第13話:誰のための正義か
薄曇りの朝、久美は工場の片隅で、小さなパッケージを一つ一つ丁寧に手に取って確認していた。
それは、新商品の『RE-BIRTH』。彼女たちの想いと努力が詰まった結晶だ。
——本社の承認を経ないテスト販売。
正攻法ではない。だが、彼女たちに残された選択肢は少なかった。
久美と優斗は、商品の力を信じていた。
そして、その力を証明するには、消費者の反応が何よりも雄弁な証拠になると確信していた。
「地元で売るなら、徹底的に“地元”に寄り添う」
優斗の言葉通り、彼は地元商店街や道の駅、オンラインの地域限定コミュニティまで徹底的に調査した。
誰が、いつ、どこで、何を求めているのか。
彼のデータ分析力が、その土地の鼓動を読み取っていく。
久美は、商品の魅力を最大限に引き出すため、プロモーションの設計に奔走した。
時には自らチラシをデザインし、印刷所に駆け込み、雨の中を歩いて配った。
休日にはイベント会場で試供品を配布し、ひとつひとつ、言葉を尽くして商品の背景を伝えた。
「こんな田舎で売れるわけがない」
「どうせ失敗する」
最初は、そんな声ばかりだった。
しかし、久美と優斗の真剣な眼差しは、次第に人の心を動かしていった。
工場長は、自身の決裁権で予備費から資金を出す決断を下し、
ベテラン作業員たちは「自分たちの商品が直接消費者に届く」ことに胸を熱くした。
彼らはいつも以上に品質管理に神経をとがらせ、一本一本に「誇り」を込めて仕上げていく。
それは、単なるプロジェクトではなかった。
現場すべての「再起」の物語だった。
そして、テスト販売の初日。
久美と優斗は、地元の道の駅に設けられたブースに立っていた。
朝靄の中、搬入された商品を並べ、最後のPOPを貼り付ける。
「緊張してる?」
優斗が隣で小声で尋ねると、久美は小さく笑った。
「ええ。でも、同じくらい楽しみでもあるわ」
開店と同時に、さまざまな年代の客が立ち寄りはじめた。
「お、なんだこれは? 新商品か?」
「香り、いいな。試してみようかな」
「肌が弱いんだけど、大丈夫かな?」
久美は一人ひとりに丁寧に説明し、使い方や開発の背景まで惜しみなく伝えた。
優斗はその隣で、タブレットを操作しながらリアルタイムで売れ行きと顧客層の傾向を解析していた。
「40代女性のリピート率が高いな。これは予想外だ」
「チラシ効果も出てる。QRコード経由でのアクセスが急増してる」
「肌に優しいのに、ちゃんと潤う!」
「香りが自然で癒されるわ」
「パッケージも可愛いね、贈り物にいいかも」
そうした声に、久美の胸は高鳴った。
たしかに、彼女たちは届いている。
誰かの日常に、小さな幸せを届けているのだ。
「……やったね」
優斗がぽつりと呟く。
久美は小さく頷いた。
けれど、久美の中にあった緊張の糸は、まだ完全には解けていなかった。
(これは、ただの始まりに過ぎない)
テスト販売は、予想を遥かに超える成功を収めた。
地域の主婦層や高齢者を中心に『RE-BIRTH』の噂は口コミで広がり、地元テレビ局や新聞社が取材に来るほどの話題となった。
SNSでも「地元発のすごいコスメ」として紹介され、注文が殺到する日もあった。
工場の雰囲気も一変していた。
沈んでいた空気が、今では活気にあふれている。
誰もが胸を張り、「自分たちの商品」に誇りを持っていた。
しかし、その成功が“届いてしまう”のも時間の問題だった。
—
その日、一本の電話が久美のデスクにかかってきた。
「相沢課長。アリュール・ファクトリーで、何か面白いことをやっているそうじゃないか」
片桐だった。
その声は、あくまで柔らかい。
けれど、その奥に潜む冷たい光は、久美の背筋をひやりとさせた。
「いえ、部長。ただの地域限定のテスト販売です。小規模な——」
「ほう、“ささやか”ね。でも、私の耳には“かなりの成功”と届いているがね」
低く、重い声。
まるで獲物に近づく獣のように、静かに追い詰めてくる。
「君は……私に報告すべきことがあったんじゃないのかね?」
久美は、言葉を詰まらせた。
片桐は、すべてを知っている。
もう逃げ場はない。
「明後日、そちらに伺う。詳しく、話を聞かせてもらおう」
電話は一方的に切られた。
久美は受話器を握ったまま、数秒間その場を動けなかった。
胸の奥で、心臓が激しく脈を打つ。
(ついに……この時が来た)
優斗に報告しなければ。
久美は、足早に彼のデスクへ向かった。
優斗は、彼女の表情だけで全てを察したようだった。
「……来たか」
低く呟いた声に、久美は強く頷く。
「ええ。片桐さんが、直接来るわ。明後日」
二人の間に、しばし重い沈黙が流れた。
けれどそれは、恐れや諦めのものではなかった。
——覚悟の沈黙だった。
「でも、もう私たちは一人じゃない」
久美は、そう言って微笑んだ。
優斗も笑みを返す。
「そうだな。今度は、俺たちが“成功”ってものを見せてやる番だ」
二人の視線が交錯する。
かつては孤立していた。
理解されず、理不尽に押し潰されそうになった日々。
だが今は違う。背中を預け合える相手がいる。
信じて進める仲間がいる。
いよいよ、本当の戦いが始まる。
久美と優斗は、これまで築いてきたすべてを武器に、
見えざる壁を——真正面から打ち破ろうとしていた。




