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第1話 不遇のポーター、鈴木悠作

「あー……今日の特売、豚バラブロック100グラム98円か。これは買いだな」


 築40年のボロアパートの一室。朝の弱々しい日差しが差し込む中、俺——鈴木悠作は、丸まった背中をさらに丸めながら、スマホの画面に表示されたスーパーのデジタルチラシを眺めていた。


 世界にダンジョンという謎の空間が出現し、そこから得られる未知の素材や魔石が莫大な富を生むようになってから、およそ半世紀。

 今や『探索者』と呼ばれるダンジョンに潜る職業は、子供たちの憧れの的であり、トップクラスの探索者ともなれば、プロスポーツ選手やアイドルをも凌ぐ人気と名声を手にする時代だ。


 だが、そんな華やかな世界は、俺には一切関係がない。


「よし、ネギと生姜もあるし……今日の夕飯は豚の角煮で決まりだな。じっくり煮込むには時間がかかるから、仕事に行く前に、あとは保温調理器に任せるだけの状態に仕込んでおくか」


 俺は「よっこいしょ」とだらしなく立ち上がり、狭いキッチンへと向かう。

 身長は190センチ近くあり、昔、誰かに「北欧の俳優みたい」とお世辞を言われたこともある顔立ちをしているらしいが、常に猫背で無精髭を生やし、覇気のない死んだ魚のような目をしているせいか、そんな印象を持たれることは皆無だ。

 むしろ、深夜のコンビニで立ち読みをしていると、店員に不審者として警戒されるレベルである。


 俺の職業は、深夜のコンビニアルバイトを本業とするフリーター。

 そして副業として、探索者ギルドに登録している『Fランク探索者』だ。

 とはいえ、魔物と華麗に戦うわけではない。俺の天職は『ポーター』。ダンジョン内で他の探索者の荷物を運び、採取した素材を回収するだけの、文字通り底辺職である。


 魔法も使えず、剣も振れない。ただ重い荷物を背負って後ろをついていくだけ。

 そのため、ポーターは探索者たちから「誰にでもできる雑用係」「寄生虫」と見下されることが多かった。報酬もパーティの最低ランクで、命の危険と隣り合わせの割には全く稼げない。


「……ま、目立つと面倒くさいし、俺にはちょうどいいけどな」


 コンロに火をつけ、豚バラ肉の表面に焼き色をつけながら、俺は独りごちた。

 俺の信条は「究極の省エネ」だ。面倒なことは嫌い。目立つのも嫌い。毎日ゲームをして、アニメを見て、特売の食材で美味い飯を作る。それだけできれば、人生は十分すぎるほど幸せなのだ。


 肉を鍋に移し、醤油、酒、みりん、砂糖で作った特製のタレに、ぶつ切りのネギとスライスした生姜を放り込む。弱火でコトコトと煮込み始めると、キッチンに甘辛い食欲をそそる匂いが漂い始めた。


「よし、完璧。あとは保温調理器に入れて……帰ってくる頃にはトロトロになってるはずだ」


 俺は満足げに頷き、着古した色落ちの激しいジャージの上に、ギルド規定の薄汚れた防具を羽織った。

 さあ、面倒くさいが、生活費を稼ぐために「荷物持ち」のアルバイトに行ってくるとしよう。


 探索者ギルドのロビーは、朝から喧騒に包まれていた。

 派手な魔法の杖を持つ者、大剣を背負った屈強な戦士、そして彼らを取り囲むように、スポンサーやマスコミの姿もちらほらと見える。


「あー、人多いな……。帰りたい」


 俺はため息をつきながら、ロビーの隅っこにある『ポーター待機所』へと向かった。そこは、華やかな探索者たちとは対照的に、薄暗く陰気な空気が漂うエリアだ。


「あっ、悠作先輩! おはようございます!」


 どんよりとした空気を切り裂くような、鈴を転がすような明るい声。

 振り向くと、そこには不釣り合いなほど眩しい笑顔を浮かべた小柄な女の子が立っていた。


 山口純子。今年20歳になる、現役の女子大生だ。

 染めていない黒髪のストレートヘアと、透き通るような白い肌。アイドルにでもなれば一発で人気が出そうなほどの清純派美少女なのだが、彼女もまた、俺と同じ『ポーター』の職業を持っていた。


「おう、おはよう、純子ちゃん。今日も元気だな」

「はい! 先輩の顔を見たら元気が出ました! 今日も色々と学ばせてください!」


 純子は、自分よりも大きなリュックサックを背負いながら、目をキラキラと輝かせて俺を見上げてくる。

 彼女はなぜか、ただの無気力なおっさんである俺のことを「ポーターの鑑」として深く尊敬しているのだ。学費を稼ぐためにギルドに登録したばかりの彼女に、最初の頃、少しだけ荷物の持ち方のコツを教えただけなのだが。


「いや、学ぶことなんて何もないぞ。ただ荷物持って歩くだけだからな」

「またまたご謙遜を! 先輩の、どんな理不尽な扱いを受けても感情を乱さない『冷静沈着なプロの姿勢』、私、本当に尊敬してるんですから!」


 純子は両手を握りしめ、熱い視線を送ってくる。

 いや、俺が感情を乱さないのは「反論するのも面倒くさいから」であって、プロ意識でも何でもない。むしろ、頭の中は「今日の夕飯何にしよう」で9割が占められている。


「……まあ、怪我だけはしないようにな」

「はいっ!」


 適当に相槌を打っていると、ロビーの中央から、耳障りな甲高い笑い声が響いてきた。


「はっはっは! 今回の配信も、同接5万人はいけるだろうな! 何せ、この俺様が最深部のボスを討伐する歴史的瞬間だからな!」


 声の主は、真っ赤な鎧に身を包んだ金髪の男。

 B級探索者パーティ『紅蓮の剣』のリーダー、炎上烈だ。

 彼は、最新型の追従型ドローンカメラを侍らせながら、取り巻きのメンバーたちと共にこれ見よがしにふんぞり返っていた。


「チッ……面倒な奴に見つかったな」


 俺がこっそり気配を消そうとした矢先、烈の視線がこちらを捉えた。


「おや? そこにいるのは、我がパーティの誇る『歩くゴミ箱』こと、底辺ポーターの悠作クンじゃないか!」


 烈は嘲笑を浮かべながら、ずかずかとこちらへ歩み寄ってきた。周囲の探索者たちが、面白半分にこちらに注目する。


「……おはようございます、炎上さん」

「声が小さい! ったく、30歳にもなってFランクの荷物持ちとは、本当に情けない奴だ。お前みたいな無能を雇ってやっている俺の慈悲深さに、毎日感謝してるか?」


 烈は俺の肩を小突く。

 彼の言葉通り、俺はここ最近、この『紅蓮の剣』の専属ポーターとして勝手に指定され、こき使われていた。おかげで拘束時間が無駄に長く、本業のコンビニバイトのシフトにもろくに入れない始末だ。

 彼らはB級とはいえ実力はそこそこあり、配信でのウケも良い。しかし、その性格の悪さと荷物持ちへの扱いの酷さから、ポーター業界ではブラックリストに載っている連中だった。


「はい、感謝してます」


 俺は一切の感情を込めず、棒読みで答えた。

 心の中では「あー、早く終わらせて帰りたい。角煮の味が染み込むのは大体6時間後くらいか……」と、完全に思考が夕飯へと飛んでいる。

 そのため、俺の顔は完全に無表情——いわゆる『虚無顔』になっていた。


「チッ、相変わらず気味の悪い顔をしやがって。まあいい。今日はB級ダンジョン『嘆きの谷』の最深部まで行く。撮れ高のために、俺たちがボスを華麗に倒すところを見せつけてやるからな。お前はただ黙って、俺たちの荷物と予備の武器、それから配信用のバッテリーを全部持て!」


 烈はそう言って、ドスンと自分の巨大な荷物を俺の足元に投げ捨てた。さらに、他のメンバー3人も次々と自分の荷物を押し付けてくる。

 総重量はおそらく100キロを軽く超えるだろう。通常のポーターでも、運搬用の魔導カートがなければ一人で運ぶのは不可能な重さだ。


「ちょっと! それは酷すぎます! 規定の重量を大幅に超えてるじゃないですか! 悠作先輩一人に持たせるなんて……!」


 見かねた純子が、俺の前に立ち塞がって抗議の声を上げた。

 しかし、烈は鼻で笑う。


「なんだ、このガキ。文句があるならギルドにでも泣きつけばいい。だがな、俺たちみたいな稼ぎ頭の言うことと、底辺ポーターの言うこと、ギルドがどっちを信じるかな? 嫌ならクビだ。代わりなんていくらでもいるんだからな」

「くっ……!」


 純子が唇を噛み締める。

 俺は小さくため息をつき、純子の肩をポンと叩いた。


「いいよ、純子ちゃん。これくらい大したことないから」

「でも、先輩……!」

「俺がやるから。お前は自分の仕事に集中しろ」


 俺はそう言うと、足元に積まれた巨大な荷物の山に手を伸ばした。

 通常の人間なら持ち上げることも不可能な重さのそれを、俺は「よっこいしょ」と、まるでスーパーのレジ袋を持ち上げるような軽さで背負い上げる。


「……なっ!?」


 烈と取り巻きたちが、一瞬目を見開いた。

 周囲で見物していた探索者たちも、「あいつ、あの荷物を一人で?」とざわめき始める。


「じゃあ、行きましょうか」


 俺は依然として虚無顔のまま、スタスタとギルドの出口に向かって歩き出した。

 総重量100キロ超の荷物を背負っているにもかかわらず、俺の足取りは驚くほど軽く、息一つ乱れていない。


(ふぅ……ネギの青い部分も一緒に煮込んだから、臭みは完全に消えてるはずだ。帰りにコンビニで半熟卵を買って、タレに漬け込んで味玉も追加しよう。いやー、今日の夕飯が楽しみだ)


 俺の頭の中は、これから始まる危険なダンジョン探索のことなど微塵もなく、ただただ『至高の豚の角煮定食』のことでいっぱいだった。


「お、おい! 待て! 俺の前を歩くんじゃねえ!」


 慌てて追いかけてくる烈たちの怒鳴り声を背中で聞き流しながら、俺はただひたすらに、平穏な日常と美味しい夕飯への帰還だけを祈っていた。


 これが、のちに全世界を巻き込んで『虚無ニキ』として神格化される男の、いつもと変わらない、どうしようもない一日の始まりだった。

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