愛の坩堝
勉君から連絡をもらったとき、俺はどうしようもないほど動揺していた。
自分の中では終わった話のはずなのに。面倒なもののはずで、勉君にすべて丸投げしたはずなのに。
ホテルの部屋から出て、フロントから外に出ていく俺を水樹の奴はやっぱりねと意味深な言葉で送り届けた。
やっぱり何だよ……!
愛車のスポーツカーでシートベルトを締めるとき、息を吐くようにそうつぶやいていた。
彼女の容体が急変したのは僕が彼女を押し倒して間もなく。彼女が自分の流した涙に気づいてすぐ。
僕の腕を振り払い、うずくまるような姿勢で胸を抱えた。
どうしていいものかわからず、あたふたする僕を彼女が冷静に病院に連絡するように促してくれた。病院に緊急搬送されることになる彼女は、僕と風間さんに秘密にしていたことがある。
彼女は、聞いたことのない病に侵されていた。それも、余命もすでに宣告されていたらしい。
「ごめんね内緒にしてて……」
僕が右往左往している間に到着した救急隊により、彼女と僕は救急車に乗り込む。ストレッチャーに乗った彼女は、人工呼吸器で何とか息を保っているけど、表情に陰りがある。
「大丈夫? って聞くのも違うのか……。ごめん、なんて声かけていいのかわからない」
「謝らないで。私と勉との仲じゃない。本当は、まだ私、修のこと好きだったの。……あんなことまでして何言ってるんだって思う……?」
僕には正直わからない。確かにだったらなんで僕と一緒にホテルにまで入ったのか……。
「勉のこともちゃんと好きだったの。もちろん異性として……。こんな体だし、修にも愛想つかされちゃって……」
「いいから、もう喋んないほうがいいって」
言い終えると同時に、僕の手が誰かにつかまれる。それは、弱弱しくも最後まで生きようとする僕の彼女の手だった。
そして、目の前の梢はできるだけ、できるだけ深く深呼吸をしたあと。
「ありがとう……わたし、楽しかった。少しの間だけでも家族でいられたこと忘れないよ。さくらちゃんにもよろしくね」
どうすることもできない非力な僕は、ただ泣くばかりで何もできない。
そんな姿を梢に見せて、心配をかけるような真似をして。
「泣かないで……」
僕らを乗せた救急車は、この町で一番大きな病院に行くことになる。願わくばもう少し小さい病院であってほしかったけど、神様というのはどうやら僕の願いは聞いてはくれないらしい。
あれから数週間経って、僕らは小高い丘の西洋風の墓地にいた。
梢は、助からなかった。
風間さんも病室に駆けつけて、自分の胸の内を何も話さなくなった梢にぶちまけていた。
僕はそんな二人を見るしかできなくて、そんな二人を責めることが出来なくて……。
「よう。来てたか」
見ると風間さんが喪服で花束というなんとも珍妙ないでたちでこちらに歩いてくるところだった。
「なんかすいません。僕までこんなところに」
「気にするな。梢も喜んでるさ。なんてったって男二人に同時に愛された女だ」
「でも、僕言えなかったんです。気持ちを」
「無理に言うことでもないさ」
「混乱させるかと思って、まだ梢さん社長のこと気にしているそぶりあったので」
「……そうか。悪かった」
季節はすっかり秋めいて、周囲の木々に活力はない。人気も平日の昼間となるとやっぱりいない。僕は休みを取ってきていた。僕の大切な人に会いに行くと言ったら、所長は少しだけ考えた後さくらちゃんと一緒に行ってほしい旨を僕に伝えてきた。
さくらちゃんは今頃ぼくが選び損ねた花束をどこかで探して買ってきてくれている。遠くのほうで桜ちゃんらしい人影が見えてくる。
「話せるうちに話しておこうと思う」
風間さんは僕の正面に改まる。
「今回の件は本当に世話になった。改めて礼を言う。君がいなかったら俺は梢に対する気持ちを忘れていたどころか、梢の病気にさえ気づかなかった。ありがとう」
「こちらこそ。社長に声をかけてもらわなかったら、僕は梢をただの友達だと思ってました」
梢というのは、木の枝の先端のことを言うらしい。それを最近辞書で知った。
梢はきっと、僕ら二人を同時に愛してくれた。二股に分かれたからってそのどちらも偽りの気持ちではなく、そのどちらもしっかりとした梢本人の気持ちなんだと思う。
「……彼女は作らないのか? 梢の前でいうことでもないけど」
「作りますよ。いずれ。梢にも教えられたんで。人に流されてばかりだと、チャンスはつかめないと。僕なりにタイミングをみて……。その時は梢にも報告に来ます」
「そうか。そん時は連絡してくれ。家にいい酒がある」
「はい。その時はぜひ」
午後の日差しは緩やかで優しい。不倫なんて後ろめたいことをしでかしていた僕と、それを僕に懇願してきた風間社長にも秋の風情は優しい。それはもしかしたら、僕ら二人を梢が包んでくれているみたいに……。




