19.空飛ぶ船
リリィが戻り、何事もなかったように、通常業務が行われていたある日。
有限公社エルフ製作所の工房では、リュウとリリィ、そしてゴーレムンが肩を並べて作業に取り組んでいた。天井から吊るされたランプが、昼でも暗い工房内を照らしている。
その日完成したのは、魔人族のバローズの依頼であった、魔導風力器の進化形。
それは、魔導冷風器であった。
当初は床に置く据え置き型だったが、リリィがその構造に着目し、吸気と排気の流れを再設計。壁掛け型へと改良を加えた。
装置の外装には、淡い青色の冷却線模様が走っており、動作中は魔導結晶がひんやりと淡く光る。
その製品を、ゴーレムンが組み立てている。手際の良い動きで、部品を丁寧に取り付けてはネジを締める様は、まるで熟練工のようだった。全部で三十台の生産が完了していた。
さらに、魔導冷風器を動作させるための、大型魔素蓄電池用の補充器もリュウによって完成されていた。
仕上工房で、最終調整を行い、試験運転も無事に完了。
ズラリと並べられた「フローズン」と名付けられた冷風器群を見ながら、二人と一体は充実感に包まれていた。
「主任、フローズンの納品はどうするのね?」
リリィが、整備用グローブを外しながら訊ねた。額には薄っすらと汗が光っている。
「出張するぞ!」
とリュウが満面の笑みで答える。いつも以上にテンションが高い。
「やった!なのね!」
リリィも嬉しそうに跳ねるように喜んだ。
いつも工房に引きこもって作業漬けの日々。たまに訪れる納品出張は、ふたりにとってちょっとした冒険であり、旅行のようなものだった。
しばらくして、リリィが首をかしげてリュウを見る。
「ところで、どうやって運ぶのね?」
リュウは「少し待て」と言い残し、工具台にタオルを置くと、すたすたと外へ出て行った。
リリィは、不思議そうにその背中を見送りながら、上着を羽織って待った。
やがて、リュウが戻ってきて、無言で工房の外へと手招きする。
リリィもゴーレムンも外へ出ると、工房の空き地には何もなかった――かに見えた。
「上を見ろ」
そう言ってリュウが指を差した。
リリィが視線を空に移すと――そこには、巨大な船のようなものが空中に浮かんでいた。
「こ……これは!空中魔導船!なのね!」
その姿を目にした瞬間、リリィの目がキラキラと輝いた。
空中魔導船は、バルーンではなく、大型の魔導風力器をいくつも搭載しており、それによって空中に浮かび移動する仕組みだった。
専門書には理論上完成していたので、本を読んだリリィは知っていたが、実物を見るのは初めてだった。
見た目はまるで、海を進む帆船が宙に浮いているようだった。
速度は出ないが、貨物の大量輸送が可能で、地形の影響も受けず進めるため、非常に便利なものだ。ただし、魔素の消費量が莫大なため、使用される機会はごく限られている。
しかし――
「エルフ製作所には、俺がいるからな。魔素には困らん」
リュウは胸を張った。
確かに、リュウの体内に蓄えられた魔素は桁外れで、国家級の設備すら動かせる。
リリィにとっては、これが初めての空中魔導船だった。
リュウが遠隔操作の魔導板を取り出して操作を始めると、空中魔導船は静かに下降を始めた。
やがて、工房横の空き地に船が滑り込むように着地した。
船体の側面が開き、格納庫が現れる。
ゴーレムンが、自動荷台を操作しながら次々と「フローズン」を格納庫へ運んでいく。ガシャン、ガシャンと規則的な音が響いた。
あっという間に三十台の積載が完了した。
出発の時が来た。
船上には、リュウ、リリィ、ゴーレムン、そして小鳥のピリカが同乗していた。
ゴーレムンは力仕事だけでなく、据え付け作業のサポートにも必要不可欠だったため同行することになった。
リュウが操舵盤に手をかけ、ゆっくりと魔素を送り込むと、船はふわりと浮かび上がった。
木々の先端が遠ざかり、キナーク山の赤茶けた山肌が後方に見え始める。
やがて、その火山すらも視線の下へと沈んでいった。
空中を進む船の甲板で、リリィがぽつりと尋ねた。
「主任、こんな大きな船、どこに置いていたのね?」
するとリュウは、ツナギの胸ポケットから小さな袋を取り出して見せた。
「これに入れていた」
リリィは、袋を見た瞬間に目を丸くした。
「これって!あれなのね!魔法袋!!博物館でしか見たことがないのね!」
布地は地味な灰色だが、そこからは信じられないほどの収納力がある。
魔素を込めれば、モノの出し入れが可能となる。
リュウの家系では、代々受け継がれていた。
魔法袋は古代魔導具で、現在では製造方法が分かっておらず
世の中に現存する個体数も少なく、国からは保存要請が出ているほどだ。
そして、時代と共に、魔法袋の存在は忘れられていた。
リュウは少し誇らしげに袋を振って見せた。
だが、再びリリィの顔に疑問の色が浮かぶ。
「主任、これに入れて運べばよかったのね?」
その言葉に、リュウは「あっ」と情けない声を漏らした。
その顔を見たリリィが、呆れたような声を上げる。
「えぇ……なのね……」
リュウは慌てて言い訳を捻り出す。
「こうでもしないと、出張や魔導船に乗ることがないだろ……」
「えぇ……なのね……」
と、再びリリィ。
「それに!いま魔法袋持ってたり、使ったりする人少ないだろ!」
苦し紛れの主張だったが、リュウの目はどこか嬉しそうだった。
魔導船は、静かに大空を滑るように進んでいった。