着火
報告会も兼ねて明日は昔よくいったファミレスに集合ね。
報告会? 僕は君が求める進展なぞしてはいない。もしかしてあれか? 僕を下に見て自分の存在価値を認識したいだけか?
猜疑心と言うやつか? 疑いが疑いを産み、もはや頭はごちゃごちゃ。でも…。
ちらっと見たLINEの画面には「了解」の二文字とそれを彼女が既読したとするメッセージがついていた。
いらっしゃいませ。何名様で?
若い男性スタッフが営業スマイルを張り付けてこちらの顔色をうかがっている。
僕は、嫌いだ。営業スマイルではなく、この「男なんだから女性をエスコートしなきゃならない」って空気。僕は彼女にとって何者でもないはずなのに。
だから僕は一歩下がり、スケープゴートを差し出す。
「二人です」
「では、あちらのテーブル席にどうぞ」
手慣れている…。まぁ…。僕なんかより交友関係広いだろうし、こんなとこも何回か来てるんだろ…。
社会的格差。って言葉が当てはまるかどうかは知らない。けど、どうしようもなく自分が小さく思える。気恥ずかしさにもう既に逃げ出したかった。
うつむく僕をよそに、テーブルに向かった彼女はメニュー表を片手に犬でも呼ぶように手招きしていた。
「どうなの? 最近?」
何がだよ…。ぎゅっと握り拳をテーブルの下で作る。
メインストリートが見える窓際の席に僕たちは向かい合うように座った。まだ6月だっていうのに日差しは高い、これで蝉でも鳴いてたらもう夏だ。
白生地のシャツに花柄のスカート。頑張っておしゃれしてる感もなく、かといって手抜きでもなさそう。その絶妙なバランスが良くて相変わらずきれいに見える。だから女友達とは言え、昔から正面を向いて話をしたこともないし、友達なのに異様に緊張する。もう、汗で手が濡れてきた。
「…どうって? 何が?」
僕は頬杖つきながらメインストリートに視線を送る。冷静を装う。防衛戦。「何が?」にはそういう意味を込めている。その質問には触れるな。
「仕事の話。給与上がったんでしょ? やっぱ勉強できる人は違うよね。私なんか上司に不倫持ちかけられててさぁ。まぁそれ次第では昇給らしいんだけどね。あ、私とりあえずアイスコーヒー」
うん。「仕事の話」まではいい。特に当たり障りない話の内容で、聞いてるこっちも入りやすい。非常に柔らかい軟式ボールでのキャッチボールしてるみたいだ。ママさんバレーのゴムボールでもいいだろう。
で、不倫? 急に内角低めの際どいのぶちこなぁ。軟式のゴムボールが急に硬式のカッチカチボールに代わり、豪速球が飛んできた。
会話の会話のキャッチボールが僕にはドッヂボールに思えてきた。
「……資格はとったけど、昇給はしていない。騙された」
手渡されたメニュー表を微かに震える右手でもらう。彼女にばれてなきゃいいけど。
「ふーん、飲み物は? 飲まないの?」
心なしか自分の声が震えていたのに気づく。
緊張。それもあるだろう。自分でも良くわからないことだけど、頭が真っ白になる。普段同僚とふざけて話している時のような気持ちにどうもなれない。なんか、彼女がはるか雲の上の存在見たいで、なんか、すべての男を知っているかのような余裕が末恐ろしい。
それでも僕は、差し出されたメニュー表を手に取り開く。
その内容に思わず数秒目を見開いたまま、ソフトドリンクのページを凝視した。
アイスコーヒー、メロンソーダ、コーラ、カルピス、オレンジジュース。
確か、彼女はさっきアイスコーヒーを注文したはずだ。ここで同じものを頼むのは気恥ずかしい。だがどうだろう? メロンソーダ? カルピス? もう三十路だぞ? こんな子供じみた飲み物を彼女の前で飲むのか?
「早くしてよ」
目の前の彼女は少しだけ不愉快そうな顔でこっちを見ていた。
「……え?」
「注文。喉乾いちゃった」
「……じゃ、アイスコーヒーで」
なんでこうも僕は決断力がないんだ…。
お待たせいたしました。和風ハンバーグとキノコとチーズのハンバーグです。
おお、同士よ。遅かったではないか。是非、ゆっくりしていってくれ。
窓から初夏の日差しを眺める僕の心の呟きに男性スタッフは答えてはくれない。
あの豪速球から一転。目の前の小綺麗な助っ人外国人は、思いの外おとなしくしている。有り難いことだ。君が僕に求めている進展とやらはない。頼むからそっとしておいてくれ。
「……でさぁ、言うわけ。ちゃんと病院にも通ってますからって。それで出来ないのは仕方ないでしょ? って思わない?」
なんのことだかさっぱり。
なんせ僕は今、あなたの顔すらまともに見れてませんから。
「聞いてる?」
「え……ごめん、なんの話?」
「もぅ、赤ちゃん」
やはり、助っ人外国人は仕事ができる。予測が出来ないナックルも持っているらしい。
危うくデッドボールじゃないか。
「こっちは来月の舞台のリハーサルで忙しくてそれどころじゃないのに」
「リハーサル……?」
はて? 聞きなれない言葉に、僕は聞き耳を立てた。
「あぁ、言ってなかったっけ? 私、またお芝居始めたの。やっぱり諦められなくて。正直毎日忙しくて大変だけど、充実してる。この間憧れてる女優さんだって見に来たんだから」
へぇ…。
今の僕は乾いた目をしていたと思う。
老人のような、人生に終止符打った廃人のような目。
僕はそんな目でアイスコーヒーを見つめ、すする。
「で、君はどうなの? 最近? 何か変化あった? 仕事以外で」
またか……。最近なんだって言うんだ。最近会社じゃ上司の上っ面の話にうんざりして転職先を探してるよ。毎晩腐るように酒を飲み散らかして、泥のように寝て、それでも死にたくないから働いてるよ!
「最近……?」
「鈍いなぁ。結婚の話。彼女くらいはいるんでしょ?」
くらいって何? 君にとってはそれがそれくらいの程度の話なのか?
「まさか…、彼女もいないの? どうして結婚しようとしないの?」
どこかでなにかが切れる音がした。
それを心のどこかで期待していたような。
良くわからないけど今なら何でも出来そうな高揚感に満ち溢れていた。
僕は立ち上がった。
「……何?」
彼女はきょとんと見上げている。
「すまない」
「は?」
彼女はますます困惑している。
「今からそれを説明してやる。その前におめでとう。君は僕の地雷元を踏み荒らしてくれた上に、君は人類史上初めての体験をする」
「何いってんの? 仕事のストレスで頭がおかしくなったなら私が話聞いてあげるよ?」
侵入角度斜め45度。平手は丸めず水平を保ったまま目標物へ。痛みを最小限に押さえて、いい音を出すために攻撃は指の腹のみで行う。その他留意点なし。全力でその道を示せ。
ひゅっ。
しなやかな鞭のような三本の指が、彼女の頭頂部を打った。彼女が少しだけ回避反応をしたせいで、小指だけはまともに攻撃をすることなくかすれてしまった。
そして、当然のようにレストランの視線がすべて僕に向けられた。
あれだけざわついていた周囲の人間が、僕だけを見ていた。