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狗と呼ばれて 13

「……朝か……」


 カーテンの隙間から差し込んだ朝日は、閉じたまぶたを薄地のカーテンのごとく突き抜け、否応無しにも安らぎの時間の終わりを告げる。


 早朝とはいえ差し込む夏の日差しは、ジリジリと顔を焦がしていく。

 それは起き際の楽しみ、『みんな大好き、まどろみ時間』を容赦なく奪いさる。


「……暑い……」


 眩しさと、暑さと、そして優しく鼻腔をくすぐる甘い香りに意識が覚める。


――ん? てか、香り?


 ぷに……


――で……ぷにって……?


 ぷに、ぷに…… 


 右手から滑らかで柔らかな、しかも何となく覚えのある感触が伝わってくる。その正体を確かめようと、頭を右に向けて目を開ける。

 視界に入ったのは、幸せそうに緩んだ寝顔の鈴音だった。


(あれつ? 鈴音さん……)


「……んん……」


(はっ! 起こしてはいけない……)


 なんだかんだと言っても俺も健全な男子の一人である。今しばらくその感触に触れていたかった。

 しかし背に腹は代えられない、名残惜しいが俺は慌てて右手を引っ込めた。


 とはいってもまだ起きるのは早い、眠れるときは徹底的に寝るのだと、暑さを我慢してもう一度目を閉じ、頭を反対に向ける。


(うぅぅ……目を閉じていても、こっちを向くと眩しい……)


 ふにゃ……


——はい? ふにゃって……


 眩しい日差しを遮ろうと左手を上げたその時、肘が何かに当たり、不思議な感触が伝わってきた。


――はて? 鈴音……いや違うぞ、右側にいたはず……


「……ん……

 ……神楽、起きていたのか? 悪いが私は、もう少し寝かせてもらうぞ」


…………


「……あ、彩華……悪いが、カーテンをしっかり閉めてくれ……」


 尋ねたい事はあったが、ようやく口から出たのは、この一言だった。

 そして彩華は黙って、手を伸ばしてカーテンを閉めた。


「これでよいか……では……」

 俺の返事を聞く前に彩華は目を閉じた。


 今事を荒立てたくない俺ももう一度、目を閉じた。


 しかし暑い――いくら夏とはいえ、この熱さは異常である。


――ん? ……暑い? ……いや熱いぞ……首から下が妙に熱い……しかも重い……


 夏用の薄地の布団が、汗を吸って重くなったとはさすがに考えられない。

 それよりもここまでの流れだ。見るまでもなく、想像通りの事が起きているのであろう。


――いや、もしかしたら、万が一、想像もしていない事が、起きているのかもしれない。


 一応首を上げて確認する。


――ですよね……


 いくら『事実は小説より奇なり』と言えども、それがひっきりなしに起きていたら、作家さん達が困る——既にそういう事態だろう……


 当然視界に入ったのは、汗びっしょりになりながらも俺に覆い被さって、幼子のようにしがみついているアリエラだった――それにしてもアリエラ、そんなんじゃ寝苦しいだろう……主に俺が……

 けれども彼女は、至福の一時を楽しむような寝顔をしている。


――まったく、よくわからん……さてさてどうしたものだろうか……


 と、涼しい顔で考える……いや、そんな場合じゃない、とにかく熱い!


 しかし困った……ここから抜け出そうにも、右に鈴音、左に彩華が、被さるアリエラを除ける場所が無い。

 仕方が無い……俺はアリエラを抱きかかえ、その場でくるりと回る。

 先ほどとは逆に、位置が入れ替わったアリエラに、俺が覆い被さる形になる。


「むぎゅ……」


 一瞬俺の体重がかかったため、アリエラが怪しい声を出した。

 アリエラが目を覚ましていないのを確認して、俺はそのままゆっくりと起き上がり、怪しくも妖艶な灼熱地獄となっている寝床から離れた。


——へっ、地獄ですか? はい、ごめんなさい、嬉しい事態です――が、熱い……とにかく熱い……という意味の地獄です。


(こういう事は、冬の凍える時期にして頂きたいものだ)


 ある意味現実離れした……とは言っても、健全な男子が一度くらいは憧れる、そんな状況の朝……寝床の脇に立って、幸せそうに眠っている三人の女子を見ながら、とりあえず脱出劇も手馴れてきたと感心する。


 ん? 手馴れる?

 そう、ここに来てから三度目の朝を迎えた――つまりこの事態は、毎朝の出来事でもあった。


 二度寝をする事が事実上不可能となった俺は、シャワーを浴びるために一度部屋から出た。


 三十分程して、俺が部屋に戻ってくると、三人の女子は目覚めていた。

 姦しいとはよく言ったものだ。起きた直後のはずなのに、既にわいわいとやっている。


――今まで毎朝、これをやっていたのか?


 一つツッコミを入れると、百返ってきそな勢いである。

 とりあえず、俺が彼女達に汗を流してくる事を勧めると、三人とも素直に部屋から出て行った。


 俺は蒸すような熱気がこもった部屋の空気を入れかるために、全ての窓を全開にした。

 夏とはいえ早朝のさわやかな空気が、甘く香る夜の空気を押し出し、緑の香りと共に室内に流れ込む。

 そしていつも通りの慌ただしい朝の訪れは、一日の始まりを告げる。




 時間は午前九時を回ったところである。


 鈴音とアリエラは街の巡回に出て行った。

 とは言っても、「お人形」禁止令は継続中である。しかも以前より厳しく言い渡されている。

 扱えない剣を振り回す訳にもいかないだろう。

 結果、ほとんど丸腰の二人は、反抗活動を厳しく取り締まる事が出来ない訳である。


 そして私服ならサボる事も出来るだろうが、当然ながら制服姿である。

 一体何をしに街に出て行くのだろうか、つい疑ってしまう――例えば制服姿を売りにした、怪しい副業か?


(うん、今度報告書を見てみるか……)


 と、訳のわからない事を考えている俺は、はっきり言って暇を持て余している——あっ、いやそう言う訳ではない。

 とりあえず『ナイグラ機関』の本拠地が確定しない事には、動きようが無いのである――決してサボリっているのではない。

(本人の主観による感想であり、全ての人に、そう見えるのではありません)と、付け加えておく。


 そして今も一応こうして無い頭を振り絞り、攻略方法を考えているのだが……


「なあ彩華、バルドアの歴史資料のつじつまが合わない気がする。何か知ってるか?」

「ああ、話は聞いている。

 意図的に改ざんされているようだな。今各方面に当たらせている――が」

「な、何だ?」

「神楽、よく気が付いたな」

「お、おう、当たり前だよ。俺だってそれなりに勉強しているんだぜ」

 当然、社守軍師の入れ知恵である。


「ふうぅーん、そうか、それは良い事だ――期待しているぞ、神楽」


――てか、見透かされているのか?


「それはさておき、地下迷宮の調査はどうなんだ」

「思った以上に規模が大きい上、追跡を妨害するための様々な仕掛けがあってな……はっきり言って作業は遅れている。すまんな神楽」

「別に彩華が謝る事じゃないぞ。

 そもそも脱出のために作られた地下迷宮のだし、詳細な資料が残っているとは思えない。

 それにしても地下迷宮に関する記述すら、見当たらないのが不自然だな」


 資料に書かれている帝国の歴史は、非常に不自然なのだ。

 バルドアが帝国を名乗る前、トゥルーグァを首都として近隣を併合するまでは、細かく記されているのだ。

 しかしある時期を過ぎると『どこどこを併合した』とだけの、ビックリするくらい簡潔に記すだけになるのだ。

 書き手が替わったからなんて言われればそれまでなのだが、一国の歴史を公的に記すものである。その可能性は低いだろう。

 つまりは後世に、若しくは俺達に見られてはマズい事が書き記されている可能性がある。

 それこそ地下迷宮について、何らかの使い道が記されていると考えてしまう。いや、間違いないだろう、俺の働きの悪い頭でも推測できる。


「ところで神楽」

「どうした彩華」

 付き合いの長い、息ピッタリの掛け合いである。


「……ヘリオ・ブレイズはどうした?」


…………


「……へっ? ……誰それ……」


 いや、決して忘れていた訳では無い……はず……言うなれば、これは俺の優しさである。


 間もなく発動されるであろう、大きな作戦に向けて、本調子でないヘリオには、休める時には休んで頂きたいという、俺からの心遣いである――としておいてもらいたい……


「全くヘリオは……しょうがないな、俺ちょっといってくる。

 あっ、そのまま巡回してくるよ」

「わかった」


 俺は向きを変え、部屋を出ようと扉の取っ手を握ろうとしたその時、手が触れるのを拒絶するかのように、ふわりと扉が開いた――自動扉ってか……


「か、神楽さん、僕の存在を忘れないで下さい」

 目の前に現れたのは、息を切らしながら、大きく上下に肩をゆらすヘリオだった。


――あれ? 何でわかった? でもそれは遅刻の理由にはならんぞ。


「あっ、遅れてすみませんでした」


――てか……何でわかった?


「じゃあ彩華、ヘリオも来た事だし行ってくるよ」

「承知した」

「へっ? 神楽さん、行くって……」

「仕事だよ。街の巡回だけどね」

「あっ、気をつけて」

「って、ヘリオも行くんだよ」

「あっ、すみません……って、僕もですか?」

「それが仕事なんだから、当たり前だろう」

「で、でも……」


 どうにもヘリオは前回の失態が気になっているようだ。

 だがなヘリオ、いつまでもそれじゃ進歩は出来ないぞ、新たな一歩を踏み出そうぜ――なんて、俺って熱いか?

 と……そんな事を間違っても口には出せない、内気な俺だった。


「つべこべ言わない、行くぞ」

 愚図るヘリオを一刀両断、優しい言葉をかける俺である。


「は、はい……」


 そもそもアリエラのように、銀髪というバルドアでも珍しい外見的特徴を持っているのなら、明姫を連れていなくても、その正体に気付かれる事もあるだろう――もっとも、存在感あふれるあの口調では、髪を隠しても……


 しかしヘリオよ、お前の外観的特徴は……残念だ……完全に平均的なバルドア人だぞ。


 ある意味それはそれで凄い特徴だと思うのだ……天ノ原人の中に、一人でいれば一目瞭然だ――あっ、当然か……その辺りのバルドア人でも、それならわかるもんな。


 とにかくだ、今、目を閉じてヘリオの顔を思い浮かべろと言われても――えっと……すまん、覚えていない、となる訳だ。

 もしかすると、輝姫を連れていても、正体がばれないかもしれないぞ――っと、もう一人の俺が『さすがにそれは無い無い』と手を横にふる。


 こうして俺は、無理矢理ヘリオを連れて、街の巡回に出て行った。



「ほらみろ、何事も無かっただろう」

「はい、思った以上に穏やかでした」


 巡回を終えた……と、言うより、一応定められている終業の時間を迎えた俺達は、一度庁舎に戻る。

 当然の如く、街中を平然と歩いていても、ヘリオの素性がばれる事は無かった。

 いや、どちらかというと俺の方が問題だった。このトゥルーグァには、神国から訪れている人も多い訳で——結構、話しかけられた……

 迷惑という訳では無いが、街中でしかも大声で『筆頭魔術師の神楽様』などと言われると、恥ずかしい……いや、バルドアの人々の目が気になる。

 だから何だという事はないのだが——何となくちょっぴりだが、ヘリオやアリエラの気持ちはわかるかな。


「神楽兄さぁーん」

「兄さーん、終了ですか」


 そうそうこんな風に大声で——って、鈴音さん、アリエラさん、相変わらず元気ですね。

 それにしても、嬉しそうで……怪しい副業で思った以上に、お小遣いが出来ました?


 ちょうど正門をくぐったところで、後ろから聞こえる声に、足を止めて振り向く——あっ、決して駆け寄るなよ。


 その辺りは鈴音も学習しているようで、小走りで近寄ってきたが、一旦停止は怠らなかった。


——うんうん、交通規則はしっかり守りましょう。


 合流した俺達は、彩華の軍務室に向かった。


 コンコン……


「どうぞ」

 扉を叩くと中から秘書官の優しい声が聞こえた。どこぞの無愛想な秘書官とは大違いである。


 俺達が部屋に入ると、奥の執務室の扉が『カチャリ』と開き、彩華が出迎えた——いや違うな、今すぐにでも話したい事があるようだ。


「全員揃っているのは都合良い、とにかく中へ」

「どうした、慌てて」

 その慌てぶりというのか、態度から何を話したいのかは察しがついた。

 俺達が奥の部屋に入ると、扉を閉めた彩華が振り向いて、すぐさま口を開く。


「つかんだぞ」


——いや、いきなりつかまれても……そこは嫁以外がつかんじゃ……


……はい、ごめんなさい、自重します——


「本拠地だな」

「ああ、先ほど情報部から連絡があった」

「そうか、では作戦の立案だな」

「ん? それは神楽に任せると、朝言ったはず」


——あれ? 期待してるとは聞いたけど……彩華さん、どこを間違っちゃったのかな……


「なぜ怪訝な顔をしているのだ、神楽」

「あっ、何でもない……」

 俺って、そんな表情をしてたのか?


「なら良いが……この件は、当然本都にも伝えた。

 社守軍師が、良い知恵を貸してくれるかもしれないな」

「それならありがたいな」

「何だ神楽、自信が無いのか?

 それはさておき、本日は終了だな。

 明日からは巡回を一時中断して、作戦の立案に集中するぞ」


「はい」

「わかりました」

「承知しました」

「わかった」

 アリエラ、鈴音、ヘリオ、俺の順に返事をした。

 俺達は部屋を出て、頃合いよく空いた腹を満たすために食堂に向かった。



 食事を済ませた俺達は、自室に向かった。


——てか、ここは俺の部屋の前だけど……何故四人……


「あの皆さん、自室には行かないのですか?」

「私は兄さんにお話が……」

「私もだ」

「ア、アリエラもです」


 当然ながら嫌な気分ではない。まあしかし、一応、多少、ちょっとはそういう仕草も必要だろう。


「ふう……」


 溜め息というには軽く、普段よりちょっとだけ大きな音を立てて、息を一つ吐くと同時に部屋の扉を開けた。


 ガチャ……


…………


「どうした神楽、先に入らせてもらうぞ」


…………


 いや、待てって、この状況は、おかしいだろう……鈴音もアリエラも、目の動きが一点を見つめたまま止まっている。


 そんな俺達に、遠慮する事無く部屋に入った彩華は、寝床に腰を下ろす。


「うん、やっぱり慣れた寝床は良い」


 一同、無言、沈黙、絶句、撃破——その他いろいろ……


「あの……彩華さん、これは一体……」

「寝床が一つでは狭いのでな、私のを運んだ」


…………それはご苦労様です。


「あ、いや……なんだ、そうじゃなくて……」

「神楽も寝床が広い方が良いだろう」


…………少しは熱さから解放されるかも。


「ああ……そうだな……じゃなくて……」

「それに、美女に囲まれて嬉しいのだろう」


…………確かに、それはアリだけどね。


「と、当ぜ……いや……ですから……」

「固い事言うな」


 あまりの状況に鈴音もアリエラも反論の一つも出てこないようである。


——静かでいいのだが……


 というわけで俺の部屋は、どうやら四人部屋になったようだ。

 いや正確にいうなら、女子三人の私物はそれぞれの自室に置いてあるから、俺の自室と四人の寝室という、何だかよくわからない部屋になってしまった。

 読み進めていただき、ありがとうございます。

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