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2-8 社長、脱獄を決意する

「さぁさぁ、ソーダ君。そこに掛けてください。ちょうどいいワインが入ったんですよ、どうですか、一緒に食事でも」


 まさか本当に酒宴に誘われるとは思わなかった。

 机の上には、この世界に来てからは一度も口にしたことがないような、豪勢な食事が並べられている。俺がいた世界では見たことのない見た目をした料理ばかりだ。思わず喉がなる。食べたことはないが————あれは確実にうまい。それだけはわかる。

 しかしまぁ、さすがに「はい、いただきます」とはならないわけで……。


「これはどういった趣旨で?」

「ははは、そんな警戒しないでください。これは、この間の朝礼やデンバーとクレットがおこなった暴力的な行為に対する謝罪です。私は何でもかんでも暴力で解決するのが嫌いなんですよ。人間っていうのは犬や猫とは違うじゃありませんか。しっかりと『やめてください』といえばしっかりと聞き分けてくれることもあるでしょ? 私はあなたもそういった利口な人種だと思っているのです。だから、こういった機会を設けて、一度お話を伺ってみたかったのです」


 所長のゴブレットは笑顔の姿勢を崩さず、落ち着き払った声で、一字一句丁寧に、淀みなく透き通った川のように、言葉を紡いだ。


 相変わらず、雲のようにつかみどころのない男。一言で言ってしまえば不気味。……ひとまずゴブレットの真意を測るため、席について会話をしてみることにする。


「で、何の話をする? 好きな女性のタイプについてでも話すか?」

「ソーダ君。そんな攻撃的にならないでくださいよ。私はあなたの味方になりたいんです。ちなみに好きな女性のタイプは……従順な犬のような方が好みですね。でも、勘違いしないで欲しいのは最初から従順だと困るんです。最初は反抗的な方がいい。なんなら私を憎んでいるくらいがちょうどいいですね。そんな女性が、私に屈服していく様を眺めるのが好きなんです」


 なるほど、歪んでやがる。典型的なサディスト。

 冗談で聞いてみたが、好きな異性像というのはその人間の本質を現すようだ。


「女の趣味は絶望的に合わないが、アンタという人間が少しだけ分かったよ」

「でしょ? こうして会話をすることで相手への理解を深めることができるんです。これが人間だけに与えられた特権ですね」

「……意外だな。アンタはここの囚人を人間扱いしてないのかと思ったよ」

「朝礼の時にも言いましたが、私は差別が嫌いです。エルフだろうと、ヒューマンだろうと、ドワーフだろうと根っこの部分は何も変わりません。私は人という生き物が大好きなんです。聡いようでどうしようもなく愚かなこの生き物が。だから、あなた達を隔離しているのは仕方なくやっていることなんですよ。やはり、エルフの人間として生まれ育った国家が他民族に蹂躙されていくのはなかなか悲しいことですからね」

「その主張は……まぁ理解できるな。ただ、こうして強制労働を強いることに関しては納得がいかないが」


 羹に懲りて膾を吹く。

 いくら移民政策に失敗したからといって、このやり方はいくらなんでもやり過ぎだ。移民を受け入れないのであれば、国内に追い出せば済む話じゃないか。


「ソーダ君は物分かりがいい。そうなんです、私もこうして移民の方に強制的に労働を強いるのは心苦しいのです。そこで一つ、ソーダ君に提案があります」

「提案?」


 ゴブレットの笑顔がよりわざとらしくなったのを感じた。


「あなたがここの現場監督になりませんか?」

「…………」

「私としては労働の裁量については、みなさんに全てお任せしたいのです。やらされてやる仕事よりは、自主的にやる仕事の方が成果も出ますし、モチベーションも違います」

「それはそうだな」


 ゴブレットの言うことに間違いはない。

 それは、俺がここで働かされて最初に思ったことだ。


「私の読みでは、このまま移民をこうして隔離している方がコストがかかると、お偉いさん達が判断するのはそう遠くないと思っています。あなた達がここに閉じ込められるのも二、三年くらいで、そのあとは国外追放になるはずです」

「なるほど」

「だからどうでしょうか。その時が来るまで、ソーダ君がここを指揮をするのです。私は一目見た時から思いました。あなたには人を束ねるカリスマ性がある。今、現場監督をしているロブナード君も見所はありますが、ソーダ君ほどではない。あなたが囚人達を取りまとめてくれるなら、看守の我々としても管理の手間が減ります。人件費だって安くはないのです」


 俺も元経営者だ。ゴブレットの言っていることは理解できた。


「もちろんタダでとは言いません。あなたには私と同じレベルの食事を提供します。監房ではなく豪勢な個室も用意しましょう。そして、ソーダ君。あなたは大の女好きだと察します。安心してください。ご希望とあれば、毎日好きなエルフの女を抱かせてあげますよ」

「悪くない話だな」


 ここのまずい食事を口にするのも嫌気がさしていたし、硬いベッドで寝る生活にもうんざりしているし、何よりも長い禁欲生活でリトル・ソーダはそろそろ限界だ。

 どんな仕事をするのかも裁量が与えられる。俺ならここの囚人達に希望を持てるような仕事をさせることができるだろう。

 そしてゴブレットの話を信じるのであれば、二、三年後にはここから出られるのだ。これで脱走なんてリスクを背負う必要もなくなる。素晴らしいじゃないか。


「どうでしょう、かなり魅力的な提案だと思いますが? さて、続きは食事でもしながらゆっくりと詰めていきましょう」

「だが断る」


 一度だけ言ってみたかったんだよなぁ〜!!

 今、脳内でドーパミンがガンガン出てる感覚がある。最初から断る気満々だったのだが、せっかく拒絶するなら好きなマンガのフレーズを使ってみたいと思ったのだ。


「…………そうですか」

「俺を懐柔しようとするなんて一○○年早いってことだ。じゃあ話がこれだけって言うなら、俺はあの牢屋に帰らせてもらう」


 こんな提案言うまでもなく却下だ。

 まず、俺は一人勝ちが嫌いだ。自分を好いてくれる全ての人の幸せにしたい。

 次に、俺は確かに女好きだし、いい部屋でいい暮らしをしたいと思っている。だが、それは自ら勝ち取るものであって、他人から与えられるものではない。

 最後にゴブレットという人間が信頼できない。二、三年後にはここから出られる? 果たして本当にそうだろうか。この男の目的、根幹、人間性を測りかねている以上、ただ表面上の言葉に惑わされるのは危険きわまりない。

 ゴブレットもゴブレットでまだ俺という人間を理解できていないようだ。

 こんなことは火に油でしかない。


「ふぅ、仕方ないですね。飴がダメなら鞭でいきましょうか」


 側で待機していた看守達が、こちらに向かってぞろぞろと集まってくる。抵抗しても無駄なことは分かっていた。俺は大人しく看守達に拘束される。


「まぁ、そりゃそうだよな。このまま無事に帰してくれるわけがないか」

「ソーダ君、残念です。私はあなたを一人の人間として認め、話し合いで解決しようとしたんですよ? しかし、こうして言葉を理解できないのであれば、動物と同じように『痛み』や『恐怖』を持って理解させるしかありません。すみません、針持って来てもらえますか?」

「は、針?」


 くそ、なにをするつもりだ。想像はつかない。だが、想像したくないようなことが待っているのは確かだった。


「これ、シンプルですが結構きついんですよ」


 看守の一人がゴブレットに針を手渡す。

 ごく普通の裁縫で使うような針……あれで一体何をするつもりなんだ。

 恐怖でじわりじわりと汗が噴き出しているのがわかる。


「ははは、さっきまでの威勢はどうしました? とりあえず今日は一○枚でいいですよ」

「一○枚ってなんのことだよ!」

「これでピンとこないんですか? わりとポピュラーな拷問だと思うんですけどねぇ。余程、平和な環境で過ごしてきたのか……生まれはどちらなんでしょうね。考えてみてください。ほら、あなたの指は何本あります? そして、その数だけ爪が生えてますよね?」

「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」


 分かった。分かってしまった。やつがなにをしようとしているのか。

 それは想像するだけでも恐ろしいこと……現代日本で普通に生きていれば絶対に経験しないようなことだ。


「はいはい、暴れないでくださいね。みなさんしっかり取り押さえて」


 数人がかりで抑え込まれてしまえば身動きなど取れるはずもない。看守達は俺の右手を絶対に動かないように強く押さえつけている。指一本動かすことができない。


「さて、記念すべき一枚目は私が担当させてもらいましょうかね」


 ゴブレットがゆっくりと近づいてくる。一歩一歩。じわりじわりと。

 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。


「やめろ! やめてくれ!」

「最後にチャンスを上げましょう。今謝れば全てなかったことにしてあげます。これから起こる恐ろしいことを経験しなくて済みますよ。さらに先程の条件のまま、あなたを現場監督にしてあげましょう。どうです? こんな美味しい話はないでしょう?」


 これからされることを考えたら、この発言はとても魅力的だった。

 甘い、甘い、言葉。これを受け入れたら楽になれる。恐怖から解放される。


「………………やれよ」

「何か言いましたか?」

「いいからやれって言ってんだよ!」


 いくら俺だってこんなの耐えられるかどうか分からない。拷問なんて生まれてこのかた受けたこともないのだから。

 けど、ここでこいつに屈するわけにはいかない。それだけは絶対に嫌だ。

 痛いだろう、絶叫するだろう、涙やよだれで顔はぐちゃぐちゃになるだろう。これ以上もなくみっともない姿になるのは確実だ。


 それでも、心まで屈してたまるか。それはこのクソ野郎に完全敗北したことになる。

 こいつは人が屈するところを見るのが好きなサディストだ。それが何よりも大好きなド変態野郎なんだろうよ。

 ————だからこそ俺は屈しない。お前の思い通りなんかになってやるか。


「ははは、威勢がいいですねぇ。さて、厳しくなったらいつでも言ってください。何本目でリタイアしても条件は変わりませんから……むしろ早めにリタイアした方が痛みが少なくて済みますよ?」

「とっととやれ!」

「それじゃあいきますよ」


 爪と指の肉の隙間、そこに針がピタッと添えられる。

 普段は指先の感覚なんてほとんど感じないのに、今は恐ろしいくらい感じられる。冷たい。恐ろしいくらい冷たいものが押し当てられている。

 汗が止まらない。呼吸も荒くなる。油断したら吐きそうだった。

 それでも絶対に負けるわけにはいかない!


「ショーの時間です」


 ぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐり———————————————


「ぐあああああああああああああああああああああああああああああああ」


 地獄が始まった。

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