2-5 社長、脱獄を決意する
「殺してやる、クソガキ!」
「すみません! わざとじゃないんです!」
次の日、もはや恒例となってきた過酷な肉体労働を終え、水浴び場に行こうとしていたときのことだった。
日本でいう中学生くらいの少年が二人の看守に詰め寄られていた。
二人の看守は……あまり見ない顔だな。服装も他の看守と違ってギラついているというか、見るからに高級なものといった感じ。この収容所における重役的存在だろうか。
「すみませんじゃねーんだよ! この服いくらしたと思ってるんだ! 久しぶりにテメェら囚人の様子を視察に来てやったのによ! よくも泥ぶっかけてくれやがったな!」
「すみません! すみません!」
どうやら少年は運の悪いことに、看守たちの服を汚してしまったようだ。服なんて買い換えればいいだろうに。まったく心の小さな野郎だな。
仕方ない。ここは俺が————
「やめろ」
「は?」
看守と少年の仲裁に入ろうとしたところ、後ろから強く肩を掴まれた。
「事態を悪化させるな」
「…………ロブナード、お前何いってるんだ?」
俺の動きを阻害したのはロブナードだった。
その目は真剣で、俺に余計なことをさせまいという強い意志を感じさせる。
しかし、それはつまり————あの少年を見殺しにしろってことだろ?
「あいつらはデンバーとクレット。所長の側近。絶対に敵にしてはいけないやつらだ」
その名前は聞いたことがあった。オイラーが所長やロブナードとともに、敵に回してはいけないとしていた人物だ。
しかし、そんなことはどうでもいい。
「そんなことを訊いてるんじゃない。それはあの少年を助けない理由にならないだろ」
「仕方ないだろ。それで他の囚人に被害が出たら————ぐっは!」
……気がついたら手が出ていた。人を殴るなんていつぶりだろうか。
「ズレたこと言ってんじゃねぇぞ! 俺はな、お前がここの囚人たちのことを考えて、自分の意思や想いを押し殺している姿を尊敬してたんだよ! ひとえに他の囚人を守るためだってな! だが、今の言動はなんだ? 結局、お前が守りたいのは他の囚人じゃなくて、自分自身の安寧じゃないか! お前はここの現場監督なんだろ? 部下の責任はお前の責任だろ! そこでお前が知らぬ存ぜぬを決め込むとは何事だ! ふざけんじゃねぇ!」
「…………」
ロブナードは倒れたまま起き上がらない。
殴り返してくるかと思ったが、どうやらそんなこともないようだ。
「見損なったぜ」
ロブナードを無視して、看守と少年の方に向かって歩いて行く。
余計な時間を食ってしまった。すでに少年は土下座の体勢になっており、デンバーとクレットはそんな少年を上から踏みつけている。
「おい、やめろ」
「あ? 誰に口聞いてんだてめぇ?」
「あんたら以外に誰がいるって言うんだ」
エルフっていうのは美形が多いって話だが、こいつらは醜悪な顔をしている。
腐りきった内面がそのまま表出したという感じだ。
「ははは、どうやらこいつ死にたいみたいだな。どうするデンバー?」
「すぐ殺そうとするのがクレット……お前の悪い癖だぞ。ここは見せしめに徹底的にぶち壊すのが正解だろう」
今の会話から、長身でやせ細った体をしているガイコツ顔がクレット。短身でぶくぶくと太りきった魔○ブウみたいなやつがデンバーのようだ。
「おい、少年。お前は早く水浴びでもしてこい」
「す、す、すみません! 俺のせいで! ほ、ほんとすみませんでした!」
少年は涙と鼻水で顔をグチャグチャにしながら、転がるように逃げ出していった。
よし、これでひとまず安心だ。目的は達成した。
「どうだ、ヒーローになった気分は? だけど、お前にはそんな気分に浸っている暇もないぞ」
「これから、馬鹿なことをしなければよかったって後悔することになるんだからな」
突然、クレットの姿が消えた。
手品のように一周の出来事。俺は慌てて周囲を見渡すがその姿はない。
「ぐへっ!」
不意に視界が揺れた。殴られたような衝撃がはしる。
なんだ、何が起こっているんだ。再度、周囲を見渡しても痕跡などは一切ない。
ただデンバーが醜悪な表情で笑っているだけだった。
「ぐはっ!」「ゲホッ!」「かはっ!」「っはぁっ!」
それから、視認できない攻撃を何度も何度も受けた。
痛みのせいで身体中が熱を持っている。だが、攻撃の手が休まることはなかった。
徐々に立っていることも厳しくなり、俺は地面へと崩れ落ち————
「おいおい、まだ倒れるのは早すぎるだろ」
デンバーの下卑た声とともに頭上から鎖が出現した。
その鎖によって片腕を縛り上げられ、俺は倒れることもできず宙吊り状態となった。
「なんだこれ……!」
「見たかっ! これがデンバー様の『対象を鎖で拘束する能力』だ。この能力の前ではどんな生き物でも争うことができない。俺が拘束を解除しない限りはずっとそのままだ!」
デンバーは得意気に自身の能力についてペラペラと話し始めた。
……なるほど。なかなか強力な能力じゃないか。
「そして、俺の能力は『透明化』だ! どうだ? どこから殴られているのか一切分からないだろ?」
どこからともなくクレットの声も聞こえてくる。
不可視の攻撃はこういう仕組みになっていたわけか。透明化されてしまっては、相手がどこにいるのかも分からない。
避けることも、防御することも、反撃することもできない。
為す術もなく、一方的な暴力が止めどなく押し寄せてくる。まぶたが腫れて視界が狭くなってくる。口からは血の味しかしない。徐々に痛みもなくなってくる。
「あんな大口叩いてたのにこの程度かよ!」
「こいつの顔、めっちゃブサイクになってるぜ!」
デンバーとクレットの耳障りな声だけが響いてくる。
ちくしょう、こんなところで終わってたまるか。
デンバー、クレット。俺相手に堂々と能力の説明をしたことを後悔させてやる。
こんな状態で閃いたことだから、まだはっきりとしたことは言えないが、ここから脱出するための道筋が見え始めてきた。お前たちのこと利用させてもらうぞ。
だから、俺は絶対に死なない。生き残って計画を実行に移すんだ。
……だが、意識はだんだんと遠のいていく。
大丈夫か、ここで意識を失ってしまったら死んでしまうんじゃないか。
だめだ。何としても意識を繋がないと——————。
…………温かい。そして適度な柔らかさと弾力。この感触には覚えがある。
何度も何度も経験してきたアレだ。そう、それは、女性の膝の上。
「よかった! 目が覚めたんですね!」
目を開けると、美女が俺の顔を覗き込んでいた。
こうやって美女を下から視姦するというのもなかなか趣があるな。
まさか、エルシィから膝枕をしてもらえるなんて……。可能であればこのどんな高級枕よりも寝心地の良い枕の感触を味わっていたい。
「やぁ、エルシィ。また君に会えて嬉しいよ」
俺はいつものような軽口でエルシィに声をかける。
……だが、その対応はこの場において適切ではなかったようだ。
「なんでそんなに余裕そうなんですか! キリエスさんとロブナードさんが医務室まで運んで来るのが少しでも遅かったら、ケータさん死んじゃってましたよ!」
再開を喜び合いたいところだったが、エルシィがポロポロと涙を流しはじめた。
俺は二四年の人生においてたくさんの女性を泣かせてきたが、女性の涙を見るのは大嫌いだった。一緒にいる女性はみな幸せになってほしい。誰一人、悲しい思いはさせたくない。
「ごめん、エルシィ。心配かけたね」
膝枕の感触を堪能していたかったが、目の前で泣いてる女性を放っておくことは出来ない。俺はすぐさま起き上がり、エルシィのことを抱きしめた。
「……ケータさん」
「ハグには不安を解消する効果があるんだ。エルシィが落ち着くまでこうしてるよ」
「ほんと……! 本当に心配したんですから……!」
彼女は美しい。外見がどうとかではなく、その有り様がただただ美しいのだ。出会ったばかりの人間のために、ここまで涙を流すことができるだろうか。
しかし、こんなに心配されてしまうとは……。
おそらく、運ばれてきた時の状態が余程ひどかったのだろう。
「エルシィ、ありがとう。エルシィが能力を使って治療してくれたんだろ?」
「私は能力を使っただけです。お礼ならキリエスさんとロブナードさんに言ってください。二人ともすごい形相で、ここまでケータさんを連れてきてくれたんですよ」
「オイラーと……ロブナードが」
そんなに必死になってまで、俺を助けようとしてくれたのか。
オイラーはともかく、まさかロブナードまで……俺はあいつから嫌われるようなことばかりしてるからな。こうして命を救ってもらえるなんて思ってもみなかった。
次に会った時は、二人にちゃんとお礼を言わないとな。
「素敵なお仲間さんですね」
「昔から仲間や出会いには恵まれてきたんだ。そう、君との出会いだってそうだ」
「そ、そんなことないですよ! 私なんて大した人間じゃ…………あわわわわわわわわわ」
「ど、どうしたの、変な声出して」
エルシィは素っ頓狂な声を出した。いきなりのことで驚いてしまう。
「あのあのあの! わ、わ、わ、私いまケータさんに何されてます!?」
「なにって……ハグ?」
「ハ、ハグ……あああ………うっ」
きゅーばたん。そんな効果音が出たように思えた。
顔を赤く染め、目をぐるぐると回しながら、エルシィが気を失ってしまう。
「エルシィ! エルシィ! しっかりして!」