第十一章:壊れた翼
あの日から、何かが静かに壊れ始めていた。
疲労は取れず、食事もほとんど喉を通らない。
白かった羽根の先が、わずかに灰色にくすんでいるのを鏡で見たとき、何も感じなかった。
「フィル兄、お腹すいてないの……?」
リィナが心配そうに覗き込む。
小さな手には、こっそり厨房から持ち出してきたパン。
「……ありがと。あとで、食べるね」
僕は微笑んだ。
笑顔の作り方だけは、もう身体が覚えていた。
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白翼の群れとの交流も、以前とはどこか違っていた。
ルアは心配して声をかけてきたが、「大丈夫」と答えるばかりだった。
「ネフィル、無理すんなよ。お前の翼、色が変わってきてる」
ルアの言葉に、一瞬だけ動揺が走る。
「大丈夫。そんなことより、リィナが最近、ちゃんと眠れてないみたいで……」
話を逸らすのは簡単だった。
それ以上は聞かれなかった。
でも、気づいていた。
皆が、そっと距離をとるようになったことに。
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「ネフィル、今日は接客じゃなくて、“仕事”に出てもらう」
係が告げた。
仕事。
それは、厨房の奥、調理室。
天使の肉を解体する場。
誰も行きたがらない。
何人かは、戻ってこなかったこともある。
「……なぜ、僕が?」
「お前はもう慣れただろう? 感情を出さないから、向いてる」
乾いた笑い声とともに、扉が閉じられた。
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中に入ると、鉄と血の匂いが鼻をついた。
ステンレスの台には、まだ温もりの残る羽が落ちている。
足元に、何かが滴った。
その瞬間、何かがぷつんと、音を立てて切れた気がした。
視界が白く染まり、頭の中が真っ白になる。
こんなところにいたら、壊れてしまう。
けれど、逃げ場などなかった。
この園には、最初から自由など存在しなかったのだから。
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それでも夜には、リィナの寝顔を見て思った。
あと少し、あと少しでいい。
この子が生きていけるなら。
その願いすら、どれほどの意味を持つのか、もう分からなくなっていた。