策略 5
微妙に改変いたしました。2・27
『わぉ神楽君、すっごい良いお天気だよぉ。
ねぇねぇ早く、起きて起きてぇ』
今日から帝の戦場視察に護衛として同行するのだが――何か勘違いをして、日の出とともに騒ぎまくっている黒鬼闇姫に、否応なく起こされた。
『あの闇姫さん、鶏じゃないんだから……まだ睡眠の時間はたっぷり残っていますので……おやすみ……』
三時間程しか寝ていない俺は、そのまま布団に潜り込んだ。
しかし、遠足熱が加熱した闇姫の暴走は止まらず、
『だめだよぉ神楽君、今日から遠足だよぉ。早く起きて、お弁当の用意をしないとだめだよぉ。
あぁっ大変だぁ、おやつ買ってないよぉ、どうしよぉ神楽君、ねぇ起きて起きてぇ』
『闇姫さん……何度も言ってますが、遠足じゃないんですよ。
ですからね、お弁当もおやつも必要無いのです。
ということで……おやすみなさい……』
そしてついには最悪な事を言い出した。
『えぇ! だってぇ、遠くまで歩いて行くのに遠足じゃないなんてぇ、神楽君、変だよぉ。
それにぃ、お弁当やおやつがいらないなんて、意味わかんないよぉ。
そうだ、鈴音ちゃんにお願いしよぉ。でも銀ちゃんが「あら黒鬼闇姫さんは全く、はしたないでごじゃいましゅでしゅわよぉ」なんて言って怒るかなぁ。
でも大丈夫だよねぇ、黒には神楽君がついてきてくれるもんねぇ』
闇姫は、ニコリと笑顔であったが、いつの間にか動員される事になっている俺は、嫌な汗をかいて、
『いつの間に俺まで朝駆けに参加する事になっているですか? 闇姫さん。
ってか、鈴音はマズい。意味もなく起こされた鈴音の朝はヤバいぞ~、怖いぞ~』
と、闇姫を思いとどまらせるために、脅しをかける。
鈴音は意味も無く朝を起こされる事を非常に嫌う。つまり、語るも恐ろしい事になりかねない――その矛先が、間違いなく俺に向く訳です。
『でもぉだってぇ神楽君、鈴音ちゃんは血のつながっていない妹で恋人でしょぉ。朝起こしながら襲っちゃうくらいした方が、きっと鈴音ちゃんも喜ぶよぉ』
『おっと闇姫さん。非常に扱いの難しい言葉を、さらりと持ち出しましたね――』
確かに俺と鈴音は血縁がある兄妹ではないですし、いや、そもそも立場的な呼び名だけであって、実際は他人ですし、かと言って、はっきり胸を張って恋人と言える間柄でもない訳です。
『――それはさておき、随分と派手に勘違いしていますよ。
普通は妹が兄を、姉が弟を起こしながらこっそりと襲うもんです』
その時、扉を叩く音と同時に鈴音の声が聞こえてきた。しかし危ない妄想中の俺は、現実と脳内の区別がつかなかった。
「兄さん、起きてるの? 入るわよ」
『そうそう、こんな風に入ってきて、なかなか起きない駄目兄貴の寝顔を見ているうちに悪戯心で、口づけしたり、布団に潜り込んだりしてだな、兄貴が目を開けると……って……あっ! 鈴音さん……おはようございます……』
俺は、自分で起きてきた鈴音の姿を見て、小さな安心感に包まれた。しかし同時に、別の意味でヤバい状況におかれている事に気が付いた。
鈴音は胸のけしからん膨らみの前で腕を組んで、大きなお目目から、蔑むような視線を俺に向けて、
「兄さん、随分怪しい妄想をしていたようですけど、それは一体どういう事でしょうか。ご説明いただけますか?
……まあ、お望みならば……キスくらいは……」
と、最後は口ごもった。
ん? 最後なんて言った? と、それはさておき言い訳を、
「それは、闇姫が……って、あれ闇姫は?」
言うが当の本人闇姫が見当たらない。
と、鈴音の隣から、白フリルの塊、いや、銀界鬼姫が、
『神楽様、黒鬼闇姫さんは、ここにいませんですわ。
しかし、そんないかがわしい妄想を口にまで出しては、いくら殿方といえども少々はしたない事でございますですわよ。
でもそうしてほしいのでしたなら、はっきりと鈴音様に伝えておけば宜しい事でございますですわ。
鈴音様も快く引き受けて下さりますですわ――はっ!』
相変わらずのくどい語尾で、更に毎度の事ながら、一言、二言、余分に付け加える。
と、突然、手を口に当てて、言葉を切った。
『って、鬼姫ちゃんまで何を言ってるのかしら』
大きなお目目の目尻をあげた不気味な笑い顔で、にじり寄る鈴音。そして恐怖のあまりたじろぎ、じわりと後退する鬼姫。
二人の怒りと恐怖が交錯し、臨界点に達した。
『あぁ鈴音ちゃんと銀ちゃんだぁ、おっはよぉだね』
嬉しそうな声と共に闇姫が、どこからともなく現れた。
『あら闇姫ちゃん、おはよう』
振り向いた鈴音は、満面の笑みを浮かべていた。
『変わり身速っ!
てか闇姫、どこに隠れてたんだ。鈴音達におかしな誤解をされちゃったじゃないか』
『隠れてなんかいないよぉ。黒、おやつを探していたんだよぉ』
『おやつって……だから……』
『そうだ、鈴音ちゃん、黒ね、お弁当つくってほしいんだけどぉ』
『お弁当って、どうしたの闇姫ちゃん』
『だってねぇ神楽君がねぇ、自分で遠足って言ってるのにぃ、お弁当もおやつもいらないって言うんだよぉ。
黒、一人じゃ作れないし、困ってたんだよぉ』
『えっとですね闇姫さん、俺の言い方も悪かったかもしれませんが、かなりの確率で言葉の意味を、大幅に間違えて解釈しています』
『もういいよぉ神楽君、意味わかんないしぃ。
でもぉ鈴音ちゃん、お弁当作ってくれるよねぇ』
『言ってる意味がちょっと……でもいいわ闇姫ちゃん、じゃあ私の部屋で一緒に作りましょうか』
『やったぁ、やっぱり鈴音ちゃんはわかってるぅ』
上機嫌になった闇姫を鈴音が連れて行ってくれたおかげで、静かな朝のひと時が戻ってきた。
俺は出来の良い妹に感謝しながらもう一眠りした。
「……いさん……」
「うにゃ……?」
眠りが浅かったのか、俺は鈴音が扉を開ける音で目が覚めていたのだが、
「兄さん、いい加減起きて下さいよ。もうじきお昼になりますよ」
しかしちょっとした悪戯心と、もしかしてあるかもしれない甘い出来事を期待して、なかなか目覚めない駄目兄貴のふりをした。
「早く起きて支度しないと遅れますよ。
それと、闇姫ちゃんが怒ってますよ」
(はい?)
次の瞬間、ドスッと、俺は腹に鈍い衝撃を感じた。更にドスドスと、二度、三度と繰り返された。
「グゲェ……って、なんだ?」
堪らず目を開くと、俺にのしかかる闇姫の姿が飛び込んできた。
そして跳ねた……
更にズドン、と鈍い衝撃を感じると同時に、騒ぎ立てる闇姫の声が耳に入ってきた。
『やったぁ神楽君が起きたよぉ。でもねぇ、黒は怒っているんだよぉ。黒く染まっちゃいそうなんだよぉ』
『闇姫さん、何を怒っているのかわかりませんが、お腹の上で飛び跳ねるのをやめて、ぼちぼちおりてくれませんか』
『だってぇ神楽君がお寝坊さんだからぁ、みんな遠足に出発できなかったんだよぉ。
だからねぇ、お弁当も食べられなくなっちゃんだよぉ』
『えぇっと鈴音、大変申し訳ないお願いですが、闇姫にご説明して頂けませんか。
俺は、もう疲れました』
『そうね。兄さんの下手な説明でいつまでも勘違いしていては、闇姫ちゃんが可哀想だもんね』
そう言うと鈴音は、俺達の話を聞いて怪訝な顔をしていた闇姫に、優しく話しかけた。
『闇姫ちゃん、出発はお昼を食べてからなのよ』
と、はっきり言われた闇姫は、
『えぇっ、黒は聞いてないよぉ。神楽君もそんな事言ってなかったしぃ。
あっ……そうかぁ、鈴音ちゃんは神楽君をかばっているんだよねぇ。お兄さんだし、恋人だもんねぇ――』
大幅な勘違いをしたまま、ぶつぶつと話を続ける――大抵はおかしな方向に脱線するのですが。
『――だけど出来の悪いお兄さんとか恋人を持つと、大変なんだよねぇ。でもねでもねぇ、今はこんな神楽君でも、本当はやれば出来る子だって、黒は知ってるんだよぉ。
だからねぇ、永ぁい目で見てあげてねぇ。
それまではいろいろとごめぇわくをかけますけどぉ、よろしくお願いしますぅ……ペコ』
やっぱりです。
『闇姫ちゃん、どこを間違ったのか、私、何故か元気づけられたというのか……遠回しに、けなされている気がするんですが、お願いされておきますわ……でも兄さんの苦労……今ならわかる気がします……』
『鈴音、わかってくれたか……てか闇姫さん、あなたは一体何者なんですか?』
『やっぱり神楽君は変だよぉ、黒は黒だよぉ。そんな事を言ってるからぁ、鈴音ちゃんが苦労するんだよぉ』
『ごめんなさい、全て俺が悪かったです』
『うん神楽君、わかればいいんだよぉ。
でもお弁当はどうしよぉ。黒、お腹が空いちゃったけどぉ、お弁当はお外で食べないといけないんだよねぇ。どうしよぉどうしよぉ、せっかく鈴音ちゃんが作ってくれたのにぃ』
『闇姫ちゃん、お弁当の食べ方ついてはちょっと違っているけど……いいお天気だから、外に出てみんなで食べましょう』
『わぉ、さっすが鈴音ちゃん、わかってるぅ。
神楽君も早くぅ早くぅ』
闇姫にせかされた俺の支度が終わると、四人で本殿前広場に出た。そして隅の木陰に陣取り、時々向けられる周りの視線に少し照れながら弁当を食べた。
しばらくすると闇姫が何かを思い出したように騒ぎ出した。
『あぁっそうだ神楽君、大変な事を忘れていたよぉ』
『どうしたのかな闇姫、なんだかまた怪しい事を言い出しそうですね』
『神楽君、失礼だよぉ。それじゃぁ黒がいつも変な事を言ってるみたいだよぉ。
神楽君だよぉ、いつも変な事を言ってるのは神楽君の方だよぉ』
『闇姫さん、何を間違っちゃっうと、そうなるんですか』
『ほらぁ、やぁっぱり神楽君が変だよぉ。
黒は何にも間違ってないんだよぉ。神楽君が間違ったんだよぉ』
『もういいです……全て俺が変という事にしておいて下さい。
で、大変な事って何ですか』
『そうだ神楽君が話を脱線させるから、忘れちゃうところだったよぉ。
おやつ、そうおやつだよぉ。鈴音ちゃんがせっかく用意してくれたのに食べれるのかなぁ。
だって三時だよぉ。三時に食べないと駄目なんだよぉ』
『闇姫ちゃん、大丈夫よ。ここを午後一時に出発するから、ちょうど休憩をするのが三時頃よ。だからその時、こうしてみんなで食べましょうね』
『わぉ、楽しみだなぁ、でも凄いよぉ鈴音ちゃん。何でも知っているんだねぇ。その上神楽君が危なくなると登場する正義の味方だよねぇ。
あっそうかぁ、鈴音ちゃんも神楽君の事を愛しちゃってるからだよねぇ。
熱いよぉ、熱いよぉ、ヒュヒュー』
って、闇姫さん、それは一体何処で覚えたんですか?
気品の問題になるとツッコミを入れてくる鬼姫が、やはり口を出してきた。
『黒鬼闇姫さん、そう言うのを「冷やかす」といって、とってもはしたない事でございますですわよ。
確かに鈴音様は神楽様を愛しています。それは曲げようのない事実でございますですわ。
したがって応援して差し上げるのは当然のお話なのでございますですわ。でもこういう事はとっても繊細なお話なのでございますです。
鈴音様をご覧なさい。黒鬼闇姫さんに大声で、自分では神楽様になかなか言えないことを、はっきりと指摘されて、あんなにお顔を赤く染めて照れてしまいましたですわ。
ですから、静かに温かく見守る……ウゲェ……痛いですわ』
鬼姫の話が途切れると同時に、ゴンと、鈍い音が響いた。
なんと、大きなお目目の目尻と眉を急激な角度で上げて、憤怒の闘神と化した鈴音の鉄槌が、鬼姫の脳天を直撃しているではないか。
『銀界鬼姫さん、優しい私でもそれ以上は許しませんよ。
そのお口をバッテンのり付けしますわよ』
いや鈴音、実力行使の直後の言葉じゃないぞ。
『ご、ごめんなさい……ですわ』
『わぉ! 銀ちゃんがあんなに怒られているのぉ、初めて見ちゃったよぉ。
あの銀ちゃんを叱れる鈴音ちゃんってぇ、やっぱり凄いよぉ。
神楽君、鈴音ちゃんのお嫁になれてぇ、良かったよねぇ』
『闇姫さん……やっぱりいいです。
鈴音……闇姫が俺をいじめるんだ。こっちに来て「私の嫁に何をする」って、闇姫を叱ってくれ』
近づいてきた鈴音が俺の前で立ち止まった瞬間、頭の中にゴンと、鈍い音が響き渡った。
『鈴音さん、ごめんなさい』
『では罰として私を腕枕しなさい』
『って、ここでは……周りの視線が……』
『兄さん、仲の良い兄妹の「公然の秘密」ですからいいのです!』
ゆっくりと流れる時間の中、みんなの笑顔に囲まれた俺は、ひと時の幸せな時間を堪能できた。それはきっと鈴音も同じだろう。
とりあえず今は、闇姫の「お弁当は外で食べるもの」というわけのわからないお弁当理論に感謝しておこう。
しかしこの後、視察という名目で戦場に向かう俺達にとって、この時間は長続きしない事はわかっている。
「間もなく天命ノ帝が参られる。各隊、整列して待たれよ」
宮内尊文侍従長の言葉によって、安らぎのひと時は終了した。
『兄さん、始まるんですね』
俺に腕枕をされている鈴音が、大きなお目目を伏せ気味に、不安気な表情でこっちを見た。
『みんないるから大丈夫だよ。
少なくとも俺には正義の味方の鈴音がいるからね』
『全く兄さんは……ありがとう』
『さて俺達も並ぶとしよう。遅れると宮内や天守に嫌味を言われるぞ』
『うん、そうだね』
そう言うと俺達は起き上がり広場中央に向かった。そして少々好奇の視線に晒されながらも列に加わった。
ほどなくして神国天ノ原の王である天命ノ帝が姿を現し、従者達に一言だけ声をかけた。
「それでは道中、よろしく頼みます」
そして帝が籠に乗り込むと、視察団は本殿正面の御門から出発した。
『わぉ神楽君、遠足が始まったよぉ』
『あの闇姫さん……やっぱりもういいです……』
読み進めていただき、ありがとうございます。