第17話:祝杯と、近すぎる距離
テスト販売の初日。
朝のうちに設営された道の駅の特設ブースは、まるで小さな夢の舞台のようだった。
手作りのPOPに、木の温もりを感じる陳列棚。そこに並べられたのは、幾晩も眠れぬ思いで作り上げた『RE-BIRTH』。
久美は、ブースの前に立ちながら商品を見つめていた。
胸の奥がきゅっと締めつけられる。
これが、私たちのすべて——そんな気持ちだった。
開店の時刻が近づくにつれ、プロジェクトのメンバーたちの表情にも緊張が滲み始める。
優斗は少し離れた位置で、タブレットを片手に状況を分析していた。
けれど、その表情には焦りも不安もなかった。ただ静かに、自信と期待が宿っていた。
そして——開店。
一斉に人の流れがブースへと押し寄せる。
興味本位で立ち寄る人、足を止めて商品に見入る人。
賑やかな声が交差し、熱を帯びた空気が一気に膨らんでいく。
「あら、新しい化粧品?」
「パッケージが素敵ね」
久美は笑顔で一人ひとりに声をかけ、商品の特長や開発背景を丁寧に説明していく。
決して押しつけがましくなく、でも熱をもって。
彼女の声が、言葉が、次第に人々の関心を惹き寄せていくのがわかった。
「肌にすっと馴染む感じが気持ちいいわ」
「香りが自然で、落ち着く」
サンプルを試した客たちは、次々と財布を開き始める。
いつの間にかレジには長い列ができ、スタッフたちが慌ただしく対応に追われていた。
その様子を見ていた優斗が、息を切らせながら久美の元へ駆け寄ってきた。
興奮で顔が紅潮している。
「久美さん、すごいぞ。俺の予測、遥かに上回ってる」
その言葉に、久美の胸が熱くなる。
言葉にならない喜びと安堵が、心の奥から込み上げてくる。
(やってよかった。信じて、進んできて、本当によかった)
夕方、閉店を迎える頃には、初日分の在庫はすべて完売。
店頭に並んでいた商品は、一つも残っていなかった。
「やったぞ!」
「信じられない!」
「全部、売れた……!」
喜びの声が次々と上がり、スタッフたちは自然と抱き合ったり、涙を浮かべたり。
その場の誰もが、言葉よりも感情で通じ合っていた。
久美も、胸がいっぱいで言葉が出なかった。
その肩を優しく叩いたのは、優斗だった。
「お疲れさん。あんたが一番の功労者だよ」
その一言に、久美は堪えていた涙を抑えきれなくなった。
ぽろぽろと溢れる涙を拭いながら、ようやく言葉を返す。
「ううん……みんなが頑張ってくれたから……」
その声は、しゃくりあげながらも、しっかりと前を向いていた。
その夜、工場の食堂でささやかな祝賀会が開かれた。
工場長が自腹で用意してくれた寿司とビールが並び、いつもは静かな場所が賑やかな笑い声で満ちていた。
「相沢課長、ありがとう!」
「優斗くん、君は天才だ!」
次々にビールを注がれ、久美は生まれて初めて、お酒を「心から」美味しいと感じていた。
頬が火照る。けれど、その熱は酔いだけではなかった。
努力が報われたという確信と、仲間の存在。
そのすべてが、身体中を温かくしていた。
宴が終わり、人が引いていった後も、久美と優斗は事務所に残っていた。
月明かりが差し込む静かな夜。
窓の外には、煌々と満月が浮かんでいる。
「本当に……夢みたい」
久美がぽつりと呟いたその声は、どこか不安げでもあり、幸福に満ちていた。
「夢じゃねえよ。これは、俺たちが手繰り寄せた現実だ」
優斗はそう言って笑った。
その横顔が、いつもより大人びて見えたのは、月のせいか、それとも彼自身が変わったからだろうか。
「なあ、久美さん」
急に真剣な声で名前を呼ばれ、久美は驚いて彼を見た。
「ん?」
「今日のあんた、すげえ綺麗だった」
あまりにも率直な言葉。
久美の心臓が大きく跳ね、顔が一気に熱を帯びる。
「……お酒、飲みすぎなんじゃないの?」
精一杯の照れ隠しに、そう返して視線を逸らす。
だが、次の瞬間、優斗の手がそっと久美の腕を掴んだ。
「酔ってなんかない。本気だ」
彼の声は、少しだけ掠れていた。
でも、確かに真剣だった。
「俺、あんたが好きだ。初めて会った時から、ずっと」
それは、久美がどこかでずっと聞きたかった言葉。
けれど、聞くのが怖かった言葉でもあった。
久美は何も言えず、ただ彼の目を見つめるしかなかった。
優斗の顔がゆっくりと近づいてくる。
そして——
久美は目を閉じた。
唇に触れたのは、柔らかくて、少し苦くて、どこまでも甘い感触。
ビールの味がした。
それは、今日という日が終わっても、ずっと心に残るキスだった。
月の光が、静かに二人を包み込んでいた。




