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明日から魔法使いになる僕に  作者: 明日葉 叶
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温泉の試練②

 桜ちゃんからの衝撃カミングアウトから数分、僕は湯船にいた。指は真っ赤になってしまったけど、怪我はなさそうだった。

 見上げる空には昼の月が飛行機雲の斜線に乗っかって、今にも転げ落ちそうに危なっかしい。

 まさか、この歳になってあんな小さな女の子から恨みを買うことになろうとは……。

 思考の深淵へと僕を誘っていくその悩みは、次第に僕自身を湯船に沈めていく……。

 溜息が目の前で泡になって瞬時に弾ける。

 でも、……僕さくらちゃんに何かしたっけ?

 作戦はひとまず置いておいて、一人になりたかった僕は、誰もいない露天風呂で黄昏ていた。

 まさか小学生位の女の子に足を掛けられた上で、恥をかかされる日が来るとは……。

「……まぁ、気にすんなよ。桜は母親がいねぇんだよ。梢にそれを求めてしまってるんだろうなぁ……、そんで梢にも子供はいないからそれに応えてしまう。あんちゃんに梢とられたくねぇんだよ」

 背後からの声に思わず仰け反りそうになってしまった。恐る恐る振り向くと、例の監督のような男が湯気の向こうから姿を現した。驚いた僕に、口の端を少しだけあげて笑っていた。

 僕より前から入っていたのだろう、人工的な岩石を背もたれのように悠悠と湯治を楽しんでいる。

「あんちゃんあれだろう? この間うちの劇団に来てた梢の……」

「知り合いです。先日は挨拶もないまま、すいませんでした。……一応作家志望でして、作品のタネになるのではと思いまして」

 一応、気恥ずかしそうに頭をかいて見せるのを忘れない。

「その理由で普通殴られるかよ。ていうか、普通そういうの俺に一本連絡入れない? まぁ、今更だからいいけどさ」

 乳白色の温泉は甘く匂い、強面の団長らしきこの男を眼前にしてもさほど緊張はしない。

 作家志望の設定は、似たような創作関係者ならなんの疑いもなく接近できるだろうと計算していたから。でも、その心配も彼がこちらに声をかけてくれたからなくなったわけだけど。

「でも、作家ねぇ……。公募とかに出してんの?」

 こうぼという文字を頭の中で公募という漢字に変換して、それを理解するまで数秒を置く。

「まぁ、一応……。一次にすら引っかからないものばかりですけど、まだ諦められなくって……」

「夢だもんなぁ……。俺も、劇団作ったときは興奮しかなかったよ。いつかぜったいこれで飯食っていくってさ。売れて、テレビとかにも出たりして周りを見返してやるんだって……。あんちゃんもそうだろ?」

「えぇ、……まぁそんなとこです」

 お湯が揺蕩う音が僕ら二人しかいない露天風呂のすべてに感じるほど、ここは湯気とぬくもりであふれていた。

「僕も近くの神社なんかに願掛けとか行ってみたけど、行ったって事実が残るだけで何も変わらないんですよねぇ」

「んな暇あるならやることあるだろ。お互い」

 示し合わせるように僕も作り笑いを浮かべてみる。向こうも僕との会話にはまんざらでもないらしく、笑っている。

「どうして作家を?」

 僕はその質問に、事前に考えてきたありきたりな言葉を返そうと少しだけ口を開いた。

「金以外の理由で答えろ」

 詰まった。そんな夢を追う人間が金以外で成功するとも限らない、届くとも限らない夢幻を追う理由が僕には考えられなかった。

「俺は、あんたに興味を持った。見てくれでもう三十路ってところだろ? 今から何か始めるにしても世間的には遅すぎるし、まして【家】のつく仕事だ。食っていけるとも限らない。それでもあんたがその道に進む理由を俺は知りたい」

 僕は、今まで自分の意志で道を決めてきたというにはあまりにも意志薄弱な人生を送ってきた。

 周囲の視線を感じ、空気を読んで就活をして、何の特色もない中小企業の事務を担当してきた。あたりさわりのない人生。それでいいと思ってきた。でも……。

「僕だけなんです。……変われなかったの。三十路になって、周囲は結婚して子供だってできて、中には出世して家を建てるなんて奴もいて。何年も合わないうちに、その時の友達の常識みたいなものに僕だけがついていけなくて……。なんだか浦島太郎にでもなってしまったんじゃないかって」

「悔しかったのか? 周囲に置いてけぼりにされたことが」

「自分なりに社会に馴染もうとした結果なんですけどね。なんだか逆に僕一人だけ浮いちゃってて」

 気づくと僕は笑っていた。自虐を含んだ笑い。社会に馴染もうと社畜の道を選んで、結果としてこの歳になっても恋人の一人もいない。それがすべてとは思わないけど、梢と出かけるようになって僕は知った。誰かといる休日の楽しさを。

「ぶっ壊せ。んなもん」

「え?!」

 なんの話をしているんだ? 急に。

「お前をないがしろにしてきた社会、お前を見て見ぬふりをしてきた会社。それらをお前の書いた小説で叩くんだよ。もちろん、結果として叩いたって良い。お前だってやる気になりゃできるんだってとこを見せて見ろ……。いや、言い方が甘いな、とにかくぶっ壊せ」

 ぶっ壊す……。あまりに無骨な響きの表現……。この世の中を壊すようなエキセントリックな考えに至ったことはない、でも、僕は、今の僕にはもしかしたらそれくらいの改革が必要なのかもしれない。なんの趣味もない、恋人もいない、生きがいもない、世間に対する屈辱しかない僕にはぶっ壊すという言葉がなんだか爽快に聞こえて、僕の一部になっていく気分になる。

 例え嘘でも何かを生み出す職業に憧れる人間がぶっ壊すだなんて正反対の言葉、口にするべきではないと思うけど僕は、

「壊せるかどうか、僕にはわかりませんけど……。やってみます」

「おう。ただ、あくまで例え話ってのはちゃんと理解してくれよ?」

「でも、正直精神的に不安になりませんか? それこそ本当に食べて行けるような職ではない。……僕が言うのもなんですが、夢物語というか」

「まぁ、そりゃそういうときもある……」

「そういう時、どうしてます?」

 素朴な疑問だった。それが知りたいというわけではないけど、僕自身今の会社にそのまま残っても大丈夫なものか悩んだ時期だってある。……今は惰性で通勤しているけど。

「俺なら、そうだな……」と顎をさする仕草をしながら、彼は何かを探るように言葉を紡いでくる。

「祈る……か」

 少しだけ拍子抜けする。こんな厳つい人でも、神仏を信じたりするのか。

「……。まぁ、神社仏閣神様仏様は、今も世界のどこかで飢えて死んでく子供たちを平気でシカトするし、俺らの夢に興味はない。でも、祈っちまうよなぁ……。近くにもあんのよ、祠」

「祠……ですか」

「なんでも昔竜神様がそこにおいでなすったとかで、ちゃんと真面目に祈れば心願達成してくれるらしい。興味があるなら行ってみるといい、このホテル近くの川のほとりにある。増水でもしない限り行けるからよ」

 興味があるなら……か。

 心願達成したいことなんて今の僕にはない。あるとするなら、今日の無事を祈ることとこの生活が続くように祈ること。……この生活か。彼女、梢との……いや、風間社長のいいつけを守り続ける日々。そこに僕はゴールを設定していない。設定してしまうと、僕は人として道を外す事になる。

 このままの日々を、平穏な日々を祈りに行くくらい許されるよね……。

「そうですね。こういう夢を追うような生活だと、正直不安もありますから……。夕食の前に行ってみようと思います」

「おう。戻ってきたら俺らの部屋に来いよ。そのころには桜も寝てるだろうし、創作関係の夢を追う者同士何かと情報を共有できるかもしれないからな」

 最初はなんだか怖いだけの人に思えたこの監督らしい風貌の男も、単に現実に抗うだけの素直な人だった。

 なんだかそのことが、僕にとっての今日最大の収穫であるかのような達成感に僕は満たされていた。

「じゃ、暗くなるのでそろそろ上がります」

 前を隠すタオルを探していると、監督らしい男の近くの桶にかけてあるのが目に見えた。

「こいつは預かっておく。なりてぇんだろ? 作家。だったらこんなもん要らないよな。さらけ出せよ、自分を」

「そうですね。少し恥ずかしいですけど、別に誰に見られるわけでもないですし」

「そういうことじゃねぇだろ。まぁいい、行くんだろ祠? 近くの川、案外深いから気をつけろよ?」

 僕は会釈を一つ、そのままアルミのサッシに手をかける。

「そうだ、お前名前は?」

「名前ですか? 紗築ですけど?」

「そうじゃなくて、ペンネーム」

 あぁ、そうだった。雰囲気と【あ】で始まる安心感を重視した名前を僕は口にする。

 実家で育てていた野草の名前を。


 露天風呂からちらりと見たとはいえ、屋外とは状況が違うことを川を挟んだ件の祠を目前に思う。

 空は晴天と言うには雲が多い。湿気と熱を帯びた風が頬を撫でる。そういえばホテルに到着する直前まですごい雨が降ってたっけ。水たまりを避けながら川のほとりまで歩いていく。大小さまざまな丸い石に足を取られそうになりながら、日ごろ運動していなかったことを少し後悔する。

 川の幅は優に5メートルといったところ。向こう岸にわたるにはちょうどいい大きめの石が直線を描くように点在していた。石と石との間は1メートルくらい。軽く飛んでいける距離。

 ……僕一人なら。

「こんなところに来るなんて頭おかしいんじゃない? 願掛けしたってあんたの願いなんて叶わないんだから」

「だったらほっといてくれないか? 君には何の関係もない話だろう?」

「関係あるの! 私には任務があるの」

 僕を嫌っているはずの桜ちゃんが、僕を追ってここまでついてきてしまった。

「何の任務だか知らないけど、もうすぐ夕飯の時間だろ? みんな今頃おいしい料亭料理でも食べてるんじゃないかな? 早く帰って方がいいよ。君は用事はないんだろ?」

 まぁ、別にいようがいまいがどっちでもいい。作家を目指してるのは設定だけど、この平穏な日々を願っているのは本当の事。僕は迷うことなく川を飛び越え始まる。

「知ってるわよ。あんた竜神様にお願いごとするつもりなんでしょ!?」

「だったら?」もう一つ石を飛び越える。

 川は少しだけ濁りがあって、流れも急だけど石を渡れば何てことなさそうだ。あと二つほど石を飛び越えれば向こう岸に見える祠にたどり着く。

「そうはさせないんだから! パパとの約束が私にはある。あんたなんかに好き勝手させないんだから!」

 僕の後方三メートルくらいの位置から桜ちゃんの声が聞こえて、振り向くと彼女は既に一つ目の石の上に立っていた。

「危ないから来ないほうがいいよ。この川、大人ならまだいいけど結構深そうだ」

「そんなこと言って、私から逃げようっての!」

 なんて言いがかりだ。そもそも逃げるも何も、僕は彼女に一切何もしていない。

「ついてくるのは構わないけど、足元十分に注意してね。それと、間違って川に入ったらすぐに呼ぶこと」

 何気にそう言った。本心からこんなところ子供が来るようなところじゃないと思ったし、何より彼女は所長の娘。ここで何かあったら僕はなんと所長に話せばいいのだろう。

 気が抜けていたのかもしれない。再び祠の方へ向きなおす僕は、川の異変を感知できなかった。

 足元を大量の枯葉が流れていく……。


――鉄砲水。


 迫りくる濁流に気づいた時、僕はとっさに振り向いた。

「さくらちゃん!」

 彼女はボケっと僕のほうを見ていたけど、次の瞬間には足元から川の水にぬれてそのまま下流へ流されていった。

 その光景をずっと見ていたわけじゃない。僕の方も間を開けることなく下流の方へ流されてしまう

 冷たい水は靴からシャツからすべてを濡らし、瞬く間に体温が奪われていく。泥臭い匂いは本当に自分が災害に巻き込まれてしまったという恐怖心をあおる。

 息ができない。前が見えない。僕と一緒に流される枯れ木が頬にきりきずを作った。

「……さくらちゃん!」

 さくらちゃんは、何とかその木にしがみつくことができたらしく、顔から先ほどの余裕は全く消えてしまっているけど、僕を見ると悲しそうに顔をゆがませたので、

「大丈夫! 少し怖いかもしれないけど、ディズニーランドにも似たようなものあるでしょ?」

 なんて口にして余裕のある大人を演出してみたけど、言ったそばから後頭部に相当な衝撃が走り、そのまま意識をなくして川の冷たさに身を投げた。

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