながらも、早めの夕食をすませて自室に戻る。同時に鈴音とアリエラも入ってきた。
――うん、アリエラ、ここはしっかり押さえているね。
鈴音が引っ張って連れてきたようにも見えるが……鈴音も心配のようで、放ってはおけないのだろう――さすがお姉さんである。
えっと、ヘリオは……まあ、一人でも大丈夫だろう。
その後は、いつものごとくである。元気のないアリエラだったが、鈴音が浴場に連れて行く時だけは、妙に嬉しそうな表情をしていた――まあ、深くは追求しないでおこう。
戻ってきた二人は、いつも以上にヘロヘロになっていたため、そのまま寝床に入ってしまった。
ってか暑いこの時期に、そんな風呂上がりの火照った体で、よく寝付けるな――まあ、深くは追求しないでおこう。
さて、明日からの皆さんの活躍に期待して、俺も寝よう。
ん? てかいつの間に彩華さん戻ってきて、しかも既に寝ているのですか? その上、しばらく逢えなくなるためか、微妙に誘ってるし――まあ、深くは追求しないでおこう。
読み進めていただき、ありがとうございます