2.金欠ホワイト企業
リュウの助手として、有限公社エルフ製作所で働く見習いエルフ、リリィの一日は、
朝のコーヒーとパン、そしてゆで卵作りから始まる。
リュウの工房は、そのまま彼の自宅も兼ねている。
リリィはその屋根裏部屋――三階の屋根裏スペースに住み込んでいた。
最寄りの町まで、片道で徒歩二〜三時間。
通勤など現実的でなく、もはやここに住むしかないのが実情だった。
そう思いながら、朝の支度を終える。
午前中のリリィは、工房の一角に設けられた事務スペースで経理や書類仕事に追われていた。
帳簿と向き合いながら、うんざりしたようにため息をつく。
「相っ変わらず、貧乏会社なのね……」
ペンを止め、じっと帳簿を睨みつける。
リュウは技術力は天才的だが、金の管理はからっきしダメ。
見事なまでの“職人特化型”で、請求書の締日すら知らないことがある。
お金まわりはすべて、リリィが一人で切り盛りしていた。
「私がいなければ……この会社、一瞬で潰れるのね……」
ぼそっとつぶやきながら、目元を押さえる。
昼食後は、午後の部――魔導具の作図作業に入る。
リュウがアイデアと設計を出し、それをリリィが実用的な設計図にまとめるのがルーチンだ。
リリィの作図スピードとセンスは優秀で、リュウもそこには一目置いていた。
「主任、これ見てほしいのね。ここのパーツはこうした方がいいと思うのね
安定性が上がると思うのね」
「お、なるほど……いいアイデアだ、リリィが来てから精度が上がってるね」
「ふふん、当然なのね」
冗談を交えながらも、二人の仕事の息はぴったりだった。
だが、そんな中でリリィが思うことがある。
(これ……特許取れるんじゃないのね?)
そう思えるほど、リュウの発明には常に革新性がある。
けれど、彼は一度も特許を申請したことがなかった。
「主任、これもしかして特許申請したら大金持ちなのね?」
「……俺はさ、情報を隠すより広めたいんだ。業界全体が良くなるなら、それでいい」
そう、リュウは言い切った。
最初はただの変人だと思っていた。
けれど、今では少しずつ――その思いに、リリィも共感するようになっていた。
(だけど、だけどなのね……)
リリィはペンを置いて、再び帳簿を開く。
そこに並ぶ赤字、残高ゼロの現実が、容赦なく彼女を現実へ引き戻す。
「しかーーーーーーーーし!!」
がばっと椅子から立ち上がり、帳簿を片手に事務室を飛び出した。
工房のメインフロアでは、リュウが魔導具の調整作業をしていた。
「主任!! 月末の支払い、できないのね!!」
帳簿を高く掲げ、目に涙を浮かべるリリィの声が木造天井に響く。
しかし、リュウは工具を手にしたまま、ちらりとも彼女を見ない。
「ああ、なんとかなる、なんとかなる」
「なんとかなるって、これを見てもそう言えるのね!!!」
顔を真っ赤にしながら、帳簿をポンポンと指差す。
「ここ!ここ見てなのね!どこにも“なんとかなる”項目はないのね!!」
それでも、リュウは一切動じる様子もなく、ネジを締め続ける。
「帳簿が……間違ってるんだよ。たぶん……」
そのふざけた返しに、ついにリリィは爆発した。
「間違ってないのね!! 何度も、何十回も確認したのね!! このっ、安月給ブラック企業め!!!」
「んー……そっか……」
ようやく工具を置いたリュウは、ウエスで手をぬぐいながら棚の方へ目をやった。
「じゃあ、何か売るかぁ……」
棚の中を少し探し、小さな魔導具をひょいと手に取る。
「ほい、これ」
ぽんっとリリィに投げる。
反射的にキャッチしたリリィは、目を丸くしてそれを見つめた。
手のひらサイズの銀色の筒。側面に魔導刻印があり、小さな火花が端に走る。
「……これって、主任が試作してた**魔導火起こし器**なのね……」
(魔法が使えない人でも簡単に火起こしができる)
「うん、それ。それ、売りに行こうか」
「ええええ!!?? 今から売り出そうとしてる発明品を、売っちゃうんですか!!?」
「だって、金ないんだろ? じゃあ売るしかないよね」
にこっと笑うリュウは、まったく悪びれた様子がない。
「………………」
その瞬間、リリィは完全に言葉を失った。
これが、いつものやり取りだった。
月末になると、資金繰りのために、リュウは自らの発明品の権利や試作品を売り払う。
それで一時的にやりくりできるが――
(なにか、こう……根本的に間違ってる気がするのね……!)
帳簿を握りしめながら、リリィは心の中で強く誓った。
(私が会社を作ったら、絶対にお金に困らない会社にするのね!!)
こうして、今日も有限公社エルフ製作所は――
笑いあり、涙あり、財布ピンチのホワイト運営中である。