亀裂と雛型の歌
湖に住んでいる。霧けぶる世界。
母も祖母も、そのまた母も祖母も。
かつてこの湖には水女たちが棲み、歌と魅惑で人を病ませ、底に引きずり込んでいた。
ある時、村の若者がその歌声に魅了され犠牲者になった。
数多の者と同じように、湖の底を訪ねることだけを切望するようになったのだ。
どうしようもなく心を絡めとられ、霧の面影だけの水の乙女に心を占領されてしまっていた。
触れられない己を憎むほどに嘆き、いっそ水底に沈んで自身が水に包まれることを唯一願うようになった。
若者には、彼に密かに想いをかける内気な石工の娘がいた。
石工の娘は、若者の狂乱を心の底から悲しんだ。
娘は若者を死なせないために、水の女を石に彫り上げることにした。
一指も触れられない水の女を想うからこそ狂気の熱情に浮かされるのだ。
実在し触れることが叶えば、いずれその魔性にも気づいて正気に立ち返ってくれるだろうことを期したのだ。
願いは間に合わなかった。
若者が魔魅の夢に浮かされて語る精霊の姿を象ることができぬ間に、若者は水の底を訪ねて行って戻らぬ身となってしまった。
実在せず触れられぬ者たちの、永遠の虜となったのだ。
娘は嘆き、湖のそばに家を建てた。
人々は最初若者を弔う為だと思ったが、彼女がしたのは祈るでも喪に服するでもない──水女たちを石に写しとり彫る試みをひたすらに続けることであった。
いずれかの神にその一心不乱の後悔と執念が届いたのだろう。
ある日娘の瞼にその面影が閃き、水女の一人を彫りあげたとき、彫像が悲痛な嘆きの声をあげて完成した。
形無きものを形にする執念で実在無き水女を捉え、その精気ごと石中に閉じ込める奇跡を成したのだ。
娘の石削る鑿の奇跡は一人を閉じ込めることで止まることはなかった。
一人、さらにもう一人と。
水と霧の面に魅力的に揺蕩って人を誘い込む影を、こちら側に存在するものとして彫り上げて閉じ込め続けた。
二度と誰も惑わさないように。
湖から聴こえる水底へ誘う歌声はか細くなっていった。
途中で、石工の娘は全ての片をつけるには自身の時が足りないことに気がついた。
かつて若者を失ったことで心の亀裂と奇跡を抱えた石工の娘は、自分の命の残り時間に気がつくと、自分の娘を彫って息を吹き込んだ。
すると彫像は生きた人間の娘になり、代わりに石工の娘が石と化した。
娘は石になった彫像の母をしばし見つめて、そのまま彼女が握っていた鑿を手にした。
そうしてなにも教わらぬうちに娘は母親と同じく水女たちを彫り始め、そして彫り続けた。
揺らめく水の影だった彼女たちを、夢の向こうから、こちら側へと捕まえる。
屋内では手狭になり、湖を睨みながら彫ることで彼女たちを水から引き剥がし、陸に引き揚げて石の形に閉じ込めた。
娘は母親の心の亀裂と決意を言葉を交わすことなく受け継いでいたのだ。
嘆き涙を流す水女たちの彫像はいつしか評判になり高く売れ、あちこち遠方に引き取られていった。
だから生活の細かいことを気にせず彼女は彫り続け、やがて母と同じように自分の時の足らないことを悟ると娘を彫って息を託した。
やがて湖に人を誑かす水女たちはいなくなった。
だが、水女の囚われの嘆きの声を聞き浴びるごとに女彫刻家は静かに呪われていたのだ。
──魚が水に溺れるようにお前も石に溺れるが良い。
お前がいる世界に、当たり前のように自分が存在する場所に閉じ込められて窒息してしまうがいい。
女彫刻家は石を愛し、息吹きを宿す。
だが代わりに自身の息を失い、石に閉じ込められるだろう。
それを代々続けるが良い。
私たちを閉じ込めた分だけ。




