第18話:嗅ぎつけたのは、野心
テスト販売の成功は、まるで火種に油を注いだように、業界の中で一気に広まった。
最初は「田舎の一工場の小さな成功」と侮っていた本社の上層部でさえ、SNS上の熱狂的な声と、想定をはるかに上回る売上データに沈黙を余儀なくされていた。
そして——その噂は、片桐の耳にも届いた。
「相沢の奴が、こんな所で……!」
オフィスで書類を握りしめる片桐の指先は震えていた。
久美を地方へ左遷し、葬ったはずだった。
だがその彼女が、たった数ヶ月で確かな成果を叩き出し、社内外から賞賛を浴びている。
——屈辱。
それは、出世にすべてを賭けてきた男のプライドを、根底から揺るがす感情だった。
「二度と立ち上がれないようにしてやる……」
片桐は、憎悪を込めて呟くと、すぐに動き出した。
表向きは「監査」という名目で、アリュール・ファクトリーへ乗り込み、プロジェクトの隙を突くつもりだった。
些細なミスでも見逃さず、規律違反を糾弾し、久美を再び潰す。
——それだけではない。成功の成果すら、自らのものにする気でいた。
その動きは、意外にも早かった。
だが、片桐が知らなかったのは、優斗の存在だった。
—
本社にはまだ、優斗を慕うわずかな協力者が残っていた。
彼らの情報提供により、片桐の動きを久美たちは事前に察知していた。
「久美さん、片桐が来ます。監査という名目で」
優斗が静かに告げたとき、久美は一瞬だけ目を閉じ、深く息を吐いた。
(やっぱり来るのね……)
だが、動揺はなかった。
むしろ心の奥に、静かな炎が灯るのを感じた。
「いいわ。正面から受けて立ちましょう」
「今度は、俺たちが攻める番です」
二人は頷き合い、反撃の準備を始めた。
これは“守る”ための戦いではない。“正す”ための戦いだ。
—
優斗は、片桐が長年にわたって行ってきた不正取引の証拠を、データの海から丁寧に掘り起こした。
原材料の仕入れ価格の異常な変動、不自然な取引先、キックバック、下請け業者への強要、経費の水増し請求——
一つひとつが決定的な証拠であり、それらが繋がることで、片桐の悪行が一枚の絵として浮かび上がってくる。
久美はプロジェクトメンバーを会議室に集めた。
その表情に迷いはない。
「私たちは、正しいことをしてきた。胸を張って、この成果を見せましょう」
仲間たちは真剣に頷いた。
恐れはない。
むしろ、自分たちの手でこの工場を守り抜こうとする誇りが、空気を震わせていた。
—
そして、運命の日が訪れる。
片桐は、監査役数名を引き連れ、黒いセダンでアリュール・ファクトリーに姿を現した。
その顔には、不遜な笑み。
敗北を信じていない者だけが浮かべる、自信に満ちた笑みだった。
「やあ、相沢くん。ご活躍は、社内でも話題になってるよ。今日はその素晴らしいプロジェクト、じっくり見せてもらうとしようか」
皮肉の混じったその口調にも、久美は怯まなかった。
静かに一礼し、言葉を返す。
「ようこそ、片桐部長。ですがその前に——ぜひご覧いただきたい資料がございます」
—
案内された会議室。
壁面の大型スクリーンに映し出されたのは、優斗がまとめた不正の全記録だった。
取引データ、請求書、内部メモ。
証拠の一つひとつが、片桐の過去を冷徹に暴いていく。
「……なんだ、これは……! こんなもの、捏造だ!」
片桐は声を荒げたが、その怒声は空しく室内に響くだけだった。
監査役たちの表情は険しいまま、スクリーンを見つめ続けていた。
そのとき——
映像の中に、優斗の姿が現れた。
あらかじめ用意されたビデオメッセージが再生される。
『片桐部長。あなたは、私をこの会社から追放しようとしました。
でも私は、いまここにいます。信頼できる仲間と、誇りある製品と共に。
これが、私の“答え”です』
最後の一言が終わったとき、部屋は静まり返っていた。
片桐は青ざめ、足元が崩れ落ちるように椅子に沈み込んだ。
ハイエナは、己が嗅ぎ取った“成功の匂い”に釣られてやって来た。
だがその果実は、毒を含んだ牙だった。
彼は、自ら仕掛けた罠に嵌まり、その牙をもがれたのだ。
—
その日を境に、片桐は表舞台から姿を消した。
アリュール・ファクトリーは、本社からの信頼を取り戻し、『RE-BIRTH』は新たなブランドとして正式に承認された。
そして、久美と優斗は、ようやく心の重荷を下ろし、次のステージに歩を進める準備を整えた。
“過去”を断ち切ることで、ようやく本当の“始まり”が見えてきたのだ。




