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魔女の住処

 闇雲に進んでいた筈なのに、魔女の住処だと思われる廃墟に辿り着くことは難しくはなかった。廃墟は城下町にある一軒家と同じくらいの大きさで二階建てだった。窓は割れているし、苔に覆われている。誰も住んでいないのは間違いなさそうだ。よく見ると所々焦げた跡がある。これはベルキース・ロッソと古の魔女の闘いの名残だろうか……?

 アリリエルの内心に形容しがたい感情が浮かび上がる。

 胸が狭くなる様な、懐かしい様な、それでいて恐ろしい、お腹が痛くなる感覚。

 アリリエルに魔女に捕まっていた頃の記憶はない。三歳の時まで捕まっていたのだと聞かされているが、当時の感情が今になって再び湧いて出てきたのだろうか?

「準備はいい?」

 不意に聞こえてきたフィアデルの声。アリリエルは廃墟を見上げ、数歩下がる。

 一匹の蛍が空に飛び立つ。アリリエルはかぶりを振った。

 不吉な予感がゆっくりとアリリエルのうなじを逆撫でする。この廃墟に入ってしまったらアリリエルの運命は姿を変える。そして、それは元の形には二度と戻らないのだ。直感がアリリエルの耳の後ろで囁いている。

 躊躇しているアリリエルの手を優しく取り、フィアデルは廃墟の門を開けた。


 ふたりが恐る恐る廃墟に入った後、茂みから出てきた人影が廃墟の中へ駆け込んだ。


 廃墟の中は凄惨に散らかっていた。歩く度に軋む床。乱雑に床にまき散らされた古い用紙。何かを保管していたのであろう容器はことごとく床に砕けて割れている。壁一面の本棚から落ちた無数の書物は分厚い埃をかぶっている。二階に繋がる階段は底が腐り抜けていて、とてもじゃないが二階まで探索しようとは思えない。古の魔女のお話で良く出てくる油を入れた大壺は見当たらない。その中で何故か赤いクローゼットだけが無傷で残っていた。古の魔女は洋服を大切にしていたのかもしれない。毎日の洋服を選ぶ老婆は想像つかないが。

 フィアデルが床の紙を拾い集めている間、アリリエルはふと目に付いた本棚の隅に立てかかっている一冊の本に手を取る。ミリア城の書庫に置いてある図鑑程の分厚さだ。埃を拭うと元の表紙が鮮やかな深緑だということが分かる。

「うーん、駄目だ。これ全部旧ミリア語で書かれてて全然読めないや」

 拾った紙を机の上に並べるフィアデル。

アリリエルも机の用紙を見るが、アリリエルはそもそも何語も読めないのだった。

 緊張が緩和した矢先、アリリエルの後ろで家具が崩れる音がした。ふたりは驚いて咄嗟に振り返る。

 そこには壊れた安楽椅子に引っかかってあたふたしているシズリアの姿があった。

「シズリア……? 何でここにいるんだ?」

 姉弟の秘密の冒険で出くわした予想外の来訪者は慌てて口を塞いだ。

 暫しの沈黙の後、気を取り直したシズリアは咳ばらいをしてふんぞり返った。

「なによ!?」

 シズリアは乱暴にアリリエルが持っていた本を奪い取る。

「なによ、なによ。なんだって言うのよ、これ。何かのレシピ?」

 シズリアが素早く本を音読する。声は小さく、内容までは聞こえない。

 シズリアの声が止まった時、アリリエルは眩暈に襲われた。

「アイシャ。必ず私が助けに来るから……!」

 知らない女性の張り詰めた声が聞こえた気がした。アリリエルは驚いて周りを見渡す。しかし、フィアデルもシズリアも、その声に気が付いていない様子だ。なら、これは誰の声?

 アリリエルは額を手で押さえる。冷たい汗が出ている。私はおかしくなってしまったのだろうか? 自分の内側に何かの存在を感じる。やっぱり、こんなところに来るべきじゃなかったのだ。意識が混濁していく。

 フィアデルが怪訝そうにシズリアを見ている。

「えっと……、古き盟約に則り、我が呼び声に応えよ」

 そう言って、シズリアは言葉を区切る。

 アリリエルは虚ろな意識の中で助けを求めていた。誰でもいい。私を助けて。私の悲鳴に気付いて……。

「イゴール。これは誰かの名前みたいね」

 アリリエルの瞳から何処からやってきたのか正体不明の涙が落ちる。

「どうしたの、アリリエル! 怖いことを思い出したの!?」

 異変に気付いたフィアデルはアリリエルを抱き締めた。

 アリリエルは自分の心臓が徐々に熱くなっているのを感じていた。

 フィアデルの胸の中で、喉を隠したスカーフの内側で、アリリエルの黒い蔓のような刻印は今、紅く光っている。

 喉の刻印に呼応する様に、三人の足元に巨大な魔法陣が現れる。


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