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ハシュの周囲たち

 十月騎士団に所属する伝達係――通称・伝書鳩の在籍は十人。

 そのうち早馬とも称される競走馬のあつかいに慣れているのは三人で、もっとも優れた馬術を披露しているのがハシュだった。

 同時に――。

 文官であろうと正式な騎士団に入団し、「騎士」の号を得ている以上、上官、下官の立場関係なしに誰もが最低限の乗馬はできるが、ハシュの馬術はその十月騎士団のなかでも上位に食い込んでいる。

 正式な騎士団に入団するために修練が必須の十二月騎士団を修了し、十月騎士団に配属されてまだ三ヵ月の新人だというのに、同騎士団が管理する厩舎の騎馬たちもすでにそれを充分に理解していた。

 ハシュにあつかいを困難とさせる騎馬は、ここにはいやしない。


 ――あの伝書鳩の技量であれば、自分の実力をもっとも華麗に引き出してくれる!


 厩舎の騎馬たちはそれに嘶き、厩務員たちが誰のために自分たちを選定し、乗馬に必要な馬具を装着させているのかを知るなり、


 ――あの伝書鳩が騎手になるのなら、自分を当用しろ!


 と、興奮荒々しく脚を鳴らしてくるので、ときには厩務員たちも手を焼くが、それほどまでに騎馬たちと信頼関係を得ているハシュに対して、彼の魅せる馬術と将来性を感じるのが厩務員たちも楽しくなっていた。

 なので、ハシュと懇意になった厩務員がハシュという伝書鳩のために、彼がつぎに騎乗するために用意しておいてほしいと頼んだ種類を選定し、選ばれた騎馬に馬具を装着させるのを見るなり、周囲の騎馬たちは嫉妬し、凄まじい目つきで厩務員をねめつけてくる。


「まったく――。お前たちは、ほんとうにハシュを気に入っているんだな」


 騎馬たちの鋭い眼光を受け、厩務員は呆れたように息を吐く。

 思わずそんなことを言ってみると、騎馬たちも「当然だ」と異口同音に鼻を鳴らしてくるのかおもしろい。

 そんな周囲のやっかみなどものともせず、厩務員に馬具を装着されている騎馬は、――軍馬。

 短距離、中距離における速度は競走馬に劣るものの、戦場必須の種類としてはもっとも優れ、体力、判断力、持久力のバランスがよく、長距離移動にはもっとも安定している。背負う装備を軽減されれば、速度だって中盤までは競走馬とも張り合えるのだ。

 選定された栗毛色の軍馬は、むしろ誇らしく鼻を鳴らした。

 ふん、と周囲を一瞥する眼光は、まるで技量を自負する気高い騎士を連想させるものがある。

 その気位高い騎士の尻――正確には栗毛色の軍馬のそれだが――を厩務員は、ぺしッ、と素早い平手で叩く。


「調子に乗るな」


 そうひと言喝を入れると、周囲の騎馬たちが「ざまぁみろ」と言いたげに笑うようすが見てとれた。とんだ恥をかかされた栗毛色の軍馬は、厩務員に凄まじい眼光を投げるが、彼らを世話する厩務員に威嚇などは通用しない。

 厩務員もかつては、多くの文官たちにそれなりに恐れられてきた文官騎士の上層部を経験している。あのころを思えば、いま、こうして世話をする「小僧ども」のやんちゃな威嚇など、あくびひとつで充分だった。

 かつての名残で目もとを薄く細め、厩務員は小さく口端をつりあげる。


「何だ? ――やる気か?」


 奇妙な威圧を直截向けられて、これに逆らえる騎馬がいるはずもない。

 ハシュがそばにいれば厩務員はのどかな中年、騎馬たちもやたらと威嚇を放つような真似はしない。

 どちらも気に入っている少年の前では猫をかぶっているので、こうして互いに本性を見せ合えるのもそれはそれで楽しかった。



□ □



 時計の針を見れば夕暮れにはまだ早いと思われたが、いつまでも夏季節の感覚を引きずっていると、たかが三十分だけでもその読みは大誤算へとつながり、とんでもない目に遭ってしまう。


 ――午後も三時過ぎ。


 ほんの数週間前まではまだ日差しの高い夏の空や色、隆々に盛り上がる雲の一団たちを遠景に見やることもあったが、おなじ時刻のいま、日差しのかたむきには角度がついて影も伸び、世界は陽の薄い黄金色に照らされてどこか切ない黄昏色に染みているようにも見えていた。

 午後になると風向きも変わるので、心地のいい風から涼しさを感じるようになると、もうじき夕方かな、と思えるようになって、西の空を染めている黄金色の空を見るとなおそんなふうに感じるようになる。

 草むらからは、涼やかな虫の音が聞こえる。

 そうやって風景に情緒を感じていれば、存外時間の進みもゆっくりと感じることもできるのだが、如何せん、かぎられた時間内で最大限に動かなければならない者たちもいる。

 それらにとって陽のかたむきや黄金色の空は、何やら切迫感をもたらす色にも見えていた。


 ――そんな夕暮れ間近の時間。


 十月騎士団の厩舎には、一頭の騎馬が戻ってきた。

 騎乗していたのは、ハシュとおなじ新人騎士の文官で伝達係の伝書鳩。

 彼もまた上官からの指示で書類を受け取り、手渡すために朝から方々騎馬で駆っていたが、夕暮れがはじまる時間には厩舎に戻れるよう計算して動いている。

 夜が満月の近い時期で月明りもあれば、多少の夜道でも騎馬を歩かせながら帰路につくこともできるが、――残念なことにいまは新月の時期。

 夜の月明かりは見込めないので、周囲に民家の灯りがなければ街灯もないので、騎馬に乗っての移動そのものが困難になる。

 武官の騎士であれば、手に松明、あるいは持ち手つきの角灯――ランタンを用いて夜道を照らしながら騎馬を歩かせることもできるが、文官の騎士にはそれが禁じられていて、とくに政治や国事を左右する書類伝達をあつかう新人武官の伝書鳩たちには厳禁とされている。

 なので、伝書鳩たちの勤務時間はおのずと季節の日の入りに左右されるのだが、庁舎内にこもって書類と格闘していると上官たちは「つい」それを忘れがちになり、時計で見やる勤務時間いっぱいまで「ついでに」と言って、伝書鳩たちの移動距離を伸ばしてしまう。

 戻ってきた伝書鳩は、ハシュとはちがい、上官たちに対しての要領がよかった。


 ――それは、おべっかを使うのが上手い、のではなく。


 単に蓄積されていく「ついでに」に対しての断り方と、明日で用件が間に合うのならそれを予定として組み、余計な足どりを使わないコツをつかむのが上手く、段取りが上手だった。

 その彼が戻ってきたとき、


「あれ……?」


 と、ひとつの疑問が浮かんだ。

 戻ってきた厩舎では一頭の栗毛色の騎馬が馬具を外されているのではなく、庄着されているのが目についたからだ。

 見れば種類は軍馬で、これから騎乗するのだとしたら、騎手はあるていどの距離を移動することが必要になるのかと推測もつく。


 ――でも、こんな時間から誰が?


 しかも厩務員が手綱を確認している騎馬は、栗毛色!

 あの栗毛色の軍馬は自身に騎乗する相手を選ぶことで有名で、武官の騎士団の厩舎に所属していた現役のころ、その気性の荒さで長く実用的な軍馬として活躍はできなかったと聞いている。

 そんな、老齢以外の理由で引退を余儀なく宣告された馬たちのほとんどが、ハシュたち伝書鳩が所属する十月騎士団や、その他簡単な移動のために騎馬を必要とする文官の騎士団の厩舎へと下がるのだ。

 だが栗毛色の気性はいまも変わらずで、気に入らなければ平気で騎手を振り落とそうとするので、おなじ理由の厩務員ならば手も焼くし、いま帰還した伝書鳩にはあつかえない。どうもいけ好かない。

 その彼が知るかぎり、あの栗毛色を簡単に制することができるのは、この十月騎士団では五指もいるかどうかだ。


 ――それも、この時間に乗る必要のある騎手はかぎられる。


 栗毛色を見て、咄嗟に浮かんだのが、ただひとり。


「まさかハシュのやつ、これから出かけるのか?」


 現在、十月騎士団に所属する伝達係の伝書鳩は十人。

 彼らはいずれも今期、十二月騎士団での厳しい修練を無事に修了した新人の文官で、容姿も雰囲気もまだ年ごろらしさが残る十七歳だ。

 言いかえれば、互いに互いが二年間の全寮制でともに「騎士」を目指して励んだ十二月騎士団の同期で、ハシュにとっても彼らは見知った友人たちとなる。

 なので、彼はハシュのことをよく知っているし、馬術では敵わないため、いまではハシュのほうが移動距離も長い騎士団まで書類の受け渡しを上官によく命じられていることも知っている。

 最初のころこそ、どんな激務でも上官に声をかけてもらうのは覚えめでたいことだと思えて、ハシュに対して嫉妬したこともあったが、いまは冷静になってそのような感情もなく、ただただ、ハシュが激務の犠牲になってくれることで自分の請け負う業務が楽になって助かっていると、素直にハシュの犠牲に感謝している。


 ――けど、これから遠出させられるなんて……。


 いい加減、ハシュも上官に対して「ついでに」の断り方を上手く言えるようにならないと……。

 そんなふうに思いながら、ハシュはどうも反射的に返事をする癖もあるからなぁ、と普段は押しの弱さがあることも知っているので、やや呆れ顔になってしまう。

 下馬した彼は、厩務員たちに「戻りました」と声をかける。

 距離のある外周をしてきた騎馬たちを厩舎に戻す前には、軽く走り納めをする簡単な馬場が併設されていて、彼が騎乗していたそれは厩務員に手綱を取られて馬場へと向かっていく。

 それを何気なく見やっていると、一足先に戻ってきた騎馬がいて、呼吸を整えながら歩いているようすが目についた。

 はて、と思えたのは、それは十月騎士団随一の脚の速さを持つ競走馬の黒馬で、よほど全力で走ってきたのか荒い息づかいがまだ聞こえるからだ。


 ――誰か、よっぽど急いで戻ってきたのか?


 厩舎の端には、ほとんどいまほど脱ぎ捨て、放り投げられたような馬術用の手袋とブーツがあって、それを「やれやれ」といった表情で老爺に近い厩務員が拾っていくのが目につく。

 どんなに急ぎごとがあっても、自分で着用した馬術装具は自分で戻せ。

 少年兵を徹底して育成する十二月騎士団の馬術時間では、教官に散々言われたことなのに、あの躾をあっさり忘れてしまうとは……。

 黒馬も気性が穏やかでないのは有名だったが、彼はまだあの黒馬には騎乗できる。

 ただ、どうもこちらを誰かと比較して侮るような目つきを向けてくるので、それが気に食わない。

 そう言った意味では、彼はあの黒馬も苦手だった。

 この二頭の騎馬がそろって背を乗せる騎手とくれば、もう「あいつ」しかいない。


「ハシュ――戻ってきたのに、また出かけるんですか?」


 ハシュはあの黒馬を気に入っている。

 黒馬もハシュのことはお気に入りで、馬具を装着し終えた栗毛色もハシュを手こずらせることだけはしない。

 だがそれは相性の話であって、競走馬と軍馬。いまから残る勤務時間を逆算しても、できたら用いりたくない種類だ。

 どこの騎士団庁舎に向かうのかは知らないが、これから軍馬を用いて皇都地域内にあるそこを目指しても、着くころ、あるいは戻ることにはとっくに世界の色は夜へと転じているはず。


 ――あいつ、暗いのは苦手のはずなのに。


 用意された栗毛色を見やりながら声をかけると、ハシュの投げ捨てた手袋とブーツを手にする厩務員がうなずき、


「ああ。ほんのいまほど四月騎士団から戻ってきて、書類を上官に届け終えたら今度は五月騎士団に行って、そのあと十二月騎士団まで行かないとならないって言っていたなぁ」

「は? 十二月騎士団?」


 あそこは少年兵で構成された寄宿舎学校のようなものなので、他の騎士団から何かを要請されれば書類の行き来も発生するだろうが、普段その往来はなかなか発生しない。

 誰に何の用を頼まれたんだか、と呆れと同情を含ませた顔でいると、


「何をしでかしたのか、学長に謝りにいかないと……とか言って、半べそかいていたなぁ」

「べそ……」


 老爺の厩務員に言われて、彼は眉根を寄せる。

 彼は現役の伝書鳩なので、いま聞こえた騎士団の所在地や道のり、騎馬を用いた時間を正確に測ることができる。結論として、――ざっくり計算してもどうも工程が悪すぎる。

 いまからだと五月騎士団の庁舎までの道のりで夕暮れがはじまり、十二月騎士団に向かうころにはとっくに夜だ。西も東も濃い藍色の夜空に染みている。

 上官の「ついでに」は彼もうんざりしているが、それでも終業時刻には戻ってこられるよう、上官なりに計算してものを言っているのも理解できるが、それにしても、だ。


「何でまた、そんな無茶苦茶な図形を描くような庁舎回りをする羽目になったんですか? しかも学長に謝りに行くなんて」

「さあなぁ。あと、人探しがどうのこうのと、わめいていたぞ」

「……何それ」


 ――ハシュのやつ、いったい何をしでかしたんだ?


 謝って?

 人探し?

 どう考えてもそれは伝書鳩の仕事ではない気がする。

 明日、自分は非番で、たしかハシュも非番だと聞いていたので、互いに伝書鳩の疲労を忘れて、気分転換に皇都のにぎわう街でも歩きながら息抜きでもしないかと誘おうと思っていたのに。

 誘うのは簡単だし、ハシュもきっと同意するだろうが、これからハシュに襲いかかる激務の道のりを考えると、帰ってきたら疲れ果てて爆睡がオチだろう。

 翌日が非番なら気も抜けて、いつ起きるかもわからないだろうし。

 自分がこれからその工程を辿ったら、絶対に朝起きるのは不可能だし、聞いているだけで自身の疲労に加算されそうだ。


 ――ま、出歩くのはいつでもいいか。


 目的があって誘うわけではない。

 疲れ果てて帰ってくるハシュに、息抜きに遊ぼうぜ、と誘うのはあまりにも酷だろう。

 そう思い、彼はそれ以上のことを思うのをやめにした。

 この考えの切り替えの速さが、ハシュにはない、彼の要領のよさであった。

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