澄み渡る青空オークの群れ
■紹介
・ナーガ
16歳の少女冒険家。本名ナーガディシア・ピエロット・リーデア。
・転生の書
ナーガと会話するように自ら文字を綴る森羅万象を知るかのような書。
ナーガはイスタートの賑やかな通りを抜け宿屋へと向かいます。
夜の冷たい風が背中を押すようにふきつける。
彼女は襟を立てるように構えながら足を早めました。
宿屋の入り口をくぐりフロントに居た宿屋の主に軽く挨拶をします。
それから階段を登り自分の部屋へと入るのでした。
その部屋はテーブルには地図や巻物が乱雑に置かれ、床には靴や装備品が散らばっている有様です。
ナーガが冒険に必要な道具や装備を買い足し、次から次へとクエストをこなしているうちに、部屋を片付ける余裕もなくなっていたためでした。
ナーガは軽くため息をついてから、荷物をどかしたことで空いたベッドの隙間に腰を下ろします。
身につけたままの鞄を開き、その中から黒い装丁の古びた本「転生の書」を手に取って、そっと表紙を撫でました。
「オークのことを調べておかないとね」と独り言をつぶやきながらナーガはその書を開きました。
書のページは待っていたかのように、彼女の疑問にすぐに反応して古びたインクで文字が浮かび上がらせます。
『こんばんはナーガ、オークのことを知りたいのですか?』
「そうそう。オークってどんな特性とかあるかを知りたい」
『はい。オークとは木の蔦のような触手で構成される魔法生命体です。
彼らは何処から生まれますが集団を組む習性があり、一定の大きさになるとコロニーを形成します。
そのコロニーはさらに成長するにつれ、周囲の自然環境を侵食して、さらには明確に人間へと脅威をもたらすようになります。
個体としてのオークもその触手は非常に強力で、金属をも引き裂く力を持ち、通常の武器では傷をつけるのが難しいです』
ナーガは真剣な表情で書の受け答えを逐一目を通します。
これまでオークと対峙したことは一度ではなく、オークの恐ろしさは十分に理解しているつもりのはずでした。
それでも明日のクエストに備え、何度も確認しておこうと考えている、というところでしょう。
『オークの急所はおおむね動物と同様となりますが、確実にトドメを指す場合には頭部にある種核を破壊するか抜き取ることです。
この種核は青白い輝きを放っており、それが体内から損失したオークは絶命することになります』
「変な生き物だよね…魔法生物ってそんなものばっかりなのかな」
『はい。オークは元々は自然と調律の神が生み出しされたと言われており、その存在は……』
「わぁ、わぁっ、今はそういうのいい今はいいっ……
明日に備えてそろそろ寝ようと思うからそれはまた今度っ」
ナーガは早口で話を遮ると書は言葉を続けます。
『ナーガ。最近はクエスト稼業が忙しいのは分かります。
ですが基礎学問というものをおそろかにしてはいけません。
私はあなたの質問に答えますが、あなたが知識を血肉として得ることが最も望ましいと言っているはずですが……』
「う、うんっそうねっ」
と言いナーガは慌てて書を閉じるとベッドに倒れ込むのでした。
◇
次の日。
ナーガは早朝の静かな街並みを抜けてクエストへ出発します。
今回のオーク討伐の舞台はトーエリアの大渓谷。
オークの目撃があったという報告を受けてその討伐と調査を兼ねたクエストです。
コロニーからはぐれたオークの可能性もあります。
ですが、もし周辺にコロニーが形成されていた場合は相応の危険もある、慎重さが求められる依頼です。
ナーガはいま背中に大きなバックパックを背負っています。
そこには着替えの衣類、食料をしっかりと詰め込んでツェルトやロープ、灯りなどの拠点を設営する道具も括りつけ準備を整えていました。
そして腰には使い古して摩耗してしまった片刃の剣を鞘に納めて備えています。
渓谷付近まではイスタート近くの駅舎発の馬車便を利用することになります。
工業都市イスタートからは各地への馬車便も多く、冒険者たちもよく利用する交通手段です。
幌付きの馬車に乗り込み席に腰かけると、ナーガはしばらく景色をぼんやりと眺めていました。
開けた草原が続き風に揺れる草たちが一面に広がっています。
見渡す限りの青々とした大地と少し乾いた風が、どこか心を落ち着かせるようでした。
上空では鳥たちの鳴き声が響き、彼女の目に映る青空はどこまでも続いています。
時おり馬車の車輪が砂利道に跳ねる音が心地よいリズムになって、ナーガは思わず「天気がよくてなによりだなぁ」と一人呟きます。
馬車はゆっくりと進み、やがて目的地である大渓谷が次第に近づいてきました。
渓谷周辺の険しい地形や岩肌が少しずつ見えてきます。
◇
大渓谷を抜ける登山口が到着予定の馬車の駅となります。
そこは登山者や歩荷たちの利用する整備されたもので、荷物を下ろしたナーガはその道を見上げるようにしてから歩みを始めました。
その道を進むと、歩荷の人々とすれ違います。
山道を行くマナーとして、軽く会釈をしながら挨拶を交わします。
渓谷を越えて商品や生活必需品を運搬する彼ら。
自身よりも重い荷物を背負う足取りは力強いもので、ナーガは感嘆します。
やがて目的地へ向け、登山道を外れるようにして渓谷の深部へと進むことになりました。
次第にガレ場をむかえ足元が不安定な岩場が広がるようになります。
ナーガは持ってきたなまくら剣を杖代わりにして、慎重に足を進めることになりました。
それは整備された登山道を歩くのとは比にならないほどの苦労があり、ナーガは汗をにじませます。
ですが時折吹く渓谷を抜ける風を彼女は迎え、ひんやりと心地よい感触も楽しんでいるようでした。
ナーガはさらに歩みを進めてガレ場をさらに進んだ先。
目撃情報のあったという区域である大きな段丘林の地帯に到着します。
鬱蒼と茂る木々が日差しを遮り薄暗い空気が漂う空間が広がっていました。
ナーガは周囲を警戒しながら木々の間を慎重に進むと、ふいに視界の端に異質なものが目に入ります。
そこにはいたのは一匹のオーク。
その姿はまるで蔓のような触手に覆われ、全身に湿った節々の皮膚が露出していました。
触手はゆっくりと揺れ動き、その部分部分からは粘液が垂れている、不気味な生命体と見てとれます。
オークの顔と思われる部分は、まるでお面のように形成され、目の部分は青白い灯りがゆらゆらと光っていました。
その不思議な光は見渡すように周囲に向けられ、動きは鈍いもののその不気味さと威圧感があります。
ナーガはオークの死角になるよう、距離を置いて木の背後にバックパックを下ろします。
身軽な状態となってから数度大きく呼吸をして息を整えます。
彼女は腰に携えていたなまくらの剣に手を置き、そこに自らの魔力を通すと、鈍く輝く刃に淡い光が宿りました。
その光を宿した剣を背中に隠しながら、ナーガは慎重にオークに近づきます。
バゴッと音を立て、次の瞬間には全力でその頭部に刀を叩きつけます。
その刃がオークの頭部に命中した部分は、音と共に触手に覆われた頭部が千切れるように吹き飛びました。
切り口から粘液が周囲の地面に飛び散って、木々から差し込む陽光によりてらてらと輝いています。
弾け飛んだオークの頭の奥に青白く光る鉱石のようなものが見えました。
これがオークの「種核」と呼ばれるもので、冒険者たちがオークを討伐した重要な証拠、トロフィーとなるものです。
ナーガはその種核を摘み取って、手近な木で核に纏わりつく粘液をぬぐってから、腰のポーチにしまい込みます。
「…ン」
その瞬間、彼女の背後でざわめく音。
振り返るとオークが倒れた音を聞きつけたのか、周囲の木々の間から数匹のオークが姿を現し、彼女の方に向かって来ていました。
彼らの目は青白く不気味な光を放ち、ナーガを捉えたことを示しています。
彼女は魔力を帯びたなまくら剣による正確な一撃を加えてはオークを仕留めていきます。
二体、三体と次々と現れる敵に冷静に対処していきました。
すると数を減らしたオークたちはナーガの方ではなく、別の方向に注意を向け始めました。
ナーガはその方向に視線を向けると、そこには見知らぬ冒険者のパーティがオークに取り囲まれ、苦戦している様子が見えました。
その4人組のパーティは懸命に戦っているようですが、刃は触手に絡めとられ、はたまた粘液で滑りオークの体に攻撃が通らないようです。
パーティは次第に複数のオークの物量に追い詰められていきました。
「なんて硬さだ、こいつら!」
金髪の男性が声を荒げながら、何度も剣を振るいますが効果は薄いようです。
黒髪の別の男性はサポートとして盾で間に入り、必死にオークの攻撃を防いでいましたがその力に押されている様子でした。
「ぐぅ…限界だ、持ちこたえられんっ!」
その叫びの瞬間、ナーガが駆けつけました。
「退いて!」
ナーガの声が響きます。
それと同時に淡い光を帯びたなまくら剣によってオークの頭をたやすく破砕していました。
続けざまに身を翻しながら別のオークにもその剣を振るい、その必殺の一撃により次々と仕留めていく様子を見せつけます。
その場にいたパーティのメンバーたちは突然の救援に驚きながらも、ナーガの圧倒的な力に息を呑んでいるようでした。
◇
やがて周囲の敵がすべて片付けるとナーガは巻き込まれたパーティに声を掛けました。
「ごめんなさい。まさか周囲に他のパーティがいると思っていなくて……」
その言葉に金髪の男性はナーガに向き直り応じます。
「謝ることはないよ、助けてくれてありがとうっ。俺たち、正直全滅するかと思った」
「あぁ。まさかこの一帯にあんな複数のオークが潜んでいたとはなぁ……本当に感謝するよ」
金髪の男性に続き、黒髪の男性もナーガに感謝を述べます。
背後で隠れるようにしていた二名の女性も、慎重に足を運びながらナーガに駆け寄りました。
一人は金髪で、もう一人は茶髪の女性です。
そのうち茶髪の女性は険しい表情を崩さないまま、仲間たちを見回して口を開きました。
「私たち、本当に危なかったわ。今のは……あなたのおかげね」
彼女の声は少し硬いものの、頭を下げて感謝の意を表します。
「まさか俺たちより年下の女の子に助けられるなんて思ってなかったからな。
なぁ、オベル。オレたち、ちょっと情けないところ見せちまったかな」
と金髪の男性が苦笑いを浮かべ、黒髪の男性に視線を送る。
すると茶髪の女性が割って入るように金髪の男性に寄り添いながら応えました。
「そんなことばっかり言わないの、ほら挨拶しないと」
その様子に金髪の男性は頭を掻きながら、やがてナーガの方に向き直りました。
「あぁ、まずは名乗らせてくれ。俺の名はサクリ・グレイブソンという者だ」
それから、茶髪の女性、金髪の女性、黒髪の男性を示しながら名前を紹介していく。
「順にヴィクタ、プレイトン、そしてオベルだ。……それで、ああ、君の名前は?」
金髪の男性がナーガに名を訊ねてくるので、ナーガは返事をします。
「ナーガ、そう呼んで?」
「ナーガ、この度は本当に感謝しているよ。俺たちは迂闊に行動をしすぎていたみたいだ」
金髪の男性、サクリは一人ひとりの名前を指し示しながら改めて仲間を紹介してくれました。
ヴィクタ・モレンは茶髪の女性で、落ち着いた眼差しが印象的です。
プレイトン・マーロイは金髪の女性で、明るい表情を浮かべながらナーガに向かって感謝の言葉をかけてくれました。
そして、黒髪のオベル・ダーネルが丁寧にお辞儀を返します。
サクリは仲間たちを一瞥し、ナーガに向き直って話しかけます。
「俺たちはこの大渓谷で『ケイコクトカゲ』という動物を捕獲するクエストを受けていてね」と説明を始めました。
「渓谷トカゲか。なるほど」とナーガは周囲を見渡しながら応じます。
「ああ、だからなんだけど、もしよければ俺たちの護衛をお願いできないかな?
さっきのオークには本当に肝を冷やした、また襲われたらひとたまりもないしさ」
とサクリは頼み込むように言いました。
ナーガは少し考えた様子を見せてから
「私はオーク討伐と、コロニーの有無を調査するクエストを受けている。
あの数のオークがいたからこの近辺にコロニーがある可能性がある。
その調査も兼ねてでいいなら護衛できるよ」
と提案を受け入れると四人はホッとした表情を浮かべます。
そしてサクリが「助かるよ、君がいれば心強い」と感謝を述べました。
そして、その自分は頼られているという珍しい感触。
ナーガは嬉しそうに思わず笑みを浮かべるのでした。