幸福の形
突き抜けるほどの快晴に見舞われた週末。
僕とさくらちゃんと梢は、この町に古くからある遊園地にやってきていた。
本当はさくらちゃんはもっと都会にあるようなあか抜けたところがよかったんだろうけど、あぁいうところの乗り物は大抵心臓に悪い。
僕としては別にそれで構わなかったんだけど、あまり遠出させるとまた所長が変な気を起こしかねない。
人はそれなりに来ているけど、ところどころ錆が浮いた柵なんかが目について少しだけ安全性に疑問を感じる。
ディズニーランド……あっちのほうがもしかしたら僕以外の二人はよかったのかも。そう思うと同時に、昔ディズニーがデートスポットとして人気だなんてネットの情報を閲覧していたことを思い出して、二人に気づかれないように苦笑いをする。
受付に三人で向かい、僕がチケットを受け取るとはしゃいだ桜ちゃんが一目散に奥の方に駆けていく。
「二人とも何してんの? 早くいかないと並ばれちゃう! ここのお化け屋敷、すごく怖いってネットで有名なんだから!!」
「お化け屋敷!?」
「……勉くんもしかして、ここにした理由って変な噂たてられるからとかじゃなくて絶叫マシーンとかなさそうだって思ったから?」
「そんなわけないだろ。ほら、梢も」
僕は梢の手を取る。走り出す僕の歩幅に梢は少しだけ驚いていたけど、声は弾んでいた。
「ちょっと! 急に走んないでよ」
僕ら三人の、さくらちゃんが望んでいた疑似ではあるものの家族の休日が始まる。
お化け屋敷に始まった接待は、あっという間に終盤差し掛かり、気づいたころには写真もいくつか取っていた。
こうしてみるとなかなか面白い写真かもしれない。いつも大人びて子供らしさ感じない桜ちゃんが年相応の女の子みたいに笑っている。
梢も、そんな桜ちゃんの後ろを追いかけてはお転婆な彼女に手を焼いている。
家族。そんなものが感じられる写真がいくつもたまっていく。それをまじまじと眺める僕を、二人が急かす。
そうしている間に、時間は過ぎていく。
帰りに買わされたソフトクリームを片手に、三人並んで遊園地から出ていく。はたから見たらもしかしたら曲がりなりにも家族になれていたのかもしれない。偽りでも、幻でも。
「パパは仕事仕事でこういうことに興味がない」昼食を取っているときにふと桜ちゃんが口にした言葉だった。
そんな些細なことが彼女には大きなことで、こんな日を僕にもたらしてくれた。
僕は、今日のこの日に家族の幻を見た。
「わぁ!」
三人同時に声を上げる光景。驚きというより、感嘆の声。
話には聞いていたけど、実際に店の中が浅瀬になっていてそこを魚が自由に泳ぐ光景は驚きと歓喜み満ちていた。まるで水族館だななんて光景をそのまま口にしてしまう。
まるで絵画のように魚が椅子と椅子の間を優雅に泳ぐ様は、僕たち三人に目の前のウェイターの存在を忘れさせていた。
「お客様、失礼ですがご予約の方は……?」
「あぁ、すいません。あの、これ使えます?」
けげんな表情のウェイターは、僕が懐から出した風間社長の食事券を凝視する。
「少々お待ちください」
僕は普段こんなレストランには来ないので、少しだけ緊張していた。
楽しいというのもある。これが僕が周囲に嫉妬し、心から欲しがっていた家族の形。疑似的ではあるけれど、出てきた料理よりこの状況がどうしようもなくうれしかった。
「どうしたの? そんなに笑っちゃって」梢が口に運びかけたフォークのまま僕に聞く。
「いや、なんだか桜ちゃん楽しそうだなって」
「……パパはあんまり連れて行ってくれないから。でもね、これが終わったら言ってみるつもりなの。たまには二人でご飯でも食べに行こうって」
「じゃあ、さ。さくらちゃん例の件、ね?」
「わかってる。仕方がない。ちゃんと私から話しておくから」
「話って?」
「あ、そうだ! ここデザートもすごいらしいよ。見てごらんほらこんなにイチゴが」
「私に隠しごとするの!?」
「助けてよさくらちゃん」僕は眉間に皺を寄せて見せる。
さくらちゃんはよく笑う子だ。こんな子を所長はよく一人で育ててきた。僕にはまだわからないが、それも愛の形なのかもしれない。
「じゃあね。今日からぐっすり眠れるね」
「それがホントならどれだけありがたいか」
「ありがと」
「ん?」
日没する街で、僕とさくらちゃんはコンビニに寄っている梢を外で待っていた。家に帰ってもどうせ一人だし、お酒でも買って帰ると僕らを外に待たせて一人コンビニに入ってしまった梢を待つこと10分。満足したのか、息を吐くような言い方で桜ちゃんは確かにそういった。
「あの時助けてくれなかったら私は一人でどうなっていたか。正直怖かった」
「珍しく素直だね」
足を踏まれて僕は悶絶する。
「だからあんたも。どうしたいの梢を? 私はいろんな意味で今日がチャンスだと思うけどね」
「え!?」
「だってほら、知らない男とこんな時間まで遊んでくることを向こうの旦那さんは了承してるじゃない? おまけにほら」
「おまたせー」
桜ちゃんが示す先で、梢が天高くレジ袋を掲げて戻ってきた。中身は宣言通りお酒だろう。一人で飲むには少し多いくらいの量が傍目から見ても分かる。冷えた缶にレジ袋が張り付いて、くっきりとシルエットが出ていた。
今日ももしかしたら風間社長は戻らないのか。梢はまた寂しい思いをするのか。でも、僕にはそんな勇気は……。
軽く土踏まずのあたりに衝撃が走り、さくらちゃんの視線に気づく。
「がんばれよ」
声にならない口の動きで僕だけに言葉を残して彼女は、
「じゃ、私家近いからここで」と帰ってしまう。
「「え!?」」急に帰ってしまう桜ちゃんに梢は驚き、近くに門倉所長の影を感じた僕は慄いた。
「パパも待ってるしね。顔合わせたくないでしょ?」
それを言われると僕は言葉を失くしてしまう。
「ほらさっさと歩く。でもないと朝まで連れまわされたってパパに報告するんだから」
僕は梢と顔を合わせて、もう一度さくらちゃんを見る。
「本当に気を付けて帰るんだよ? これは別に所長とか関係なく、一人の人間として心配しているんだ」
「はいはい。ちゃんとまっすぐ帰りますって」
さくらちゃんは強い子だ。なんだか僕はその背中に尊敬の念すら感じる。
僕と梢は二人並んで歩き出す。この辺の道は正直曖昧なところが多い。帰れるとは思うけど、
「次……。どこいこっか……」
梢は、もしかしたらそうなのかもしれない。
僕は迷った挙句、ばれないように風間社長に連絡を入れる。
【社長、梢さんをもらいます】と。
――そうか。ならよかった。とりあえずこれで梢の方にも非が出来たというわけだ。
薄暗いホテルの一室。化粧台の椅子に座る僕の後ろには、美紀という最近できた愛人がベッドで横になっている。裸であることは言うまでもあるまい。
「また奥さん?」
「またってことはないだろ。君だって僕の事情を知って近づいてきたんだろうし」
「すぐ別れるって話したのはそっちじゃない。また作戦? どうなのそのチェリー君は」
「彼は、そうだな……。なんというか愚直っていうのかな。チャンスがあっても自分の感情が邪魔で何もできなんだ。でも、ようやく自分に正直になったらしい。今から二人でホテルだそうだ」
「そんな淡々と話すこと? 奥さんなんでしょ?」
「愛していたかどうかなんて、もはや僕にはわからないよ」
「でもあなた気づいてた? チェリー君に指示出して思い出話するとき、あなた口元笑ってたわよ?」
僕は鏡映る自分の顔を横目で見て、自分を疑ってしまっていた。
僕は、どうして笑っていた……?
適当にくつろいでいてって言われても、僕にそんな余裕があるわけがない。二人は余裕で寝そべれるサイズのベッドの端っこに僕は座りながら窓から見える町の景色を見ている。興味もないけど見ている。無関係の情報を取り入れていないと、平常心を保っていられる気がしなかったから。
シャワーは先に梢が浴びている。
どういう了見で僕らはここにいるんだっけ? どっちが誘ったんだっけ?
興奮より店内に入るまでの記憶が飛んでしまっている自分に対しての恐怖心で、僕は少し取り乱している。
今、僕は自分の人生の中で確実に上位に入るほど自分にとって無関係な場所にいる。
照明はつけている。当たり前だ。そうでもしないと余計に緊張するどころか、まともに話も出来ない。
僕の心臓が高鳴りを上げて、ここは危険な場所だと警鐘を鳴らしていた。ほら、深呼吸してご覧? 悪魔的に甘い匂いもしてくるだろ? 心臓が僕に問いかける。
「あ、お酒飲みたかったら先に飲んでて。でも桃のチューハイだけは取っといてね。新発売だって気になって私が飲むために買ってきたんだから」
シャワールームで見事なプロポーションが僕にそう声をかけてくる。
「ねぇ? 聞こえてる?」
「き、聞こえてるって。うん。もらうもらう」
文字通り心臓が口から飛び出しそうになって、なんなら少しだけ気持ちが悪い。
落ち着くためにも、僕はいま改めて自らに問う。
風間梢をお前は愛しているのか?
お前は、風間梢を……。
――おまたせ。
梢の声が耳元でした。背中に冷たい何かが走る。ここからどうすればいいのか、僕にはわからなかった。
「シャワー、浴びないの?」
僕はつかの間の猶予期間にいろいろと情報を整理しようと思った。
暑いお湯が頭から全身に流れていく感覚は、その瞬間だけすべての悩みを洗い流してくれる。
今、梢とホテルに来ていることも。僕がここから出てしまえばことが始まってしまうことも。
僕は梢とどうなりたいのだろう?
付き合いたいのか、風間社長の言う通り結婚してしまいたいのか。
梢はかわいい。美人だと思うし、僕なんかとこんなところに入るんだからもしかしたら僕のことを好いていてくれているのかもしれない。でも、この間の彼女は僕を好きで会いに来てくれたのではない。
僕も男だ。でも、彼女は友達で彼女ではない。なら彼女になってもらえばいいじゃないか。
葛藤する自分がいるという事は、情けないことに梢に対してそういう面で見ていることもあるという事実。
「くそっ……」
どうしてこうなった?
どうしてこうなった?
どうしてこうなった?
「ねー? まだー?」
扉の向こうで部屋のテレビで何かを見ている梢が僕を急かす。お酒でも飲んでいるのか声の抑揚が大げさだった。
「もう少しだけ浴びていたいんだ。もう少ししたら出るから」
「私は別に気にしないよ? いいから早くしよー」
結局僕は、なんの答えも出せないまま梢の隣に座ってしまった。
梢はバスローブを身にまとっていて、とてもまともに直視できる容姿ではなかった。僕は、シャツを着ているが上着は着ていない。
「初めて……なんだよね? こういうの」
「そうだけど、別にだからどうってこともないだろ」
「どうって何? ほんと素直じゃないんだから」
しばらく沈黙があった。もちろんこういう状況になったことのない僕が何か率先して話すことはないし、梢はそんな僕を観察して楽しんでいる節があった。
僕は、さっきよりも強い緊張感に襲われていた。シャワー室を出ると、梢が急に証明を消して部屋を薄暗くしていたからだ。梢が言うにはこの方が雰囲気が出るらしい。
「キスぐらいしようよ。せっかくなんだし」
「……いいの? 旦那さんは?」
「あいつだって、もう私には何の未練もないよ。今日だって多分、私の知らない愛人二号と薄暗いどこかで人には言えないアヤシイ事してるよ」
「でも、それは君が旦那さんを嫌いにならないといけない理由にはならない。別に好きなままでいいじゃないか」
「何ビビってんの? そんなんだからこの歳まで経験がないのよ……。根性なし」
きっかけが欲しかったのかもしれない。それを梢に押し付けることでようやく僕の中のリミッターが解除されたのだとすれば、やっぱり僕は梢の言う通り根性なしだった。
梢を押し倒す。それは、そうしたいと思ったからじゃない。
「なんでだよ……」
僕の思惑は当たっていた。
「なんで泣いてるんだよ」




