表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
その年下男子、訳ありにつき ~崖っぷちキャリア女子の逆転オフィスラブ~  作者: naomikoryo


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/18

第7話:たった一枚の、命綱

翌朝、始業のチャイムが鳴ると同時に、久美は新たに仕上げた企画書を片手に会議スペースへ向かった。

机の上に資料を並べ、社員たちに声をかける。


「皆さん、少しだけ、お時間をください」


その静かな声に、最初は戸惑いの色を浮かべていた社員たちも、やがて黙ってテーブルの周囲に集まった。

だが一人、優斗だけは、隅のデスクでまだ眠っていた。久美は起こさなかった。いや、起こさなかったのではなく、あえて起こさなかったのだ。


彼女は視線を皆に向け直し、言った。


「今日は、この工場の現状と、これからについて、お話ししたいと思います」


久美の話は、淡々としていた。だが、その一言一言には、鋭く突き刺さるような確信があった。

工場が抱える経営上の問題、そして片桐部長が仕入れルートを私物化している実態——久美が自分の足で集めた事実を、すべて包み隠さず語った。


最初は静かだった空気が、次第にざわつき始める。


「まさか…そんなことが…」

「嘘だろ…俺たち、ずっと騙されてたのか…?」


多くの社員は長年この工場で働いてきた。汗水流して支えてきた職場が、一人の私利私欲のために利用されていた。

怒りとショックが入り混じったような、重たい沈黙が場を支配した。


久美は手元の資料をテーブル中央に置く。そこには、彼女が徹夜で仕上げた『RE-BIRTH』プロジェクトの企画書があった。


「でも……希望は、まだあります。この工場には、眠っていた技術と、可能性がある。そして、皆さんには、知恵と経験がある」


言葉を続ける久美の声は、震えていなかった。

その瞳には、ただまっすぐな信念が宿っていた。


「私一人ではできません。けれど、皆さんとなら、やれると思っています。どうか――力を貸してください」


深く頭を下げる久美。

頭を上げたその表情には、見栄もプライドもなかった。ただ、一人の人間として、仲間に支えを求める姿だった。


会議室には再び沈黙が訪れる。

社員たちは目を合わせず、うつむいていた。心は揺れている。だが、その一歩が踏み出せない。


(もし、この企画が失敗すれば? 本社の怒りを買ったら?)

そんな思いが、長年染みついた事なかれ主義とともに、彼らの判断を鈍らせていた。


その沈黙を破ったのは、意外な人物だった。


「……面白そうじゃん、それ」


低く、けれどはっきりとした声。

誰かが驚いて振り返ると、優斗が大きくあくびをしながら立ち上がっていた。


「ちゃんと起きてたのか?」


「まあね。さっきの話、ぜんぶ聞いてたよ」


彼はゆっくりと歩いてきて、無言で企画書を手に取った。ページをめくる手はゆっくりだったが、その目は真剣そのものだった。


「ふむふむ……悪くない。コンセプトも実現性も、結構しっかりしてる」


そう呟いたかと思うと、彼は備え付けのペンを取り、余白に数式を書き込み始めた。

「でも、ここの需要予測はちょっと甘い。ターゲット層を20代後半にも広げれば、初期ロットの調整でリスクも下げられる。ほら、こんな感じで……」


彼の手は止まらない。数式、グラフ、想定数値。それらが企画書の空白を埋めていく。


久美は、言葉を失っていた。

これは、ただの思いつきではない。理論と実務の両面を理解していなければできない調整だった。


周囲の社員たちも、ただ呆然とその手元を見つめている。

普段はやる気がないと見られていた優斗が、今や誰よりも集中し、目の前の問題に立ち向かっている。


すべてを書き終えた優斗は、企画書をパタンと閉じ、にやりと笑った。


「うん、これならイケるんじゃない?」


久美は、ようやく声を振り絞った。


「……あなた、一体、何者なの?」


彼は肩をすくめると、軽く笑って言った。


「ただの、数学がちょっと得意なだけのダメ社員ですよ、課長」


答えになっているようで、なっていない。

だが久美は、それ以上追及しようとは思わなかった。


大事なのは彼の肩書きでも過去でもない。

彼がこの企画を「イケる」と断言した。その事実だけで、十分だった。


優斗の一言が、空気を一変させた。


「……相沢さん。俺たちも、もう後がないんですよ」

沈黙を破ったのは、最年長の社員だった。


「どうせ沈むなら、あんたの船に乗ってみるのも悪くねえ」


その言葉に、次々と頷く声が上がる。


「俺も賛成だ」

「やるだけやってやろうぜ。どうせ黙ってても潰される」


彼らの表情には、久しぶりに闘志の光が戻っていた。

久美の目にも、熱いものが込み上げる。


「……ありがとうございます」


声が震えた。それ以上、言葉を続けることができなかった。


この日、久美の“たった一人の戦い”は終わりを迎えた。

そして『RE-BIRTH』プロジェクトは、商品企画部全員による“共同戦線”として歩み始めた。


久美の隣には、確かな仲間がいる。

そしてその中心には、まだ多くの謎を抱えながらも、並外れた才能を隠し持つ、一ノ瀬優斗という男がいた。


久美はふと、窓辺でヘッドフォンをつけて外を眺める優斗の横顔を見た。

相変わらず気だるそうな姿だが、もう彼のことを“ただのダメ社員”だとは思わなかった。


久美の「再生の物語」は、ようやく本当の意味で幕を開けたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ