表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/8

第2話 最悪の囮任務

 B級ダンジョン『嘆きの谷』。

 そこは、首都圏から車で1時間ほどの場所に位置する、広大な岩山と深いクレバスで構成された立体的な迷宮である。名前の通り、谷底から吹き上げる風が、切り立った岩肌に反響して亡者の嘆き声のように聞こえることから、その不吉な名が付けられた。


「さあさあ、視聴者の皆! 見てくれこの見事な剣捌き! B級モンスターの『ロックゴーレム』も、この俺様の炎の剣の前ではただの石ころ同然ってわけだ!」


 薄暗い谷底の道を歩きながら、パーティ『紅蓮の剣』のリーダーである炎上烈は、宙を浮遊する追従型ドローンカメラ——通称『ハエドリ』に向かって得意げにポーズを決めていた。彼の足元には、真っ二つに両断され、高熱で赤熱した巨大な岩の魔物が転がっている。


「さすが烈様! 今の同接、一気に1万2000人を突破しましたよ!」

「スーパーチャットもガンガン飛んできてます! 『紅蓮の剣、今日も最高!』だってさ!」


 取り巻きの魔法使いや斥候の男たちが、スマホの画面を見ながら卑屈な笑みを浮かべてヨイショする。彼らは探索者専用の配信プラットフォーム『D-Tube』で生配信を行っていた。B級というそこそこの実力と、派手なエフェクトを伴う魔法剣、そして烈の尊大極まる不遜なトーク。それらが一部の視聴層に受け、彼らは中堅どころの人気配信者として、ギルド内でもそれなりの発言力を持つようになっていた。


「はっはっは! 当然だ! 俺様たちはいずれA級、いやS級に上り詰める選ばれしパーティだからな!……おい、そこの無能! ぼーっと突っ立ってないで、早くゴーレムの魔石を回収しろ! 俺様のカメラの画角に入るんじゃねえぞ!」


 烈が振り返り、最後尾を歩く悠作に向かって怒鳴りつけた。


「……はいはい。回収しますよ」


 鈴木悠作は、背負い慣れた巨大なリュックを背負ったまま、ゆっくりとしゃがみ込み、ゴーレムの胸に輝く魔石を無造作に引っこ抜いて指定の袋に放り込んだ。

 今朝、ギルドで烈から一方的に押し付けられた3つのコンテナ分、総重量120kgを超える荷物を積み込んだリュックは、もはや山のような容積となっていたが、悠作の呼吸は乱れておらず、額に汗一粒浮かんでいない。


 悠作は、この異常な状況を「10年も毎日ポーターをやっていれば、誰でもこれくらいの重さには慣れるだろう」と本気で信じ込んでいた。10年前の駆け出しの頃は確かに50kgで膝が震えていたが、日々の「いかに楽をして帰宅するか」を追求したパッキング技術と、過酷な搬送作業の繰り返しによって、彼の筋肉と骨格はいつの間にか生物としての限界を大きく踏み越えていたのだ。

 しかし、本人の自己評価はあくまで「下の下」。自分は戦う才能がないから荷物持ちに甘んじている、しがないフリーターなのだという強固な思い込みが、周囲との致命的な認識の乖離を生んでいた。


(……それにしても、随分と時間を食っているな。そろそろダンジョンに入ってから3時間が経過する)


 悠作はハエドリのカメラから丁寧に見切れる位置を保ちながら、心の中で舌打ちをした。

 悠作の頭の中は、今朝アパートのキッチンで丹精込めて仕込んできた『豚の角煮』のことで占められていた。


 火から下ろし、保温調理器へと鍋をセットした際の、あの甘辛い醤油と生姜の香りを思い出す。保温調理器は非常に便利だが、放置しすぎれば肉の繊維は崩れすぎてしまい、悠作が理想とする「箸で切れるが、噛むと肉の弾力が弾ける」という至高の食感は失われてしまう。

 予定していた6時間から7時間の引き上げタイムリミットまで、残された時間はあとわずかだ。帰りの移動時間と、スーパーで夕方のタイムセールの味付け卵を確保する時間を逆算すれば、今この瞬間にダンジョンを出てもギリギリのスケジュールだった。


「あの、烈様. 予定していたB級エリアのボスも倒しましたし、そろそろ引き返しませんか? 配信の撮れ高も十分だと思いますし、個人の用事も立て込んでまして」


 悠作が控えめに進言すると、烈は露骨に不機嫌そうな顔をして、自身の魔導甲冑をガシャリと鳴らした。


「はあ? お前みたいな底辺のポーターが、この俺様に指図してんじゃねえよ。確かにB級ボスは倒したが、今日の視聴者のノリならもっといける。もっとバズるためには、誰も見たことがないようなスリリングな映像が必要なんだよ」

「スリリングな映像、ですか?」

「ああ。実はさっき、B級ボスの部屋の奥に、地図に載っていない『隠し通路』を見つけたんだ。おそらく、未踏破の深層エリアに繋がっているはずだ」


 烈の言葉に、取り巻きのメンバーたちも顔色を変えた。


「ちょ、ちょっと待ってください烈様! 深層って、A級以上のモンスターが出るかもしれない危険地帯ですよ!? 俺……いや、俺たちの実力じゃ……」

「馬鹿野郎! 逃げてどうする! 今の俺様たちには勢いがある。それに、深層の入り口付近をちょっと探索するだけでも『B級パーティ、未踏の深層へ挑む!』ってタイトルで同接は爆上がりだ。スパチャで今日の稼ぎが10倍になるかもしれないんだぞ!?」

「10倍……!」


 金と名声。配信者という麻薬に冒された烈にとって、リスク管理など二の次だった。

 悠作は心底面倒くさそうに溜息をつき、完全な無表情——虚無顔のまま、一行の最後尾に従った。


(……おいおい、マジかよ。深層に行くってことは、それだけ移動距離が伸びるってことじゃないか。残業代も出ないのにふざけるな。このままだと、俺の角煮がオーバードンで溶けてなくなっちまう)


 悠作の心中を支配していたのは、未知のエリアへの恐怖ではなく、物理的な煮崩れリスクへの焦燥感だった。


 そこからの道のりは、悠作にとってまさに苦行の時間だった。


『隠し通路』と呼ぶにはあまりにも長く、迷路のように入り組んだ未踏の洞窟。罠こそなかったものの、足場は最悪で、湿り気を帯びた岩肌は滑りやすく、慎重に進む烈たちのペースダウンが顕著になった。


 背中の120kgの重さなど、悠作の肉体にとっては無いに等しい負荷だったが、時計の針が進むたびに失われていく「角煮の最高の状態」への期待が、彼の心をじわじわと削り取っていった。

 結局、その薄暗く単調な通路を抜け、ようやく開けた巨大な空間に出るまでに、さらに2時間もの無駄な時間を費やすことになってしまったのだ。


 深層への通路を抜けた瞬間、空気の密度が明らかに変わった。

 これまでの中層エリアの乾燥した空気とは打って変わり、肌にまとわりつくような、濃密で重い湿気. そして、肺の奥が凍りつくような冷気。

 それはダンジョン内に満ちている『魔力』の濃度が、これまでの階層とは比較にならないほど跳ね上がっている証拠だった。


「な、なんだここ……。薄暗くて、気味が悪いな……」

「烈様、なんかヤバい気がします。ハエドリの挙動もおかしいですし、引き返した方が……」


 取り巻きの一人が震える声で進言する。

 先ほどまで元気に飛び回っていた追従型ドローンカメラも、濃密すぎる魔力の干渉を受けてか、高度を下げてフラフラと不安定に飛行している。


「う、うるせえ! ここまで来て引き返せるか! ほら、視聴者も『いけいけ!』って盛り上がってるぞ!」


 烈は強がって声を張り上げるが、その声は明らかに震えていた。彼自身、本能で理解し始めていたのだ。ここが、自分たちのようなB級の分際で足を踏み入れい領域ではないということを。


 悠作はといえば、周囲に満ちる強力なプレッシャーを微塵も感じることなく、ただひたすらに手元の安物の腕時計をチラチラと確認していた。時刻は16時を過ぎようとしている。


(あーあ、もう夕方の4時か。こりゃ確実に近所のスーパーの、夕方の目玉商品である特売卵には間に合わないな。せめて角煮の引き上げタイミングだけは死守したいところだが……)


 そんな悠作の、極めて平和で切実な悩みを、物理的な『絶望』が打ち砕いた。


 ——ズシン。


 大地そのものを直接鳴動させるような重低音が、広大な地底湖が広がる空間の奥から響いてきた。


「……え?」


 烈が間抜けな声を漏らした直後。

 鏡のように静まり返っていた地底湖の水面が、まるで爆弾が炸裂したかのように激しく弾け飛んだ。巨大な水柱が天井の岩盤まで届き、豪雨のような水飛沫が降り注ぐ中、圧倒的な質量を持った『何か』が、ゆっくりとその巨体を現した。


 それは、巨大な竜だった。

 全長は50mは下らない。全身を覆う鱗は、あらゆる光を吸収し、闇そのものを体現したような漆黒。背中にはコウモリを想起させる不気味な双翼が生え、太い尾が軽く地面を叩いただけで、局地的な地震が発生する。何よりも恐ろしいのは、その頭部で燃え盛る、地獄の業火のような真紅の双眸だった。


『グルルルォォォォォォォ…………!!』


 竜が低く喉を鳴らしただけで、空気が悲鳴を上げ、音圧だけで烈たちの鼓膜から血が滲んだ。

 B級探索者である烈たちは、その圧倒的な存在感と、脳を直接マヒさせるような強烈な殺気の前に完全に金縛りに遭い、一歩も動くことができなくなっていた。呼吸すら忘れ、ただ眼前の死の象徴を見上げ、失禁寸前の状態で凍りついている。


 それは、間違いない。

 探索者ギルドの最高機密とされる教本にのみ記載されている、生きた天災。現れただけで一つの国家の軍隊すら壊滅させると言われる、神話の怪物。


 S級災害指定ボスモンスター、『災厄の魔竜』。


 なぜこんな場所にS級の化け物が存在しているのか、などという疑問は、今の彼らにとっては何の意味も持たなかった。

 事実として、プロのA級パーティが複数集まって、ようやく撤退の算段を立てられるレベルの絶望が、今、目の前に立ち塞がっているのだから。


「ひっ……ひぃぃぃぃぃぃぃっ!?」


 烈が、情けない悲鳴を上げて腰を抜かした。豪華な装飾が施された炎の剣を地面に投げ出し、震える足で後ずさりしようとするが、足がもつれて泥水の中に尻餅をつく。


『ゴァァァァァァァァァッ!!』


 魔竜が侵入者——羽虫のような人間たちを明確に排除対象と認識し、巨大な顎を開いた。

 その喉の奥には、周囲の岩を瞬時に蒸発させるほどの超高熱エネルギーが収束し始める。竜の息吹。放たれれば、この場にいる全員が塵すら残らず消滅する。


「あ、あああ……終わ、終わりだ……」


 取り巻きたちは完全に心をへし折られ、涙と鼻水を流して震えることしかできない。

 そんな極限の緊張状態の中、最後尾に立つ悠作だけが、別の理由で深刻な顔をしてした。


(……おいおい、マジかよ)


 悠作は、燃え盛る竜の口内を見つめながら、心の中で特大のため息をついた。

 悠作にとって、目の前の竜は「恐怖の対象」ではなく、「帰宅を妨害する巨大なゴミ」に過ぎなかった。


「う、うわあああああああかっ!!」


 その時だった。

 恐怖で完全に精神の均衡を失った烈が、突如として奇声を発し、跳ね起きるように立ち上がった。そして、あろうことか、すぐ後ろに立っていた悠作の腕を力任せに掴むと、魔竜の射線上の目の前へと力任せに突き飛ばしたのだ。


「え?」


「す、すまねえっ! お前が囮になってくれ!! 俺様はまだ死ねないんだ、歴史に名を残すS級探索者になる男なんだよぉぉっ!!」


 烈は、正気を失った顔でそう叫んだ。

 そのまま悠作を置き去りにし、手元のハエドリのコントローラーすらもその場に投げ捨てて、取り巻きたちを引き連れて来た道を全速力で逃げ出していった。

 背中に120kgの重荷を背負わされている無力なポーターを、S級ボスの前に突き出し、自分たちだけが逃げる。それは探索者としてどころか、人間として最も底辺の、救いようのないクズの行動だった。


 薄暗い地底湖の畔に、取り残された悠作。

 目の前には、今まさに必殺のブレスを放とうと喉を赤熱させている超巨大な魔竜。

 そして、烈が放り投げたせいで岩陰に転がり、斜め下からのアングルで悠作と魔竜の対峙を全世界へ映し出し続けている、配信中のハエドリカメラ。


(……あいつら、マジでやりやがったな。荷物を運ばせておいて、囮にするとは)


 悠作は、足元に転がっているカメラの存在には全く気づかないまま、巨大な竜を真っ直ぐに見上げた。


「……あーあ。最悪だ」


 死への恐怖?

 仲間への怒り?

 絶望?


 そんな高尚な感情は、悠作には1gも存在しなかった。

 彼の脳内を占めていたのは、ただ一つ。


(……道塞いでて邪魔だな。これじゃあ、炊飯器の米を炊き上げる時間にも、保温調理器から角煮を引き上げる最高のタイミングにも、絶対に間に合わないじゃないか……!)


 悠作は、あまりの面倒くささと、夕飯の失敗に対する取り返しのつかない焦燥感から、一切の表情筋を死滅させた『完全なる虚無顔』のまま、ゆっくりと右手の拳を握りしめた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ