1-7 社長、異世界に行く
「整列!」
翌日、俺たち囚人は広間へと集められた。
看守たちは一糸乱れない立ち振る舞いを求めてくる。
……昔から気をつけ前習えというものが苦手だった。特に前習えというのは気にくわない。前に習っているだけじゃ先に進めないだろ。
俺は鋳型のような人間を量産する教育や文化が嫌いだった。
教育の目的は人間を均一化することか? 違うだろ。そうじゃないだろ。自分自身で物事を考えさせるためにあるんだろ。
残念なことに、現代を生きる俺たちに絶対的な価値観は存在しない、神様もイデオロギーも。俺たちは自分たちで恐る恐る進んでいく他ないのだ。
誰も正解は教えられない。正解は人の数だけある。それなのに同じような人間を量産してどうする。個性なんて安っぽい言葉じゃない。一人一人が地に足をつけられるような、大地に根を張れるようなそんな教育を求めている。
確かに前習えというのは楽だ。前に習っていると何も考えないでいいからな。
昔読んだ本にもそんなことが書いてあった。
人間は自由を求めるわりに、本当の自由には耐えられない。全体に埋没して、劇の一員のように生きることを深層心理では望んでいると。
だがそれじゃあダメなんだ。時代は変わった。
情報はスマホをいじればすぐに手に入る。誰もが一瞬で情報にアクセスできる。みんなと同じことをやっていたらすぐに置いてかれる。
周りに合わしていれば、人並みの幸せを手に入れることができたのは一昔前。
今やらなけばいけないのは考えること。考えろ、考えて、考えて、自分の道を切り開け。————なんて整列という言葉ひとつでここまで思考してしまう。
「で、オイラー。これはどういう集まりなんだ?」
「……たぶん、所長のゴブレットから”ありがたい言葉”があるんだと思います」
「なるほどな」
自分たちは愚かな囚人だと刷り込み、反抗させる意識を無くさせる。ある種の洗脳みたいなものだな。……さて、俺は所長がどんな人物か観察させてもらおう。
「所長の挨拶だ! お前ら物音立てたらぶち殺すからな!」
壇上に長身の人物が姿を現した。エルフ族だけあって顔立ちは整っている。だが、その顔はどこか胡散臭い。ニコニコと笑っているがまるで底なし沼のようだ。……こいつがこの収容所の所長であるゴブレットか。
「みなさん、差別についてどう思いますか」
恐ろしいくらい低い声。温厚そうな見た目とのギャップが凄まじい。まるで心臓を掴まれてしまったかのような感覚に陥る。
社長という立場もあって他社の社長、有名人、政治家などと会うような機会は少なくなかった。いわゆる大物というのはそれぞれが雰囲気を持っている。
しかし、そんな人々らを前に「恐ろしい」という感情は覚えたことはなかった。
目の前の男は普通ではない。それだけはビンビンと伝わってくる。
「私自身、差別は悪いことだと思っています。多少の差異こそあれ同じ人間の一種じゃないですか。目、耳、髪、寿命がちょっとばかし違うだけで」
所長はふと優しげに微笑む。
張り詰めていた空気が一気に緩んだ。この男の言動ひとつで世界が変化する。
今、世界はこの男の手の上にある。
「しかし、必要なことだと思います。端的に言いますとね、皆さんはこのエルフ国家にとって邪魔なんですよ。移民を受け入れてからエルフ女性が性被害に遭うことが増えた。移民が多い地域では明らかに犯罪率が上がっている。小学校では移民の子供によって、エルフの子供がいじめられています。そしてエルフの労働者の職が移民に奪われました。逆の立場になって考えてみてください。不快だとは思いませんか?」
転調。所長は弛緩した空気を再び締め付ける。
言葉のトーン、喋り方、ジェスチャーの一つ一つまで計算し尽くされているようだ。
……悔しいが所長の言っていることは理解できた。自分たちの国が、余所者に侵略されていくというのは許しがたい。誰だって自分が生まれ育った国を守りたい。
その気持ちを否定するつもりはない。しかし、だからといって差別を容認し、移民の人権を奪うというのは頂けなかった。
「ここは私たちエルフの国です。シュームはエルフだけの所有物です。皆さん、移民を受け入れていたのは偏に我々の寛容さ。都合が悪くなれば撤回する。当然のことですよね? むしろ我々に感謝をしてほしいくらいですよ。皆さんにこうしてきちんと役目を与え、衣食住を保証しているわけですから」
囚人たちは皆一様に拳を強く握りしめていた。その表情までは窺えないが、悔しさを噛み殺す事に精一杯そうだ。……なるほど。これがこの男のやり方か。
「それでは恒例のやついきましょうか。皆さん喉の調子は大丈夫ですか? では、囚人の皆さんは一人ずつ大きな声で『私はシュームの治安を乱した害虫です。償いとしてこの収容所で一生涯働かせていただきます』と言ってください。声が小さかったり、途中で噛んだりしたら最初からやり直しです。はい、お願いします!」
尊厳や矜持といったものを剥ぎ取り、何一つ文句の言わない従順な奴隷を生み出す。
————だが、俺には絶対に捨てられないものがある。それは俺が俺であるということだ。この信念があるからここまでやってこれた。
「ちょっと、いいか?」
「そこ! 誰が口を開いていいと言った!」
「ケ、ケータさん……」
隣のオイラーが顔を真っ青にしていた。
そうだったな。オイラーから敵にしてはいけない人物を聞かされていた。
所長のゴブレット。このオイラーの表情を見れば、逆らうようなことをしたらどんなに目に合わされるのか想像するのは容易だった。
しかし、どうしても納得できないことがあった。
「まぁまぁ。えーと、そこの君何でしょうか?」
「あんた、今『私はシュームの治安を乱した害虫です』って言わせようとしたよな?」
「ええ、まぁ事実ですからね」
「いいや、違う」
「何が違うんです?」
「あのな! 俺はシュームの治安を乱すどころか、エルフの女性と全く会話すら出来てないんだよ! あんなことやこんなことがしたかったのに! その前にこんな場所に連れてこられて『治安を乱した』なんて言われても、納得できないっての!」
まだエルフ女性とエロいことすら出来てないのに、謝罪なんて納得いかない。
どうせ収容するなら、エルフ女性と三人……いや五人……やっぱ十人! 最低十人とエロいことしてからにして欲しかった。
「ははは。そういうことですか。確かにそれなら謝罪というのも変な話かもしれませんね。あなたには別メニューに挑戦してもらいます。彼を別室に案内してあげてください」
所長の命令を受けて、複数人の看守が取り囲むように迫って来た。
多勢に無勢。抵抗する余地など一切なく、無理矢理押さえつけられる。
「くそ、離せ!」
「じゃあ、死なない程度に痛めつけてあげてください。さて、残りの皆さんは先ほどの指示通り謝罪の言葉を一人ずつ口にしてもらいます」
最後の瞬間、オイラーの心配そうな顔がやけに印象的だった。