呪われた屋敷メイド
塔を備えた石造りの城がある。白い石壁に支えられているミリア城は太陽の光を反射して輝く。ミリア区の整備が行き届いた城下町。その中央に鎮座しているミリア城の佇まいは住民の誇りであった。城下町の東にある恐ろしの森と呼ばれる禁止区域と、逆方向に広がっている交易路にはミリア区の特産物であるシュリル鉱石を運ぶ馬車がいくつも行き交う。
うだるような夏の暑さも、ミリア城の分厚い石壁の内側に影響を及ばすことはない。湿気の薄い季節風は日陰に入った途端に涼しいそよ風へとその姿を変える。
城の調理室で従事する大勢のメイドたちの中に汗をかいている者は一人も居なかった。
喧騒なキッチン。味見を入念に行う者や、あちこちに指示を出す監督役。メイドたちがバタバタと動き回る度に、清潔に整えられた黒いロングスカートが揺れる。皆が同じ歌を歌っていた。最近、ルデリミスラ王国の王都からやってきた劇団が劇中で歌っていた歌だ。劇団はミリア城に住む姫に敬意を払い、わざわざ城にやってきて演劇を興じたのだった。だから、城に住むメイドたちは誰しもがその美しい歌を知っている。調理室ではもう一ヵ月も同じ歌が歌われていた。その中でひとりだけ歌を歌っていない少女がいた。
楽しそうにしながらも、決して口を開こうとしない。それどころか、スカーフで口元を隠してさえいた。ミリア区では珍しい黒髪は肩にふんわりと掛かっており、肌は彫刻の様にきめ細かい。翡翠色の瞳の上をすらりと伸びた黒い眉は、齢十三歳の幼さが残っているのかやや薄かった。スカーフを外せば美しい顔立ちなのだろうと容易に想像ができる。少女はオイルランプの下でクルミを砕くのが使命だという様に、ただその工程にだけ集中している。
メイド長のマルサが活気に包まれたキッチンに入ってくる。
「昼食の準備は出来たかい?」
味見をしていたメイドがスプーンをマルサに渡す。マルサはそれを口に含み、頷いた。監督役と話しながら調理室を歩くマルサ。まだ年端もいかないスカーフの少女は高身長のマルサの視界に入らず、ふたりは衝突した。
マルサのロングスカートに顔が埋もれてしまう。
「ちょっと! 危ないじゃないか! 静かに突っ立ってるんじゃないよ!」
やっとのことでスカートから顔を出した少女は息継ぎをして、何も言わず頭を下げる。
「あぁ……、あんたか。ならいいんだ。私が悪かった」
少し離れた所で新しくメイドになったばかりのリンが眉を潜める。
「あの子、謝りもしないで……!」
リンは文句を言おうとして、勇み足で少女に近づく。しかし、直ぐにマルサに耳を引っ張られて引き返していく羽目になった。
「暇そうだね。仕事は終わったのか?」
リンは鋭い痛みに涙目になりながら頷く。
水の入っていないバケツとモップが乱雑に置かれている様子を横目に見るマルサ。
「じゃぁ、あれは? 何か意味があってあそこにおいてあるのか?」
リンはぶんぶん、とかぶりを振る。
クルミを砕き終えたスカーフの少女は駆け足でトレイを取りに向かった。ロングスカートが邪魔にならない様に裾を持ち上げて小走りで向かう。
だが、十分に気を付けていた筈なのに途中にあったバケツに躓き転んでしまった。
「あっ……! 大丈夫!?」
少女は膝の埃を掃って、リンに恥ずかしがりながら笑顔を向ける。
歳不相応の大人びた笑顔に、リンは無意識に息を呑んだ。
トレイを取った少女がリンにそれを渡す。
バケツとトレイを交互に指差す少女の意図が「役割の交換」を促していることに気が付いたリンは驚いた。
「え? でも、これって殆ど終わってるんじゃ……?」
一部始終を黙って見ていたマルサがため息をつく。
「アリリエル・ロッソ、あんたは優しすぎるよ」
アリリエルと呼ばれた少女は困った素振りで俯く。
アリリエルはフルネームで呼ばれることを好ましく思わない。この区で家名を持っているのは旧ミリア国の王家の他にはルデリミスラ王国の王都ヌマーンから駐屯している外来者しか居ない。そのどちらでもない自分が何故家名を持っているのか説明するにはやや労力を要するのだ。アリリエルは普通のミリア人として平穏に生きていたい。誰に迷惑をかけることもなく、命が尽きるまで穏やかに生きていければそれでいいのだ。
リンはそんなアリリエルの気苦労を察せる筈もなく、元気にロングスカートを跳ね上げてアリリエルに向き直る。面倒ごとを引き受けてくれる無口な少女にお礼が言いたかった。
リンが言葉を発そうとした刹那、アリリエルのスカーフがはらり、と外れた。
スカーフの下から顔を出したのは少女の細い喉から下顎まで刻まれた禍々しい黒い刻印。
リンは恐ろしくなり、言葉を失ってしまった。
ミリア区には噂がある。古の魔女に呪われた子どもがミリア城に住んでいる。
アリリエルは慌ててスカーフを直す。しかし、伏せられたその瞳は二度とリンの顔を見ることは無かった。驚きを隠そうと取り繕うリンを置いて、アリリエルは手早くバケツとモップを持って調理室を出ていく。




