少女冒険家への値踏み
■紹介
・ナーガ
16歳の少女。本名ナーガディシア・ピエロット・リーデア。
・転生の書
ナーガと会話するように自ら文字を綴る森羅万象を知るかのような書。
一年が経ちました。
ナーガはホクカントリーを離れ、東にあるトーエリア地方の大きな都市イスタートに身を落ち着けていました。
イスタートは糸と繊維の工業が盛んです。
朝から晩まで機織りの音が響き、商人や職人が行き交う活気に満ちあふれた街。
通りを行き交う人々の姿、精密な工芸品を運ぶ荷馬車も絶えなく、季節に応じて街が色とりどりの装飾で賑わうのが特徴です。
ナーガはこの街にあるクエストギルドに所属し、日々忙しなく依頼をこなしていました。
その日もナーガはクエストに向かいますが、少し事情が異なっておりいつものように単独ではなく手伝いが目的となっていました。
目の前に広がるなだらかな丘陵地帯はいたるところで岩石がむき出しになっています。
背丈の高い木々は見当たらず、代わりに岩壁にへばりつくように生えた低木や雑草が、乾いた風に揺れています。
空は厚い雲に覆われ、明るい青空とは程遠い陰鬱な雰囲気。
突然、異常なほどの数の落雷が鳴り響き、青白い閃光が岩肌を焦がします。
その閃光に呼応するかのように、岸壁の一部がまばゆい輝きを放つ異様で荒々しい景観が広がっていました。
「オド。ここがゴゴロン丘陵?」
「あぁ、そうだ。厭雷のマントを羽織っておきな」
オドと呼ばれた、緑がかった短髪に浅黒い肌、筋骨隆々の男性が指示を出すと、ナーガは素直にマントを羽織りました。
雷を防ぐマーマンの鱗皮と銀で編み込まれたこのマントは、このゴゴロン丘陵での必需品です。
オドは周囲を見渡し、雷の危険が少なそうな手頃な岩陰を見つけると、そこに荷物を下ろします。
「稲光の石はこの袋に集めるんだ」
オドはマントと同じく雷を防ぐ仕組みを備えた袋をナーガに手渡します。
「雷に当たるかもしれないから、高い場所や光っている石に近寄る時は気をつけてな?」
「あの光ってる石が今回のクエスト目的の稲光の石?」
ナーガは落雷の度に輝きを放つ岩壁を指さし問うと、オドは頷きながら応えます。
「そうだ。触る時は厭雷のグローブをちゃんとつける、いいな?」
「うん、わかった」
素直に応じるナーガを見て、オドは整えられた髭が似合う精悍な顔つきに、柔和な笑みを浮かべます。
ナーガは注意深く、雷が落ちないタイミングを見計らって、稲光の石に近づきました。
「稲光の石って、こんなに小さいんだ。でもグローブ越しでも少しびりびりする」
と、ナーガはグローブ越しに石を拾い上げながら言いました。
「そうだな。感電するからグローブ無しでは絶対に触っちゃだめだからな?
それとこの石は誘電性が高いから、拾ったらすぐに袋に仕舞うんだ。雷を引き寄せるからな」
「うん、うん」
「あと稲光の石は蓄電量が限界に達すると周囲に放電する性質もあるからな。
マントとグローブがあればその放電を凌げるとは言えアテにしすぎるなよ?
それに落雷を浴びたらただではすまないからな」
「あはは、うん、ありがとう」
ナーガは保護者さながらに甲斐甲斐しく説明をするオドに笑顔で相槌を打つのでした。
◇
作業がひと段落すると、オドとナーガは荷物置き場の岩陰で腰を下ろします。
それからオドが言いました。
「ナーガ、いつも不思議に思っているんだがお前は若いのに色々と知ってるな。
いったいどうやってそんなに知識を身につけたんだ?」
「そう? 今回のクエストだってオドがレクチャーしてくれたし……」
ナーガは「あ」と言うとわずかな間だけ躊躇し、少し考えた様子を見せて話を始めました。
「実は、私が知っていることの多くは、この『転生の書』が教えてくれていてさ。
書が何でも教えてくれるから、色々と知識だけは覚えているんだ」
そう言いながら、ナーガはバッグから「転生の書」を取り出します。
古びた黒い表紙。
何重にも折れたページ。
その使い込まれた様相の書物は、彼女にとって特別な存在でありました。
オドは興味深そうにそれを見て「へえ、それはすごいな。ちょっと見せてもらってもいいか?」と尋ねました。
ナーガは「うん、見てもいい」と頷くと書を手渡します。
しかし、オドが書を開くとそこにあるのは、読み手に語りかける不思議な書ではなく、ただただナーガの過去が綴られていたものでした。
彼女の生い立ちや孤独な子供時代、そして恐ろしい事件の数々が鮮明に描かれているもの。
それを見たオドの表情がひと時険しくなり、彼はすぐに書を閉じました。
「すまないナーガ……これは迂闊に見て良いものじゃないな」
ナーガは少し戸惑いましたが「いいの、大丈夫」と言いました。
オドは書を返しながら、少し気まずそうに言います。
「ナーガ、あまりこの『転生の書』を他人に見せない方がいいんじゃないか?
お前にとって大事なものなんだろう?」
ナーガはしばらく考え込み「そうかな……見せたらまずかったものだった?」とのんきな様子で答えます。
おそらくナーガからオドへの信頼の証でもあるのでしょう。
それを察したオドはそんな彼女を見て笑いながら近づき「気をつけろよぉ~」と言って、彼女の頭を優しくグリグリと揉みました。
ナーガは「いたいいたい、いたいいってば」と言いながらも笑みを浮かべました。
「さてそろそろ目的の石も十分集まったことだし、帰投するか」
とオドが声をかけるとナーガは頷き、「うん、帰ろう」と答えます。
二人は荷物をまとめ、雷鳴が遠くで響く中、丘陵を後にするのでした。
◇
ナーガとオドは都市イスタートへ戻ります。
糸と繊維の工業で栄えるその都市の門をくぐると、細い石畳の道が幾重にも巡らされ、両脇には織物工房や染め物屋が立ち並ぶ光景が広がります。
窓からは機織り機の「カタン、カタン」というリズミカルな音が絶え間なく響いて、シャトルが飛び交う音が途切れることなく続いています。
工房の前では職人たちが大きなロール状の織物を搬入し、染め上げたばかりの色鮮やかな布が風に揺れていました。
働く人々の姿は活気に満ちていて笑顔を浮かべながらも手際よく動いています。
路地には布を干す長い棒が並んで、空を見上げるとカラフルな布がひらひらと風に揺れ、色とりどりの旗のように輝きがありました。
大きな通りでは商人たちの馬車が次々に通りを走り抜け、その端を子供たちが笑顔で駆け抜けていく様子を、大人たちが見守ります。
イスタートはそのような、まさに発展の真っ只中で活気がどんどん高まっていく場所でした。
二人はそんな賑わいの中でクエストギルドに向かって歩き始めます。
ギルドの建物は町の中心にあり他の商店とは異なる風格を持っていました。
大きな木製の扉が開け放たれていて中からは騒がしい声聞こえてきます。
ギルドの中はクエストを終えた冒険者たちで賑わっており、彼らが集まる長いカウンターにはクエストの報告をするための列ができていました。
「さて報告だね」とオドが言い、ナーガも頷いて二人はギルドのカウンターへと向かいます。
◇
ギルドのカウンターで報告を終えると、オドとナーガはその足で近くの食堂へ向かいます。
食堂は冒険者たちが集まる賑やかな場所で、木のテーブルがぎっしりと並び様々な料理の芳香が漂う場所でした。
二人は奥の空いた席に腰を下ろしてから注文で届いたホクホクの肉料理やじっくりと煮込まれた野菜のスープを前にします。
ナーガは手を合わせ祈ってから食事に手をつけ、つかの間の休息を楽しみます。
「今日は順調だったな。ナーガは会ったばかりに比べてずいぶん頼りになるようになったよ」
「それなら手伝いに行った甲斐があるよ。オドには世話になりっぱなしだから」
「なになに、気にするな。いつか俺が困った時に助けてくれればいい」
オドはそう言って豪快に笑います。
「ギルドに来た時、私は右往左往するだけだったから…うん、この恩はいつか返したい」
「それは楽しみだ。でも気張るんじゃないぞ?
一人だと出来ることも限られているから。誰かとパーティを組んでみるのもいいと思うぞ」
「オドだっていっつも一人でクエストやっているじゃない?
だったらオド、私とパーティを組んでよ」
「あぁー……俺はちょっと事情もあってな。
ナーガぐらいの実力ならパーティから引く手あまたになるだろうさ」
オドはバツが悪そうな様子で言葉を濁すとナーガは「オドから見たらまだまだ私じゃ力不足なのかなぁ」と小さくつぶやきます。
するとそんな二人にふと後ろから「おい、オドじゃないか!」と声が聞こえました。
がっしりとした男が近づいてきて、オドが顔を上げるとその男に手を振ります。
「ああ、久しぶりだな」オドは立ち上がりました。
屈強な冒険者の風貌をした男はオドの知り合いのようでした。
その目はすぐにナーガに移り、興味深そうに彼女を見つめています。
「おぉ? 今回はこのお嬢ちゃんの護衛でもしているのか?」
男はそう言って、ナーガを見やります。
ナーガはその言葉にわずかに眉をひそめ、何も言わずにオドを見ました。
オドはそんな彼女を見て笑い「いやいや、護衛なんてしちゃいないな」とすぐに応じます。
「この子はナーガ。見た目はまだ若いがいっぱしの冒険者だ。
知識も実力もかなりのものだ」
その言葉に男は驚いた様子でナーガを見直しました。
「へえ、そうなのか? 綺麗なお嬢ちゃんにしか見えなかったけどな」
「まあ、見た目に惑わされるなよ」とオドは言いながら、ナーガの肩を軽く叩きます。
「こいつは驚くくらい頭が良い、魔術だって扱うこともできる」
ナーガは少し照れくさそうにしながらも、微笑んで軽く頭を下げました。
男は感心したようにナーガを見つめています。
「大したもんだ、お嬢ちゃんは。それでオドはこのお嬢ちゃんとパーティを?」
「いや。俺たちはパーティを組んじゃいない。今回はナーガに手伝いをしてもらったんだ」
「へえ、そうなのか?
だったら都合がいい、俺は今度ナンオーシャン地方まで遠征してクエストを行うんだ。
オド、俺とパーティを組みやしないか?」
と男はオドの方を向いて会話を始めてしまいます。
その誘いもオドはやんわりと断ると、なんとも口惜しそうにしながら男はやがて去っていきました。
「パーティに誘われたのに、贅沢もの」とナーガはぼそりとつぶやきました。
「ははは、まあ条件の不一致ってやつな」オドは笑って応じます。
ナーガはふてくされた様子で唇を尖らせましたが、やがて気を取り直したように食事に手を付け始めます。
「あの人も悪気はないけど、やっぱりそう。
若い娘って見た目だけで相手にされないことがある……」
とぼやきました。
危険のないクエストだけを選ぶようなちょっとした社会活動の延長線上でたしなむ人もいます。
ですが、基本的には危険も伴う仕事です。
そのためナーガのように若い女性は戦力としてどうしても軽んじられてしまいますし、パーティ内の不和を招くために忌避されていました。
ナーガの思い悩むような様子にオドは腕を組んで考え込みます。
「ナーガは優秀だし、俺はいつも感心している。
ただやっぱりナーガが黙っていてもパーティの誘いが来ないのは実情だろう。
ナーガの方からもどういう人と組みたいか考えてみた方が良いかもしれない」
「うーん……気が合う人? なのかな。なんだか曖昧だけど」
ナーガは唸りながら答えました。
それから首を傾げて悩んだ末に再び声を上げます。
「じゃあ、やっぱりオドがいいかも? どう?」
とナーガが茶目っ気を含めて勧誘してみるも、オドはハイハイと軽くあしらいナーガの髪をくしゃっと撫でます。
「まぁ……ナーガ。明日からはどうするつもりなんだ?」
ナーガは少し考え込むようにしてから答えます。
「とりあえずオーク討伐のクエストがあったから、それでもやろうかなって思ってる」
「オーク討伐、ねえ…ギルドに入ってまだ一年足らずが『とりあえずオーク討伐』ってか。
ナーガは本当大したやつだよ」
オドはナーガの答えを聞いて一瞬目を丸くしたあと、そう言って苦笑しました。
驚いている様子を浮かべるのも無理はありません。
オーク討伐は中堅クラスの冒険者でも手こずる危険なクエストです。
それをましてやナーガは単独でやろうとしているのですから。
しかし一方で、オドはナーガの実力を知っているからこそ、彼女ならやれるだろうという思いもあるのでしょう。
「まあ、お前ならきっとやれるんだろうけど気をつけろよ。
オーク相手だと何が起こるかわからないからな」
ナーガは軽く頷いて、「もちろん気をつけるよ。大丈夫、ちゃんと準備してから行くつもりだから」と返しました。
「よし、それなら安心だ」とオドは笑い、二人はテーブルに手を合わせて「ごちそうさま」と同時に言いました。
「じゃあ、今日はこれで解散だな。気をつけて帰れよ」とオドが言い、立ち上がって食堂の出口へ向かいました。
ナーガも席を立ってオドと共に店を出ると、それぞれの方向へと歩き出します。
「ナーガ、めげずにがんばってな」とオドが遠くから声をかけ、ナーガは軽く手を振って応えました。
夜のひんやりとした空気が肌にしみる中、ナーガはゆっくりと歩きながら今日の会話を思い返しているようです。
彼女はふと立ち止まり、夜空に浮かぶ月の満ち欠けを眺めつつ、何かを思案しているようにも見えました。