第二章 堕天
それは、静かな朝だった。
雲の上に浮かぶ天空の島が、淡い陽光に包まれていた。
遠くで鳥が囀り、天使たちはいつも通りの穏やかな時間を過ごしていた。
僕は島の淵に座り、リィナの母親と話していた。
まだお腹の中にいる小さな命のことを、彼女は優しく語っていた。
目を細めたその声は、あたたかくて、どこか安心できるものだった。
――それが、最後の平穏だった。
突然、空が裂けるような轟音が響いた。
大地が震え、地面が激しく揺れる。
遠くから、誰かの叫び声。
けれど音も風も光も、すべてを飲み込んでいった。
「な、に……?」
視界がぐらりと傾き、空が地面に落ちていく。
まるで世界がひっくり返ったようだった。
天使たちの悲鳴。風を切る羽音。砕け散る岩、裂ける空。
結界が崩れ落ちたのだ。
島は墜ちていった。
―――
どれだけ時間が経ったのか、わからなかった。
気がつくと、ぼんやりとした視界の中にいた。
動けない体。全身の痛み。
羽根は裂けて、まるで破れた布みたいにぼろぼろだった。
「……生きてるか?」
近くで倒れていたリィナの母親が動く。
だが、彼女も足を負傷し、翼は片方が折れていた。
遠くから、人の声が聞こえた。
「生き残りがいる!急げ、運び出せ!」
「価値がある……これは......!」
目の前に現れたのは人間の男たちだった。
彼らの瞳に映っていたのは、憐れみでも尊敬でもなく、ただの“物”を扱う冷たい視線だった。
―――
その後の記憶はぼやけている。
運ばれ、閉じ込められ、囲まれた。
「ここは安全だ。君たちを守る場所だ」
彼らの言葉は、どこか嘘くさく感じられた。
仲間は次々に捕らえられ、鎖につながれた。
檻に閉じ込められ、与えられる食事。身体を調べられた。
「この子は美しいな。すぐに値がつくだろう」
「ほら、笑ってみせろ。天使だろう?」
空を飛ぶことも、風を感じることも許されない日々が始まった。
ここが、天使の園の原型だった。
僕は檻の隅で、羽を抱え震えていた。
何も分からなかった。なぜ、こんなことになったのか。
空にいた頃の優しい時間が、遠い夢のように思えた。
「大丈夫……大丈夫だから」
隣にそっと座った者がいた。
ルア。
白翼の群れの若きリーダー。
その目は強く、そして暖かかった。
「俺がいる。お前は絶対に守る」
それが、僕にとって初めての、地上での支えだった。