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北国と使用人(下)

■紹介

・ナーガ

 生家を追われた貴族の次女。本名ナーガディシア・ピエロット・リーデア。


・転生の書

 ナーガと会話するように自ら文字を綴る森羅万象を知るかのような書。

 そしてさらに時が経ちます。

ナーガは13歳になり、リナが現れたのはその頃でした。


 同じ年頃の少女がこの寂れた館に来るのは、ナーガにとってはじめてのこと。

 リナは他の使用人たちと違い、ナーガとの距離をどんどんと詰めてくるものでした。


「ナーガ様。あまりお部屋に(こも)っていてはダメよ。

 この北国では晴天の日は貴重ですからね。

 たまには外で身体を動かしましょう」

「いや。そんな気分じゃないもの」


 リナの明るい声に、ナーガはそっけなく答えます。

以前の彼女なら、こういった誘いはすぐに拒んでいたでしょう。

 だけどリナはまったく気にせず、笑顔を崩しません。


「運動をすれば、そんな気分になってきますよ。

 さあ、一緒に庭を走りましょう。ちょうど私も身体を動かしたかったの」


 リナは言葉の通りに、躊躇うことなくナーガの手を引きます。

強引とも思えるその行動に、ナーガは苦笑しながらも抵抗する気力が湧かないようでした。

 リナは彼女の手をしっかりと握ってひっぱり続けます。


 仕方なくナーガは彼女の誘いにしたがい、ともに重い扉を開けて外に出ました。

冷たい風が顔に当たり雪がちらつく庭が広がっていました。

 ですが、リナはそんな寒さをまったく気にせず走り始めます。


 ナーガは書の教えに従い剣術を日々鍛えていました。

体力にだって自信があったでしょう。

 しかしリナはそんな彼女を軽々と引き離し、息を切らすことなく駆け回ります。


「……リナさん、あなたすごいのね」


 ナーガは息を切らしながら、リナの背中を目で追いかけます。

どうしてこんなに活発で明るいのだろう、と不思議に思うことでしょう。

(うらや)ましそうにリナを眺めています。


「リナでいいです。歳だって、あなたよりほんの少し上なだけですから」


 リナが振り返り、雪の上に立ちながら笑顔を見せます。

 ナーガは一瞬その笑顔に戸惑うように眉をひそめます。


「そう……リナは、まるでお姉さんみたいね」


 言いながら、ナーガは胸の奥に押し込めた記憶がふとよみがえったのでしょう。


 かつて姉に裏切られたあの日。

心に深く刻まれた痛みが、再び彼女の中で渦巻くのか、悲痛に顔をしかめます。


 その表情を見逃さなかったリナは優しくほほえみを浮かべながら近づいてきました。


「ナーガ様にはそんなお顔をされたくないです。

 私はナーガ様のお姉さんになりたいのでなく、そう、できれば友達になりたいの。

 私に気兼ねなく接してくれるなら、それで嬉しいと思っています」


 その言葉にナーガの表情がほのかに和らぎます。

リナの言葉は、まるで過去の傷を(いや)すかのように優しく響いたのでしょう。


「……友達、か」


 久しぶりに聞くその響きは、ナーガは戸惑いながらも心に小さな光が差し込むものとなったのでしょう。


 それからリナとナーガは、毎日庭で一緒に過ごすようになりました。


 そこで聞いた話は、彼女はホクカントリーの農村の生まれだということでした。

貴族の生まれであるナーガは農民がどういう暮らしをしているのか、よく分かっていません。

 だからリナは自分の家の話をし始めました。


「私たち農民はね、食事をする前に必ずお祈りを捧げてね、神様に感謝をして、豊作を願うんです。

 そこからは家族みんなで仲良く食事をするの」


 その素朴な風習に、ナーガは驚きながらも興味を持ちました。

彼女の育った家ではまったくなかった風習ですし、転生の書からもそこまで細かい話は教えてもらえていませんでした。


「へえ、そんなことをするのね。

 私たち貴族は毎日の食事のたびにテーブルマナーに気をつけなきゃならなくって……

 ミスをしたらすぐに怒られて……まるで戦場だったわ」


 リナはクスクスと笑いながら、ナーガの言葉に頷きました。


「食事の度にそんなことしていたら疲れてしまうわね。

 ナーガ様はがんばりやですね」

「そうなの、そうなのよ。

 だから食事に関して言えば、今の暮らしの方がずっと楽なの」

「私たち全然違う生活だけど、貴族だと大変だってことがあるのね。

 ナーガ様のそういう話を聞くのは面白いわ」


 ナーガもまた、リナもまた、互いの生活に触れて、新しい刺激を受けるようになりました。

 異なる世界に生きてきた二人は、次第に刺激し合う関係になり、友情を深めていきます。


 また、ある日ナーガが剣術の練習をしていると、リナが目を輝かせながら提案します。


「私も剣術の相手になってみようかしら?」

「えっ、リナが?」


 ナーガは戸惑いを見せつつも、彼女の申し出を受け入れました。

 リナの型はまるで素人でしたが、運動神経は抜群(ばつぐん)なようでナーガと対等に剣を交えています。


 それはナーガにとって良い練習相手ができたことを意味します。


 それ以外でも二人はおしゃべりをして笑い合い、時にはふざけたりもします。

フィリップの冒険譚に夢中になったりしながら、時に彼をからかったり、二人はますます打ち解けていきました。


 ある日にナーガはリナにこう告げます。


「ナーガ様。私は料理を作るのが好きなの。

 今度一緒にやってみない?」

「リナ。私のことはナーガと呼んでといつも言っているじゃない?」

「ああそうね、最初の(くせ)で…それでナーガ?

 この提案はどうかしら?」

「ええ、望むところ。料理は私、詳しいもの。

 いろいろ知ってるんだから」


 転生の書で料理のレシピを読み込んでいたナーガはそう言って自信たっぷりに調理に挑みます。


 ですが実際に作り始めると野菜の皮を()くことだって思うようにいきませんでした。

 リナが横で見守りながら時々サポートをしてくれて、ナーガはその不甲斐なさからか恥ずかしさに頬を染めました。


「料理ってこんなに難しいものだったのね」


 書を読むだけでは分からないことがある。

知っているだけでは意味がない、実際に経験しなければ本当の力にはならないのだろうと。


 ナーガは、フィリップが言っていた「見聞きしたものも大事」という言葉の意味を実感として得たことでしょう。


「ナーガ。野菜が切れたらちょうだいね」

「うん。ちょっと形が崩れちゃったけど……」

「ぜんぜん上手。大丈夫だよ」


 リナはナーガから野菜を受け取ると、それらをフライパンで炒めてから小麦粉と牛乳など混ぜ合わせます。

それから器に盛ってオーブンに入れて待つだけとなりますが、その手早い工程がナーガにとっては魔法のようです。


「すごいのね、リナは。まるで魔法使いみたい」

「大げさね。でもありがとう。ナーガにそう言ってもらえると嬉しいよ」


 二人は顔を見合わせて微笑み合います。

 それから焼き上がった料理、グラタンをテーブルに運んでお祈りを捧げてから食べ始めます。


「わあ……すごくおいしい……」


 ナーガがグラタンを一口食べると、思わずそう口にしました。

 リナはその様子に目を細めながら自分の分を口にします。


「自分で作った料理だとまた違うでしょ?」

「うん。それに料理ってこんなに大変なものって知らなかった」


 するとナーガは神妙な顔をしてリナに言います。


「リナ。私、ある人に恩返しの料理を作ってあげたいの。協力してほしいのだけど……」


 そう言いながらナーガは、ある寒い夜に自分を気遣って振舞ってくれたスープのことを思い出したことを語ります。

その時スープに一瞥もしなかったけれど、今になってそれを作ってくれたイゾルデの苦労と気遣いを考え、たまらなくなってきたとも。


 ナーガの真剣な考えにリナは、こぶしを胸にあてて応えます。


「当然、任せてよ。是非とも協力させてほしいよ」


 こうして二人は再び一緒に料理に挑みます。

 そして出来た恩返しのスープをイゾルデに振舞うと、目尻の(しわ)をさらに深くして喜んでくれました。


「まあ、ナーガ様が作ってくれたのですか? こんなこと、初めてね……」


 イゾルデはそっとスープを口に運び、ひとくち飲んだ後、涙ぐんだように笑いました。


「とても美味しいわ。ありがとうございます、本当に……」


 その言葉にナーガは頬を緩ませ笑顔を浮かべます。

イゾルデの優しさに答えられたこと、そしてリナと一緒に作れた料理のこと、どちらも大切な思い出になりそうです。


「また作るよ、今度はもっと上手にできるようになるから」


 ナーガの言葉に、イゾルデはそっと頭を撫で、優しくほほえみました。


 この出来事を通じてナーガにとって遠巻きにしか見えなかった使用人たちの顔が、今ではもっとはっきりと見えてくるようになったようです。

彼らの労働や献身(けんしん)は、ナーガにとってただの背景ではなく、ひとりひとりの思いやりと努力の結晶であることが分かってきたのでしょう。



    ◇

 それからの日々は、穏やかで充実したものとなります。


 フィリップの冒険話を楽しみながら、リナとの日常が活気を与えてくれる。

 彼女はいつもナーガの隣にいて、遊び相手だったり、剣術の練習相手にもなってくれました。

 イゾルデもまたナーガと絆を深め、時折リナを交えながら料理を一緒に作り、互いに笑い合う時間を過ごすことができたのです。


 優しく、でも楽しく、そして心地よい日々が続きました。


 ナーガの心に少しずつ愛情と感謝の灯が灯っていったようです。

以前はただ自分一人の世界に閉じこもっていたナーガが、今では周りの人々と共に笑い、成長し、彼らの存在を大切に思うようになっていたからだとも。


 そして迎えたのは、ナーガディシア・ピエロット・リーデア15歳の誕生日です。


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