1-2 社長、異世界に行く
「ん、……体がいてぇ」
目を覚ますと、ここ最近では味わったことのない痛みが体を襲っていた。
こんなのは大学時代に薄い敷布団の上で寝ていた以来だ。
「って、ここどこだ?」
周囲を見渡すと、ここが室内ではなく室外であるのがうかがえる。
まさか酔っ払って外に出てしまった? 困ったことに記憶が全くない。
こういうのも久しぶりだなぁ。あれだよ、あれ。目を覚ましたら隣でサークルの先輩が裸で寝てた的な。果たしてあの時どんなプレイに興じたのか。映像が残っているのなら、たとえ数百万円払ってでもぜひ見てみたいものだ。
「ま、そんなこと言ってる場合でもないか。あいにく美女が隣にいるってわけでもないし」
周囲は木々に囲まれており、美女どころか人の気配すらない。
まさか地面の上で寝ていたとは……よくもまぁ警察に声をかけられなかったな。
それにしても、ここはどこだ? 公園? それにしては木々が生い茂りすぎてないか?
そもそも家の近くにこんな広い公園はなかったはずだ。
「とりあえずタクシーでも呼ぶか……ってスマホがない!」
スマホどころかポケットには何一つ入っていなかった。
仕方ない。ひとまず道路沿いに出てタクシーを探そう。家に到着さえすれば金の用意はいくらでもある。
——見覚えのない場所を歩いているからだろうか。まるで遠い異国に来てしまったような感覚に襲われる。空気、湿度、空の高さ……何一つとっても違って見えてしまう。
しかし、そんな不安をかき消すように音が聞こえてくる。これは人の声だ。
「助かったな。あー帰ったらカエデやマリさんとエッチしてーなー」
日常に戻ってきたかのように落ち着きを取り戻す。そう、人がいる。それならどうにかして、自宅のタワーマンションに帰ることができる。……そんなふうに思っていた。
「…………なんじゃこりゃ?」
視界に入ってきたのは東京のビル群でもなんでもなかった。
もっと早く気がつくべきだったのだ。この東京のど真ん中でビルが見えないなんてことはありえるだろうか。
ここは東京ではない。そもそも日本でもない。もっと言えば地球でもないのだろう。
目の前に広がってたのは見たこともない建造物群。
学生時代に世界一周をしたことがあるが、その時に行ったどの国でも見覚えがない。
しかし、それだけでここが地球ではないと結論づけるのは早計だろう。その根拠は他にある。そこにいる人々が普通ではなかったのだ。明らかに耳が長い。
俺の知る限り、地球にはあんなに耳の長い人間はいないはず。
そして余談ではあるが…………巨乳の子が多い。ありゃ巨乳じゃなく爆乳だな。
「いかんいかん。今はそんなことを考えてる暇はないのだ」
この「特殊な建物」と「耳が長い人々」の二つの事項から推察するに、俺は酔っ払って地球ではないどこかにたどり着いてしまったのだ。
もしくは死後の世界、リアルな夢を見ているという説も考えられる。
とは言っても、結局は推察の域を出ることはない。
ありのままを受け入れる。
俺が一企業の社長になれたのは、目の前の現実から一度も目をそらさなかったからだ。
世界は世界でしかない。どんな意義を見出そうともその意味が変化することはない。
そうなると、やることは一つしかなかった。
「ナンパをしよう」
決して爆乳に目が引かれたとかそんな理由ではない。
いや、二割はそれが理由か……いや四割? うーんまぁ、六割くらいか。
だが、残りの四割には下心が一切ない。今はとにかく情報を集めることが必須だ。
世界を一周した時、現地の女性と親しくすることで言葉、風習、文化などあらゆる情報を入手することができた。あ、それにどの国の娘とのエッチが気持ちよかった……という最低な情報もしかりだ。
ともかく、異国でナンパというのは一石二鳥でしかないのだ。
俺は街の中に入り込み、最初に見つけた女の人に声をかける。近くで見るとやはり耳が長い、それに冗談みたいに美しい顔立ちをしていた。
「ね、お姉さん。このへんに安い宿とかってないかな?」
「¡™£¢∞§¶【】º!!!!!」
「やっぱり、何言ってるかわからないな」
予想通り地球の言葉ではないようだ。こんな言語は一度も聞いたことがない。
そしてそれ以上に問題なのは、相手が明らかに歓迎ムードではないことだ。驚き、怒り、恐怖に属するようなマイナスな感情を発露している。
いきなり、外国語で話しかけられて戸惑っているのだろうか。それとも見た目や格好か。なんにせよ、ここで俺という存在がかなり異質であることはうかがえる。
目の前の女性はこちらを指差しながら、周囲の耳長人間たちに何かを訴えている。
それを受けて、彼ら彼女らは俺のことを睨みつけてきた。
「なんかまずそうだな」
あれは害を与えようとしている人間の目だ。
くそ、爆乳を前にして逃亡するのも癪だがここは素直に逃げた方がよいだろう。
「∞§¶!!!!」
「なんで、追いかけてくるんだよ!」
耳長人間の男性数人が追いかけてきた。
こりゃー、捕まったらどんな目に合わされるか分かったもんじゃないな。
『¶§∞¢£!!』
「いって!」
ちくしょう、周りの奴らがついに石まで投げ始めた。
だが、この行動から少しずつこの耳長人間の思考が読み取れてきたぞ。この耳長人間たちが俺たち地球人と同じような精神を持っていると仮定するなら、この行動は仮初めの正義感に動かされたものに違いない。
人に害を加えるというのは案外難しいことなのだ。
それをこんなにも大勢が行動に移せているということは、害を与えるに足る理由がある。
人種差別。他種族に対する強い差別意識が要因ではないだろうか。
周囲を見渡しても、耳長人間以外の種族の姿は確認できない。どういった経緯があるかまでは想像しかできないが、ここでは他種族は歓迎されていないということだ。
こうなったら仕方がない。他種族に対する差別意識が低い民族を探すことにしよう。
「¢∞§¶【」
「あれ、あいつらが追いかけてくるのをやめたぞ。ラッキー………っておいおい」
街の入り口のところに、屈強な耳長人間が数名ほど待機している。
皆一様に同じ制服を身につけ、その手にはクロスボウのようなものが握られていた。
警察か、軍隊か、その正体まではわからないが、戦いのプロであることに変わりない。
何が一番生き残れる? 引き返すか? いや、この街の構造を把握してない以上それは難しいだろう。なら、正面突破? ……そんなのは選択肢として論外だ。
唯一生き残れる可能性は……これしかない。
「投降する! 命だけは助けてくれ!」
俺は両手を上げたまま地面に膝をついた。これで殺されるなら仕方がない。
みるみるうちに取り囲まれ、顔から地面に倒される。そして、手足を手錠のようなもので拘束され、地面を引きづられるようにして運ばれていく。
地面に擦れて身体中が痛い。擦り傷なんて高校生の時以来だ。だが、俺は賭けに勝つことができた。即座に殺されることがなかったのだから。命をつなぎとめることができたのだ。
生きてれば、命さえあれば、可能性は無限大だ。