クエストから帰還の道で(上)
■紹介
・ナーガ
16歳の少女冒険家。本名ナーガディシア・ピエロット・リーデア。
・転生の書
ナーガと会話するように自ら文字を綴る森羅万象を知るかのような書。
・サクリ
クエストパーティの金髪男性。
・ヴィクタ
クエストパーティの茶髪女性。
・オベル
クエストパーティの黒髪男性。
・プレイトン
クエストパーティの金髪女性。
遺跡の地下でスライムに追われていたナーガとサクリたちの一行。
地表に近い層を見つけ、その天井を破ることで脱出の糸口を見つけ出しました。
ロープをしっかりと固定して、ナーガはサクリを背負うと必死にロープを登り始めました。
そして荒い息をつきながら登っていき、先に登っていたヴィクタとプレイトンが手を差し伸べて引き上げます。
ようやく地上に這い出ると、つめたい夜風が頬をうち、火照った体を包みます。
周囲には薄暗い闇、見上げると雲間からわずかに差し込む月光が影を落としていました。
一息ついた一行の脳裏に、先ほどの地下の恐怖がよみがえり、背筋に冷たいものが走っているようです。
プレイトンが小さく震えながら囁きました。
「どうしてあんなところにスライムがいたんスかね……」
「分からない……」と、ナーガが不安を含んだ声で応え「ただ……今は諦めてくれたと思うけど……」と続けます。
その時サクリが小さく身じろぎし、うめき声をあげます。
ヴィクタがサクリの冷や汗がにじむ額に手を触れると、顔を青ざめさせました。
「ッ…すごい熱……」
一行はサクリを石壁に寄りかからせ、手元に残った治療薬を傷口に塗布しますが、彼の意識は朦朧としたままのようです。
すると、ヴィクタが硬い表情を浮かべたまま話を切り出しました。
「遺跡に来た時に中央へ荷物を置きっぱなしだったじゃない?
それを取りに戻るのはどうかしら。
あそこには、もっと強力な治療薬があったはず……」
途端にプレイトンは怯えた視線でヴィクタとナーガを交互に見やります。
「で……でも、あそこに戻るのは危険じゃないスか?
スライムがどこに潜んでいるか、分からないんスよ?」
それをヴィクタはため息交じりに応えます。
「分かっている、分かっているわよ。
でもサクリのためにも出来ることはやりたいのよ……
いま手元にある治療薬だけじゃ持たない可能性もあるから……」
ヴィクタとプレイトンの間に緊張が走る中で、サクリが弱々しい声を上げました。
「…自分は……置いていけ。無理に危険を冒す必要ない……」と息も絶え絶えに言うのです。
それを聞いたナーガは「じゃあ私が荷物を取りに行く、どう?」と立ち上がりかけましたが、後ろから袖を掴まれて足を止めました。
振り返ると、プレイトンが不安げな表情でナーガを見上げています。
その様子を見たヴィクタは、一度深呼吸して自分を落ち着かせるようにしてから言いました。
「分断するのも危険なのよ。
スライムがまだ周囲にいるかもしれないなら、全員で動いた方が安全だわ」
ヴィクタはそっとサクリの手を握りしめて「サクリ、私はあなたを置いていくつもりは毛頭ないわ」と見つめながら言います。
それにサクリは弱々しくも、申し訳なさそうに謝辞を返しました。
ナーガは不安そうに震えるプレイトンを抱き寄せ、そっと耳元で囁きました。
「大丈夫だよ。みんなで一緒に行けば安全だから。きっと大丈夫」
「ごめんなさい……
私のほうが年上なのに……ナーガちゃんに迷惑かけて……」
ナーガは小さく首を振り、優しく微笑んで「迷惑なんかじゃないよ。ね、プレイトン、一緒に行こう」と語りかけるのでした。
◇
手元に朽ちた木の台車とロープを見つけたナーガは、それらを手に取り提案しました。
「これを修復して担架にしよう。これならサクリを乗せて全員で移動できるはず」
ヴィクタは頷き、廃材のひとつを持ち上げて「いい考えね。これなら負担も少なくて済むし、スライムからも素早く逃げられるかもしれないわ」と応えます。
幸いにも滑車の部分には大きな損傷がなく、荷台部分を補修して固定すれば十分使えそうです。
ロープで結束して補強を施すとサクリを運ぶ担架が出来上がりました。
サクリを乗せても十分耐えられる出来映えです。
「よし、これなら移動できる」
サクリが担架から落ちないようロープでしっかり固定し、一行は慎重に移動を開始しました。
サクリを担架から落ちないようロープでくくるようにして移動を始めます。
「サクリ大丈夫? 辛かったら言ってね?」とヴィクタがサクリに声をかけると、彼は首をかしげるように頷いて感謝の表情を浮かべていました。
それからナーガたちはサクリを乗せた担架を引きながら、ひんやりとした空気の中、夜の遺跡を忍びながら進みます。
時折周囲を振り向きながら、そして微かな物音が響くたびに、誰もが足を止めて耳を澄ませています。
そんな中でふと揺れる影が視界の端でひらりと舞い、プレイトンが息を飲みます。
「スライム……!?」と怯えた声でナーガに身を寄せながら囁きかけます。
ですが、ナーガがそちらに目を向けると、それは古い布の切れ端が遺跡の壁の隙間に引っかかり、月光に照らされているだけでした。
「布、ただの布だよ。大丈夫」とナーガがそう言って安心させると、プレイトンは胸を撫で下ろします。
「本当に心配性ね、プレイトンは」とヴィクタがやさしく微笑みかけ、ナーガも「フフッ」と小さく笑みをこぼしました。
けれど、その表情には緊張が漂っています。
かすかな笑い声を漏らしながらも、一行の誰一人としてその瞳に笑みを浮かべておらず、周囲に常に警戒の視線を走らせていました。
◇
ようやく一行は目的地である遺跡の中央にたどり着きます。
石壁に隠れるように設営されたタープの下に、ナーガ、サクリ達が置いてきた荷物が見つけられました。
サクリの治療に必要な道具や薬も無事に残っていて、皆はほっと胸を撫で下ろすのでした。
さっそくヴィクタはサクリのそばにひざまずき、そっと彼の腕に薬を塗って包帯を巻きなおしました。
さきほどより強い薬のようで、その効果が現れ始めると、サクリの額の冷や汗も引き、顔から少しずつ苦痛の色が和らいでいきます。
「サクリ……これで少しは楽になるはずよ」ヴィクタはやさしい声で囁きました。
サクリは疲れ切った瞳でヴィクタを見つめて、弱弱しくも「あぁ、ありがとう」と感謝を述べてから、にこりと微笑み返しました。
その様子を見ていたナーガとプレイトンも安堵の色をほのかに浮かべます。
それから一行は必要な荷物だけを掴むように備えてから、遺跡をあとにするのでした。
◇
一行はイスタートへの帰路を辿ります。
荒野を月の光が優しく照らし、彼らの影を長く引き伸ばしていました。
夜露を含んだ風は頬を撫で、辺りに広がる野草の青臭さを含んでかすかに鼻をくすぐります。
サクリはずいぶんと顔色が良くなり歩きながら「ほんとに助かった……ありがとう、みんな」とぽつり、ぽつりと感謝の言葉を漏らします。
「オベルはどうしようもなかった……けど、本当に、全滅するかと思ったよ。
こうして無事に帰れるのも、みんなが最高の仲間だからなんだよな」
としみじみと話すサクリに、ヴィクタは「何よ? いきなり」と小さく照れ笑いを浮かべ、プレイトンも「急にそんなこと言うから、びっくりするスよ」と、冗談交じりに笑い返しました。
サクリは照れくさそうに鼻先をこすりながらも、自嘲を含めながら笑います。
「強い冒険者がギラギラと手柄を立てようとしてるのとか、あんまり好きじゃないと思ってさ。
のんびりスローライフってやつ? を目指して、この稼業を始めたつもりだった。
でもそんな俺たちの事情なんて関係なく、命を賭けなきゃいけない状況だってあるんだって……身に染みて感じたよ」
サクリの言葉に、ヴィクタもプレイトンも静かにうなずきました。
そしてサクリは穏やかに笑みを浮かべて、ナーガに目を向けて語り始めます。
「ナーガは本当にすごいよ。もし君がいなかったら、いったい何度命を落としていたことか……
きっと、君は一流の冒険者になれるんだろうな」
ヴィクタも頷き、サクリと静かに視線を交わし合います。
彼ら互いに思いが通じたかのような温かい空気の中で、サクリは少し乾いた笑いをこぼしました。
「俺、冒険者は潮時なのかなって、そう考えるんだ」
そして「ハァ」と小さくため息をつきますが、その言葉にヴィクタもまた頷きます。
その表情に柔らかく微笑みを浮かべながら。
一方、プレイトンは要領を得ていないようできょとんとした表情を浮かべています。
「えっと、それってどういうことスか?」
するとサクリは小さく笑いながら答えました。
「プレイトン、お前は両親と一緒に住んでいたよな。それで今日の出来事をさ。
家のお父さんやお母さんに話すときっと心配するぞ?
こんな危ない目に遭う必要はもうなくないか?」
プレイトンはしばらく考え込み「……確かに、心配かけたくはないスね」とつぶやきます。
話が進むうちにサクリ、ヴィクタ、プレイトンは新たな未来の道を考えているようでした。
サクリは「何か新しい職を探さないとなぁ」と爽やかに笑います。
ヴィクタとプレイトンもその言葉に合わせて微笑んで、穏やかな空気が漂いました。
ガサリ……
その時、ふとした物音が立ち、一行に緊張が走ります。
反射的にサクリ、ヴィクタ、プレイトンは身を縮め、ナーガは瞬時に警戒の姿勢を取り、暗がりを見渡していました。
息を呑む一瞬の後に草陰から顔を出したのはただのウサギ。
それを見たサクリは肩の力を抜き、安堵の笑いを漏らしました。
「……ハハ、ほんと、冒険者には向いてねぇんだよな」
その笑いにつられてヴィクタもプレイトンもふっと肩の力を抜いて、夜の静かな荒野に笑い声が響きました。
サクリたちの談笑に、ナーガも自然に安堵の息をつきました。
仲間の笑い声が染み入るようで、先ほどまでの緊張がじんわりと解けていくよう
ですが
────……
ふと背筋に冷たいものが走ります。
何かに見られているような、背中からゆっくりとのしかかるように近づいてくる。
得体の知れない不安。
その中で、サクリたちが冗談を交わす声が聞こえましたが、それがひどく遠く感じられます。
ナーガは意識的に呼吸を整えました。
フゥ────と長い溜息をついてから、意を決して振り向くのです。
その背後に、
背後には
────……
何もありません。
月明かりに照らされた静かな平原が広がっているだけ。
急に振り返ったナーガに気づいたサクリが、少し驚いたように笑います。
「なんだよ、ナーガも怖がることあるんだな」
それに他のメンバーも笑顔で頷き、ナーガも肩の力を抜きました。
「私……気にしすぎてただけ、なのかな」
自分にそう言い聞かせながら、今度こそ確かに安堵の息を漏らすのでした。
◇
しばらく歩き続けたナーガたちは開けた広場にたどり着きました。
もたれるには適度な高さの岩が並んでおり、休むにはちょうどいい場所です。
ここは、イスタートまでの道のりの中間地点ほど。
自然と皆の足も止まり、疲れた体を休めるためにその場に腰を下ろしました。
「やっとここまで戻ってこれたなぁ……」
とサクリはつぶやきながら、岩に背をもたれるようにしてしゃがみこみます。
その際に、地面に突いた右腕の痛みから小さく呻きます。
「サクリ、大丈夫?」とヴィクタが心配そうに声をかけました。
「あぁ、ちょっと痛むけど平気だ」
サクリの言葉を強がりだろうと思ったのでしょう。
ヴィクタはすぐに「包帯がにじんでいるじゃない。少し先の水場から汲んでくるわね」と立ち上がり、その広場を離れていきました。
サクリは「すまん」と一言謝ると、そんな彼女を見送ってからゆっくりと目を閉じたようです。
ナーガが周囲を見回します。
サクリの隣に座るプレイトンが、月光に見惚れ呆けるように夜空を見上げていました。
ナーガは彼らの休息する様子を見ながら、ふと「転生の書」にスライムについて聞こうとしていたことを思い出しました。
周囲に気配を探るように目を配り、皆の視線から外れた影でそっと書を開きます。
「転生の書、お話をさせて」と書に語りかけると、ページがふわりとめくられ、文字が浮かび上がりました。
『こんばんは、ナーガ。月がきれいな夜空ですね』
ナーガは書のいつもの調子にほっと安心しながら「そうね、こんばんは」と小さく答え、ページに目を戻します。
そして少し愚痴をこぼすように、スライムに遭遇したことを語り始めまるのでした。