第九章:その日が来る
それは、何の前触れもなく、静かに訪れた。
「今日は特別なお客様がいらっしゃるの。指名されたのは、リィナ。あなたよ」
係の天使が、いつもどおりの口調と笑顔で告げたとき、時間が止まったように感じた。
「え……?」
僕はその場で立ち上がった。
「それは間違いだ。リィナはまだ幼い。そんな……」
「ネフィル。規則は知ってるわよね?」
係は笑みを崩さず、冷たく言い放った。
「断れば、代わりは群れから選ばれる。それでもいいの?」
言葉が刃のように胸に突き刺さる。
どうすれば……
心が叫び、思考が暴れる。
だが、決めなければならない。
僕が、彼女を守るって決めたんだ。
ゆっくり振り返り、リィナを見る。
彼女の顔は怯えでひきつっていた。
けれど、涙は見せなかった。
泣かないようにしてるんだ。
あの日、母を失ったあの子は、
もう、自分よりも強くなってしまったのかもしれない。
目を閉じ、深く息を吸う。
静かに語りかけた。
「……わかった。僕が代わりに行く」
「え?」
「彼女の“研修”って名目で、ついていく。まだ一人じゃ無理なんだ。だから僕が一緒に、最初だけでも接客する」
係は一瞬戸惑ったようだったが、すぐに頷いた。
「あなたがそう言うなら認めるわ。ちゃんと“おもてなし”してね」
その言葉に、背筋が凍った。
理解している。
何を意味するのか、すべて。
それでも、この子だけは。
もう一度、心に誓う。
この子だけは、絶対に
―――
その夜、空は雲に覆われていた。
雨が降り出すかもしれない。
リィナは僕の服の端をぎゅっと掴み、離さなかった。
「ねえ、フィル兄……」
「……うん」
「ありがとう。リィナ、フィル兄がいてよかった」
涙をこらえる僕の心に、その言葉は刺さり続けていた。
この場所に、この笑顔は似合わない。