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明日から魔法使いになる僕に  作者: 明日葉 叶
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優しい天罰

 回りの冷めた視線を全身に浴びている。昼時のサラリーマンも、外の警備員も、大人も子供も、従業員さえも唖然と口を開きこっちを見ている。

 静寂を切り裂いたのは氷がグラスに落ちる音と。

「……いったぁぃ! 何すんのよいきなり」という彼女の声。

 下から鋭く尖った視線が突き刺さる。

 が、僕は微塵も詫びはしない。

「なんでかわさなかった?」

「はぁ?」

「かんでかわさなかったと聞いている」

「そんなのかわせるわけないでしょ?!」

「それが僕が結婚しようとしない理由だ」

 虚をつかれたのか、あきれたのか、はたまた議論する気がないのか。押し黙ったままの彼女に僕は言葉を並べる。

「安給与で休みもない。増えるのはストレスと残業だけ」

 僕はテーブルに備え付けてあったアンケート用紙を裏返し、ボールペンを走らせる。

「いいかい? ここが僕の家だ。そしてここが職場だ」

 家と称した円の直線上に同じく職場と称した円を描いた。

「これが去年一年の僕の私生活だ」

 円(家)から始まり、円(職場)へ。円(職場)から折り返し、円(家)へ。何度も。何度も何度も。紙が擦りきれるまで僕は何かに憑かれたように円と円を往復する。

 同期が休んだ日だって僕は休まず会社に通ったんだ。それが彼女と遊びに行った日だと知った次の日さえも。

 上司に無理な残業させられたあげく、取引先に早朝から呼び出し食らった日でさえ僕は会社に通ったんだ。

 いつか報われるんじゃないかって。

 いつか幸せが訪れるんじゃないかって。

 僕は。

 僕は。

 僕は。

 僕は!

 意外にもその狂った単純作業を止めたのは大きめの手だった。

「お客様、失礼ですが他のお客様の迷惑になります。お引き取りになるか、ご着席下さい」

 あの男性スタッフが落ち着いた物腰で僕に席を進めてきた。左手の薬指には光輝くシンプルな指輪が。

 あぁ。と、僕は自覚した。

 何が同士だ。こいつも結局僕とは違う生き物なのだ。

 会社の犬になって、泥まみれに生きてきた僕とは違う。適度に他人を利用し、適度に会社に媚売って、そうしてこいつも結婚したのだ。

 真面目に頑張ってきたつもりなのに、僕なりに真面目に頑張ってきたハズなのに。

 そんな頑張りなんて社会からすればゴミ同然。彼女すらいないという結果がすべて。

 僕の体から力が抜けていた。

 ストンと席につく。

 前は見れない。

 スッと、会計伝票を手前に引き、立ち上がる。

「……待って」

 そんな言葉が聞こえた気がする。

 けど、僕は振り向かなかった。

 真っ直ぐレジへと向かい、会計を済ます。

「ねぇ、待ってってば」

 僕は背中から聞こえてきた言葉の意味を理解できずに、店を後にした。


「泉くん。彼女でも出来た?」

 あんな事があった翌日さえ僕はこんな鳥籠にいた。

 明らかにこちらのご機嫌を伺うような口調と話題にイラつく。

 角倉所長が口角をわざとらしく上げて話しかけてきた。年のせいか口臭がきつい。

「いえ、そんな浮いた話僕には…」

「それにしてもずいぶん仕事が出来るようになったじゃない。あ、彼女はいないけど気になる子はいるとか? いいよ、来週好きなときに休んでも」

「え!? いいんですか?じゃあ、来週月曜日に…。」

「月曜日かぁ。月曜日は大事な大事な商談がある」

「じ、じゃあ、火曜日はどうでしょうか?」

「ん~、火曜日か。火曜日ならいいよ」

「…や、やったぁ」

「ただし、月曜日の商談しだいじゃ火曜日も商談がずれ込むからそのつもりで」

 そんな不確かな休日じゃ映画すら見れないじゃないか……。この人は僕に休みをくれる気はない。視線と肩は自然に落ちた。


「ようやく結婚する気になったんだって?」

 昼休み。僕は屋上に来てぼんやりと空を眺めながら、コンビニで買ってきたパンといちご牛乳をいただくのが毎日の日課だ。それが今日は叶わないらしい。

「結婚? 誰が?」

「お前だよお前。角倉所長が言ってたぞ? 珍しく希望休日出したって。槍でも降るんじゃないかって笑ってたけどな」

 同期の多田。彼女とのお泊まりデート。ライブ観戦。ありとあらゆる嘘を使い、巧妙に休む。何度かこいつの穴埋めをさせられた。

「いや、別に俺は……」

 話をはぐらかそうと視線を反らし鼻で笑う。

「なんだなんだ? 俺にも言えないことなのかよ?」

「泉さ~ん」

 屋上の出入口のドアの前にピンクの制服を着た事務員が立っている。手を降って僕を呼んでいるようだ。

 フェンスを背もたれに座っている僕から見ると顔までははっきりとは見えない。けど、すらりとしたシルエットからして食生活には気を配っているように思える。

「お、噂をすればか?」

「バカ、違うっての」

 そうは言ったものの女性から基本的に話しかけられる事もない僕は、妙な緊張感を覚える。

「外線からお電話入ってます」

 その情報に自嘲気味に笑いが出る。それと同時に浅いため息。……そんなもんさ。


「はい、お電話変わりました泉です」

 昼休みを潰されたとは言え、急な用事でもこなすのがスマートな大人と言うもの。

 僕は脳内にある、何重にもガムテープで補強したヤル気スイッチを入れる。

「泉さんですか?」

 ん? 泉さん? 聞きなれない声に、ぼくは猜疑心スイッチにも手をかける。

「昨日の件でお電話差し上げました」

 昨日? 会社に迷惑はかけるほどの失態は昨日はしていない。

「何かの間違いではないでしょうか? 昨日は僕は非番で会社は…」

「昨日、妻とレストランにいらっしゃいましたよね?」

 罪悪感はない。はずだ。なのに背中からは条件反射で冷たい汗が流れてシャツを濡らす。

 やましいことはしていない。第一誘ったのは向こうだ。落ち着け、僕。落ち着くんだ。

 できるだけ、ゆっくりと深呼吸をして気持ちをなんとか整えてから声に出す。

「何かの誤解かと思われます。確かに僕は彼女。柊さんと食事に出掛けました。しかし、僕は会計を済ませて先に帰りました。そもそも誘ったのは向こうで……」

「妻が誘ったと言うんですか!?」

 向こうは語気が強い。そりゃそうだろう。愛すべき妻と見知らぬ男が食事をした。しかも、自分はなにも知らない。警戒もするだろう。って妻!!!??

「えぇ、まぁ……」

 言葉を濁して弁明を図ろうにもこの展開……。このままじゃ不倫の罪を着せられることは間違いない。裁判、法廷、慰謝料。ドラマでしか聞かないような言葉がぐるぐる頭を駆け巡る。

 最悪だ! こういう時は何かしら証拠でも押さえておけばいいのだろうけど、生憎僕はそういう道具の類を持っていない……。

 終わった……。そうすべてを悟り、運を天に任せた時だった。

 受話器から薄く笑う吐息が聞こえた。

「……仕事終わりにどこかで落ち合えませんか? そんな強張らなくていいですよ。なんならその席の勘定は僕が持ちますから」

 は?

 こいつ何いってんだ? どこまで知ってるか知らないが、自分の妻が知らない男と食事に行き、そのあとだってどうなったかわからないというのにその男に気遣う? しかも、勘定を持つ??

 僕は受話器を持ったまま自分の机につったていた。

 辺りは始業時間になり、電話やら上司の罵声が忙しい。そんななか僕は一人、別世界に佇んでいた。

「じゃ、駅前の最近出来た居酒屋で待ってます。さすがに22時には終わるでしょう? もし来ていただけなければ、わかってますよね……? 待ってますよ。」

 直後、一方的に電話は切られた。

 受話器を見る。確かに今僕は意味不明な電話をしていた。間違いない。

「泉くん。彼女なんか作ってる暇があるならやることがあるだろ? 公私混同しないで仕事をしなさい」

 背中から嫌みが飛んできた。誰かはわかる。振り返らない。僕は静かに席についた。

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