狗と呼ばれて 4
コン……コン……
「ヘリオ・ブレイズです。ただいま戻りました」
重苦しく扉を叩く音と共にヘリオ・ブレイズが戻ってきたのは、午後三時を回った頃であった。
「どうぞ、入って下さい」
鈴音が声をかけると、ゆっくりと扉を開けた彼は、うつむき加減でその表情も暗く、引け目を感じているようである。
やはり任務を途中で打ち切られ、帰還指示が出た事を気にしているのだろう。先に帰還報告をするために寄ったであろう司令部でも、何か言われたのかもしれない。
「そんなところで扉を開けっ放しのまま立ってないで、早く入って下さい」
扉のところで、いつまでも立っているヘリオを見かねた鈴音が、もう一度声をかけた。
「鈴音さん、すみません。では遠慮なく……」
「遠慮なくって……ここはヘリオさんのお部屋でもあるんですよ」
「そ、そうですね。すみません……」
ようやくヘリオは扉を閉めて室内に入ってきた。
どうにも、この度の事が気になっているのか、必要以上に他人行儀になっている。
自信なさげなおどおどとした視線で、俺と鈴音を一目した後、重く口を開く。
「此の度の件、天鳥神楽筆頭魔術師をはじめ皆さんには、大変ご迷惑をおかけしました事を、先ずは、お詫びします。
本当にすみませんでした」
入室したヘリオは改まって、謝罪し深々と頭を下げた。
「ヘリオ・ブレイズ、頭を上げなよ。俺達は迷惑とは思ってないよ。
なにより、今回の一件はある意味起きるべくして、起きたと思っている。
それがある程度わかっていたにもかかわらず、未然に防げなかった俺にも責任があるしね。
詳しい話は後でも良いけど、とりあえずかいつまんでで良いから、理由を聞きたいがどうかな。
それとも、しばらく休んで、落ち着いてからにするかい。俺は構わないけどね」
「お気遣いありがとうございます。僕は大丈夫です。
ところで……アリエラはどこに……まさか何かをしでかして……」
俺の言葉を聞いて頭を上げたヘリオは、左右を見渡し、姿の見えないアリエラが心配になったのか尋ねてきた。
「ヘリオ先輩、失礼で・ス!」
「えっ!」
アリエラの声と同時にヘリオの体が「ビクッ」と動く。
彼の背後の長椅子で、横になっていたアリエラが、彼の視界に入らなかったのだろう。
その死角から、突然アリエラの声が聞こえて驚いたのか、引きつった表情に変わったヘリオが、声の出所に視線を向けた。
「ア、アリエラ、居たんだ……」
「居たんだじゃないんで・ス! でも、デ・モ・ヨ、体は痛いんで・ス!
だけど、ケ・レ・ド・モ、アリエラが小さいからって、見えないほど小さいのカ・シ・ラ!
しかも、シ・カ・モ・ヨ、何かしでかしたって、どういう事です・カ! アリエラはヘリオ先輩じゃないんで・ス!
うぅぅ……痛い……」
「大丈夫か、アリエラ……」
アリエラは大声を出すだけで体が痛むらしく、おかしなうなり声をあげた。そんな彼女を覗き込んだヘリオは、引きつった表情から一変、心配げな表情に変わった。そして俺に理由を尋ねてきた。
「神楽さん……アリエラはどうしちゃったんですか?」
「あれだよ、教習だよ。昨日終わって戻ってきたんだ。緊張が途切れて、一気に疲れが出たんだと思うよ」
「なるほど……あれは僕も辛かったですよ。特に最終の野外教習は、心身ともに応えました」
「俺や鈴音もそうだったよ。
ところで、帝国では教習はどうだったんだ。あったんだろう?」
「一応ですね。形だけのようなものでした」
「形だけか……なるほどね……」
俺はそう言うと、ちらりと鈴音を見た。
「あら兄さん、何か言いたいようですね」
「えっ、あ、いや、何でもない……」
アリエラには、鈴音のようなたくましさが無いと、俺は思っていたのだが、決して口には出せないと悟った。
「帝国では、上になればなるほど、泥臭い事を嫌う……いや、できない雰囲気になってしまうのです」
「それって、階級が上がると訓練とかしなくなるっていう事か」
「全くとか全員ではないのですが、はっきり言うと、そうです。
多分特権階級とか、貴族という言葉に原因があったと思います」
ここで私はそんなんじゃないと言わんばかりにアリエラが口を挟んできた。
「でもよ、デ・モ・ネ、アリエラは真面目にちゃんと訓練を受けていまし・タ! 毎回お休みはしなかったで・ス!」
「アリエラ、それは僕も知ってるよ。
だけどね、訓練そのものの質が違うんだよ。
そもそもアリエラは、訓練が終わった後に寝込んだ事無かっただろう」
「うっ……確かにそうだけど、それは……ここの教官が意地悪だったんで・ス! それに、しばらく激しく動いていなかったから、体が鈍っていただけなんで・ス!」
「アリエラちゃん、その辺にしておかないと、また体が痛くなっちゃいますよ」
「ひっ! わ、わかりました鈴音姉さん」
「さてアリエラも落ち着いた事だし、ヘリオ・ブレイズ、少し話てもらえるかな。無理にとは言わないけどね」
俺が言うと、ヘリオは重そうな口を開き、ゆっくりと話を始める。
「はい……実際ショックだったんです。
僕自身、ある程度予想はしてはいたのです。でも……それでも、面と向かって言われると……思っていた以上のショックだったんです。
今まで、僕自身を必要としてくれていると思って、守ってきた人達に……」
「一体、何と言われたんだ?
これはアリエラにも関係がある話なんだ。本来ならヘリオと入れ替わりで、アリエラが派遣される事になっていたんだ。
今ここにいるのは、さすがにこの状態では無理だからね、二、三日延期してもらったんだよ」
「そうだったんですか……アリエラ、ごめんな……」
「ヘリオ先輩、謝らなくてもいいんで・ス。どのみち派遣される訳だったんだから、早いか遅いかの違いだけなんで・ス」
「アリエラは優しいな。そう言ってくれると僕も気が楽になるよ。
それにアリエラは僕より、ずっと強いから大丈夫だよね」
「で、ヘリオ・ブレイズ、誰になんて言われたんだ。
話の内容からすると、裏切り者とか言われたのかな」
「平たく言えばそうです。
彼らは『狗』と……一部の領民や兵士達ですが……もともと帝国に対する愛国心が強い人々だと思います。
彼らは僕達の起こしたあの騒動で、帝国が瓦解していく中、上手い事立ち回り、神国に取り入ったと思いるのです。
その上、神国の警察として、旧帝国領民を取り締まっているわけですから……」
ヘリオの言葉を聞いたとき、俺の心の何かに触るものが沸き上がり、声を荒げた。
「ヘリオ・ブレイズ、お前は間違った解釈をしているぞ!
お前はあの騒動の首謀者なのか? 違うだろう!
お前やアリエラは、領民達と同じく巻き込まれた一人であるのだろう。
ましてや、議会の連中や文官達みたいに、要領よく立ち回ったわけでもあるまい。
その上警察をやっているからだと、帝国には警察が無かったのか? それとも少しでも態度がおかしい奴、ちょっとでも反抗的な輩を、逮捕しまくっていたのか?
……あんまり嘗めた事、言ってんじゃないよ!」
(ヤバッ……頭で考えるより口が動いちゃったよ……こりゃ言い切るしかないな)
「……守ってきた人々に『狗』って言われてショックだったてか……気持ちはわからんでもなけど、今更その程度のことで任務が手に付かなくなるくらい、落ち込むとは思えないね。
確かに、顔をあわす民衆のほとんどから言われれば、落ち込みもするだろう。
でも実際は、おかしな愛国心を持つ一部の輩に言われる程度なんだろう。
そいつらは、事あるごとに旧帝国領民のナショナリズムを煽って、反抗運動を拡大しようとしている輩なんだろう。
もっと言えば、そいつらは旧帝国を崩壊に導き、そして今はこの神国に対して反抗戦を行っている、あの首謀者達に繋がっている連中だろう。
ヘリオだってわかっている事だよね。
そんな輩に裏切り者扱いされたとしても、落ち込んだり凹むとは、到底思えない。
それは本当の理由であるはずがない。
全くいい加減にしろって言いたいよ。
アリエラもそうだったけど、ヘリオも一緒だよ。完全に信用しろとは言わない。でも、もう少し心を開いてくれても良いんじゃないか。
……今回の件、契約の主旨がらみなんだろう」
静まり返った部屋に俺の荒げた声が響き、そして残響が消えると、部屋の空気は固まっていた。
ヘリオはもちろんの事、アリエラ、そして鈴音まで、まばたき一つしないで、俺を見て固まっている。
どうやら少々きつく言い過ぎたようである。
日頃見せた事のない俺の素顔を、一つ披露してしまった。しかし鈴音まで固まるとは思わなかった。
「ぼちぼち答えてくれないかな、ヘリオ・ブレイズ」
俺は改めて返事を迫った。
先ほどまでは、「落ち着いてからで」などと言っていたのだが、建前の理由を聞かされて、歯止めがかからなくなっていたようだ。
「先ほどはすみませんでした。
確かに神楽さんの言う通り、契約の主旨に関係しています。
だからと言って、先ほどの話は全くのデタラメというわけでもありません。
今回の一件は、契約の主旨と先ほどの話が、連動して引き起こしてしまったようなものです」
「先ほどは俺もきつく言い過ぎたようで、すまなかった。
やはり契約の主旨がらみか……アリエラにも一応聞いてはみたが、何を守っていたのかまでは、知らないようだった。
なあ、せめて戦場での相方には……あっ、俺が口を出す事でもないか……」
突然思い出した、偉そうに言っている俺が鈴音と契約の主旨を交換してから、まだ一年も経っていなかった事を……そして中途半端に俺がそこまで言うと、ヘリオが語り始めた。
「当然神楽さんは、僕の契約の主旨を知っていますよね。
『自分の信じるもの』なんて自己中心的で、ちょっと恥ずかしいのですが、前は帝国というものを守っていたんです」
「その辺りまでは、俺もアリエラに聞いたのだけれど、あまりにも抽象的過ぎて、何と言うのか、想像できないんだ」
「確かにそうですね。
僕のいう帝国というのは、例えば領民であったり、同じ戦場の兵士達であったり、領土であったり、欲張りなのかもしれませんね。
でも、貴族とか特権階級とか、それこそ皇帝陛下などは、守る者には含んでいなかったのです。
だからと言って信じていないと、いうことでは無いのです。
当然、国に仕える兵士の義務として、その方々を守るという責任をはたしてました」
「それはわかるよ。俺も兵士として、国をまとめる者達を信じなければ、自分の国なんて守れないからね」
「僕は、親から『弱い者はしっかりと守ってさしあげなさい。でも強い者は自分を自分で守れるから強いのです。だから必要以上、手を貸さなくても大丈夫』と教えられました。それがいつの間にか、僕自身の正義となっていったのです。目上の人達を除外していたのは、だからでしょうね。
でもあの騒ぎの時、僕は信じるものを失ってしまったのです。
信じていた人達から、あのような仕打ちを受けて、信じるどころか、敵であった神楽さん達に助けられて……何だかわからなくなってしまったんです。
だからと言って申し訳ないのですが、神国やここの人々、もっと言えばそれこそ僕達を助けてくれてた神楽さん達を、今すぐ信じる事ができるかというと、それもできない。
今の僕はこの力を使うための目的が無いんです。
そんな心の隙をつくように、あのような一言が重く響いてしまった」
ヘリオの語りに区切りがつくと、鈴音が口を開く。
「ヘリオさん、今まで通りバルドアの人々を守ってさしあげる事は、出来ないんでしょうか。
例え統治の体制が変わったとしても、領民達の本質は変わる事ないと思うのです」
「鈴音さん、僕もそう思ったのです。でも国という体制に裏切られてから、駄目なんです。
人々の考えが変わったわけではないのです。そんな事は当然わかっているんです。でも自分でも驚くくらい、それを心が拒否をするんです」
「それで、鬼姫はなんて言っているんだ」
俺は闇姫達とした話はさておき、もう一人の当事者である鬼姫の事も気になっていた。
「鬼姫……様は、『しっかりしろ』と……それに類する言葉以外、他には特に何にも言いません」
「そうか……鬼姫達も知らないと考えるのが妥当か……」
「それは、どういった事でしょうか」
「契約の目的を達成したり、今のヘリオみたいに、目的を失ったりした場合、どうなるのかを、闇姫達に聞いたんだ。それで……」
俺は、先日彩華からの報告書を読んだ後、契約について闇姫達と話した事をヘリオに伝えた。
「……という事で、彼女達『お人形』にもわからないらしいよ」
「そうですか……それじゃ鬼姫……様達もきっとわかりませんね」
「まあ、この話はゆっくりとつめてみよう。
今日のところはもう戻って休むといいよ」
「はい、ではそうさせていただきます」
「長々と引き止めて悪かったね」
「失礼します」
ヘリオ・ブレイズは軍務室を出て行った。
まだまだ問題はあるが、とりあえず今はこの部隊に慣れてもらい、信頼関係を築いていくしかないようだ。
「おっと、もうこんな時間か。
鈴音、食事を運んでもらう手配をしておいてくれ」
「わかりました」
「それと、アリエラは今晩はどうする。
ここに泊まるか、それとも自室に戻るか」
「ご迷惑でなければ、このままここでお願いします」
「俺は構わないよ。鈴音も良いだろう」
「そうね……ふふ、あとでまた一緒に、お風呂に入りましょうね、アリエラちゃん……ふふふ。
じっくり眠って、朝まで目が覚めないように、しっかりとほぐしてさしあげますね」
「ひえっ! 鈴音姉さん……ご勘弁を……それだけは許して……アリエラは何を聞いても、決して朝まで起きませんから」
「あらアリエラちゃん、なんだか聞いちゃいけないものを、聞いちゃったみたいね。
気になるお年頃だから仕方ないわね。
まあいいわ。今晩の入浴が凄く楽しみ……ふふ」
「鈴音さん、何だか凄く怖いですよ、それ……それに、あなたも気になるお年頃でしょう?」
『やっほぉ神楽君、黒、お腹すいたよぉ。ご飯まだかなぁ』
『出たな、食いしん坊軍団筆頭闇姫。
今鈴音が手配するからもう少し待っていてくれ』
『鈴音様、相変わらずアリエラ様には手厳しいですわね』
『あらら鈴音の姐御、あまりアリエラちゃんを可愛がらないで下さい。お姉さん、妬けちゃうわ』
『妾もちと、腹が空いたのう』
『てか鬼姫まで、ヘリオは放置か?』
『下僕か、ありゃ心配はいらぬ。よって放置じゃ。いやむしろその方が下僕も喜ぶ』
鈴音とアリエラのやり取りから端を発し、いつの間にか奥にいたお人形達が加わり、結局いつもの通りとなってしまった。
たまには静かな時間を過ごしたいと思っていた俺だが、それは鈴音とアリエラが出発するまで、望めないと悟ったひと時であった。
読み進めていただき、ありがとうございます。