可愛い後輩たちと、白馬に乗った金髪碧眼は……
監督生は最初、後方から近づく騎馬の気配を感じて、前を歩く隊列に「止まれ」の合図を送ろうか迷った。
騎馬の足音は、一騎――。
道幅には余裕もあるので、それであれば道を譲る必要もないように思われたが、その騎馬が民間人ならば隊列を止める必要はない。
民間人にも少年兵たち十二月騎士団の馬慣らし……通称・お散歩はよく知れ渡っているし、扱いに不慣れの騎馬隊が突然「止まれ」の合図を受けて、かえってあわてて手間取り、道幅を塞ぐように膨れてしまったら、それこそ通行の邪魔になる。
それをされるくらいなら、さっさと素通りし、「がんばれよ」と冷やかしと労いの言葉を投げてやるのが大人の余裕というものだろう。
民間人はそうと意識している。
――だが……。
たかが一騎とはいえ、その相手が正式な騎士団に所属する「騎士」であれば、そうはいかない。
騎士たちも意識は民間人とおなじで、少年兵相手に隊列を止めさせてまで自分を優先に道を使うなどといった大人げない心根はない。
これが武官の騎馬隊が通るのであれば、少年兵たちの騎馬隊は逆に歩いているほうが危なっかしいので止めさせる必要もあるが、一騎でそれをさせるのは、優先されるほうがむしろ気恥しいものもあるのだ。
だが、武官、文官問わず「騎士」としての組織上、目上の者、上官に対しては足を止め、道を譲るという礼節のようなものが一応はある。
十二月騎士団の少年兵たちは、そういった礼節もつね学びとしている。
なので、監督生は判断をしなければならない。
民間人であるのか、「騎士」なのか。
さて誰だ――と、監督生はふり返ろうとする。
――そのときだった。
背後から近づく騎馬の気配が急速に近づき、監督生の騎馬と並行する。
横を見やると、近づいた騎馬の騎手がにこにこと笑いながらこちらを見返しているようすがあって、監督生はわずかに怪訝がった。
監督生はその顔を知っている――。
顔には気安さと柔和があって、ほっとする。
顔は世話になった直近の上級生のものだったし、馬術の名手としても知られ、憧れもしていた相手だったから、なおのこと懐かしさが浮かぶ。
だが顔の下は文官騎士の軍装を着用しているので、民間人でないのが一目瞭然だった。
ならば、いま見る顔の立場は「騎士」。
一瞬、馴染みのある顔として安堵を優先しかけた監督生は、いまは「騎士」として敬意をせねばとあわててしまう。
「――ッ!」
刹那、「止まれ」の号令を発そうとしたが、
「しぃ……」
突然の遭遇に驚愕する監督生に向かい、ハシュは悪戯めいたような、困ったような苦笑で自身の唇に人差し指を当てる。
静かに、とハシュがしぐさで送ると、監督生はなおさら意識と判断が混乱してしまったが、「ね?」と、なおのこと声を立てないでとしぐさを見せるハシュに従おうとうなずいた。
だが、あまりにも突然の出来事だったので、監督生はごくりと息を飲んでしまった。鳴った喉が痛む。
その違和感に喉もとを押さえた監督生に、ハシュは心配そうな顔を向け、
「――ごめん、おどろかせるつもりはなくて、そっと近づいたんだけど……」
逆にそれが監督生をおどろかせてしまったらしい。
申し訳なさそうに詫びると、監督生もあわてて頭を振る。
「い、いえ、こちらこそ失礼いたしました」
「でも、きみの技量なら監督生にもなるよね。――元気だったかい?」
「そんな、自分はまだお褒めいただくほどでは……。ハシュ先輩もお元気そうで何よりです」
言って、監督生は何かに気がついたようで、
「失礼いたしました。先輩、じゃなくて、ハシュさん……とお呼びすればいいでしょうか?」
先輩、と称をつけるのは、あくまでも十二月騎士団に所属する新入生、あるいは目上に上級生がいる立場の少年兵が相手に用いる習わしがある。
なので、つい三ヶ月ほど前まで監督生にとって上級生だったハシュに、思わず先輩と称してしまうのも致し方ない。
だがハシュはすでに十二月騎士団を修了し、文官の騎士団である十月騎士団に所属している「騎士」だ。新人とはいえ、その号を得た相手に先輩と呼ぶのは不敬かもしれない。
そう思った監督生はつい尋ねてしまうが、ハシュはもともとそういった意味での上下関係は気にしないタイプであるし、武官でも文官でも、正式な騎士団に入団しても直近の目上には「さん」よりも「先輩」と称していることのほうが多い。
「いいよ、好きに呼んで。俺だってまだ三ヵ月目の新人文官だもの。その、改まって言われると、気恥ずかしいというか、何というか……」
――伝書鳩の立場で先輩風吹かすのはどうかと思うし……。
監督生をはじめ少年兵にとっては、正式な騎士団に入団すれば否応なしのかっこいい「騎士」というふうにイメージも定着してしまっているが――当時、ハシュもそんなふうに思っていたので、現在は現実の落差にときどき肩を落としている――、実際、現場の伝書鳩といえば、御用聞き、小間使いが付随された伝達係なので、とても偉そうにはできない。
ハシュは、はは、とごまかすように笑う。
「それはそうと――、この隊列は初心者の列だね。どう? 彼らは?」
ハシュも最後方から隊列を見守る監督生としての経験が長かっただけに、騎手の姿勢を見れば、まだ不安定だ、まだ怖がっているな、と新入生たちの心情をそれとなく読み取ることができる。
とくに三人ほど、騎乗そのものを怖がっている気配が見受けられる。
それを最後方の監督生がきちんと見抜けているか。
ハシュが何となく問題を出すように問うと、監督生もまたおなじような意見を返してきたので、ハシュはちゃんと見ているんだなと感心し、
「きみも立派な監督生になったね。先輩として嬉しいよ」
「あ、ありがとうございます」
手をもうすこし伸ばすことができるのなら、つい昔の癖で頭を撫でてやりたかったが、それ以上の接近は見知らぬ騎馬同士の警戒や興奮につながりかねないので、ハシュは、にこり、と笑うにとどめた。
先輩として見慣れたハシュに、三ヵ月で成長の飛躍は感じられなかったが――勿論! それは現場社会へと向かって日々激務だろうけれど、人柄や柔和さに変化がなく、知っているかぎりの優しい先輩! という意味で、「騎士」になって三ヵ月、まったく覇気がないとか、そういった面の成長が見られないという意味ではない!――、こうして微笑まれてしまうと、監督生はなぜか赤面してしまう。
もともと相手を簡単に懐に入れる気質であるし、端正というよりは将来的には優美な容姿になるのだろうと思えるものもあって、左目もとのほくろがそれを印象つけるから、なおのこと監督生は照れてしまう。
無論、それ以上の感情も他意はない。
久しぶりに会った先輩に褒められて、単純に嬉しいだけなのだ。――きっと。
監督生は複雑な感情が口もとにあらわれないよう、自身の手でそっと隠す。
そんな後輩の心情など知らず、ハシュは最先頭を見やり、
「――ね、先頭は誰? あの金髪はひょっとして……」
「え、ええ。バティア先輩……いえ、バティア団長です」
「だよね! やっぱり!」
ハシュはその名を聞くなり、ぱぁ、と表情に大輪の喜びを咲かせる。
「これからも監督生として、がんばってね」
「はいッ、ありがとうございます」
最後に激励を送ると、ハシュは栗毛色の脇腹にわずかに足で刺激を与えて歩行速度を速めさせる。
栗毛色は、ようやく道草を終えるか、とふたたび自身の脚力を見せてやろうと意気込むが、ハシュにはまだその脚を速める意思はなかった。
ゆっくりとした騎馬の歩みで隊列を進める新入生たちをゆっくり追い越すていどに、ハシュは前へと栗毛色を進める。
「こんにちは。お散歩、楽しんでいる?」
できるだけひとりひとりに接しようと、ハシュは簡単な挨拶ていどの声をかけていくが、これもまた突然のことだったので新入生たちは目をぱちくりさせておどろき、動揺してしまう。
「え?」
「へ……?」
一般的に少年兵と呼ばれているが、「騎士」としての号は所持していない。
十二月騎士団の本分は、あくまでも正式な騎士団入団のために必須な剣技武芸の鍛錬、学問を修養する、いわば学生のような立場。年齢も十五歳から二年間所属するため、実質素直で、まだまだ年若い。
その学生たち少年兵が最初に教えられたひとつに、正式な「騎士」に対しての礼節がある。
とくにいまのようにお散歩の道中に「騎士」と出くわしたら、即時に隊列を止めて道を譲らなければならないと定められている。
なのに、その「止まれ」の号令がかかるどころか、まだ彼自身も年若そうな「騎士」がにこにこと笑みを浮かべながら少年兵たちの無作法――この場合は、お散歩の隊列を止めずに歩いていること――など気にもせず、明るく気安い挨拶の声をかけてくれて、手を振りながらゆっくりと追い越していく。
最後方の監督生はこれに何も指示を出さない。
どうしてだろうか?
でも「騎士」の騎馬が通るのに、自分たちが止まらなくてもいいのだろうか。
これに対してどのように受け答えし、礼を返せばいいのか。まだ作法がよくわからない。
「あ、あの」
「こ、こんにちは……」
「うん、こんにちは」
咄嗟の受け答えにまで不慣れな新入生たちは、ハシュに対して動揺を見せながら、それでも辛うじて頭を下げたり、うっかり日常的な挨拶の返しをしてしまったりと、誰もがぎこちないようすを見せてくる。
自分も新入生のころはそうだったなぁ、とハシュは思い出し、ついつい苦笑してしまう。
――そんな新入生たちの動揺を背から感じとったのだろう。
「――こら、急に気配を乱したりして。どうしたの?」
それまで最先頭に立ち、若く爽快さに溢れた白毛色の馬――文字どおり優美な白馬に騎乗する少年は、お散歩に慣れて気が緩みだしたのかと思い、新入生たちをかるく叱ろうとふり返り、そのしぐさで柔らかそうな金髪を揺らした。
――そして。
すぐ背後に懐かしい顔があるのを目に留めて、その優しげな碧眼を丸く見開いてしまう。
「え……、ハシュ――?」
□ □
十二月騎士団に所属する新入生たちの乗馬訓練の一環である馬慣らし、通称・お散歩の最先頭に立って騎馬の隊列を率いていたのは、――十二月騎士団団長のバティアだった。
「――バティア!」
これ以上ないくらいの喜びに溢れたハシュの笑顔と声を向けられ、バティアは心底おどろいて、誰もが羨む碧眼を何度もまばたかせてしまう。
「ハ……ハシュ……?」
「久しぶり!」
彼はハシュの同期で、おなじように三ヵ月前まで十二月騎士団の少年兵として所属していたハシュの友人、親友だった。
剣技や武芸、学術などの技量はすぐに武官の騎士団に採用されるだけのものを持っていたが、上に立つ者としての総合的統率力の大器を秘めているようで、それを見定めるため、トゥブアン皇国の十二ある騎士団のうち、武官に属する各騎士団の団長の推薦を受け、二年間の修養を修了すると同時に同騎士団の団長職に就任。
――これは破格の待遇……というよりは。
十二月騎士団では卒業生、あるいは修了生となる少年兵がそのまま同騎士団団長に就任する流れは珍しくもなく、誰かが受けるべき通例のひとつである。
就任期間は一年、もしくは二年と定められており、正式な「騎士」としての出発は同期たちより遅れてのことになる。
本来であれば主席、次席といった成績優秀な少年兵が受ける名誉この上ない職となるのだが、じつを言うとこれは当人たちにしてみればとんでもない悪しき伝統で、成績順で選ばれることに不満を思い、辞退する者がほとんどなのだ。
これも通例だというから、おどろきである。
――勿論、それだけの理由もきちんとあって……。
少年兵たちは誰もが「騎士」に憧れて、二年間の厳しい鍛錬を受けて修了時に正式な騎士団入団を最低限の目標としている。
だが、修了時と同時に団長職を賜った時点で破格の出世コースに乗ることができる美点があるにもかかわらず、それを辞退するのは、十二月騎士団団長といえば聞こえもいいが、内実は上級生が担う監督生、または総代生の延長のようなもので、後輩や新入生たちを世話する「子守り役」という立場が現実になるのだ。
ハシュの同期は稀なほど剣技の才能に恵まれた者がそろっていたので、
――早く一人前の「騎士」となって、武功を立ててトップに立ちたい!
と、まだ十七歳らしい血気盛んな夢追いを優先してしまい、
――二年も後輩たちの「子守り」で時間を潰してなんかいられるもんか!
おまけに十二月騎士団団長は、正式な騎士団たちに「見習い団長」とも揶揄されるので、これがトップを目指そうとする少年たちの矜持や癇に障るらしい。
こんな心情があって、出世コースの優遇が数年後先に約束されているにも関わらず、成績上位者たちには不人気すぎる役職でもあった。
実際。
ハシュの同期である主席と次席は、最初の打診で即辞退したという。
自分もいつかは武官の「騎士」になりたいと憧れを持ちつづけているハシュにとったら「何て贅沢な断りなんだろう!」と羨ましくてならないが、――この時点で、少年兵たちは根底の器を大人たちによって計られているなど知る由もない。
そのことにどれだけの速度で気づくか、気づかないかで、すでに長い将来にわたる選定が成されているのだ。
それを言ってしまうと、その団長職を賜ったバティアが出世コースに興味がある野心家のように思われるかもしれないが、
――成績四位の自分が、団長職を賜るなんて……。
成績は総合で四位。
全体数でいえば充分成績上位だが、武芸技術、学問科目でいうといずれも十指には入るものの、そこでの個別成績にはばらつきがあって、バティア本人としては不安定な成績だと自分を評価している。
――そんな自分が、十二月騎士団団長……。
賜るということは、「何か」を試される。
でも、自分の「何」が見定めの対象に値するのか自覚がないだけに、模索しながら団長職に就任し、「騎士」に憧れて入団する百人単位の少年兵に不安定なところを見せてしまったらどうしよう?
何かの弾みで彼らが描く輝かしい「騎士」像を台無しにしてしまい、将来に影響を与えたら……と本気で悩んでしまい、数日ほど寝込んでしまった事実があるのだ。バティアは。
――気が弱いというわけではない。
――すでに重圧という本質も見抜いている。
持ち前の性格は明るいが、どちらかというとおしとやかに控えめで、多くのことが重なると一気に慌てやすくなるハシュに対し、バティアは逆に思慮深く冷静に物事を見るようになるので、そのバランスも相成って、ふたりは親友と呼べる間柄のなかでも懇意に近かった。