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2-4 社長、脱獄を決意する

 次の日、前日以上に過酷な労働に従事させられた。

 汗、汗、汗。体の水分が全てなくなるんじゃないかと思うほどだ。

 でも、絶対に倒れるわけにはいかない。ロブナードを説得する必要があるからだ。

 それから同じようにロブナードの説得に向かう。前日ほど会話を保つことができず、あっという間に説得の時間は終わってしまう。

 

 次の日、前日とは比べ物にならない仕事を押し付けられる。あまりのキツさに立ったまま気絶しそうになった。

 それでも踏ん張る。その日も同じようにロブナードを説得に向かう。

 だが駄目だった。「しつこい」の一言で追い返されてしまう。

 それから、次、また次————最初の説得から六日が経過していた。


「もう諦めろ! 何度来れば分かるんだ!」

「ここから出るのにお前の力が必要なんだ。頼む」

「……なぜだ。何がお前を突き動かしている?」

「エロスだ」

「は?」

「セックスがしたい————当然の欲求だろう?」

「もっと立派な大義名分が聞けるかと思いきや……低俗だな」

「あのな。低俗とか、高尚とか関係ないんだよ。人間として生まれて来たんだからさ、好きなことしないと損だろ。俺たち、いずれ確実に死ぬんだぜ?」


 死は平等だ。

 どんなに金を持とうが、どんなにセックスしようが、どんなに幸せだろうが、誰にでも死は訪れる。世界の富豪ランキングに載っているような人間も絶対に死ぬんだ。


「お前の言う通り、ここの暮らしが人間にとって好ましくないのは理解できる」

「なら……!」

「けど、お前は知らないんだ。吐き気がするほど、醜悪で、邪悪な死を。……勝手な想像だが、お前が暮らしていたのは豊かな国だったんじゃないか? 『死』という概念が遠くにいるように思えるよ」

「……………」


 それは否めない。日本は豊かな国で、死という概念は対岸の火事のように扱われていた。死を考える習慣がほとんどない。まるで遠い国のおとぎ話のようだった。


「少し昔話をしよう。この収容所から逃げ出そうとした男たちの話だ。この収容所が設立されたのは五年前。移民排斥の流れで多くの非エルフ族が拘束された。男たちはこの収容所の一期生だった。突然捕まり、過酷な労働を強いられる。不満、不平、文句が出てこないわけがない。そうなれば皆考えることは一緒だ。今のお前のように、ここから脱出しようと思うだろう。男たちは準備をした」


 なるほど。俺よりも前にすでに脱出を試みた人々がいたわけか。


「綿密な計画、隙のないロジック、脱出のためにありとあらゆる手段を。でも、ある日のこと、男たちの一人、とりわけ臆病だった男のところに所長がやって来た。そしてこう言うんだ。『君たちの動きは察知しています。計画を実行に移した時、どんなことになるのかは想像つきますよね?』男はすぐさま仲間の下に行ってこのことを話した。そんなのハッタリだ。ここまできて引き下がるわけにはいかない。他の男たちは一蹴した」


 つい聞き入ってしまう。真に迫るようなそんな感じ。まるで自分のことのように……いや、おそらくこれはロブナード自身の話なのだろう。

 大体の結末は想像がつく。今こうしてロブナードがここにいること。

 そして、一番の古株として現場監督をしていること。


「計画は失敗した。臆病な男は計画に参加しなかった。だから助かった。そのかわり他の男たちは看守たちに捕まった。今後このようなことがおきないように大々的に殺される。それは確実だった。誤算はその殺し方が想像の何倍以上にも非情で、残酷で、惨忍だったこと。お前は自分から『殺してくれ』と懇願したことはあるか?」

「……ない」


 死にたいと思ったことも、殺されたいと思ったことも一度もない。

 どんな絶望の中にも希望はある————そんな風に考えて生きてきた。

 だが、それはひとえに、日本という国が平和だっただけなのかもしれない。きっと俺のいた世界にも残酷な出来事はいくらでもあったはずだ。

 ただ、俺は知らなかった、知ろうとしなかった、考えすらしなかった。

 平和ボケ。そう言われてしまっても仕方はないだろう。


「まぁ、それが普通だ。だから教えてやるよ。どうすれば人がそんな風になっちまうのか。————あるやつは全身の皮を剥がされた。あるやつは少しずつ体を切り取られた。あるやつは沸騰した水の中にぶちこまれた。他にも、手足を壊死させられたり、麻酔もないまま全ての歯を抜かれた……常人じゃ思いつかないような手段で殺された」

「…………」


 発するべき言葉が見当たらなかった。


「臆病な男は……いや、さすがに分かるか。臆病な男ってのは俺だよ。俺はただ見ているしかなかった。仲間たちは俺に言ってくるんだ、頼むから殺してくれと。けど出来なかった。看守の指示でただ見ているように言われていたからだ。今でも思い出すんだよ、仲間の絶望に満ちた顔を。そんな時に何もできなかった無力な自分をさ。だから、俺は決めた。もうこの収容所で誰も死なせない。お前の言う通り、ここを出れたらどれだけいいか。そんなことは分かっている。だが、あんな死に方を見せつけられちまったら、ここの囚人たちに一緒に逃げようなんて口が裂けても言えない。……言わせない。お前に責任が取れるのか?」

「お前の言い分はよく分かった」


 幸福に生きるためならどんな危険すら乗り越えてやる。それが俺の覚悟だった。

 しかし、この命がけの綱渡り。失敗の先には並の死よりも辛い処刑が待っている。

 そんな恐ろしいことを、覚悟のない者たちに付き合わせて良いのか。俺は今でも自分が失敗するとは微塵も思っていない。

 だが、絶対に全員を逃がすことができるのか。彼らの命に対して責任を持てるのか。


「ふん、その様子ならもう馬鹿なことは言わなそうだな。明日からは元の持ち場に戻っていいぞ。その代わり、二度と俺に世迷言を口にするな」

「……いや、いい」

「どういうことだ?」

「明日からも持ち場は変えなくていい。俺はまたお前を説得しに行く。だが、確かに覚悟が足りてなかった。だからもっと真剣に考えさせてもらう」


 ロブナードの話を聞くことができてよかった。

 俺の覚悟はまだまだ十分じゃなかった。

 全員を必ず脱出させる。これは簡単に口にしてよい言葉ではなかった。

 今までも部下の人生を背負って生きてきたつもりだった。会社を絶対に潰さない。部下たちの食い扶持を確保する。その覚悟のもとに経営はしていた。

 だが、ここは日本ではない。日本であれば失敗しても即死ぬということはなかった。この世界はそんな甘っちょろくない。失敗は死。どうしようもないほど残酷な死。


「お前みたいな馬鹿にこの話をするんじゃなかった。もう話すことはない。消えてくれ」

「辛い話をさせて悪かったな。じゃ、また明日も同じ時間に来るから」

「…………」


 ロブナード、お前の昔話は逆効果だったぞ。俺の心に火をつけちまったんだから。

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